第75話 偽物の魔石
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中庭から居住棟へと足を踏み入れると、いつもは静けさが漂う一階のホールが、今はどこか張り詰めた空気を漂わせていた。
どうかしたのかしら。……何か、得体の知れない嫌な予感がする……。
私室へ戻ると、すぐにティアも紅茶と数種類のお菓子をワゴンに乗せて入室した。けれど、その顔色は青白くて優れないように見えるわ。
普段だったら何か気がかりなことがあっても、わたくしの発言一つで相手に負担をかけることに繋がる可能性もあるから、安易に訊ねることはしないのだけれど、……今は訊かなければ必ず後で後悔をするという思いが強く過った。
「ティア。何かあったのですか?」
ティアのティーカップをテーブルに乗せていた手の動きが止まる。
「……変わりはありませんが……いえ」
ティアはそっと両手を揃え背筋を伸ばして、表情を固くしたまま小さく頷いた。
「……わたくしからは申し上げられないのですが、……どうやら我が王国の威信に関わる事柄が起きたようです。よろしければ、陛下に対して直接お訊ねになられるとよろしいかと存じます」
「……分かりました」
ティアの立場を考えて、それ以上は訊ねないことに決めた。
代わりにティアの淹れてくれた紅茶を口に含んでみると、途端によい香りが漂って徐々に心が落ち着いてきたように感じる。言葉にはできなくても、ティアの心遣いが伝わるようでとても嬉しいわ。
そしてティアの助言の通り、晩餐の席でアルベルト陛下に異変について伺おうと思ったのだけれど、食堂へと移動すると間もなく本日の晩餐は一緒に摂ることができないと侍従からすぐに陛下からの伝言を受けた。
いよいよ、嫌な予感は当たったのだと確信を持った。
正直なところ得体の知れない恐怖を感じるけれど、それが行動を起こさない理由にはならないわ。
そう強く思いながら、晩餐後に近衛騎士のフリト卿と共に本宮にある陛下の執務室へと移動をする。
「大変な事態になりましたな」
「ああ。ドーカル王国がいつ宣戦布告をしてきてもおかしくない事態だ」
そう話をしながら、陛下の執務室から宰相であるわたくしのお父様と丞相のエトムント侯爵が姿を現した。
…………戦争。背筋が凍りつき、瞬く間に息苦しさが襲ってきたけれど、ともかく今は陛下とお話をしなければ。
「…………これは妃殿下」
「如何なされましたか?」
お父様と丞相はわたくしに気がつくと、とても不思議なくらいに、表情を穏和なものに変えていった。
「陛下に、取り急ぎ用件がありますので参りました次第です」
「左様でしたか。ですが、陛下は現在大変お忙しいので、その用件は後日にしていただけませんかな?」
丞相は穏和な笑顔でそう言ったけれど、その目は鋭く全く笑っていないように感じる。
……その実、邪魔だから戻れと遠回しに言っているようにも思えるわ。
「ご助言をいただきましてありがとうございます。……ですが、わたくしは自分の意志でここに参ったのです。このまま引き返すつもりは毛頭ありません」
気がついたら言葉を発していた。
いくら自分が王妃だからと言って、このような発言を臣下にするのは普段のわたくしだったら憚られていたのでしょうけれど、今は違った。
第一、戦争だなんて言葉を聞いて黙って引き返せるわけがないわ!
「しかし……」
「丞相。妃殿下にはお考えがあるのだ。我々は会議室へと向かおうではないか」
お父様が丞相に対して諭すような言葉を述べられた。……お父様が、わたくしを擁護してくれた……のかしら?
「……承知いたしました。では、妃殿下、失礼致します」
「はい」
二人は礼をすると、できるだけ足早にその場を去って行った。
……よかった。波風を立てることは避けられたようね。
ともかく前へ進まなければと陛下の執務室の前まで赴き扉の前の近衛騎士に事情を説明すると、すぐに陛下へとその旨が伝わり難なく入室することができた。
思えば、陛下の執務室には前回の生の時にも訪れたことはなかったので今初めて踏み入れるのだけれど、その部屋には大きな窓がいくつもあって、昼間なら柔らかい陽射しが入り込んできて仕事が捗りそうに思える。
加えて、壁際には本棚がところ狭しと置かれていて、その背表紙を確認すると百科事典や法律書等が並んでいた。
「そなたがここに来るとは珍しいな。……そうか、晩餐を共にできずに申し訳なかった」
何か非常事態が起きていて、内心では心穏やかではないはずなのに、その上でわたくしを気遣ってくださる。陛下のその温かな配慮が心底嬉しかった。
「いいえ、その件はよろしいのです。むしろお食事をまだ摂られておりませんでしょう。よろしければ、こちらに何か軽食を運ぶように取り図らいますが、如何でしょうか」
「……ああ、そうだな。そなたの心遣いに感謝する」
「いいえ、陛下のご健康が一番ですから」
わたくしは外で待機をしてるフリト卿に対して用件を伝えると、再び室内へと戻り陛下の執務机の正面へと立った。
「陛下、現在何が起こっているのでしょうか。周囲の者たちの雰囲気が張り詰めているように感じますし、先ほど通りかかった宰相から気になる言葉を聞いたのです」
不安を言葉にすると、不思議と心が少し落ち着いたように感じる。
それは、陛下の表情が緊急時である今でも決して曇っていないので、安心感を抱いたからなのかもしれない。
「……そうだな。この件は国にとって重大な事件だ。我が国の存亡に関わるやもしれぬ。そなたにも当然知っておいてもらいたい」
「はい」
思わず手のひらをギュッと握りしめた。
「本日の夕刻近く、王宮にドーカル王国から早馬があったのだ」
「ドーカル王国からですか?」
「ああ。使者がドーカルの国王から国書を持ってな」
胸の鼓動が強く跳ねる。
「どういった、内容だったのでしょうか」
陛下がその国書の書面をわたくしに手渡し、その書面を読み取っていく。そして時候の挨拶の後の書面を読み取ると、思わず固まってしまった。
『……我が国がラン王国から輸入した魔石の中に偽物の魔石が大量に混入されていた。貴国は魔石の輸入時に高額な関税をかけているが、これはどういうことなのか説明をいただきたい。また、すでに大量の偽物の魔石が混入されていたことにより我が国は損害を被ってしまった。ついては賠償金を貴国に請求する。それを拒否することがあれば、宣戦布告も視野に動く次第である』
偽物の……魔石? どういうことかしら……。
「偽物の魔石とは……、そんな物、本当に混入されていたのでしょうか」
「使者は、偽物の魔石自体や証拠の投影魔宝具による映像も提示して来た。真偽は定かでは無いが、我が国が不利な状況下であることは明白だ。……ついては、早々にこちらからも使者を送り状況の把握や弁明に努めることとなった」
「左様でしたか……」
何と答えてよいのか思い至らなかったけれど、現在置かれている状況が不利であることは確かなようね。……けれど、前回の生の時にこんなことは起きたかしら……。
『セリス様。……実は我が国は現在ドーカル王国に、……いえ、なんでもありません』
たちまち前回の生の際に、拘置所に面会へ訪れてくれたオリビアの言葉が過った。
……まさか、前回でも同じことが起きていた……? それに、魔石鉱山が狙われると予言めいたことを言っていたルイーズの言葉も気に掛かるし……。
思い巡らせていると、陛下はそっと立ち上がり力強い視線を向けた。
「……必ず我が国とそなたを守り通す」
「……はい」
こうして、我が国に突然危機が訪れてしまったけれど、陛下の瞳を見ていたら自然と不安は心から消えていたのだった。
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