第65話 アルベルトの私室にて
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その日の夜。
今夜は半月に一度に設けられている房時の日であるので、わたくしは湯浴みの後に陛下の私室を訪れていた。
普段であれば二十時を回っているこの時間は、陛下と共にティーサロンへと移動しているのだけれど、今夜は茶器をこちらに持ち込んで二人でお茶を嗜むことにしたのだ。
「私の部屋にそなたが居るというのは、やはり良いな」
「わたくしもアルベルト様のお部屋はとても落ち着きますし、ゆったりと過ごすことができるので、今夜を楽しみにしておりました」
陛下の私室は、ダークブラウンの落ち着いた色の木製の家具で統一されていて居心地が良かった。
陛下は一人掛けのカウチに腰掛け、わたくしは向かいの二人掛けのカウチに腰掛けた。
お茶を淹れるのには、二人で並んで二人掛けのカウチに腰掛けた方が作業もし易く好ましいのだけれど、今夜はそういう雰囲気にはならないようにしようと二人で初めから照らし合わせているので、敢えて離れて座っている。
それにしても陛下のグレーのナイトガウン姿は、普段のお姿とは違う魅力を感じられてドキリとするわね。
「……今夜のそなたは、何処か気を落としているように見受けられるが、日中に何かあったのだろうか。私でよければ話を聞くが」
陛下の真摯な視線に心が打たれた。
今日の昼間の出来事はフリト卿を始め、他の従者たちにはくれぐれも他言無用にするように伝えてあり、どうやらそれは実際に施行されているようだった。
けれど、魔術学園での出来事をそのまま伝えることなどとてもできそうにない。
「お心遣いをいただき、ありがとうございます。ですが、魔術を使用することができるようになり少々疲れておりまして、おそらくそのためかと思います」
陛下に、事実を打ち明けられないのは心苦しい。
ただ思い返してみると、ルチアにはわたくしが時を遡った力を使用したのではないかと告げられたり、学園に乱入して来たルチアのお祖父様からは盗賊呼ばわれをされたりと、……よく考えたら今日はとても濃厚な一日だったわ……。
わたくしが時を遡る力を使用した可能性が高いことを受け止めるだけでも、精一杯なのに……。
そう思いを巡らせていると、陛下が柔らかな表情でわたくしを見ていることに気がついた。
「セリス」
「……はい」
名前を呼ばれただけで、心が温かくなるようだった。
「……そういえばわたくし、アルベルト様にお伝えをしていなかったことがありました」
「そうか。それは何だろうか」
「実は昨日、レオニール殿下からお預かりをした設計図の確認を学園の講師に願い出まして、その返答は大変素晴らしいできとのことでした」
「それはよきことだ。レオニールも喜ぶことだろう」
陛下は心から嬉しいのか、口元を綻ばせている。殿下の努力が認められたことが心から嬉しいのね。
「つきましては、その講師が殿下と直接会って設計についての詳細を聞きたいとのことなのですが」
「……そうか。ならば明日にでもレオニールにはその旨を伝えておこう。あくまで、レオニールが設計した物と言うことは伏せてあるのだったな」
「はい、その通りです」
「ならば、レオニールの正体を明かさねばならぬが、講師を王宮に招くわけにも行かぬし、色々と思案をせねばな」
「はい、そうですね」
けれど、どのような対処をするのがよいのかしら。例えば王宮以外の場所で面会するとしても、……そうだわ。
「アルベルト様。その候補地なのですが、わたくしに思い当たる場所があるのです。ただ、実際に可能かどうか確認を取ってから再びお伝えしますね」
「了承した」
陛下は頷くと、ふとその目の表情が変わった。心無しか少し陰ったように感じる。
「私も、失念していたことがあるのだ」
「あら、どのようなことでしょうか」
「実は本日、バルケリー卿からそなたのペンダントのことで判明したことがあるので明後日にでも面会をしたいとの申し出があった」
「そうでしたか、承知いたしました。明後日は学園もお休みですし、特に問題はありません」
「……そうか」
陛下はバルケリー卿の話題になると、なぜか決まってつまらなそうな表情になるのよね。
「アルベルト様は、以前からバルケリー卿とお知り合いだったのですか?」
「……ああ。彼は魔術学園の出身者だが、その兼ね合いで良く王宮魔術師塔にも学生の頃から出入りをしていてな。私は魔術の心得はないが、魔術は我が国の主要な産業の一つゆえ、幼き頃からよく訪れていたのだ。卿とはその頃からの、そうだな、腐れ縁だ」
「腐れ縁……」
確か、以前にもオリビアから同じことを聞いたような気がするけれど、バルケリー卿はよく人からそのように形容される方なのかしら……。
「こともあろうに、卿は昔から私にそなたと会わせろと、会うたびに言ってきてな」
「卿がですか?」
「ああ。そなたの宰相である父親からそなたと魔術師とはくれぐれも接近させるなと念を押されていたのもあり、そのたびに断っていたのだが、それは全く絶えなかったのだ。……だが今思えば、卿はそなたの膨大な魔力に気づいていてその助言を試みようとしていたのであろう」
「……そうだったのですね」
バルケリー卿は以前からわたくしの身体を案じてくれていたけれど、お父様の影響で陛下はそれを拒んだのね。二人にはお父様のせいで嫌な思いをさせてしまったのだわ。
そもそも、なぜお父様はわたくしを魔術から遠ざけていたのかしら……。
「お父様はなぜわたくしから、魔術を遠ざけていたのでしょうか」
「……そうだな。……実は一度宰相とは話をしているのだが、……この件はそなたも、直接本人に訊いた方がよいだろう」
「……そうですね。ただ王宮ではあまり込み入ったことはお話することはできませんし、お父様をわたくしのティーサロンにお招きをするのも、少し気が引けてしまいます」
わたくしは、どうも幼い頃から威圧的であるお父様が苦手なのだ。婚儀の時は言い返すことができたけれど、またお会いするとなると……。
この間の王宮魔術師長任命式の際は、ほとんどお話ができなかったのよね……。
「そうか。ならば許可を出すので、一度実家に戻って話を聞いて来るのはどうか。何なら一晩泊まって行ってもよいな」
「……よいのですか?」
「ああ。思えば結婚してからそなたは、一度も実家には戻っておらなかったし、よい機会であろう。……ただ泊まるのは一晩にしてもらいたい」
瞳に影を落とした陛下に対して、沸々と愛しさが込み上げて来た。
「はい、必ず翌朝には戻りますから」
「ああ」
陛下は立ち上がってわたくしの側まで近づくと、そっとわたくしの髪を指ですくった。
「…………さあ、そろそろ就寝をするとしよう」
陛下は手のひらを強く握り締めて、何かを決心するかのような瞳をしている。
今夜は房時だけれど、わたくしたちは事情があってそういうことは控えていているので、陛下には大変なご負担をかけてしまっているのだわ。
とても申し訳がないけれど、ここで謝罪をするのも具合が悪いし……。
「はい」
わたくしはティーセットを簡単に片付けると、既に寝台に腰掛けている陛下と距離を取ってゆっくりと寝台に入り腰掛けた。
すると陛下が室内の魔宝具の灯りを消してくださった。
「アルベルト様、それではおやすみなさいませ」
「ああ、おやすみ。……それにしても、やはりそなたと眠ることができるのは良いものだな」
「はい、わたくしもそう思っております、アルベルト様」
できれば毎日一緒に眠りたいけれど、王宮の慣習で国王と王妃は新婚であっても、部屋を分けることになっているのだ。そのため、時折寝所を共にする日が予め設けられている。
それに、侍従に申し出て同室にしてもらえたとしても、お互いに抑制をしなければならない今は控えた方がよいのかもしれない。
そう思いながら、お互いに寝台に横になり瞳を閉じた。
……いつもと違う寝具であるし、隣に陛下がおられると思うと緊張して中々寝付けないわね。そう意識すると、ふと昼間のルチアの言葉が脳裏に過った。
──『こちらには、妃殿下が時を遡る力を発動したことを記録した刻印が載っています』
わたくしが自身の力で時を遡った……。
まさか、あれが自分自身が引き起こしたことだったなんて……。
それでは本来のわたくしは、もうとっくにこの世にいないはずの存在で、今生で陛下に愛されていることも、全ては自分が時を遡る力を発動してある程度の未来の事実を知っていたからであって……。
そもそも、わたくしが時を遡ったことで、誰かの本来の運命をも変えてしまったのかもしれないわ……。
わたくしはとても狡く、取り返しのつかないことをしてしまったのかもしれない……。
「セリス、泣いているのか?」
陛下が身を起こして、心配そうに覗き込んでいる。そのお心遣いがとても愛しい。今すぐ陛下にとことん縋りつきたくなる。
「……アルベルト様と一緒にいられることが、とても嬉しいのです」
何とか絞り出して微笑むけれど、無意識に流れていた涙が後から溢れた。
「そなたを愛している」
陛下はそっとその指でわたくしの涙を拭い、そのままの姿勢で頭を撫でてくれた。
とても幸せで、けれど同時に罪悪感も襲ってきて……。
「わたくしも愛しております」
様々な考えが脳裏に過るけれど、陛下の優しい手つきに不安な気持ちは徐々に晴れていき、安心感で心が満ちていった。
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