迷宮 1
パートのおばちゃんたちの談笑が響く休憩室。
陽太はコンビニのパンをかじりながら考え事をしていた。机の上には美月が書いたメモ用紙が置かれている。
「今度はなーに悩んでるの? 」と佳保が元気いっぱいの声でやって来る。彼女は机に弁当を置き、陽太と向かい合って座った。
「えっ……いや、別に」と返す陽太。
「別にって顔じゃないよ。まあ、最近ずっと困り顔だけどね」
佳保は弁当箱を包んでいたバンダナの結び目を解いて、その上に二段重ねの弁当をばらして広げた。ほうれん草やブロッコリー、ミニトマトなどの野菜と定番のだし巻き卵、ウィンナーにミートボールといった種類が豊富なおかずが可愛く並べられている。
陽太すっかりそれに目を奪われてしまった。本日の陽太と美月の朝食はトーストとゆで卵のみ。美月への昼食として置いてきたのは買いだめしていたカップ麺だった。
「やっぱり、食事はちゃんとしないとダメですよね……」
「どうしたの、急に? 」
「浅沼さん、料理上手くていいですね」と頬杖をつく陽太。
「そ、そんなことないよ。凝ったものなんて作れないし、冷凍ものばっかだし」
そう言いながら佳保は照れくさそうに頬を赤らめた。
再びメモ用紙に目線を落とす陽太。今日はここに書いてあるものを買って帰らなければならない。しかし、いくつか困っていることがあった。
洋服や靴、生活雑貨を買うのは問題ない。ただ、下着と生理用品に関しては男として簡単に手が出せない部分である。百歩譲って生理用品は妻に頼まれているという言い訳ができる。だが下着はそう簡単にいかない。変態だと思われるのが落ちである。
目の前で佳保がミニトマトをパクりと口に入れた。
「浅沼さん……」
「なに? 」
「今日、仕事終わってから用事ありますか? 」
陽太の言葉に驚いた佳保はご飯が気管に入りそうになりケホケホとむせた。
手でちょっと待ってと合図をし、胸元を叩く佳保。
「大丈夫ですか? 」
二回頷いたあと、深呼吸する。そして真っ赤な顔になった佳保は陽太に「何で? 」と尋ねた。
「あのー、買い物をですね、手伝ってもらいたくて……」
陽太は頭の中で色んな言葉を探しながらたどたどしく喋る。
「か、買い物を手伝うの? 」佳保もまた動揺を隠しきれずにいる。
「はい。えーっと……その……」
美月のことは言えない陽太。先走って話しかけたことを後悔しながら説得力のありそうな嘘という名のエピソードを考える。
「どうかしたの? 」
「あの……ですね。い、いとこが今うちに来てて……その、女の子なんですけど、家出してきたみたいで……着替えが全くなくて、下着とかも買いに行かないとで……」
「その子の家の人には言ったの? 心配してるんじゃない」
まさかの佳保の変化球に焦る陽太。
「え? あー、連絡してあります。こ、高校生なんですけど、今夏休みだから……夏休みが終わるまでうちで過ごすってことになって。ちっちゃいときから仲良しだから……はは」
「そうなんだ。結構長い間居るのね」佳保は真剣に話を聞いている。
「だから、服とか下着を買いに行かないとで……」
「え? それで私が買い物手伝うの? 」
「ダメですか? 」
「ダメっていうか、邪魔じゃない? せっかく仲良しいとこなのに」
言葉を失い立ち尽くす陽太。説明不足なことに気付きパンを掴んでいる手にじんわり汗をかく。
「……こないです」
「はい? 」
「いとこは、制服で家出してきたので、その格好では外に出られなくて、校則が厳しいから……」
全くの嘘だが陽太は傑作だと思った。もしかしたら自分には脚本家としての才能があるのではないかと内心自画自賛していた。
「そうなんだ。だったら困るよね」
「下着とか、オレには無理で……」
「いいよ」困る陽太とは正反対の弾んだ声で佳保は答えた。
「すぐ必要なんだもんね。じゃ、今日仕事終わってからね」
その言葉に胸をなで下ろした陽太。なので佳保の照れ笑いに気付くことはなかった。
パートのおばちゃんたちはいつも笑顔である。この人たちには悩みがないのだろうと陽太は考えていたが、あっさり佳保にそれは絶対ないと言われた。旦那さんのこと、子供のこと、ご近所付き合い、毎日の家事、そこに姑問題が加わりストレスのかたまりなんだとか。ストレスから過食になり、体重も増え、血圧も上がる。同じ問題を抱えた同年代の仲間に愚痴を言うことでストレスを解消しているらしい。
「私もいつかはそうなるのかな……」
陽太と佳保は電車でショッピングモールへ向かっていた。
仕事が終わる時間に職場までタクシーを呼んでおき、急いで最寄りの駅まで駆け抜けた。時間を短縮するためだ。タクシーに乗り込む所をパートさんにキャッチされ、騒がれてから今の話題に繋がっている。
上り電車なので人は少ない。二人は降り口の近くに並んで座っていた。陽太の右隣、公園のベンチでは美月が座っている所に佳保が座っている。しかも、会社のつなぎではなくピンク系のロングワンピースという私服姿なので陽太からしたら変な感じがした。更にいつもトレードマークであるポニーテールをしていないので、なんだかぎこちない。
「浅沼さんの私服って新鮮です」
「そう? いつも会社で着替えてるじゃない」
「あ-。オレ、出勤遅くて退勤早いから見慣れてないのかも」
自慢することじゃない話に「なにそれ」と笑う二人。
「それより、周防くんの私服って初めて見たかも」
まさにその通りだった。自宅から職場が近い陽太は毎日つなぎ通いで、社員旅行もいつもスーツを着ていた。
そんな陽太が、今日はカジュアルな私服を着ている。Tシャツにジーパンという、いたってオシャレではない出で立ちだったが、佳保は普段見ることのない陽太の一面を目に胸を踊らせていた。
目的のショッピングモールに着いたのは、職場を出てから三十分もしない頃だった。佳保はよくここで買い物をするらしい。幾度にも分かれる道や客をスイスイとすり抜けていく。
「連絡しなくていいの? 」と振り向く佳保。
「え? 」
「いとこちゃんよ。服の好みとかあるでしょ」
「……連絡は、無理です。カバンとか何も持たないで来たから、スマホもなくて」
「家電もないってやつ? 」
「はい……」
美月のものを買いに来ているのに、美月の話題が出ると背中に汗をかく陽太だった。
「それじゃ-、周防くんに決めてもらうしかないかな」
佳保はお手頃価格の店に入ると、自分の服を選ぶように眼を輝かせている。
「Sサイズなんて羨ましい」と言いながら次々服を手に取る佳保。陽太はただうろうろしているだけだ。妻の買い物に付き合う夫の苦労を身にしみて感じるが、付き合わせているのは自分自身なのだから仕方ないとひとり反省会をする陽太。
「ねえ、このワンピースとか可愛くない? 」
佳保は淡いピンクに小さな花柄がプリントされたワンピースを手に取った。
「ピンクか~。何か違うかな……」
「ピンク、ダメ? 何色が似合うの? 」
「青」
即答した自分に自分で驚く陽太。佳保も一瞬動きが止まった。
「あ、……本人が好きだって言ってたんですよ」事実である。
「青か。ジャンルはどんな感じ? ガーリー系? ボーイッシュ? 最近の高校生は大人っぽいの着てたりするから、幅広くて難しいね」
陽太は頭を抱えた。あの白いワンピース以外で思い浮かぶのは幼い頃の姿だけである。
「ボーイッシュではないかな。髪もロングだし、なんていうか清楚な感じですかね……」
「清楚系ね。だったら水色がいいかも」
佳保は水色の生地に白いストライプが入ったAラインのワンピースを陽太に見せた。
「あー、こんな感じがいいです」と笑顔になる陽太。
「周防くんの趣味で選んでないわよね」佳保が指摘する。
「……いや、正直、美……いとこの趣味が解らないもので」
とりあえず、服なら何でもいいと思っていた陽太は、種類が豊富なレディースファッションに戸惑っていた。
「それもそうね。一枚買っておけば、自由に外に出られる訳だし、いとこちゃんが自分で選ぶのが一番いいわ」
「ですね」
と言いながらも、陽太には美月が自由に外出する姿は想像出来なかった。
あのアパートしか居場所がなかったのだから。
陽太と佳保は数枚服を買い、数種類の靴買い、バッグやヘアアクセなどの小物も買った。まだ暑いのに半額セールをしている店が多くて驚く陽太に、常識だと言って佳保が笑った。
「あ、リストバンド買わないと」
「リストバンド? 必要なの? 」
「あ、……手首を骨折したときの手術の痕が残っちゃてて……」と、また嘘をつく。
「だったらシュシュのほうが可愛いんじゃない? 」
と、佳保は水色に水玉のシュシュを手首にはめて見せた。
「いいっすね」
陽太はシュシュという言葉を初めて知った。
下着や生理用品などを佳保に頼み、陽太は生活雑貨を探しに行く。
コンビニやドラッグストアと違い、雑貨がいちいちこじゃれている。モデルのように自己主張してくる食器類に耐えきれず、陽太はショッピングモール内の百円ショップに入った。
「いいのみつかった? 」
「はい」
二人は喫茶店で落ち合い、ついでに休憩をすることにした。
陽太の前にはアイスコーヒーが、佳保の前にはロイヤルミルクティーとチーズケーキのセットが並べられている。店内は暗めで落ち着いた雰囲気だが、メニューは豊富で可愛らしい。時間のせいか、あまり人はいなかった。
最近の若い子はこんなところでお茶をするのかと、やや年寄り臭いことを考えてしまう陽太。
「シャンプーとかクレンジングも女性用の買ってきたよ」
「ありがとうございます」
「そして、これは私からのプレゼント」と、佳保は小さなギフトボックスを取り出した。
「いとこちゃんにあげて。気に入らなかったら捨てていいから」
「っそんな……。ありがとうございます! 」
陽太はテーブルに頭が付きそうになるほどのお辞儀をした。
「たいしたもんじゃないわよ」と笑う佳保。
「いえ、こんな買い物に付き合わせてしまって」
たかが買い物だけど、陽太ひとりじゃ解らないことがたくさんあった。
「いいの、いいの。私も楽しかったし」
陽太は、そうやって笑う佳保の姿を見て、彼女のような人間になら美月の相談が出来るかもしれないと思った。美月を佳保に会わせてみたいと思った。でも、何故か真実が言えなかった。
美月の話をするということは、自分の過去を話すことになる。
別に養護施設出身ということが恥ずかしい訳ではない。ただ、自分を大事にしてくれている家族の愛を踏みにじることはしたくなかった。周防家の長男として生きることを決めた陽太は、正直六歳までの記憶を消してしまいたいと思っていたのだ。
そんなとき、美月と再会してしまった。
やはり、過去は簡単には消せないのだ。