第30話 初夜の儀にて
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湯浴みは予てより、わたくしの私室の隣の個室で行っている。
その部屋におかれたバスタブは、半世紀ほど前から王国中の主に上流階級の家庭で普及しているもので、バスタブ内に張った水を取り付けられた熱魔術系統の魔宝具により、適温まで上昇をさせることができる便利な器具なのだ。
そうして、用意してもらったお湯に身体全体で浸かり、オリビアの手で肌の汚れを念入りに綿紗で落としてもらいながら、わたくしはぼんやりとしていた。
前回の生では、婚儀の日から一か月以上経ってから初夜の儀を行った。
あの時は心からアルベルト陛下を愛していたので、抵抗感など全くなかったのだけれど、当の陛下はあまり気乗りをされていないご様子だった。
ただ、珍しくわたくしの体調を気遣ってはくれたけれど、いくらお医者様からは子供を産むのに問題がないと言われているとはいえ虚弱体質のわたくしが子供を産むことが可能なのか、疑問に思っていたのかもしれない。
元々、陛下はこの結婚自体実家の公爵家との繋がりが必要だったからしたのであって、確実に跡継ぎを残すためであれば側室を迎える可能性もあるのだ。
そう巡らせると、たちまち脳裏にカーラのことが思い浮かんだ。わたくしは、どうしても陛下とカーラを連想させてしまうのだわ。
現時点で陛下はカーラと結びつきがあるのかどうかは分からないけれど、もしそうだとしたら、いずれカーラが側室に……。想像しただけで悪寒が走った。
ただ、今は陛下との初夜の儀が控えているので、カーラのことを考えられる余裕は然程なかった。
そもそも、カーラは自分自身が王妃になろうとしていたのだから、きっと自身から進んで側室に志願することはないのだろうけれど、……考えるだけでも悍ましい。
内心は穏やかではないけれど、順調に初夜の儀式に向けての工程は進んでいく。
湯浴みが終わり、大きめな布で水分を拭き取った後は、簡易的な寝台に横になりオリビアが優しく身体全体を揉んでくれた。
その後はマリアに香油を全身に塗ってもらい、シュミーズを身につけた後に純白のネグリジェに着替えた。
袖口や胸元にフリルがついていて可愛らしいけれど、今はそれを愛でる心の余裕はないわね……。
「妃殿下。無事に、今日を迎えられましたね」
オリビアは安心しているのか、満面の笑みを浮かべている。
「……ええ。日頃オリビアや皆がわたくしを支えてくれたので、その賜物ね」
「妃殿下……」
オリビアは感慨に耽ったような表情をした後に言葉をつぐみ、カップをわたくしに手渡した。
「湯浴み後の白湯でございます」
「ありがとう」
それを、ゆっくりと飲んでいると心が落ち着いてくる。いつもよりも甘く感じるわ。
「それでは、そろそろお時間でございます。妃殿下、わたくし明日の朝も参りますので、ご安心くださいね」
緊張で固まっていた心が少しほぐれたように感じた。
特に、初夜の儀の後の湯浴みは身体の変化を観察されるものだし、気心が知れているオリビアが来てくれるのなら、それだけで安心することができる。
「ありがとう。とても心強いわ」
胸中は様々な感情に支配をされているけれど、ともかくわたくしの私室よりも奥に位置する陛下の私室へと歩みを進め、扉の前で立ち止まった。
「それでは、妃殿下」
「……ええ」
そして、オリビアが陛下の私室の扉を軽く四回叩いた。
「陛下、妃殿下をお連れ致しました」
すると、一呼吸置いてから「ご苦労だった。入室するように」と声がかかる。わたくしはオリビアの方をチラリと見てから、意を決して扉を開きゆっくりと入室した。
◇◇
わたくしが歩みを進めたのを確認すると、マリアが扉を閉めたので、たちまち心細さが襲ってくる。
「セリス」
「は、はい」
陛下が、……わたくしの名前を呼んでくださった……? 前回でも結婚してからは、殆ど面と向かって呼ばれたことはなかったのに……。
独身の時はセリス嬢とは呼ばれていたけれど……。
「こちらのカウチに腰掛けるとよい。固くならず楽にして欲しい」
「……ご配慮をいただきまして、ありがとうございます」
目前に立っている陛下は、黒のナイトガウンを着ていて普段と全く違う装いにドキリとする。
心を落ち着かせるために軽く深呼吸をしながら部屋の中央に置かれた二人掛けのカウチに腰掛けると、陛下も向かいのカウチに座った。
「……予てから、そなたとは腰を据えて会話をしたかったのだ。もし差し支えがなければ、しばらく私に付き合ってもらえないだろうか」
「はい、……わたくしでよろしければ」
けれど、緊張で思考が鈍り何を話して良いのか見当もつかなかった。
すると、陛下の目線の先にガラスの水差しとグラスが二つおいてあることに気がついた。……確か、あれは蜂蜜酒ね。
それは、古来から初夜の際に飲まれていたお酒で、儀式はこの蜂蜜酒を新婦が新郎のグラスに注ぎ、お互いがそれを飲み干してから始まるのだ。
わたくしは水差しの中身を零さないように慎重に両手で持ち、二つのグラスにそれを注いだ。
「……どうぞ」
なんとか言葉を絞り出して陛下に手渡した後、わたくしもグラスに一口、口をつけてみる。……甘くて美味しい。
わたくしは十八歳なので、既に成年を迎えていてお酒は飲めるのだけれど、特に好みでもないので必要な時以外は口にしていない。
本来なら、蜂蜜酒を飲み干した後は会話をあまりせずに、共に寝台に入るものだと妃教育の際に教わった。
もう少し古い時代だと、室内に仕切りを置き、その向こうに見届け人がいたというのだから、時代が移り変わって心から良かったと思うわ。
「ときに、本日そなたのティーサロンの用意が整ったそうだな」
「ええ、侍女を始め周囲の者たちの尽力のおかげで、無事に整えることができました」
前回の生の時は、陛下はわたくしのティーサロンに一度も訪れたことはなかったし、その話題で会話をしたことすらなかったので、なにか不思議な感覚だわ。
「今後、社交の場として活用して行くと良いだろう。もし茶会を開くようであれば、その際に私に一度相談してもらえぬか?」
「茶会ですか?」
「ああ。まずは王族派の貴族の夫人を少人数誘う等、小さな範囲から行うとよかろう」
茶会……。
確か前回では開催しようとはしたけれど、その矢先に捕縛をされてしまったので実際に行うことはできなかったのだ……。
「承知いたしました。ご配慮をいただきまして、ありがとうございます」
陛下がご提案をくださったので、茶会を開催し易くなったわ。陛下の言葉通りまずはできる範囲内で考えてみようかしら。
……ただ、わたくしは虚弱体質でお茶会等を開くことがあまりできず、交友関係が広くはないので、知り合いの貴婦人や令嬢に招待状を送っても参加をしてくれるのかは分からないけれど……。
いいえ、一国の王妃が弱気ではいけないわ。何か対策を立てなければ。
……それに上手くすれば、貴婦人方にも王都の現状を知ってもらうことができるかもしれないわ。
「……そなたなら問題はないだろう。……私も後日、そなたと共にサロンへ訪ねても構わないだろうか」
「陛下がですか?」
意外に思ったので、思わず聞き返してしまった。
「ああ。予てから、そなたの淹れた茶を飲みたいと思っていてな」
「……そうなのですね」
益々意外に思った。
「……わたくしでよろしければ、いくらでも淹れますので」
「ああ、楽しみにしている」
陛下は少しだけ表情を和らげたので胸が痛んだ。
何故だろう。心の中で何か感情が行き場をなくして彷徨っているような……、なんとも形容し難い感情だわ。
何しろ、あの陛下がわたくしの淹れたお茶を飲みたいと仰ってくれたのですもの……。
そう巡らせていると、陛下がそっと立ち上がり、わたくしの肩に手をかけ立ち上がるように促した。
「セリス」
囁かれたと同時に優しく包み込まれるように抱きしめられた。身体中に電撃が走るような衝撃が走り、鼓動が瞬く間に跳ね上がる。
「そなたが愛しい」
…………?
ともかく思考が固まってしまった。
陛下が囁いたであろう愛の言葉も、中々心に浸透して行かない。先程まで感じていた感情が急に遮断されていくようにも感じた。
「そなたと、共に歩んでいきたいのだ」
陛下はそっと離れて、わたくしの左の頬に手のひらを添えた。
そしてゆっくりと近づいてきて……。
その唇がわたくしのそれに触れるか触れないかのところで、頭で理解をするよりも先に身体が動いていた。
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