第八話 その役者ぶりは異世界だから通用する
ハットが指定した三分の猶予は、特段なにが怒るわけでもなく過ぎ去った。
解放された亜人たちは戻ってこない。それもこの短すぎる時間を考えたら当たり前だが。ハットが取り囲ませている亜人たちの外側は全員が逃げてしまい、あれほど騒がしかったのが嘘のようだった。
事件の張本人——ハットは、筋立った首に掛けた懐中時計を開いて一瞥。
三分経ったことを把握すると、待ってましたと言わんばかりに口端を吊り上げる。
「楽しくなって来たなーオイッ! この気分の高揚……なにから来るもんなのか教えてくレヨ⁉︎」
ハットは盾にとっている獣耳の女性に問を投げる。首に突きつけたナイフを軽く押し当て、返答を急かす。
ニンマリ顔と声の抑揚から、ハットはこの状況を心底楽しんでいることが見受けられた。
そして心底狂っていることも。
「わ……わかり……ませ——」
「もう三分が経過したからだこのバカガ! 脳味噌まで獣なのかオメェ⁉︎」
楽しんでいるのはハットだけ。
滝のように涙を零しながらも、必死に言葉を返そうとする獣耳の女性に、ハットは唾を飛ばし叱責する。
「まずはお前を一人目として血祭りにあげてやルゾ。そうダ! 二人目の犠牲者を選ばせてやってもイイ」
「——嫌です……死にたくないんです……お願いします……」
「今そんな話してないだろウガ——」
ハットは言葉の途中で止まる。なにかを閃いたようだ。
「ガハハハ! いや、オメェのその願いは叶えてヤル! 良いことを思いついタゼ!」
内容を聞く前から、誰しもが良いことではないと心得ていた。
背後の壁に沿って漂わせる——くすんだ赤色のパレットをそのままに脅しながら、ハットはナイフを天に掲げた。
「いいかオメェらよく聞ケ! 今からコイツを火達磨にして殺ス! それはそれは苦しイゼ……オレ様は体験したことないガナ」
妙に説得力があるのは、ハットは火達磨を体験させてきた側だからだろう。
「この亜人が可哀想ダナ。オメェらもそう思うヨナ? だかラ……代わりに火達磨になりたいやつがいたら手を挙ゲロ! そしたらこの亜人の順番は最後に回してヤル! どうだこの提案? 力のないオメェらでも亜人助けができるんダゼェ⁉︎」
ハットから切り出されたのは性根がねじ曲がった最悪の申し入れ。
見殺す行為に言い訳をさせない。為す術もなく殺されるのではなく、自分が静観したから殺された。そう自己否定に陥らせ、ハットを取り巻く亜人たちを精神的にも追い詰めていく。
当然、そんな提案を出されても手を挙げる人は現れない。
互いに目配せし合い、かぶりを振り合い、肘でこづき合い、背中を押し合う。誰もが悲痛な表情を浮かべながらも、既に思い断っていた。
「み……みんなぁ……」
獣耳の女性は力なく嗚咽を漏らした。
その光のない目を、みんなは見ようともしない。見捨てられた絶望感が女性を襲う。
「ガハハハハハハ! なにが亜人は人間よりも優しイダ! 全然そんなことなかっタナ! じゃあオメェら総意の元、コイツを見殺しにしたと考えていいんダナ⁉︎ 挙手するならあと三秒以内ダゾ! イーーーーーーーーチ!」
いやらしく時間をかけたカウントダウン。ハットはまるで祭りを楽しんでる人のように見えた。奴にとっては結果が明々白々なゲームに過ぎないのだろう。
「ニィーーーーーー」
「はーーい! はいはいはいはい! 俺でっ! 俺でお願いしまーーーす!」
「ーーーーーーィイ?」
そんなゲームを、自分以上に陽気な様子で手を挙げる少年に崩された。
ハットの顔は——まさに狐につままれたような顔だった。
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ハットの予告した時間——残り一分まで遡る。
「ホントのホントにその策戦でなんとかするつもりなの?」
「あぁ、シンプルなのが一番だろ。それにパレットの使い方も教わった。俺らふたりでなんとかしてやろーぜ」
クイの奇策に懸念を抱いたウリスは最終確認する。自信ありげなクイの態度だけが頼り。
だがクイにも気がかりな点はあった。
「未だに充電は一%のままか。だがまぁ、一%って数字は逆にいい。どうせ異世界が絡んでやがるんだろうしな」
策戦の一部を担うものとしてスマホが必要だった。
そのスマホの電池残量はウエッシェル湖で見た時と同じく一%。
——この数字は偶然だろうか?
もちろんその可能性もあるが、高くはない。なにかの法則性に基づき、電池切れから一%に戻った——この考え方が理にかなっている。
それでも確実ではない。充電がなくならないことに賭けたわけだが——
「スマホを使うのはうまくいかなかった時の保険だ。俺がパレットを出せたら必要なくなる」
「——クイ、あたしはやっぱりその策戦は危険すぎると思うわ。あの人質の女の人だけじゃなく、クイだって無事には済まされないかも」
「とはいえ、ここで指を咥えて見るつもりもないんだろ? どうなるかわかりきってるもんな」
「ええ、だからあたしがクイの役と代わるわ! 万が一のことが起こってもあたしなら凌いでみせるし!」
「却下、お前は策戦のメインウェポンだろ」
フィースト第二支部副団長の危機管理能力を軽んじるつもりはないが他案が出ない——以前にタイムアップだ。
未だ不服そうな顔をするウリスは無視。突っ走っても着いてきてくれる——そんな信頼あっての無視をしながら、意識をハットに向ける。
「野郎より優位に立つにはなにかで上をいくしかねぇな——なにか」
確かめるまでもない自分のプニプニの二の腕を触り、腕っぷしの望みは捨てる。身体能力の補正くらいオマケしてくれてもいいのにとしょぼくれても仕方なし。
高校一年の秋に異世界に飛ばされると予告してくれてたら、漫画ゲームに費やした時間のすべてを肉体改造に割り当てていたのに。
「——違うか。漫画ゲームに費やしたんなら、それを活かせばいいんだ」
——現実の運命は、創作の世界ほど上手くできてない。
それがクイの持論ではある。が、もし仮に俺がこの異世界に来るべくして連れて来られたのなら、選ばれた理由は必ずある。
他人にはない俺の強みが——
「クイ、動くなら早くしないと……あの人が殺されてからじゃ遅いわ! 先手を打たないと」
「いや、大丈夫だろ。すぐには殺されないし殺さない。なんかしらワンクッション挟むぞ。この状況を楽しむためにな。ナイフを舐めるような狂人キャラだぜ? あーいうやつのすることはわかりやすい」
ハットから目を離さず、体を震わせて焦るウリスを取り鎮める。
「——窃盗や強盗や殺人とは縁遠く生きてきた目……あたしはクイのことをそう評価してたけど、その穿った見方——もしかしてクイは以前も同様の事件に巻き込まれたことがあるの?」
あるわけがない。これまでクイが生活してきたのは、犯罪に遭遇するのも稀の稀な国だ。
しかし、ここが現実よりも漫画に寄った世界なら、クイは様々な事柄を見てきたと言えた。すぐに絡んでくるヤンキーから世界の支配を目論む帝王まで。何十人分の主人公を通して見てきた。
その中でも、
「あぁ、狂ったキャラは厨二心をくすぐられて好きなんだよ。——まぁ見てろ。最適なタイミングで乱入するからよ。ウリスも頼んだぜ」
成りきってみせる。
狂ったあの野郎よりも——もっと狂ったキャラに。
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「おおっ! 他にいないってことは俺で確定⁉︎ ラッキーーー!!」
この状況、一言で表すのなら混沌。
ぽかんと口を開ける亜人たちをを見回し、クイは両手を叩いて喜ぶ……フリをする。人垣の後ろで身を潜めているウリスも絶句し、口を手で覆っていた。
「あれレ? おかしイナ、そんな我先にと希望者が出てくるような募集はかけてないんダガ」
初めてハットの困惑した表情を拝めた。とどのつまり、クイの方が優位だ。
狂ったキャラ作りがぶれて、ボロが出ないように畳み掛けに入る。
「実は、生きることが辛くて死のうと思ってたんですが独りでは死ねなくて。殺してほしいんです。本当に辛くて……」
「チッ……オメェの話なんざどうでも——」
「人混みが死ぬほど苦手で……これ以上、二酸化炭素を吸うくらいなら死んだ方がマシです……」
「オイ! なんで祭りの場に来たんだオメェハ! 家に閉じこもってロヨ!」
「家で独りだと寂しくて死にたくなって……それで外に出てきたんですが……」
「オメェ見たところ一〇は越えてるヨナ⁉︎ よく今まで生きてこれたもンダ!」
それはこっちのセリフだ、とクイは思う。
しかしハットは律儀につっこんでくれてはいるが、警戒と解いているわけじゃない。ナイフを持つ手が構えられていることから推測が立つ。
「てかオメェ……亜人には見えないんダガ?」
「これはこれは気が利かず申し訳ない。お察しの通り、一六年人間をやらせて頂いてます白々クイと申す者。以後お見知りおきを——って以後はなくなるんだった」
「もう死ぬ気マンマンカヨ⁉︎ ——てやっぱ人間じゃねエカ!」
「なにか不都合でも? 焼きやすさに変わりとかあるんですか?」
チイッ、とハットの悔しさを吐き捨てる声が響く。前髪を掴んだハットはクイと目を合わせると、深いため息を零した。
「——オメェ、どっか行っていイゼ。見逃してヤル」
この瞬間、確信したことがひとつ。クイは静かに悟る。
やはり金には興味なし。人間にも興味なし。
ハットが狙った対象は亜人のみだ。
「見逃してヤル? 強盗の割りに随分お優しいこって——でもその頼みは聞けないな」
「なんダト?」
興が冷めたせいか、ハットは視線を地に落として油断していた。
クイの返答、駆け寄ってくる足音。
その違和感に気づき、視線をクイに向けたときには既に、二者の距離はかなり縮まっていた。
「お前が見逃しても俺は見逃してやんねーよぉぉ! その隙をなぁぁぁぁ!」
人を本気で殴ったことがないからか。顔面に拳を叩き込み、ハットを気絶させるビジョンはまるで湧かない。
だが事ここに至っては引くこともできない。やるしかないのだ。そういう状況を——意図的に作ったのだから。
『初めてパレットを使ったときは……あたしの場合、闘わなければ死んでいた状況下だったわ。だから死に物狂いで叫んだわね。パレットの存在だけは知ってたから、こう……右手を突き出して……大きな声でパレットー! ってね』
パレットを出すか死ぬかの二択。クイの場合、パレット自体を持っていることは明白なのだ。
そしてウリスに語らせた体験談と見事に一致するこの状況下。チャンスでしかない。
だから直接殴る気は皆無。
腕をどんなに伸ばしても到底届かない距離から、大きく振りかぶり遠投をするように腕を突き出し、
「クイ、ストップ——」
「くらえパレットォォォォォォ!!!」
後ろから僅かに聞こえるウリスの制止。だが信号が突然黄色の灯火に替わろうとも急停止は逆に危ない。
漲る己の意気をすべて、ハットにぶつける勢いでクイは吶喊するが——
「…………」
「…………?」
クイは、腕を突き出したまま石のように固まる。
「——ハン! なんだか知らんが命を拾っタナ。オレ様に攻撃したら《レッドディフィーザ》の餌食になるところだったんダゼ」
「やっぱりね……よく止まってくれたわ。クイも気づいたのね」
固まったままのクイに対し、ウリスは称揚した。人垣はその声を受けてウリスに隙間を開け、険しい表情をしたハットと対面する。
「アン? また人間カヨ……もうその坊主を連れて帰ってくれねぇか嬢ちゃン」
「ふん、お断りよ。それにしてもあなた——随分と防衛に寄ったバレットをお持ちのようね。一応強盗のくせに」
ウリスの指摘が的を射たのか、事も無げに鼻の下を擦るハットの眉を、僅かに上げた。
「あなたはホント亜人以外には無関心ね。だからこそクイの奇襲は完全に決まっていた——それなのにあなたのパレットはクイの初動に合わせて、明らかに身構えていた。思うに、あなたのレッドパレットは自動で身を守る能力ね」
「ほほウ、なかなか鋭いじゃなイカ。なにも知らないフリをして帰るなら今のうちダゾ」
ハットは冷淡な笑みで賞詞を口にするも、ウリスの指摘に対しては是認とも否定とも取れないよう濁す。
だが推測は間違っていないとウリスは確信しながらも、爪を噛み、不安を表していた。
——この状況は……無闇に動けない。本来、人質を盾にした敵を相手取る場合、短期決戦を挑むべきだ。一瞬で敵を無力化できる攻撃をすべきだ。
だが防御に特化し、こちらの攻撃に対応するパレットをハットが持ってる以上は長期戦になるのは避けられない。
そうなれば……一番危険に犯されるのは人質だ。
強盗のくせに——ではない。
強盗だからこそ防衛に寄ったパレットが活きるのだ。
自分の優位を理解しているからこそ、ハットは未だ平然のまま。しかし眉間にはシワが寄っていた。
「ところで、クイはよくそれを見破ったわね。止めたときは手遅れかと思っていたけど……予めその可能性を考慮してたのね。それでなきゃ、あの気迫で寸止めなんてとてもできないもの」
「——あぁ、その通り! 全部まるっとお見通しだったぜぇ⁉︎」
「ぜぇ?」
ようやく石化が解かれたクイは顔を赤らめながらハットを指差した。
だがその心情は穏やかではない。
——っんでっ出ねぇんだよクソッタレがぁ!
女神から貰い受けた液体は間違いなく言語翻訳の力が存在した。ならばパレットの力も同梱されているはずなのだ。
——なのに使えない。これほどまでに使い所なのにだ。
なにか条件があるのかとクイは考える。自分の状況下か、パレットの使い方か。しかしそれらを絞る策すら見つからない。
「でも……無茶はしないでね」
ウリスの言葉はまるで、パレットを使えるフリは危ないと伝えているようだった。
だがここで芋を引けるものか。
「なぁなぁ、俺ら人間は今から帰ってもいいのか? 用があるのは亜人だけなんだろ?」
「だからさっきから去れって言ってんダロ。オメェらなんかどうでもいいんダヨ」
「ふーん。こんだけ場をかき乱してんのに、まだ俺とウリっさんは無事に帰してくれる気でいるんだ。同族に対しては優しいなぁ」
「別にオメェらに甘いわけじゃねえんだけドナ。オレ様は亜人がこの世で一番嫌いなンダ。だから相対的にオメェら人間には優しくなっちまうもんなノサ」
「なかなか共感できる理論だなぁ。敵の敵は味方っていうか相対性理論っていうか。俺はわかってやれるなー」
自分が大嫌いな存在と対峙する——または相反する存在を好意を感じる。
クイも英語教師がずば抜けて嫌いだったため、他の英語教師の評価が知らず知らずに上がっていた経験があった。
「でもおっさんが亜人になにされたとかは知らねえけどさ。こんな過激なことせず、普段から見下して生きていけばいいんじゃないの? 俺はそうしてたよ」
「オレ様はまだ二四ダ」
心の内で他人を卑下することで精神の安定を保ち続けていたクイの説得力ある言葉。
クイは体を半回転させ、亜人の人垣を見た。
「気色悪い」
「————え、クイ?」
「改めて見ると酷い。毛量がとんでもないやつだったり変な鱗があるやつだったり。正直ゾッとする。人間になれなかった種族の見た目ってのはな」
発言ひとつで、空気が一変した。
「なぁ、あんたらは死にたくならないのか? 鏡とか見たことないのか? おぞましいったらないぜ」
「なに言ってるのクイ? どうしたの?」
「だってそうだろ。こいつらは人間っていう完成された生物に余計なもんを追加した……蛇足だよ蛇足。あんたの足だよ」
蛇人の足下を指差してそう言う。
体の後ろからはガハハハと豪快な笑い声が聞こえた。
一方体の正面からは多くの射るような視線がクイに向けられていた。大きい目、小さな目、丸い目に魚目。睨み方も多種多様。
人間に睨まれるより恐怖度が高い——と感じていたが、
「もうそのくらいにして。承知しないわよ」
「やだね。——間違ってないと信じた発言は曲げれない性分だ」
鋭い眼光の中でひときわ異彩を放っていたのは他でもない人間の目——赤色に煌くウリスの目。
幾度となく睨まれてきたが、今回ばかりは雰囲気から異なっている。今にも掴みかかり、殴りかかってきてもおかしくない。
その威圧感に負け、速攻で否定を口にするクイ。
売り言葉に買い言葉が、二人の間に剣呑な黒い空気を漂わせる。
——黒い空気。
クイは目を丸くして——自分を睨む人垣の奥を見た。表現ではなく、言葉のままの黒い空気が流れていたのだ。
「ガハハハハハ! 嬢ちゃんはそっち側カ! 虫唾が走ルゼ! しっかし坊主、オメェは気に入っタゾ!」
ハットの視界には黒い空気が入ってるはずだ。
だがハットは言及せず、嬉々としてナイフのハンドル部分で髭を撫でているだけ。この黒い空気は珍しくないのだろうか。
なら今は気にせずに、急造した策戦を続行するとしよう。
「こういう人権が認められた——だけで騒げるような生まれついた負け犬共を見てると嬉しいよ。俺は人間に生まれてこれて本当によかったって……再認識できるなぁ!」
「いい加減に……やめなさい!!」
「おっさんにいろいろ言ったけど、俺だって亜人はこの世で二番目に嫌いだからよ!!」
次から次へと、深く知らない人の悪口が出てくるのはクイの数少ない才能のひとつ。小学校中学校ではこの才能のお陰で幾度無自覚でトラブルを起こしたことか……。
その涙ぐましい過去のせいで、高校では自分の口の悪さを警戒するあまり本音を押し殺していた。
だが今は抑える必要がない。
クイはハットから当然の疑問が投げかけられるのを待っていた。
「気になる言い方をすルナ! 坊主——亜人のカス共を超える一番嫌いなクソ野郎は誰ダ⁉︎ 教えてくレヨ。オレ様は気分がいいからついでにそいつも殺してやろウカ?」
「本当か? 出会いに感謝ってやつだな。そう、俺が一番嫌いなやつはな——」
口をわざとらしく閉じて長い溜め。
目を瞑る無防備さは、緊迫したこの空間を嘲笑するかのよう——
——ビリリリリリリリリリリリリリリ!!!
突如、クイでも、ウリスでも、ハットの付近でもない。誰からも警戒されてない人垣の端っこから、空気を震わせ焦りを急き立てる警鐘が鳴り響く。
音の傍近にいる亜人たちは慌てふためき喚く喚く。
体に染み付いた脅迫から逃走する者は現れなかったものの、大混乱はハットの存在さえ霞ませた。
「ウオッ! なンダ⁉︎」
ハットは手の甲で音が鳴り響いている方向の耳に蓋をする。ガッチリと人質を盾にしたまま視線を音源に向けるが視覚では正体が確認できない。
——だから視界の端から、不敵に笑んだ坊主が突進してくることには遅れて気づいた。
「質問したくせに耳を閉じるとは失礼なやつだ。さすが俺の一番嫌いな……殺人犯のクソ野郎だっ! くたばりやがれぇっ!」
二度目の猪突猛進は、初回よりもスタートラインがハットに近づいた地点で開始された。