第19話 カイン・バルケリー
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扉からノックの音が聞こえると、一呼吸おいてオリビアのそよ風のような声が響いた。
「妃殿下、入室してもよろしいでしょうか」
「ええ、どうぞ」
「失礼いたします」
オリビアがワゴンを押してわたくしの近くまで寄り、サイドテーブルの上にティーカップを置いた。
「お茶をお持ちいたしました」
「ありがとう」
手慣れた手つきで茶器からティーカップに紅茶を注いだので、たちまち良い香りが広がっていく。
その香りに安心しつつ、紅茶を一口含むと思案をし鈍った身体が少しほぐれたように感じた。
すると、ふとあることが脳裏に過り、瞬間オリビアの方に視線を向けた。
「そういえば、あなたはカイン・バルケリーと同郷だったわよね」
ワゴンから焼き菓子の載った皿を運ぶオリビアの動作が、ピタリと止まる。
「……ええ、そうですが、……彼が如何したのですか?」
普段から温厚で滅多に眉をひそめることのないオリビアが、明らかに不快そうな表情をしている。
「今度、王宮魔術師長に就任する予定の方だから、どのような人物なのかを些細なことでもよいので知っていたら教えて欲しいと思ったのだけれど、何かあるかしら」
「そう、ですね……」
益々眉をひそめ、次第に眉間に皺も寄せてきた。
「バルケリー卿は幼き頃から神童と呼ばれ、わたくしの故郷オルーの街でその名を知らぬ者はおりませんでした」
「そうだったのね。頼もしい方が魔術師長になられるのは、とても喜ばしいことね」
「ええ……。ですがバルケリー卿はその、……変わり者としてもとても有名でした」
「変わり者?」
「はい。というのも、誰もいない部屋で不気味に高笑いをしたり、急に川に飛び込んだりしていましたから。そうそう、ある日農夫に便利な魔宝具があるといって鍬を贈ったのですが、それがすでに種蒔きを終えた田畑もお構いなしに全体を耕し尽くすまで止まらないという、とんだ欠陥品だったのです」
それは予想以上に飛び抜けているわね……。
あら? それにしても。
「随分、バルケリー卿に関して詳しいのね。まるで見てきたかのように詳しいようだけれど、もしかして知り合いなのかしら?」
再び、オリビアの動きがピタリと止まった。
「……ええ。お互いの親同士に親交がありまして、腐れ縁なのです。尤も、バルケリー卿は男爵家に養子に入っておりますので、正確にはわたくしの父と卿の養父とがですが。……加えて、なぜかわたくしは昔から卿に絡まれる、……いえ、親しくしていただきまして、それで色々と詳しくなってしまったのです」
「そうだったのね……」
「……ただ、先ほどの話は互いにまだ十歳にもならない頃の話であって、バルケリー卿は歳を重ねるにつれて落ち着いていき、次第に口数の少ない青年になりましたが、どうもわたくしの卿に対しての印象は鮮烈だった幼き頃で止まっているのです」
「幼き頃の印象は強いわよね。それにオリビアは小学部から女学校へ入学をしているし、その分バルケリー卿と関わる機会も減ったのではないかしら?」
「そうですね。ただ、バルケリー卿は魔術学園に入学し、わたくしも女学校へ入学してからは長期休暇等で年に一度会えればよいほうでしたが、手紙のやり取りはおこなっておりました」
「そう、親交はあったのね」
オリビアは、わたくしの出身地であるバレ領の商いも営んでいる子爵家の長女で、彼女が街の女学校を卒業したのを契機に公爵家のタウンハウスに奉公に出て、すぐにわたくし付きの侍女となったのだ。
なので、おそらくその話は女学校時代までのものだと思うのだけれど、オリビアにそんな過去があるなんて、何だか微笑ましい。
そう思うと、わたくしの枯れ果てていた心に潤いが与えられたように感じた。
「ひょっとして、バルケリー卿から婚約の申し込みを受けているのかしら?」
オリビアは今度は一歩後退った。
「どうして分かったのですか?」
「何となく、勘、かしら?」
他人の恋路の話って、どうにも胸が高鳴るのよね! できればずっと聞いていたいわ。
「……一応、保留にしてもらっています。婚約を承諾したら、然るべき手順を踏んで直に結婚しなくてはいけませんから」
「あら、あまり気乗りしないのね」
「そういうわけではないのですが。……当然、婚約自体は親同士で決めたことですし、わたくしはその頃セリス様付きの侍女になったばかりで、どうにも大きな問題……いえ、わたくしには身に余ることだと思いまして」
オリビアがバルケリー卿に対してどう思っているのかが、よく分かったわ。
「バルケリー卿とは、今も手紙のやり取り等はしているのかしら?」
オリビアは少々表情を和らげて、大きく頷いた。
「はい。かなり頻繁に送ってくるので、返事をするのも大変で。ですが、内容自体は微笑ましいものなのですけれどね」
そう言って、少し微笑むオリビアを見ていたら、どうにもわたくしの中で何か恋愛の、というよりも人との接し方とでも言うのかしら。
そういった手懸かりの一端が見えた気がした。
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