第64話 運命の分岐点
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室外へと出ると、ルチアが罵声のする方向へと早足に向かって行ったので、わたくしは傍に控えるフリト卿について来るようにと声を掛けてから、ルチアの後を追った。
突き当たりを曲がると、遠くからもハッキリと聞こえたその罵声はより大きく聞こえるようになったのだけれど、見渡したところ人影はないようなので安心した。
そして、ルチアはある部屋の前で止まると、息を小さく整えてから扉をノックした。
扉のプレートには『学園長室』と書いてあるけれど、先ほどの罵声は室外で響いていたような声だったので移動してこちらの部屋に入ったのかしら。
「……どなたですか?」
罵声が止み、代わりに男性の憔悴した声での返答があった。
「学園長、スナイデルです。私の祖父が来訪しているようですので、お伺い致しました」
「……どうぞ」
「失礼致します」
ルチアが扉を開くと視界が開け、奥にはクラーク学園長が長椅子に深く掛けていて、その手前には白のシャツに黒のズボンを穿いた白髪の長身の男性が立っていた。加えて、白髪の男性の顔は赤く熱気を帯びている。
おそらくこちらの男性が、今まで罵声を吐いていたのね。
ルチアは速やかに入室し、すかさずわたくしの目前にはフリト卿が立った。
「お祖父ちゃん。これ以上醜態を晒すのは止めて」
「ルチア、俺はそもそもお前を王妃に仕えさせるために、この学園で働くことを許可したわけじゃないんだぞ」
低く威圧するようなその声は、まるで心に突き刺さるようだった。けれどルチアは一歩も怯まず、凛とした姿勢で真摯な眼差しを男性に向けている。
「私は、王妃殿下に仕えているわけではありません」
「お前は、俺たちに育ててもらった恩を仇で返すと言うのか!」
あまりにも一方的に理不尽にルチアに対して捲し立てているので、わたくしは恐ろしくて怯んでいた心情を、一時的に忘れることにした。
一歩ずつゆっくりと歩みを進めて、ルチアの隣に姿勢を正して立つ。
フリト卿が制止の言葉を投げかけたけれど、構わずスカートの裾を両手で掴んで片足を斜め後ろの内側に引いて辞儀をした。
本来は目上の者に対して行うことの多い挨拶だけれど、今は直感でこのようにした方がよいと悟ったのだ。
「ご機嫌よう。わたくしはセリス・エメ=フランツです。以後お見知りおきを」
口元には笑みを含むけれど、目には決してそれを含まない。相手に対して決して隙を見せてはいけない。その心境でわたくしは普段よりも背筋を意識して伸ばした。
「……まさか王妃が出てくるとはな」
「貴方のお名前を教えていただきたいのですが」
「……俺はテオ・スナイデル。ルチアの実の祖父だ」
「スナイデルさん。貴方はなぜルチア先生がわたくしを教えることに異を唱えるのですか?」
テオは言葉を濁したけれど、すぐに吐き捨てるように言った。
「俺の大事な孫が、お前たちのような盗賊と関わって欲しくないからだ」
盗賊……。
今までお飾り王妃と影で囁かれて貶められたことはあったけれど、盗賊だなんて身に覚えもない言葉は言われたことがなかった。
テオの高圧的な態度と相まって怒りが沸々と湧いてきたけれど、ここで感情的になってしまったらおそらくテオの真意は確かめられない。常に冷静であらねば。
「それは穏やかな物言いではありませんね。なぜわたくしたちがそのような存在だと思うのですか?」
「お前たちが、過去に俺に対して行った事実をそのまま表現しているだけだ」
「……どういうことですか?」
「言葉通りだよ。俺はな、昔」
「テオさん。ここまでにしましょう」
クラーク学園長は立ち上がり、首を横に振った。
「テオさん、私は貴方を大変尊敬しています。ですから今日貴方が私に対して苦言を呈したことは、全く気にも留めていません。ですが、妃殿下に対する侮辱は今後一切止めていただきたい」
クラーク学園長は、鋭い眼差しで真っ直ぐとテオを見つめた。というよりは睨んでいる。
「……分かったよ。ともかく俺の大切な孫娘を、王室の駒にさせるなんてことは絶対に止めてくれ」
「大丈夫よ、お祖父ちゃん。そんなことは絶対にならないから」
ルチアも真摯な眼差しで、諭すように言った。
「……俺はお前のことを常に心配しているんだ。お前が俺のような酷く惨めな思いをすることがあるんじゃないかと思って、さっき仕事の取引先の人間にお前が王妃に教えていると聞いてから気が気じゃなくなって……」
「もう、お祖父ちゃんは、昔から思いこんだら目の前のことしか見えなくなるんだから」
ルチアは少しだけ口元を緩めたけれど、その目には憂いが帯びていく。
「ともかく、今日のところは帰って。週末にでもそっちに帰って話をするから」
「……ああ、分かった。……騒がせたな」
テオは軽く頭を下げると早足で退室していき、ノア学園長はわたくしに深く頭を下げた後、「……俺が作った魔宝具が今も作用をしているようで安心した」と囁いてから足早にテオに付いて行った。
二人が退室したことにより、室内にたちまち静寂が訪れ張っていた気が一気に緩んでいった。
よかった……。ともかく物騒なことにはならずに、本当によかった……。
それにしても、去り際にテオが言っていた言葉はどういう意味だったのかしら……。
「王妃殿下」
気がつくとルチアは、わたくしに対して深く頭を下げていた。
「私の祖父が王妃殿下に対して無礼を働きまして、本当に申し訳ありませんでした」
「頭を上げてください、ルチア。貴方は何も悪くないのですから」
ルチアは躊躇いがちに、ゆっくりと頭を上げた。その瞳は少しだけ潤んでいるように見える。
「どのような処分も受け入れる覚悟です。本当に申し訳ありませんでした」
「そんな、処分だなんて……」
瞬間、傍に控えているフリト卿が険しい顔つきになった。
確かに、公衆の面前で王族を侮辱したことは大罪にあたるのかもしれない。
──ここで判断を誤れば、再び悲劇が起こることになる。
突然脳裏に言葉が響いた。
……どういう意味なのかしら……。
ともかく、テオにも何か事情があるようだし、そのことだけで落ち度と罰するのは何か違うと思うわ。
それに、わたくしや王族を侮辱したことに関してはその時の感情などもあることだから、わたくしが目を瞑りフリト卿や他の従者にもよく言い聞かせておけば、問題はないはず。
「わたくしは処分は検討しておりません。陛下にも今日の貴方のお祖父様のいき過ぎた言動に関しては伏せておきます。だから、安心してくださいね」
「王妃殿下……」
ルチアは一筋の涙を流した。
「何故、そのような寛容なお心を向けてくださるのですか?」
「スナイデル先生はわたくしの大切な先生ですし、貴方のお祖父様もわたくしにとっては大切な民ですから」
わたくしがルチアにハンカチを差し出すと、ルチアは両手で受け取り、静かに微笑んだ。
「ありがとうございます、妃殿下。このご恩は一生忘れません」
その微笑みはしばらく、わたくしの瞼の奥に焼きついて離れなかった。
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