第52話 口づけ
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先の就任式での祝辞の件を陛下に説明するべく、わたくしはできるだけ事実をありのままにお伝えするように努めた。
「実は、信じられないような話ですが、予め用意をしていた原稿が白紙になっていたのです」
「白紙に……?」
「はい。式が始まる直前まで目を通しておりましたし、肌身離さず持っておりましたので、すり替えられた可能性は低いとは思うのですが」
初めてあの件を人に打ち明けたのもあり、自分でも可笑しなことを言ってしまっている自覚はあるわ。
けれど、あくまで事実をそのまま伝えているので他に言いようもないのだ。
「そうか。……それは難儀であったな。ということは全く何も読まずにやり遂げたのか?」
「はい。なので少々しどろもどろになってしまいましたが、何とか場を途切れさせることにはならず安堵をしております」
「いや、むしろ言われなければ分からない程円滑に話すことができていた。堂々とした態度には好感を抱いた程だ」
「そんな、過分なご評価を……」
熱い視線でそう言われたものだから、再び頬が熱くなって来たわ。
鼓動も早まって来たし……。
「……それにしても、何故原稿が白紙になったのでしょうか」
「そうだな。……考えられる可能性はそう多くはないが、ひとまずその件の原稿を預からせてもらえないだろうか」
「はい。それでしたら、後ほど陛下の側仕えに預けるように侍女に申し伝えておきます」
「……ああ。ただその際は、できるだけ信用のおける者に託してもらえないだろうか」
「信用のおける者……ですか?」
「ああ」
その言い方には含みがあるように感じ、とても気にかかったけれど、直接は訊かない方が良いと陛下の真剣な瞳の奥を見て悟った。
「承知いたしました。それではオリビアに託しますね」
「それが良いだろう。……して、そなたに相談しておきたいことがあるのだ」
「相談ですか?」
陛下の瞳の奥は、益々真剣さを帯びていくようだった。
「ああ。……再来月からそなたの専属侍女となる予定の、ビュッフェ侯爵家のカーラ嬢のことだ」
一気に血の気が引いた。
まさかこの場で、陛下の口からカーラの名前が出てくるとは思っていなかったから。
「……カーラ嬢が、如何致しましたか?」
何とか言葉を振り絞ったけれど……、まさか、先日会った際にカーラを気に入ったから側室にしたいと持ちかけられるのかしら……。
「そなたさえ良ければの話だが」
「は、はい」
これは、覚悟を決めなければならないかしら……。手のひらをぎゅっと握りしめ瞳も固く閉じた。
「カーラ嬢をそなたの専属の侍女ではなく、王太后付きの侍女に配置しようかと思うのだ」
その言葉の意味を飲み込むのに、随分時間が掛かってしまった。……カーラをわたくしの侍女に……しない……?
「あの、それは……どのような理由からでしょうか」
「理由は……そうだな、そなたには打ち明けておいた方が良いな。実はビュッフェ侯爵家が我が王家に対して……その実、忠義を尽くしてはいないとの疑いがあるのだ」
「忠義を尽くしていない……?」
その話は初めて聞いたので、まるで幻を見るような気持ちだけれど、ともかく実態を把握することに努めなければ。
「ああ。ただそのような報告があるが、ビュッフェ侯爵家は我が国の中でも有力な家門であり、特に貴族派に対して尽大な影響力があるので無下にはできなかったのだ」
そういった事情があったのね……。前回の生の時では全く知らなかった……。
「……そういったご事情がおありなら、カーラ嬢をわたくしの侍女にしないことは具合が悪くなりませんか?」
「実のところ、一度はそのように判断をし、最大の警戒を行いながら変わらずカーラ嬢をそなたの侍女に就任させることにする手筈だったのだ」
大きく鼓動が跳ねた。……まさか、前回でもそうだった……のかしら……?
「だが、その考えは悔い改めたのだ。どのような事情があれ、そなたの身を危険に晒すわけにはいかないからな。だが一度はそなたを危険に晒す選択をしてしまったことを、今では深く悔いている」
「……陛下……」
涙が溢れそうになった。
……カーラが思わぬ形でわたくしの侍女に就任しなくなるという事実に安堵をしたし、何よりも陛下の心遣いに触れて心が震えたのだ。
「……けれど、それでは王太后様が危険に晒されませんか?」
「そちらの対策も万全にしている。特に、王太后の実家であるミラーニ家に協力を仰ぎ、現在綿密に対策を練っているところだ」
「……先日の王宮魔術長の就任式で、ミラーニ家の名前が挙げられていたのはそのためだったのですね」
「ああ、そうだ。まあ、用件はそれだけではなかったのだがな」
その言葉は呟きのようだったので、あえて深くは言及しないことにした。
……それにしても、カーラがわたくしの侍女に就任しないなんて……。
「それでは……、陛下はカーラ嬢のことを気にかけてはおられないのですか?」
「警戒対象として常に気にかけてはいるが、特にそれ以上のことは気にかけていない」
思わず脱力し、椅子から落ちてしまった。
けれど、意外にも衝撃が少なく痛みもあまり感じなかった。
「大事はないか……!」
陛下は一目散に駆けつけて、わたくしを抱き抱えてくれた。
嬉しいけれど、まだ力が入りそうにない。
「……申し訳ありません。何だか力が抜けてしまって……」
これはカーラに対する警戒心を一時も外すことができなかったことへの反動なのかもしれない。突然に、その警戒を緩めても良いと心が悟ったから……。
「セリス……」
陛下はわたくしの手を取りそっと立たせると、力強く抱きしめてくれた。
「私はそなたを愛している。……だからこれから行うことは、どうか義務や必要なことだから行ったとは思わないで欲しい」
「陛下……?」
陛下が囁いた愛の言葉が心に浸透していく。
あの時、「絶対に二度と陛下を愛さない」と誓った想いが少しずつ解かれていくように感じた。
陛下はそっとわたくしから離れると、代わりにわたくしの左の頬に手を添えて唇を寄せ、わたくしの唇とそっと重ねた。
……陛下から口づけを受けている……。温かくて優しい感触……。
認識すると心が震えて来て、既に溢れそうだった涙が次から溢れて止まらなかった。前回の生では、口づけを受けてこんなにも幸福な気持ちになることはなかったのに……。
それは何度も確かめるように、離れては再び唇を重ね、次第に深くなり胸の奥が熱を帯びてくる。
気がつくと、自然に陛下の背中に自身の腕を回していた。
わたくしの気持ちも……陛下にお伝えしなければ……。わたくしは陛下のことを……。
「陛下……」
陛下を見上げて意を決して言葉を紡ごうとすると、突然身体の奥から怒涛のように熱が込み上げてきた──
そして、陛下の左の手首に装着している銀色の腕輪に嵌められている宝石が眩く光り、その光がわたくしを包み込んでいった。
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