傘はいらない
雨だなって思う気持ちが嫌だ。全てを否定したくなる。ただ空が曇って水滴が落ちてるだけなのに、何もかもが鬱陶しくなる。そんな日に外からキャッキャッ楽しそうな笑い声が聞こえると、マジ殴ってやろうかって思う。
昔、隣に住んでた同じ年のカリンちゃんは雨が大好きな子だったな。雨が降ってくると外へ飛び出して傘もささずにずぶ濡れになりながら歌ってた。何を歌ってたかはわからないけど、すごく大きな声で楽しそうだったな。僕はその笑顔を見るのが大好きだった。
でも中学2年のある日、カリンちゃん一家は突然消えた。大人たちは何やらヒソヒソ話してるつもりみたいだったが、話しは子どもにも筒抜けだった。
どうやら、カリンちゃんのお父さんが商売に失敗したみたいで、夜逃げをしたらしい。
可哀想にね、って言うお母さんの顔がなんだか嬉しそうで、僕は大人は嘘をつく生き物なんだな、って改めて理解した。
そんな大人に僕もなった。
僕の仕事はホストだ。自分を売って生きている。売り上げの為ならどんな嘘もつく。全てはナンバーワンになるため。
下積み時代、店の先輩にイジメ抜かれた。辞めていく奴なんて何人もいた。でも僕は辞めなかった。もう他に働けるところもなかったし、イジメた奴ら全員を見返してやる、と心に決めた。その為には何でもした。
そして、ナンバーワンまであと一歩。来月は僕の誕生日。来月は絶対ナンバーワン間違いなしだ。
そんなある雨の日、1人の女がびしょ濡れで店に入ってきた。スタッフは追い返そうとしたけど、女が札束を見せびらかして、「これで遊びにきたのよ。帰れって言うの。」と、喚き散らした。女の態度はムカついたけど、札束に罪はない。
そしたら、女が僕を指名した。おいおいマジか?と思ったけど、売上の為だと思ってとびきりの笑顔で挨拶した。
「笑わなくていい。」と女に言われた。昔、僕に似てる人を知っていて、その人の笑顔が死ぬほど嫌いだったと言った。なぜか尋ねてみると、
「あいつね、バカにしてたのよ、私のこと。ブスでチビでバカだって。ま、昔の私はその通りだったけど。でも、今は違う。色々学んだらねー。」
女は美人ではないけれど、雰囲気があり、饒舌だった。僕の出会った女の中では上位に入る。
名前を聞いてみる。「私、カリンよ。」
え?嘘?マジ?
あのカリンちゃん?
どこに住んでいたか、聞いてみる。「世田谷。昔はねー、私、お嬢だったのよ。でも、父親が借金こしらえちゃって、夜逃げしたの。そこからは人生転げ落ちまくりよ。ま、いろいろ勉強にはなったけど。」
やっぱり、カリンちゃんだ!
僕に似てる人って、僕の事?
笑顔が死ぬほど嫌いな人とはどこで出会ったか聞いてみる。
「世田谷に住んでた時の隣の子。ボンボンでさ、なんでも手に入ってたのに満足してないようなムカつくガキだったな。でさ、多分私のこと好きだったのよ。毎日私に声かけてきたし、正直キモかったわぁ。」
なんて言われようだ。きっと仕事中じゃなかったら泣いていた。
確かに、僕はボンボンに見えただろう。なんでも手に入ったように見えただろう。
でも、実際は違った。家の中は常に節約、節約。電気をつけっぱなしにしただけで、1時間正座させられたこともある。
夜ご飯もご飯にお味噌汁、干物の魚だけだった。家で肉なんて食べたことがない。
外面だけがいい親も、家では余裕がないので笑顔も会話もなかった。18歳で家を出て5年経つけど、一度も帰っていない。
そんな僕のことも知らないで、何言ってくれちゃってるの?
よし、カリンを落として見せる。全財産貢がせて破滅させてやる。
それから、毎日こめまに連絡する。返信がなくてもした。しつこさに負けたのか、来店してくれた。よし、アフターだ。カリンみたいな女はアフターに持っていった後、冷たくする。連絡もしない。すると、痺れを切らしてあっちから連絡してくる、ハズ。1日待って連絡がなくても焦らない。2日こなくても焦らない。待つ、待つ、待つ。
ようやく5日目で連絡が来た。よっしゃー!と思わずガッツポーズをする。「連絡をくれてすごく嬉しい。」と素直に喜ぶ。そして、同伴の約束をする。
カリンが予約した店は寿司屋の高級店。それも個室。少し緊張したけど、顔には出さない。
カリンは慣れてる様子で注文する。よく来るの?と聞くと、少し笑いながら、
「私ね、愛人業してるのよ。今は月に100万もらってる。マンションも買ってもらったから、毎日ボーッと生きてるの。」と冷めた目で語り出した。
「うち、夜逃げで何もかも失ってさ。父親蒸発しちゃうし。母親も女売って生きてたけど、歳だったからあんまり稼げなくてさ。で、私が代わりに稼いであげたの。その行き着いた先が愛人業。よくある話よ。」って、僕の周りではあまり聞かない話だけど。
「君さ、なんで自分のこと僕っていうの?」突然話が変わる。僕もなんでかわからないが、僕は僕っていう。そして、カリンは僕のことを源氏名で呼ばない。君っていう。
「君、来週誕生日でしょ。任せときな。ナンバーワンにしてあげるよ。」
よしっ!ニヤそうだったけど笑わない。だってカリンはぼくの笑顔が嫌いだから。
そして誕生日。朝から大雨。でも構わない。今日で僕はナンバーワンだ。
朝から誕生日プレゼントを買ってくれるという常連と会う。
カリンから連絡はなし。
早めに店へ入る。常連軍団がひっきりなしにボトルを開けてくれる。
カリンはまだ来ない。
そろそろ酔い潰れるぞって時に、バタンっと大きな音がした。ずぶ濡れのカリンが入ってくる。大きな旅行鞄を持って。
そして店の真ん中で鞄をあける。
その中には札束がぎっしり入っていた。
「多分三千万ぐらいあるんじゃない?それでこの子ナンバーワンよね。じゃあ、いいわね。この子連れ出して。」
酔ってる僕は何のことだかほとんど理解してなかったけど、カリンが僕の手をつかんで外へ連れ出した。
後ろからは常連軍団の悲鳴や叫び声が聞こえてくる。
僕は雨に打たれながら大声で笑った。こんなに笑ったのは久しぶりだ。
カリンも笑う。そして、
「久しぶりだね、瑛太。」
僕の名前をよぶ。なんで?って聞くと、
「店の前の写真見てすぐわかった。だからあの店入ったのよ。嫌なこと言ってごめんね。瑛太に私のこと気にしてもらいたくて言ったのよ。」そして、小さい頃雨の日に歌っていた歌を歌い出した。
あの時と同じ笑顔で。
そして、高いビルの屋上へ連れて行かれた。このご時世、屋上のドアの鍵が開いてるのが不思議だったが、愛人の所有しているビルで、鍵はカリンが管理しているらしい。
「私ね、雨のように消えようと思うの。雨粒みたいに地面に弾けて飛び散るの。それが瑛太の誕生日でよかった。」
突然の告白に驚いたけど、カリンがそう決めてたならそれはそれでいいと思った。
そして、僕はあの店へは二度と帰らないんだろうな、と思った。あの三千万はカリンが自分と一緒に消したかったものだろうから。
僕は君が好きだったよ。と伝える。
「私もよ。」とカリンが言ってくれた。僕の誕生日プレゼントはそれだけで十分だ。
「じゃあね。」とカリンがとびきりの笑顔で言った。僕もとびきりの笑顔でうん、と告げた。
それからカリンは落ちるんじゃなくて、空に届くようにジャンプした。そして雨粒のように地面に落ちた。
僕はいつか、カリンのあの笑顔が見たくなるんだろうな。
その時は僕も雨粒になればいいか。