第33話 オリビアの不在
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その後わたくしは、二人の侍女と共にアルベルト陛下の私室を退室し、湯浴みを行うための個室へと移動した。
湯浴み部屋へと到着すると、侍女のルイーズに補助をしてもらいながらネグリジェを脱ぎ、シュミーズ姿になる。傍で見守っていた侍女のマリアがそれも脱がしてくれ、予め張ってあったお湯に静かに浸かる。
ああ、とても心地が良いわ。
お湯の温度もちょうど良いし、ルイーズがわたくしの肌を綿紗で撫でる動作も、バスタブに薔薇の花びらが浮かぶ様子も、その要素全てが安心できるのだ。
「昨晩は如何でしたか」
穏やかなルイーズの声にドキリとする。
確かこれは、初夜の儀の後の形式的な質問だったわね。まさか、取り乱しましたと本当のことを言うわけにもいかないし……。
「ええ、とても素敵な夜でした」
何とか顔を引き攣らせないように気をつけながら、無難な言葉を選んだ。
せっかく、陛下が虚偽の報告をするとご提案をしてくださったのだから、それを無駄にするわけにはいかないわ。
「……そうでしたか。それはよろしゅうございました」
ルイーズはわたくしの腕を優しく綿紗で撫でると、チラリと首元を見てから視線を戻した。
どうやら、陛下がつけた「偽装工作」は功を奏しているようね。……やはり陛下の判断は正しかったのかもしれない。他にもシーツを乱す等の工作を行っていただいたようで、申し訳が立たない……。
それにしても、最初からそうだと言われていたら、気恥ずかしさから躊躇っていたことは間違いないわね……。
そう思案をしていると、いつの間にか湯浴みの全行程が終わっていて、ルイーズに補助をしてもらってバスタブから降りた。
それから、大きめの布で水分を拭き取ってもらった後にシュミーズを身につけると、湯浴み部屋から直接繋がる扉から私室へと戻る。
ドレスを選ぼうとワードローブの前に立っていると、マリアが穏やかに声をかけて来た。
「妃殿下。これから主治医のライム様がお越しになる予定ですので、ご用意をお願い致します」
「お医者様ですか?」
「はい。陛下が御自ら手配をするように指示を出されました。おそらく初夜の儀の後ですので、きちんと診察をしていただきたいとのご判断をされたのかと思います」
診察……。そうだわ。わたくしは昨夜、初夜の儀を行ったことになっているのだから、念のためにお医者様が健診をなさってくださるのね。
そういえば、前回の生の際もお医者様に診てもらったけれど、あの時は陛下自らではなかったので、もしかしたらこれも陛下の偽装工作なのかもしれないわね。
「分かりました。用意をしておきますね」
「はい、よろしくお願い致します」
◇◇
その後、すぐに主治医のライム先生がいらして、先生の指示で人払いをしてから視診、触診、問診と首尾よく進めていただき、特に問題が無いとご判断をいただいた。
「何も異常が無いようで安心致しました」
「はい。先生ありがとうございました」
ライム先生は心から安堵をされた様子だ。
「いえ。……陛下がとてもご心配をなさってるとのことですぐに参ったのですが、きっと陛下もご安心なさいますね」
「はい」
陛下は偽装工作のためにライム先生をお呼びした、のよね?
ただその割には、ライム先生は何かに対して心から安堵をした様子だけれど……。
そう巡らせると、昨晩陛下が何かの器具を持ち出して来たことを思い出した。……もしかして、ライム先生の診察は昨晩の件と何か関わりがあるのかしら……。
それから、ライム先生が退室したのとほぼ同時に、マリアとルイーズが室内に戻って来たので、身支度を行うためにワードローブの前に共に移動した。
今日のデイドレスをガーネットのドレスに決め、ルイーズの補助でコルセットを絞めてもらった。
それから着替えを始めると、ふとオリビアのことが気にかかる。
昨夜は別れ際に、今朝も訪れると言っていたけれど、実際に陛下の私室の前にいたのはルイーズとマリアだったから疑問に思ったのだ。
オリビアは、実家から付いてきてくれた侍女の一人で、わたくしが心から打ち解けて話をすることのできる、数少ない侍女でもあるわ。
そんなオリビアは、今まで彼女自身が言ったことを蔑ろにしたことは無かったし、……何故かしら。とても嫌な予感がする……。
「妃殿下、陛下から書簡が届いております」
「あら、ありがとう」
カウチに腰掛けて思案をしていると、マリアが封筒を差し出してくれた。いつもは朝食後にくださるのだけれど、今朝は少し早いのね。
……そうだわ。封筒を開ける前にマリアに訊ねなければ。
「マリア、オリビアは今朝こちらを訪ねると言っていたけれど、まだ姿が見えないようですね。どうかしたのですか?」
マリアはピタリと動きを止めて、少しだけ間を空けてから穏やかな表情に変わった。ただ、少しだけ表情が引き攣っているようにも見える。
「オリビアは侍女頭様に急用を言伝られましたので、代わりにわたくしが参った次第です」
「そうだったのですね」
それなら良かったけれど、……漠然とした不安が消えていってくれないのは何故なのかしら……。
ともかく、封筒を開いて書面を確認すべく便箋を取り出し目を通した。
『今日も晩餐を共にしたいと思うが、如何か。いつもそなたを想っている』
──たちまち、心臓が跳ね上がってきた。
何故かしら。前回は初夜の儀の後でさえこんなことはなかったのに、どうして今は、わたくしのことを気にかけてくださるのだろう……。
『そなたが愛しい』
改めて昨夜の陛下の言葉が過ぎると、再び顔が熱くなった。
わたくしは実のところ、今の陛下のことをどう思っているのだろうか。
……未だに、前回の生での法廷でのことを思い出すとたちまち心中に黒い感情が渦巻いてくるのだけれど、それでも婚儀の時よりそれは大分薄まっている。
……正直なところ戸惑いも大きいけれど、陛下の手を取りたいと言う気持ちもあるのだ。
けれど……やはり、カーラとのことが気にかかる。今の時点ではカーラと繋がりがあるのかは分からないけれど、ひょっとしたら、カーラがわたくしの侍女になった後に繋がりを持つのかもしれない。
そう思うと、ズキリと胸が一気に痛んだ。
そうよ。陛下を愛したら、きっといつかは裏切られる。側室を持つのは仕方がないこととはいえ、相手がカーラだとしたら話は全く違うわ。
本音を言えば、カーラが侍女になること自体を断固として止めさせたいけれど、カーラの実家の侯爵家の力が絡んでいて残念ながらそれは叶いそうにないのだ。
……けれど、わたくしはそれらを含めても、きっと陛下から逃げてはいけないのだと思う。陛下と真に向き合いたいけれど、今はもう少しだけ心を整える時間が欲しい、漠然とそう思った。
思案しながら、了承の旨を便箋に書き留め封筒をルイーズに手渡した。
「それでは、届けて参ります」
「よろしく頼みますね」
「かしこまりました」
ルイーズを見送っていると、マリアがそっと切り出した。
「妃殿下、後ほど晩餐の際のドレス選びのお手伝いに参りますので」
「……ありがとう」
マリアの笑顔にたちまち罪悪感を抱いた。
……それはきっと、陛下に対して後ろ黒い感情があることに対してのものだと思う。
今のままではいけないと、より強く陛下と向き合う決意を心に抱いた。
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