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第六話    優しさへの感謝

 3/7 start*************************************


 ——まただ。必ずいつもあとで気づく。だから後悔する。


 夏休み、クイは金欲しさに短期バイトをしていた。その初日が終わり、送迎バスに乗って帰ろうとするところ。赤、青、黄色——三種類のバスがクイの目の前で停まっている。

 どれが駅に向かうバスなのだろうか、とクイは悩む。どこかに書いてないかと右往左往——するとスーツを着た社員の人が話しかけてきた。


「にいちゃん。どこまでのに乗りたいの?」


「——あ、駅までのを」


「ならあの青色のバスだよ」


 社員さんが指差した先には言葉と一致した青色のバス。

 助かった。

 そんな気持ちでいっぱいだ。それなのに俺は——


「あ、そうなんですか。わかりました」


 こうしてる間にバスが出てしまうことを危惧して、ペコリと軽めの礼をすると青色のバスへ小走りで向かった。向かってしまった。


 ——なぜ、とっさにお礼が言えないんだろう。それに気づかなきゃいいのにいつもすぐあとで気づく。そしてへこむ。アホか俺は。


 人に対して助け舟を出したことは少なからずある。だがお礼がなかったと違和感を覚えたことはない。だからみんな——お礼が言えるのは当然なのだ。

 自分から聞きに行ったとき、助けを求めたときは普通にお礼の言葉が出てくる——ことが多い——のに、突然の親切には対応できない。焦っていると特に。


 なにがいやか。それは自分に手を差し伸べてくれた人に感謝が伝えられないこと——ではない。

 ありがとう——そんな言葉さえ満足に使えない自分がいやなのだ。


 今度からは意識しないと。俺は感謝さえまともにできないんだから——




 3/7 end*******************************




「ありがとな。本当助けられたわ。もうガチで死ぬんだと思ってたからさ」


 クイは乱れた呼吸を落ち着かせると、開口一番に謝辞を述べた。

 森を抜けて辿り着いたのは国壁の見える平地。テントや出店があり、武器を持った人間が多数うろついている。

 安全地帯——そこまで連れてきてくれた少女に心からの感謝だ。


 しかし少女はその謝意を背中で受け止めたまま反応がない。

 まるでクイの言葉が聞こえないも同然な不動さに疑問を抱きつつも、化物から救ってくれた事実がなによりの少女の安全証明。


 クイに警戒の心はない。


「なんでフリーズしてんの?」


「…………」


「——まぁいいや。そんなことよりもさっきの黄色いオーラみたいな出してたやつってさ。もしかして魔法? それともパレ——」


「うんよしっ! お金を出しなさい! くれぐれも隠さないことね」


 少女はクイの方を振り向くと腕を組み、透き通った赤色の瞳で睨みつけた。


「…………」


「……なんでフリーズしてるのよ」


 だがクイは——やっと見れた少女の正面姿に目を奪われていた。


 少女の服装は全体的に黄緑かかっている。それが元々の柄なのか、黄ばみからのものなのか判別できないのは——動きやすそうでポケットが胸に一つ、腰に四つと機能性重視な上着に下は短パンだからだ。おまけに傷だらけ。

 オシャレに疎いクイでも、その服がオシャレと縁遠いと判る。


 しかし、そんなディスアドバンテージなどもろともしないほど——少女は可憐だった。


 橙色のふわふわしたセミロングヘアは少女の両肩から前に出て、胸の位置まで体をなぞっている。

 そして少女の整っている容貌には今しがたのような死線を何度も潜ってきた凛々しさと、年相応のあどけなさが見受けられた。

 クイから見て右側につけてある雷マークの黄色いヘアピンも単体で評価すればダサいが、少女がつけるとあどけなさのパラメータを上昇させるアクセサリーと化けた。


「——で、え? なんて?」


「今持っているお金を全部出しなさいって言ってるの」


 そんな身なりで損してる系美少女に——クイは金銭を要求されていた。


「え、お金ぇ? なんで?」


「すっとぼけないでよ。身に覚えがあるでしょ」


「——もしかしてわざと魔物を襲わせて、それを助けて礼を請求する……そういう系の悪どい商売? あの魔物も実はお前のペットとか——してやられた」


「どんな商売よ。想像力が豊か……ってまさかあなたがそんな商売をしてるんじゃないわよね?」


 穿った見解をすればするほど、自分のひねくれが露見されていく。


「でもカモる相手を見誤ったようだな。生憎様、俺は飯食う金さえ持ち合わせていないわけで」


「あぁそうなの——ってなにカッコつけてるのよ! それに一文無しなのに酒場に入ったの⁉︎」


「ん?」


「——なるほど、最初から踏み倒すつもりだったのね、食い逃げ犯さん?」


 思わず組んでいた腕を宙にやるほど少女は驚く。一方クイも食い逃げ犯という単語に驚きを見せていた。


「待てよ……そうだ思い出したぞ! お前は俺の後ろの席でバカみたいな量を注文してた大食い女か⁉︎ なんの用だ!」


 少女を指差して驚愕する。

 そう、クイが薄々この少女に対して抱いていた既視感。正確には既視感ではなく実際に見聞きしていた。

 メニューを行単位で頼む大食らい。メガとの会話の際も、背後で黙々——しかし微量な食事音が定期的にクイの耳へ飛び込んできていた。


 だが異世界に迷い込んだ状況下ではたかが大食い女など意識せずに記憶の片隅へと送っていた。が、食い逃げ——この言葉が鍵となり、クイの記憶の扉を開放した。


「なんの用……って! さっきから言ってるでしょ! 食い逃げ犯のあなたを追ってきたのよ」


「いや、人違いですよ……食い逃げなんてそんな滅相もない——」


「——そんな言い訳が通用するとでも? ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のあたしに?」


「あ……ヤッベ」


 少女の顔は笑いながらに怒っている。クイは二つの地雷を同時に踏んでしまった。

 だがクイはただただ圧巻なのだ。自分とほぼ同じ細身体型の少女——しかしその食の太さは現実離れしている。


「食べてすぐ走ったせいで横腹が痛くなっちゃって——さらには森の中に入られて少し迷っちゃったけど……さっきの発言は自白したも同然よ」


「…………」


「……なによ。言いたいことがあるなら言いなさい」


「いやなんかさっきまでの美少女のイメージが崩落したな……と。どっちかと言えば胃少女——お! 我ながらうまい!」


「うまくなーーーーいっ!」


 先ほどまでのダイヤモンドを見る目から一転、川端の綺麗な小石を見る目に変化する。

 そんなクイのあからさまな変化と失礼極まりない物言いに少女は呆れながらも頬を膨らませた。


「気にする必要はないけれど一応はあなたの命の恩人なのに随分とすごい態度を取るのね。びっくりしたわ」


 少女は頭の天辺をクシャクシャとかき回す。


「あたしは仕事柄、人を助ける場面が多いけど……ここまで心の持ち直しが早い人はあなたが初めてよ。あたしも早いとよく言われるけどね」


 深呼吸。それを少女は二回繰り返すと顔には既に冷静さが入り込んでいた。これが少女のいう心の持ち直しの早さなのだろう。


「仕切直しさせてもらうわね。さて食い逃げ犯さん……ってずっと呼ぶのもよくないわね。とりあえず名乗ってもらえるかしら?」


「うーんいいけど。名乗ったら見逃してくれたりする?」


「おバカ……そうは問屋が卸さないでしょ。現実と向き合いなさい。全部あなたがやったことなんだから」


「向き合ったら最後、異世界来て爆速でお縄じゃんか! 諦めが肝心って言葉は他人に諦めさせて得をする側が提唱した言葉なんだよ! あーもう終わりだー!」


「そんな絶望することじゃないわ。今ならまだ全然取り返しがつくもの。手荒なことがないようにあたしもついて行くつもりだし」


「でも——」


「ね?」


 まるで歳の離れた弟に訴えかけるような目と言葉で説得する少女。しかし自分を見つめる大きな赤色の瞳を他所に、クイは少々冷めていた。


 それはこの異世界のテンポの悪さにだ。クイの思う異世界はとんとん拍子で王様の前まで行けるものなのだ。

 しかし実際には食い逃げをして、魔物に襲われて、助けられて、食い逃げを謝りに行く。それがかなりのスローペースだと感じてしまったのだ。


 いっそのこと、状況リセットのためにここから逃げ出してしまおうか。一瞬クイはそう考えるも思い直す。この少女から逃亡しても、またこの世界で孤立するだけだ。それがわかりきっているからか、クイは観念したように口を開いた。


「俺は白々クイだ。歳は一六。職業は学生。こんなもんか? じゃあ次お前」


 投げやりな口調で自身のプロフィールを簡潔に述べる。

 適当な偽名を使う手もあった。だがあえて包み隠さずに伝えたのは、ここが異世界だからだ。元の世界と切り離されているこの世界はクイにとって『はじめから』にしたゲームも同然。本名か偽名か——どちらにしようと差異はない。


 クイは少女に手を向けて強引に名乗る流れを作ろうとする。しかし少女は「あたしも? まぁそれもそうか」と素直に納得すると両手を腰に回す。


「あたしの名前はウリス。同じく一六歳よ。職業は——あなたみたいに他人ひとに迷惑をかける人や魔物を懲らしめる仕事をしています」


「おい」


「——なに? あぁ、確かに。もうあなたじゃなかったわね」


「へ? いやそこじゃ——うおっ!」


 ウリスと名乗った少女はドヤ顔気味に自己紹介を終えるとクイの腕を掴んだ。

 それに驚いたクイがとっさに腕を振り解こうと一歩後進すると、ウリスもクイの動きに合わせて腕を掴んだまま一歩、いやそれ以上に詰め寄った。


 鼻同士が接触するスレスレの至近距離で見つめ合う。

 一方は逃さない、と言わんばかりの不敵な笑みで。

 もう一方は、ある意味人生初の異性から受ける猛アプローチにただただ困惑の表情で。


 ——先に目を逸らしたのは、後者の人間だった。


「クイと呼ばせてもらうわ。さぁボーディさんのところへ謝りに行きましょう。確かに外見はあたしも怖かったけど……誠意を持って謝ればきっと許してくれるわ!」


 ウリスは目を輝かせてクイを説き伏せる。

 だが説得内容はクイにとってあまりに過酷。食い逃げを成功させてしまった店へ、詫びに再び来店するなどと。


「……嫌だ。行かない」


「なに言ってるの。子供みたいなこと——言わないでよ」


「子供みたいなこと言ってるのはそっちだ。前とか……変わらず無一文の状態で謝りに行っても誠意もなにもないだろ?」


「ダメよそんなの許さないから! 料理を振る舞ってくれたボーディさんの気持ちも考えなさいクイ!」


 ウリスはクイの左胸を——長く綺麗な人差し指でつついた。

 理屈などではなく、心に訴えているのだと。ウリスの所作の意をクイは察する。


「金が……金が手に入ったら誠意と一緒に飯代も持っていけるじゃんか? 向こう側の視点になって考えたらそれが最善……でしょ」


 だが察すると汲み取るは大きく違う。

 語気が弱まりながらもクイは主張を通す。


「向こう側の視点ね——ハァ、まいったわ。クイを説得するのは骨が折れそうよ」


 自己正当化をしだしたクイに対し、ウリスは深いため息をついて頭を抱えた。クイがウリスの心中を察せたように——ウリスもまたクイの心中を察したのだ。


 向こう側の視点になって考えたら——それは自分の主張のダシに向こう側の人たちを使っただけの詭弁。

 許しをもらえるのに最低限必要となる材料——今回のケースなら食事した分の代金——を持たずに手元不如意で謝罪へ向かう。


 これは自殺とも呼べてしまえる蛮行。

 そう捉えてしまったクイはこのイベントを——是が非でも回避したいのだ。


「力づくでいきたいところだけども」


 気落ちした表情で関節を鳴らすウリス。手を出しては来る気配はないが——怖い。


「そんな物騒な……本当に食い逃げをしたまんまでいるつもりはなかったよ」


「そう」


「俺が食い逃げをしたことで即刻店が潰れるわけじゃないし。金が手に入るイベントまで進めばすぐに返すつもりで——」


「もうそれはどうでもいいのよ」


 自分を強く睨む眼差しにクイの身が竦む。

 逆にウリスを説き伏せようとした結果、クイは冷たくあしらわれた。コミュ障にはなかなかキツい攻撃。いつもなら堪えて流されるがままになってしまうほどの。


 だがクイは信念を持ってその詭弁を振りかざしていた。自分の置かれた立場——異世界に問答無用で連れてこられ危機的状況に陥った者——なら逃亡は当然の行為、咎められる覚えはないと開き直っていた。


「——はぁ?」


 だからなのだろうか。どうでもいいと吐き捨てたウリスに対し、癪に触ったのは。


「どうでもいいってなんなんだよ。もう解散、帰ってオッケーてことか?」


 クイは目を細め、鮮やかな逆ギレをしてみせる。しかしウリスは動じずに人差し指を立てる。


「クイがこのまま謝りたくないって気持ちは十分に、十分過ぎるほど伝わったのよ。だからもうそれはどうでもいい。——わかったわ。クイの意も酌んであげる」


「え、マジで?」


「ええ、だから代わりにクイの家まであたしを案内して? 事情を話して工面して貰いましょ」


「——え、あ、やべ。そっちに話がいっちゃうのか」


「一六歳で学生、その身なりのいい服。さぞかし立派な家柄なんでしょうね。財布を忘れちゃったかスられちゃったか。どんな理由があって食い逃げに至ったかは知らないけど。恐らく家にも帰れない理由があるんでしょうね。()()()()()()なんて、まるで頼れる人がないみたいな言い方して」


 一部違うが、一部その通りだ。

 確かにクイにはいない。頼れる人も——家も親も。


 自信ありげな態度で推論をかざすウリスに、目を泳がせ煮え切らない態度で返す。

 なかなかの折衷案を出してくれたウリスには申し訳ないが——クイには家も親もこの世界にはないのだ。そんな現実味のない事実をどう説明したものか。


 恐らく、謝罪から逃れるための苦し紛れな言い訳と捉えられるだろう。


 だがそれはクイにとって不服だ。実際に金が手元にあれば謝罪はするつもりなのだから。

 このままだと言い訳を重ねる人間と断定されてしまう。それは避けたい。


「食い逃げの件はそのあとでいいわ。今はお金を手に入れるのが先決。早く行きましょ」


「ちょい待って。整理させてよ」


「…………あのね」


 クイのしどろもどろとした対応にウリスは両拳を強く握りしめる。


「まさかご両親に食い逃げのことを伝えたくないだなんて言わないわよね? 本来クイが自分で解決すべきことなのよ。自分の愚行は家族を巻き込むってことを理解しなさい。家族は利用するものじゃないわ」


「そーいうわけじゃなくてですね……その……ないんですよ」


「まったくなんでこんなことを同年齢に説教しなきゃ——ない?」


 意外性に溢れた返答が、鋭くクイを睨みつけていた目を丸く変化させた。握っていた拳もいつの間にか解かれ、場から緊張感が抜け出していくのがわかる。

 クイはため息を吐き捨て、


「ないんだよ。親も家も友達——はさっき一人できたけど。俺は悪趣味な誰かの陰謀でこの国に飛ばされてきた哀れな一般人だ」


 事ここに至っては、なるようになれ——そんな軽率な気持ちで事実を打ち明けた。


「俺はこの国の人間じゃない」


 クイはそう告げると、視線がどんどん地へと傾く。

 ウリスの顔を見るのが怖い。呆れた表情か、怒りの表情か、力づくで連行されるかもしれない。


 だがそれ以上に真実を信じてもらえないことが怖い。


「——まさかあなたも」


 十数秒の沈黙をウリスが破る。しかしクイはその声に驚いていた。


「よく無事でいてくれたわね……それもたったひとりで」


 常にハキハキと喋っていたウリスの声が、涙ぐんだ声になっている。クイがウリスの顔を再び見ると、彼女の目には大粒の涙が溜まっていた。


「え……いやなにごと——ってもしかして俺と同じようなやつが他にもいるのか⁉︎ 会わせて欲しいんだが!」


「やめといた方がいいわ。混乱するだけだもの……」


 もしウリスが泣いてなければ反対を押し切り、問いただすように聞いていただろう。それほどに重要な情報だ。もしクイよりも一足先に異世界入りした人間がいるなら是非ともコンタクトを取りたい。

 だがまずは、目の前のウリスをどうにかせねば。


「どうしたんだよ一体。俺が泣かせたのか?」


「違う……違うの」


 嗚咽するウリスにただただ困惑している。指で拭っても拭っても、涙は枯れずに流れ続ける。


「ごめん……ごめん」


 ウリスはクイに向け、ちょっと待ってとばかりに手のひらを見せて、顔を腕で覆う。

 そして勢いよく眼前を擦り、涙を根本から完全に拭き取った。


「——そう、クイも大変だったのね」


「え? あ、まぁ……うん」


 ウリスの赤瞳の周りも腫れて赤くなっていた。

 そんな相手を前に、話の腰を折ることができず。流れについていけないがウリスに合わせて頷く。


「その服も盗品か優しい人が恵んでくれたのね……」


「え? これは自前だけど。衣服すら剥ぎ取る異世界なんてあるのかよ。そこまで非情ではなかったぞ」


「——なんですって?」


「いや嘘じゃないぞ。物とかはなくなってたけど服は変わらずこのままだったし」


「じゃあ……クイがここに来たのは——ここがクイの元いた国じゃないと気づいたのはいつ?」


「——一時間くらい前? 多分だけど」


「クイの名前はホントにクイなの? 適当な偽名じゃなくて?」


「生まれてからずっと白々クイとしてやってますよ。でもアレが小さすぎたせいで腹ん中では女の子と思われてたらしく、親は美波みなみって名前にする気満々だったのに男の子が生まれたから秒で考えついた名前らしいけど」


「なるほど。そうなんだ」


 ——ウリスは頭を抱えてうずくまった。


「もうどういうことなの! クイのこと全然わからないわ!」


「ちょっと待て、俺はかなり前から置いてかれてるぞ。その質問の意図も読めんし……俺のなにがわかると思って出した質問なんだ」


 項垂れるウリスに理想の答えが示せなかったことに謎の罪悪感。元キョロ充のスキルとして質問者が理想とする返答を読み取れる自負があったのに。

 だがウリスの問いのすべて——なんと返したら正解か読めなかった。読めたとしても嘘をつくつもりは皆無だったが気にはなる。


 服?

 時間?

 名前?

 それがなんの証明になるのやら。


 そんなことを考えていると、ウリスも考えがまとまったのか立ち上がる。


「クイのことはよくわからないけど……まぁ違うならそれに越したことはないわ」


「なにを確認してるかは知らんが——あのさ、俺の発言自体は信じてくれてるの? 家族がいないとかこの国の人間じゃないとか」


「——ええ」


 ウリスはクイと視線を合わせる。クイは見つめ合うのが苦手だが、それでも逸らさないようにした。

 散々睨まれたり呆れられたりされた目だが、恐怖を感じたことはない。


「苦し紛れに虚言を吐く人。現実に向き合って真実を語る人。あたしはそのどちらも食べ切れないほど見てきたわ。正確さは保証しかねるけど——それなりになら違いがわかるの。とても信じられないようなことだけど……それでもクイは嘘を吐いてない。あたしが大好きな真実を語る目だから」


 ほんの少しの身長差を埋めるため、ウリスは顎を突き出し、まっすぐクイの目を見つめる。その双眸には一点の曇りもない。

 人の目を見る——クイがそれを意識して行ったのは久方ぶり。


「それに生き方は目に現れるのよ。クイが窃盗、強盗が横行してるミンフあたりで生き抜いてきた孤児ならそんな目にはならないわ。むしろ貴族の線を追っていたのだけれど……それもないわね」


「なんで?」


「なんていうかクイは——庶民っぽい? 感じがして。あ、もちろんいい意味でね」


「喜……べはしない評価だな。さぞかし温室ぬくぬく育ちだけど上品さの欠けた目なんだろうな。元々顔に自信なんざなかったけど、目単体でも点数低いのかぁ」


 語末のフォロー甲斐もなく、クイはガックリ肩を落とす。


 この細くて覇気のない目は自分の容姿の中で最も気にしていたパーツ。自意識が高いだけだ、他者からの評価はそんな悪くない、と己を鼓舞するほどのコンプレックス。

 知らぬ間にクイの忌諱に触れてしまったウリスは、


「そんなことないわ。気取った様子がないからそう判断しただけ。クイの目は凛々しくて素敵よ」


 慌てて両手を振り否定する。しかし小声で「ちょっと目は細いけど」と付け足したウリスを睨む。


 この男は機嫌を損ねると結構面倒な性格なのだ。

 普段は周りが見れる、空気が読めることを取り柄としているくせに、こうなると自分を客観視できなくなってしまう。


「凛々しいって……そりゃさっき言ってた真実を語る補正がかかってるからだ。ノーバフでこの目が凛々しいわけないだろ。疲れた足痛いダルい眠い帰りたい死にた——間違えた。生きたい疲れた眠い帰りたいっと。ほらどうだ? 真実を語ったことでもっと俺の目が凛々しくなったろ」


「——クイってかなり捻くれてるのね。今のその目は凛々しくともなんともないわよ。だからもう一度あたし好みの目に戻ってもらうためにも、一つ答えて」


「——なんだよ。大人になったら目だけはプチ整形するからいーよ」


「今のは嘘ね。ちゃんとわかるわよ」


 ウッと喉に詰まる。整形など微塵も考えてないのが読まれたからだ。どんなにコンプレックスでも一六年連れ添ったこの顔を弄る気はサラサラ。ウリスに減らず口を叩くため、考えなしに出た言葉だ。


 その嘘をしっかり言い当てるとウリスは、クイが拗ねてそっぽ向いた方へ移動すると、再び視線を合わせて問う。


「クイはどの国から来たの?」


 ウリスが目で真偽を判断できることに疑問は持たない。()()()()()()()()()()、この言葉を作った人もまた似たことができたのだろう。

 視力〇・一にも満たず、コンタクトで補っているクイの目には不可能な芸当。


 それでもやはりウリスの目には、真偽を見破るだけではない力があるとクイは感じる。


「あたしを信じて。クイが今苦しんでるのはわかってるから助けになりたいの。お願い——信じて」


 そんなセリフ誰だって言える、俺にこんなことを言うなんて裏があるんだろ、といつものクイなら冷めた内心で毒づいていたはず。

 クイにそうさせなかったのは、現実世界で見たことがない——あるいは向けられたことがない——


 信じてみたい。


 そんな気に人を導く目の輝きが放たれていたからだ。

 クイの身を本気で案じている——その事実を赤く染まった双眸は、雄弁に語っている。


「——多分だが、世界地図って見たことはあるか?」


「ええ、持ち歩いてはいないけれど」


「そうかこの世界に世界地図はあるのか。それなら一番右……じゃなくて東か。吹けば飛ぶようなちっこい島国。もしあるなら恐らくそこが俺の故郷だ」


 その目に応え、嘘は言わない。

 実際にそのような国があるのか、ないのかはどちらでも構わない。真実を語ったことさえウリスに伝わればいい。

 矛盾はクイが未曾有の状況に陥った者だと証明してくれる。


 なんなら異世界から来たと告げてしまいたいところだが、変なところでセオリーは守る。というよりは怖いのだ。

 それを口にしたが最後、これまでの流れがすべて無視され強制的に頭がおかしい扱いをされてしまいそうで。


「やっぱり」


「やっぱり?」


 ここに来てウリスが納得する答えを返せた。

 しかし、それならなぜウリスは口に手を当てて驚いているのだろうか。


「その黒髪で——もしかしたらと思ってたのよ」


「黒髪? しかもマジであるの? もしや有名なのか?」


「ええ、でも悪い意味でね。あたし以外の誰かには絶対に言っちゃダメよ。髪くらいなら珍しいでごまかせるし——幸い真っ黒じゃないし」


 クイは茶色気味な自分の髪を一房つまむ。いくら茶色気味でも黒髪とわかるらしい。

 まだ現状を把握できてないが、真っ黒ではない自分の髪に感謝だ。


「しかもそれなら少しだけ納得できるわ。あの国から帝国まで渡る術なんて泳ぐしかないもの。そんなの不可能だし」


 ウリスはうんうんと頷きながらクイの手を優しく握ると「とりあえずついてきて」とこれまた優しく声をかける。


 人生初の女子と手を繋いで歩くシチュエーションだが、これではまるでスーパーで迷子になった子供のようだ。

 女子と手を握ることより——いい歳して子供のように連れていかれてる、と周囲に見られる方が恥ずかしい。

 そう言わんばかりに大股で一歩進みウリスの横を歩く。


 人の目を気にしないと決めながら、変なところに目がいく。

 相変わらずおかしな箇所にプライドがある男だ。


「災難だったわね。でももう大丈夫よ。あたしはクイの味方だから!」


「ウリス……」


 クイは心も体もヘトヘト。気休めの常套句でも今は涙腺が緩んでしまう。なによりウリスが言うと気休めの言葉に聞こえない。


「じゃあまずは——ボーディさんの元へ向かおうかしら!」


「ブフッッ!!」


 涙も思わず引っ込む言葉の衝撃。

 予想だにしなかったウリスの宣言に、クイの唇は勢いよく震えて音と唾を同時に吹き出す。


「こ……この流れで? マジすかウリスさん」


「当然でしょ。食い逃げの件はまったくの別問題よ。お金はあたしの方でなんとかするわ。それにあたしもクイについていって謝らなきゃいけないのよ」


「——助けてもらってる立場から申すのもなんだが、お節介過ぎじゃねえか? 一緒に謝るって俺はお前のこどもじゃねえんだからよ」


「ホントにどの立場からの発言なんだか……いやでもね……あたしも謝らなきゃいけないのよ」


「誰に?」


「ボーディさんによ」


 ウリスは気まずそうに頬をかく。そしてポカンとするクイをチラチラと伺う。


「クイが逃げたあと、すぐに追いかけたのよ。だからあたしも会計せずに店を飛び出ちゃって」


「——それが?」


「それがって……ボーディさんの店に入ったのはこれで二度目なのよ? そこまで親しい仲じゃないの! クイとグルだと勘繰られてもおかしくないの!」


「——つまり?」


「あたしの食べた量を思い返してみて? 他の人より()()()()多いでしょ? 確かにクイだけの食い逃げならやられた——程度で済むかもしれない。でももしあたしまで食い逃げしたと誤解されてたら——途方に暮れて急遽店じまい…………まであると思うんだけど」


 真剣さからか、ウリスの握る力が繋ぐ手を通して増すのがわかる。それを確認するとクイはゆくりなく鼻で笑う。


 ——もしや異世界ジョークか

 そう捉えようか迷うほどの声明の内容。


 なのでつい先ほどの「信じて」と訴えてきたときと同じ目で見つめられても困る。


「あー笑ったなクイ! お前の方が店に迷惑かけてるじゃねえか、とか思ったんでしょ! その通りですよ!」


「んなこと思ってねーよ。ただ——バカ真面目なやつだと思っただけ」


「なによそれ! あーもうホントどうしよう……って謝るしかないわよね。ボーディさんが店を畳む前に」


「食い逃げ犯の僕が思うに一刻を争うほど急がなくても店は畳まれないぞ」


「うるさいぞ食い逃げ犯! さぁ早歩きで向かうわよ!」


「はいはいわかっ——たああじゃねえや」


 言葉とともに足も踏みとどまる。

 横から「クイ? どうしたの?」と当然の疑問を投げかけられるが俯いたクイの頭は既に、自分の世界にいた。



 ——いや、成長してないわけじゃない。土壇場で気づけただけ。それは成長だ。


 ウリスの善意。彼女は俺の母親じゃない。本来食い逃げ犯の言い分なんぞ耳をかさずにしょっぴけばいい。その力は十分にあるはず。


 なのにウリスは俺を、救ってくれた、説得してくれた、交渉してくれた、質問してくれた、ぶつかってくれた、相談してくれた、教えてくれた、心配してくれた、味方だと——言ってくれた。


 人を拒絶した生き方を選んだ俺には、彼女の対応は温かすぎた。そして嬉しかった。

 この異世界と真逆を往く優しさ——否、真逆だからこそわかった。現実世界から出てこなかったら気づけなかっただろう。当たり前のように受けてきた親切心を。


 俺は砂漠に来なければ水の大切さがわからない人間だ。

 だがそんな人間でも、ウリスになんと言えば良いか——わかるだろ?


「ウリス——ありがとう」


 考えに考えて出た感謝の言葉。それがただの自己満足であろうと、感謝のできる人間でありたい。

 認めたくないことだが異世界に来て早々、気づきと成長のオンパレードだ。誰しも一度は経験しといた方がいいと思うほどに。


 いつの間にかクイとウリスを繋いでいた手は離れていた。ウリスは珍しいものを見るようにクイの顔に注目すると、


「——どういたしまして!」


 クイの不器用さを悟ってか、可愛らしく破顔した。

 初めて微笑みかけてくれたその顔は、クイの目に濃く、今まで見た情景の中でもダントツで濃く焼きついて残った。

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