第9話 カーラの視線
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思わず身体が硬直し、立ち止まりそうになるけれど、それをしてしまえば式自体が台無しになる可能性があるから、すんでのところで堪えた。
この不愉快な感覚は……そうだわ。
今受けている視線や感覚は、つい先日のあの気配と同一のものに違いない。だとすると視線の先の前方、右手側に……案の定座っていた。
蒼色が基調のプリンセスドレスを身につけた、漆黒の髪の女性──カーラが鋭い目つきでこちらを凝視している。
思わず心が叫び出しそうになり、目を逸らした。
カーラに対して、嫌悪感よりもまず恐怖心が湧き上がってくる。
恐い、悍ましい、今すぐここから逃げ出したい。
──面会室で目の当たりにしたあの邪悪な笑顔。
それが過ると心が折れてこの場で蹲りたくなり、……いつの間にか歩みを止めてしまっていた。
歩みを止めてしまったあと、自分が大変な過失をおかしてしまったことに気がつき、瞬く間に血の気が引いていく。
思わずカーラと目が合うと、目を見開き口角を上げていた。
頭が真っ白になり、身体が小刻みに震えてくる。
周囲の参列者たちは思わず息を呑み、辛うじてまだ反応はないけれど、このままでいれば会場内が騒つくのも時間の問題だと思われる。
……どうすれば……。
「あと僅かだ。呼吸を整えて、私が三つ数えたら再び歩き出すぞ」
アルベルト陛下は、そっとわたくしだけに聞こえるように囁いた。
頭にまだ鈍い感覚が残るけれど、どうにか頷き深呼吸をすると、陛下は視線は変わらず扉の方を向いたまま小さな声で三つ数え始める。
「……三、二、一」
その声を合図に、わたくしたちは再び歩き出した。先ほどよりも心なしか速度が落ちているように感じ、今のわたくしにはとてもありがたかった。
加えて深呼吸をしたからか、カーラから感じる邪悪な気配のことは気にならなくなり、どうにか扉の前まで辿り着き、両扉が開くと礼拝堂の外へと出ることができた。
無事に室外に出れたので安堵したけれど、自分のしでかしてしまったことが過ると、すぐさま陛下に対して向き直し頭を下げる。
「大変申し訳ございませんでした」
わたくしは陛下に対して侮蔑の目を向けるばかりで、陛下の機転がなければ自分の過失で婚儀を台無しにしてしまうところだったのだ……。
自分自身に対して不甲斐なく思う。
「周囲に決して一分の隙も見せるな。我々を狙っている者が、いつどこにいるのか分からないのだからな」
その言葉はわたくしの胸の深いところに染み渡った。
ああ、陛下は常に周囲に敵が潜んでいると想定し動いているのね。それでは気が休まる時はあるのだろうか……。
「はい、承知いたしました。今回のことを強く肝に銘じて、慎重に行動をしていきたいと思います」
「……ならばよい」
陛下は、頭を下げたままでいるわたくしからそっと離れて、顔を上げるようにと仰った。
「これから各国の要人を迎えなければならないが、……大事ないか」
「はい。陛下のお力添えをいただきましたので、落ち着いて参りました」
「……そうか」
陛下は背を向け、そのまま五名の近衛騎士らと廊下を進んで行かれた。
あちらの方向はご自身の控え室があるので、おそらくご準備の為にお戻りになったのだわ。
わたくしもすでに廊下に控えていたオリビアや他の侍女、加えてフリト卿を始めとした近衛騎士らと共に先ほどの道を通って控え室へと戻った。
控え室に戻ると、今度はお披露目の準備を行うために前もって三名の王妃専属侍女がすでに準備を済ませて待機をしていた。
「王妃殿下。本日はご結婚及び、ご即位おめでとうございます。それでは、僭越ながら、これからお披露目に向けてのご準備をさせていただきとうございます」
「ありがとう。それではよろしく頼みますね」
「かしこまりました」
上等なお仕着せを身につけた侍女頭のティアが、恭しく辞儀をした後、わたくしを姿見の前に立つよう促した。
ティア……。あなたにもどれほど会いたかったことか……。
オリビアは水色の髪でティアは銀髪。
二人が並ぶと良く髪が映て見え、わたくしは以前それがとても好ましいと思っていた。
ドレッサーの前に置かれた長椅子に腰掛けると、すぐさまティアが化粧を直す為に化粧用のコットンで肌を軽く拭き取り、パフで粉をのせはじめる。
「先ほどまで、こちらの魔宝鏡で式の様子を拝見しておりましたが、とても素敵な式でしたね。わたくし、お二人のお姿に終始目が離せませんでしたが、特に誓いのキスの際は、ロマンティックで思わず感嘆の声を漏らしました」
ティアは本心からそう思っているらしく、輝く瞳で揚々と先ほどの感想を教えてくれた。
補足をすると魔宝鏡というのは、鏡に特殊な魔術をかけた石を装着し、同様の魔石を加えた撮影機で撮影した映像を映し出す「魔宝具」の一つで、便利な道具だけれど、魔宝鏡に使用する魔石は純度の高い貴重な物なので、そのためあまり一般に普及しておらず、それは今後の課題でもあるのだった。
「……それは何よりです」
他に返す言葉が浮かばないのもあったけれど、あのときのわたくしはなぜ陛下があんなことをなさるのか理解ができず、嫌悪感を抱いたのだったわ。
それはいくら何でも、申し訳がなかったかしら……。
加えて陛下は、先ほど礼拝堂でわたくしに対してご配慮とご助言をくださり、失態を犯したわたくしを非難したりはなさらなかった。
思わず胸が温かくなってくるけれど、すぐ様、ズンと黒く深い感情が渦巻いてくる。
──わたくしに極刑の判決が下ったあの日、陛下はその腕にカーラのそれを絡ませることを許したのだ。加えて陛下は一度たりともわたくしの方を見ることなどなかったのだわ。
今の時点で、どこまでカーラが陛下に近づいているかは分からない。
けれど、これだけは確信できる。
あの二人に心を許しては駄目だ。信用してはならない。
そもそも、わたくしが先ほどカーラに邪悪な視線を投げかけられたのは、陛下の妻となったことでカーラに嫉妬をされたからなのでは。
元より先ほどの件自体、陛下が原因で起こったことなのだから、陛下に対して恩を感じることはないのだ。
わたくしはそう強く念じ、少々湧いていた陛下への感謝の想いをかき消すことにしたのだった。
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