第34話 オリビアの所在
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初夜の儀の翌日の朝。
わたくしは私室で朝食を摂った後、先日市場で出会ったデービス夫人からお礼の便りが届いたとティアから封書を預かったので、その文面に目を通した。
『拝啓 仲夏の候、妃殿下におかれましては、ますますご健勝のこととお喜び申し上げます。つきましては、このような便りで感謝の言葉をお伝えすることをお許しください。妃殿下の迅速なご配慮により無事にことなきを得ました。あれから体調不良もなく、お医者様からも問題がないと診断していただいております。ご心配をお掛け致しました。妃殿下は私共家族の命の恩人です。本当にありがとうございました。 敬具 ビアンカ・デービス』
……デービス夫人。本当に良かった。問題がなかったようで安心したわ。
加えて、このような個人的な心がこもったお手紙はやはりとても嬉しい。
デービス夫人が無事に出産の日を迎えられますように。わたくしは自然に両手を握って神様に祈りを捧げた後、すぐに便箋を取り出して返事を書き始めた。
◇◇
その後わたくしは、久しぶりに私室で刺繍を刺していた。元より初夜の儀の後は、王妃の身体を考慮して翌日は予定を入れないのが慣例となっているのだ。
今日は絹のハンカチに青い小鳥のモチーフを刺している。
これは日頃の感謝の証に、以前小鳥が好きだと言っていたオリビアに渡そうと思い刺し始めたのだけれど、……肝心の彼女を今日はまだ一度も見かけていなかった。
マリアの話によると、侍女長のティアに用事を言伝られたらしいのだけれど、もう十五時を廻っているし、そろそろ姿を見かけてもおかしくない頃合いよね。
「妃殿下、お茶をお持ち致しました」
思案をしていたら、丁度ティアの声と共にノックの音が響いた。
「はい、どうぞ」
「失礼致します」
静かな動作で入室をし、室内の隅の椅子に座るわたくしの傍までワゴンを押して立ち止まり、速やかに準備を始める。
カチャカチャという心地の良い音を聞きながら、話を切り出す機会を窺った。
そうね。今なら他に誰もいないし、とてもよい折かもしれないわ。
「ティア」
「はい、いかが致しましたか?」
「オリビアの姿が朝から見えないようなのだけれど、どうかしたのかしら?」
ティアの身体が硬直したように見えた。
「……オリビアは実家から呼び出しがかかり、急遽実家に戻りました」
「…………それは誠ですか?」
「はい。一週間程お暇をもらいたいと申し出た後、今朝早々出立をして行きました」
「…………そうだったのですね」
オリビアがわたくしに対して、何の挨拶もなく実家に戻った?
……そんなことがあるわけがないわ。それに、昨夜オリビアはわたくしが初夜の儀を迎えた後、様子を気にかけたいから今朝も来訪すると言っていたわ。
そんな、オリビアが急にいなくなるなんて……。
そもそも、マリアの話だとオリビアはティアに今朝急用があるからと何か言伝られたとのことだったけれど……、先程の説明と食い違っているわね。
──悪寒が襲ってきた。
わたくしの知らないところで何かが起きている。そう思った途端、昨夜アルベルト陛下がビューローで何かの文を書いていたことを思い出した。
そうだわ。その前に確か陛下は、「何かを口にしなかったか」とお訊ねになられたのだ。
純粋に、「オリビアが手渡した白湯を飲んだ」と答えたことによりオリビアがいなくなったことを考えると……。
昨晩わたくしの身に何かが起きていて、その実行者がオリビアだと判断をされてしまった……?
だとしたら、あの時わたくしがあんなことを言わなければ……。いいえ。まだ仮定の段階だし何もわからないわ。
……ともかく、今晩の晩餐の場で陛下に伺ってみなければ、状況を把握することはできそうにないわね。ティアも自身の立場があるでしょうから、軽はずみに彼女に質問をするわけにもいかないし……。
「……分かりました。では、オリビアに手紙を書きますので、後で実家に届けてもらえますか?」
「かしこまりました」
ティアは、すぐに了承の旨の返事をしてくれたけれど、その実、その手紙がオリビアの手元に届く可能性は低いのだと直感で悟った。
◇◇
晩餐のためのナイトドレスは、先の約束通りマリアと一緒に選び、今日はレッドパープルのドレスを身につけた。
先程まで身につけていたガーネットのドレスもそうだけれど、明るい色のドレスは身につけているだけで気持ちが高揚するように感じる。
今晩の晩餐では陛下にオリビアのことを聞き出さなくてはいけないから、普段よりも一層気を引き締めなくてはいけない。
食堂に入室すると自席に座り、長いテーブルを隔てた先の陛下の席をチラリと見やる。陛下はまだ来られていないようね。
これからのことを考えると、心臓が高鳴ってきた。陛下ともキチンと向き合いたいけれど、あくまでもそれはオリビアの事情を把握してからだわ。
「すまない、待たせただろうか」
陛下が入室して来られたので、その場で静かに立ち上がり両方のスカートの裾を掴んで辞儀をする。
「本日も晩餐にご招待いただき、大変光栄でございます」
「いや、……よいのだ」
形式的な挨拶を述べたのだけれど、何処か陛下の目は憂いを含んでいるように感じた。……いつもと同じ内容の挨拶なのだけれど、どうかしたのかしら?
そう思いつつも席に座り、晩餐は着実に進んでいく。
デザートのチーズケーキを銀のスプーンでそっと掬い、ゆっくりと口に運ぶ。
ほろりと溶けていくそれは、永遠に食べていたくなる程心地が良かったけれど……、オリビアのことが気がかりで実のところ味があまりしなかった。
「……そなたの体調に、変わりがないようで安堵した」
陛下のその言葉で、今朝陛下がわたくしの主治医のライム先生を呼んで下さったことが過った。
そうだわ。そろそろ、その件を含めてこちらから切り出さなければ。
「様々なご配慮をいただき、心より感謝致します」
「いや、よいのだ」
そっと微笑まれた陛下を見ると、胸が締め付けられるように感じた。
「……陛下。つきましてはご質問があるのです」
「……質問?」
「はい。大変恐縮ですが、少々の時間人払いをお願いしたいのですが」
真っ直ぐ陛下と視線を合わすと、陛下も視線を逸らさず、一呼吸置いて小さく頷いた。同時に何かを察したような表情をされた。
「了承した」
陛下が右手を上げると、常に傍に控えている近衛騎士、侍従長、侍女、給仕たちを下げさせた。
近衛騎士に関しては有事の際にすぐに対応ができるようにするためなのか、自身の剣の鞘に取り付けられた魔宝具を取り出し発光させ、何らかの魔術を発動させてから退室して行った。
人払いをするのは、前回の生も含めて初めてなので緊張するわね。
「……して、質問とは何だろうか」
その声は思いの外柔らかくて、正直に言って切り出す身としては有難いわ。
「単刀直入に申し上げます。オリビアは今何処にいるのでしょうか」
陛下は少しだけ眉を上げたけれど、すぐに表情を戻された。
「……リバー子女なら、所用ができたので彼女の実家に戻っているはずだが」
「……そう伺っておりますが、あのオリビアが、わたくしに何の挨拶もせずに実家に戻るなど考えられないのです。それにオリビアはわたくしの身を案じて、今朝も訪れると言ってくれていました。……何かあったとしか考えられないのです」
陛下の言葉を否定するような意見は、通常であればあまりまかり通らないので、これは決死の覚悟での言葉だった。
「……彼女はそなたにとって、かけがえのない存在なのだな」
「はい」
強く頷いた。何しろオリビアは、わたくしが公女だった時から献身的についていてくていたし、何よりも牢獄にいたわたくしに対して、何度も差し入れを持って面会に来てくれたのだ。とても大切な存在だわ。
「……まだ不明瞭なことなので、確信を得られ次第伝えるつもりではあったが……、そうだな、今伏せておくのはそなたの精神衛生にもよくないな」
「……では、やはり……」
「ああ。リバー子女にはある疑惑があり、現在王室の警備隊の方で事情を伺っている。もちろんあくまで任意での同行であり、危害を加えるようなことは決してしていない」
「任意での……同行……」
背筋が凍りついて、冷や汗が止まらない……。掌をぐっと握り、思っていたよりも事態は深刻だと実感した。
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