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一房の髪

作者: 和草 風花

彼女はいつものお気に入りの岩の上で髪を梳っていた。


彼女の髪は、その高い背丈よりもまだ1尺ほども長く、


長い年月を生きてきたにもかかわらず、艶やかでいつも美しい。




私はいつもの様に片手をあげた。


彼女も私に気付き、微笑みかける。


この瞬間が何よりも好きだ。


私の存在を認めてくれる、ただ一人の同類の、温かな瞳が好きだ。




山人は無欲だの、骨がないだの言われることが多い。


確かに私たちは里に住む人間が、とても入って来られないような山奥に住んでいる。


地位も金も、要らない。


ただ静かな場所と、いくらかの食べ物さえあれば、それ以上のものは欲しくはないのだ。


畑を耕し、水を運び、花を愛で、時には鳥と共に歌う。


これ以上の生活が他に存在しようか。


人間とて平安が欲しいと言う。


しかし、彼らは平安を手にできない種族なのだ。


欲が彼らの中に渦巻く限り、平安は訪れはしない。


彼らは戦う種族だ。それは良い意味でも、悪い意味でも。


何人か、人の世を捨てたという人間にあったことがあるが、彼らとて高みを目指していた。


文明が発達するのは欲があるからだ。


山人は集団を作り、文明を発達させるようなことはない。


1人から3人程度で生活を送る。


話し相手は木や草でも十分なのだ。




彼女は櫛を仕舞い始めた。


どうやら梳き終わったらしい。


ゆったりとした動作で立ち上がり、一歩踏み出した時だった。




猟銃の音が辺りに響いた。


岩の上の彼女がゆっくりとほほえみを浮かべ、そして崩れ落ちた。


私はその場から動けなかった。




まだ若い青年が、猟銃を持って岩に駆け上がった。




「なんて背が高ぇんだ!」




驚く青年。




「まさか・・・村のばあさまが話していた山人じゃねぇか?!」




興奮して顔を真っ赤にしている。




「こりゃすげぇ!!


殺さずにつれてかえれば、町で高く売れたかもしれねぇな。


惜しいことをしちまった。


だが・・・まあいい。打ち取っただけでも俺ぁ有名人だ。」




賞賛される未来を思い描いたのか、にししと笑う。




「だが口で言っただけじゃ、村の奴等は信じねぇだろうなぁ。


しっかし、連れて帰るにゃ大きすぎて運べそうにねぇ。


そうだ!この髪を切って持ってかえりゃぁ、村の奴らも信じざるをえねぇだろう。」




髪をひと房手に取る。




「こりゃぁ、驚くほどきれいな髪だぁ。


きっと都にだってこんな髪の女なんていねぇぜ。


かもじにでもすりゃ高く売れそうだ。


だが・・・全部持って帰るにゃぁ量が多すぎらぁ。」




男はまたにしし、と笑った。




「まあ、後で村の男を何人か連れて来ればいい。


どうせ妖怪だ、山の獣も恐ろしがって口にゃしねぇだろう。


そういえばこいつ、出血してねぇ。


いや、なんか傷から出てるぞ。


これは・・・水か?


にしてもこいつ、殺されたってのに笑ってるぜ。


山人にゃぁ欲や骨だけじゃなくて血も涙もねぇって、ばあさまに言っとかねぇとな。」




軽い音を立てて、一房の髪が切り取られる。


猟銃を肩にかけると男は岩から飛び降りた。




「またな、妖怪!」




にしし、と笑うと鼻歌を歌いながら男は去って行った。




しばらくして、私は彼女のそばに行き、抱き上げた。


彼女はすでに冷たくなっており、ただでさえ白かった顔にはもう、生気の欠片すら見当たらない。




「なぁ。」




声は震えていた。


春日差しはこんなにも温かいのに。




「なぁ。」




彼女の微笑みはいつも通りなのに。




「取り戻してこよう。」




私はもう力の入っていない冷たい手を握る。


固く閉じられた瞳はもう私を映さない。




「君の髪を。なぁ?」




私は彼女を抱えて立ち上がり、青年の後を追った。








「眠ぃなぁ。今日は大物を仕留めたしなぁ。


疲れちまった。


しょうがねぇ・・・ここいらでちょっと寝ていこう。」




私の術にかかっているとも知らずに、青年は道端の木にもたれかかってあっという間に眠り入った。


それを見計らって私は木の間から姿を現す。




懐から小刀を取り出す。


この小刀でよく、彼女に櫛やら小さな置物やらかんざしやら作ってやったものだった。


今日梳っていた櫛だって、私が作ったものだった。




「彼女が、何をしたというのだ。」




私はそう言って、男の左胸に刃を突き付ける。




「何をしたというのだ。」




私の術で眠っているのだ。この程度で起きはしない。




「なぁ!」




私は小刀を振り下ろす。




「・・・。」




刀は青年のほんの手前で止まっている。


そして私は小刀を取り落とした。




木に這っていた蔦が私の手を止めてくれたのだ。




“山人よ、人間の血でその清い手を汚すな。”




体に響くような低い声は、この山の声。


私は我に返り、その場にぺたんと座りこんだ。










いつの間にか日は沈みかけていた。


私は懐に手を差し込み、彼女の髪を引き抜く。




「返してもらう。」




立ち上がって蔦に礼を言う。




「ありがとう。」




蔦はゆらゆらと風に揺れた。




「私達の体に血は流れていない。


しかしその替わり、涙が流れているんだ。水じゃあない。」




眠っている男に語りかける。




「人間の目から血は流れない。


それと同じだ。


私達の目から涙は流れない。


だから、私たちは笑う。


それが幸せだと、思っているから・・・。」




「すまないが、男を村まで送ってやってくれ。」




そういえば、木から蔦が下りてきて、男の右足に絡みついてひっぱりあげる。




「おいおい、あまり乱暴しないでおくれよ。」




私の言葉に、蔦はしぶしぶ両足に絡みつく。




「あー・・・まぁその持ち方なら・・・。


悪いね、よろしく頼むよ。」




男はあっという間に視界から消えていった。


足元にはあの男の猟銃が落ちていた。


私がそれを目にすると、あっという間に草が生え、使いものにならなくなる。




「ありがとう。」




そう呟いて、私は帰路に着く。


一房の髪に向かって微笑んだ。




「おかえり。」












※この物語は柳田国男先生の「遠野物語」の三に着想を得させていただきました。




参考文献


「新版遠野物語 付・遠野物語拾遺」 柳田国男著 (角川文庫)




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