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イノセントカプセル  作者: やすビー
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再会 3


陽太が自分の部屋に女性を連れてくるのは初めてのことだった。


 就職してから女性との出会いがなくなり、陽太本人も恋愛に意欲が湧かなくなった。誰かに生活を縛られるより、自由にダラダラしていたいのだ。


 そんなことには全く興味がない美月は、広い玄関で足の裏を拭いていた。


「美月、こっち」


 陽太が最初に案内したのはバスルームだった。


「風呂入りたいだろ? 」と尋ねるとコクりと頷く美月。


 収納棚から新品のタオルといくつかの衣類を取り出す陽太。それらを手にとって悩んでいる。


「今日だけオレの服でいい? 下着もオレので悪いんだけど。Tシャツはこの黒いロンTだと透けなくていいと思うよ。あとは適当に使って」


 差し出されたものを受け取って、美月は「ありがとう」と呟いた。


「ワンピースは洗濯機に突っ込んどいて」


 そう言って、陽太はそそくさとバスルームを後にした。


 陽太が真っ先に向かったのはリビングだ。テーブルの上に無造作に置かれたものを一度全部ゴミ袋に入れる。コンビニ弁当の入れ物やカップ麺のカップ、輪ゴムに爪楊枝、数ヶ月前に買った雑誌など、ほとんどがゴミだ。濡れ布巾でテーブルを丁寧に拭く。そしてテレビとエアコンのリモコンだけを並べて置いた。


 次に陽太は床にモップを掛ける。本当なら掃除機を掛けたいところだが、夜なので近所迷惑になると思い諦めた。掃除はまめにしてるつもりだったが、あちこちから埃が現れる。所詮は男の一人暮らしだ。


 床に落ちていた水着美女が表紙の雑誌もしぶしぶゴミ袋へ入れる。


 ソファーは粘着テープのコロコロをしたあと、除菌効果のある消臭剤をスプレーした。カーテンにも同じ消臭剤を使用する。


 陽太はリビングに隣接する和室も一通り掃除した。


 今日一日、何かと疲れた陽太は倒れるように床に大の字になった。目をつぶるとドライヤーの音がする。家に他の誰かが居るというのは緊張もするけど安心もする。とても複雑な感情だ。


 明日から、どんな生活になるのだろう? 自分は美月をどうしたいのだろう? 陽太はそう思った。




「陽太くん? 」


 そう呼ばれて目が覚める。まだ朝ではない。陽太はいつの間にか床の上で寝てしまっていた。


 視界に入ってきたのはとても可愛い女の子だった。まるで作られた人形のように美しい。


「……えっ、美月! 」陽太は慌てて起き上がる。


 陽太の横で正座していた美月はさっきまでとは別人のように美しくなっていた。ボサボサだった髪は艶やかな光を帯びている。肌もいっそう白く輝いていた。前髪が長すぎるのが残念だが、黒のロンTと水色のハーフパンツも不思議と似合っていた。


 同じシャンプーを使っているのに、いい匂いがする。


 垢を落しただけでこれほど変化するなんて、女はやはり驚くべき生き物だと思う陽太だった。


「……お、お腹空いたよな? カップラーメンでもいい? 」


「陽太くん、お風呂は? 」


「オレは、後でいいや」


 陽太はキレイに仕上がった美月を用意していた座布団に座らせ、自分はいつものようにテーブルとソファーの間に挟まった。


 麺をチュルチュルと吸う美月。対照的にズズっと食らいつく陽太。


「美月と一緒に飯食うなんて、何年ぶりかな。なんか変な感じ」と陽太は微笑む。


「十五年ぶり」


 美月の即答に驚く陽太。


「そうか……。あっという間なのか、長かったのか微妙な年数だな」


 感傷に浸ってる陽太にまるで興味がないといった感じで、美月は黙々と麺をすすっている。


「ごめんな。明日はちゃんとした飯にするから」


 陽太がごにょごにょ言っている間に、美月はカップ麺のつゆまで飲み干した。またしても呆気にとられる陽太だった。


「明日も、居ていいの? 」空のカップの底を見つめながら呟く美月。


「いいよ。オレが連れ出したんだから」


 そして陽太は何かを思い出しかのように自室へ向かうと、紙とペンを持って戻ってきた。


「これにさ、必要な物書いて」


 首を傾げる美月。


「服とか、靴とか、生活に必要な物。服とかはサイズも書いてくれるとありがたいんだけど」


「私、お金ないよ」


「それは気にしなくていいから。取りあえず、そうだな十五年分の誕生日プレゼントとクリスマスプレゼントってことで」


「ありがと……」少し照れた声に美月の人間らしさを感じる。普段感情を表に見せない美月はキレイになったことで、余計に人形っぽさが増した。だから、こんな些細な言動をとても温かく感じる。


 字を書く美月を見ていて、陽太はまた昔のことを思い出す。クレヨンでチラシの裏に絵を描いたこと、絵本でひらがなを覚えて手紙を書けるようになったこと、その絵と手紙を父の日と母の日に園長夫妻にプレゼントしたこと。懐かしさがあふれ出して止まらない。あの夫婦は今も元気で暮らしているだろうか? 名前を思い出そうとするが、なかなか思い出せない。


 陽太は夕食の片付けをしにキッチンへ向かった。片付けといってもカップ麺の空と割り箸をゴミ箱に捨てて、水を飲んだグラスを二つ洗うだけだ。それでも陽太はそれがとてつもなく格好いいことのように思えた。はじめて家のお手伝いをした子供みたいな気分だ。


「美月、ちょっといい? 」


 陽太は立ったついでに美月を和室に案内した。


 六畳間の和室。押し入れと床の間付きのありふれた和室だ。ふすまはリビングに隣接する一カ所だけ。ものは何も置いていない。


「ここ、美月の部屋にしていいから」


「私の? 」


「押し入れに布団一式用意してあるから、寝るときそれ使って」


「……がと」美月は陽太にぺこりと頭を下げた。そして、握っていたメモ用紙をそっと手渡す。


「おお、サンキュー。明日買ってくるよ」


 メモに目を通す陽太。


 ・服 Sサイズ


 ・靴 Sサイズ(22)


 ・下着 55のB


 ・靴下


 ・生理用品


 ・歯ブラシ


 ・


 ・


 と、一通り並べられた生活必需品の最後に、何やら四角いイラストが描いてあった。


「美月、これ何? 」指でイラストを示す陽太。


「水色の……」


「水色? 」


「音楽のやつ」


「あー! あれか! 」と言って陽太はまた自室に飛び込んでいった。そして直ぐに戻ってくる。


 その手にはスカイブルーのポータブルオーディオが握られていた。


「これだろ」


 美月は大きく頷いた。陽太はポータブルオーディオを美月の手に握らせる。


「それ、美月にやるよ。気に入ってくれてるみたいだし」


「売ってないの? 」


「あー、古いタイプだから製造してないんだよ。それじゃ嫌か? 」


 ブンブンと首を横に振り、「陽太くん、使うでしょ」と真剣に困る美月。


 陽太はクスッと笑って、美月の頭をポンポンと優しく叩いた。


「そのときは美月から借りるからいい」


 ポータブルオーディオをギュっと胸に抱く美月。口をパクパクさせている。感謝の言葉が声にならないのだ。


「あ、だったら他の曲ダウンロードする? それオレの好きな曲しか入れてないから」


「これでいい」


「マジで? それ、かなりマニアックな曲だよ」


「これがいい」


 そう言ってポータブルオーディオを床の間に置くと、美月は押し入れを開け布団を持ち上げた。


「美月ってさ、青が好きなの? 」


 畳に布団を置いて振り返る美月。


「美月が最初に履いてたジャージも青だったし、リストバンドも青で、今履いてるオレのジャージも青。で、そのポータブルが青だろ。でもって、その曲のバンドの名前がブルー・ツリー」


「え? 」美月は思わず裏声になる。


「最初、ブルース・リーと関係あるのかなって思ってたら、ただヴォーカルの名前が青木ってだけだった」


 それを聞き、口元に手を当て、美月はクスっと笑った。


 美月が笑う姿を陽太は十五年ぶりに見た。そして何故か自然に涙がこぼれた。胸の奥が熱くなって一瞬時間が止まったような気がした。


 陽太のことなんかまるで気にしていない美月は、丁寧に布団を敷いていく。畳の線に沿って真っ直ぐ、とても几帳面に、ホテルのベッドメイキングのように。そして思い出したかのように陽太に向かって言った。


「青、好きだよ」と。




 午後十一時、いつもならリビングでテレビを見ている陽太だが、その日はシャワーの後、自室のデスクに向かって電気も付けずにノンアルコール缶ビールを飲んでいた。


 美月は布団を敷いてすぐに眠ってしまった。起しては悪いと思いテレビは諦めた。彼女はいつも早い時間に寝ていたのだろうか、それとも変わった環境に疲れたのか。


 陽太はこれからのことを考えていた。美月に聞きたいことがたくさんある。深青園を出たあと、何処に居たのか。一緒に暮らしていた二人は何者なのか。何故居場所がないのか。そして、どうして無戸籍なのか。


 聞くタイミングは今じゃないと解っている。でも、いつかは聞かなければならない。美月の将来のために、彼女を自立させることが自分の役目だと陽太は思っていた。


 月が真っ暗な部屋を照らす。あの頃と変わらないものは月の明かりだけかもしれない。


 陽太は缶を握りつぶして立ち上がった。


 足音を忍ばせながらキッチンにゴミを捨てに行く。磨いたリビングの床が青白い光を反射させていた。


 ゆっくり和室に近寄る陽太。そっとふすまに手を掛け、十センチほど開けてみた。寝息が聞こえる。美月は陽太に背を向けるように横たわっていた。


 陽太は静かに微笑むと、ふすまを閉め自室に戻っていった。


 遠ざかる足音を美月は聞いていた。


 つぶっている目から涙がこぼれ、髪を濡らす。


 明日、明後日、明明後日、目に見ることの出来ない未来に、二人は変化を感じ、そして恐れていた。


 長く険しい旅が始まろうとしていた。



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