第一話 出口にみせかけた入り口
ああ、死にてぇな——
「——じゃあ『deny』の意味は、次は後ろにいって河野ぉ」
っていやいや、我ながらなんてことを考え走っているんだ。死にたいわけないじゃないか、訂正訂正。
この場合は、帰りてぇな——が適切だ。
授業も聞かずに上の空でテストは常に赤点ちょい上。提出物もろくすっぽに出さないまま溜まっている。
俺は本当に学校に来ている意味はあるのか?
プリントもらってノートをとるだけの毎日だ。よくもまぁそんな日々を続けられるものだと自分のことながら感心に値する。
そう、登校してるだけ俺は十分頑張っている。これ以上の成果を学校で望んだらきっと俺は潰れてしまうだろう。だから授業なんて聞く気にすらならない。
最も一番悪いのは無味でつまらん授業をしている先公だが。
「……否定する」
スナイパー……スナイパーか!
このつまらん状況を覆すのはスナイパーさんしかいない!
学校の横にはでけー建物がたくさんあるしベストスポットだ。
当然最初に狙うのは先公と相場が決まっている。こめかみから脳に突き破ってこめかみから貫通した弾が出てくる。
——想像したら結構ウケるな。死んだことに気づかず板書しながら倒れたら吹き出すかもしれんわ。
「オッケー。否定するとか拒むって意味だね。じゃあ次『transparent』は河野当てたから——たまにはナナメに移動するか。よし、白々ぁ」
そしたら次の狙いは生徒だよな。
ここをいかに乗り切るかが難所だ。窓際一番後ろの俺は狙われはしやすいものの、先公射殺の瞬間、即座に後ろに下がれば安全圏——しかし主人公になるならここは危険を顧みずにクラスメイトを助けるよな。
——いやいっか助けなくて。構わねぇわ。
……てか今なんの時間?
すげぇ静かなんだが。英単語は俺にギリギリ届かないとこで終わるはずだし今日の授業はもう終わったも同然だと思ってたんだが。教科書見る時間か?
「……どうした白々ぁ。わからんのかぁ?」
————え
俺っ⁉︎ 俺が当てられてる⁉︎ どの問題だよ単語でいいのか⁉︎ 単語のどこだよ⁉︎ おいっ⁉︎
「…………」
おいおいなんなんだよその静寂はよっ! ダンマリ決め込みやがって——待ってるだけじゃ何も産まれねぇよバッカ! もう一度問題内容を言えよ!
俺に答えさせてぇんだろうがこのクソ先公——!
——以上が、主人公としてこの物語を切り開いていく予定の少年——白々クイ。歳は一六である。
地毛だが染めてると勘違いされることもしばしばな茶色気味な髪。常に不機嫌そうだと見てとられることもしばしばな細目。——くらいしか特徴がない普通の高校一年生。
最も普通とは、際立った長所がないという意味で使っており――短所、マイナスの意味を含むのなら――
クイは普通ではない。
なにせ一年七組。クラス総勢四○名。その中でたった一人の。
——ぼっち。
だからだ。
もっと切り込んでいくと——本日の日付は九月一日。高校に入学してからもう五ヶ月。——も経ったが未だに友達と呼べる人物がいないことはおろか、クイ自身さえクラスメイトの苗字名前さえろくすっぽに覚えていない。
クラスに馴染む気すら皆無の——生粋のぼっちなのだ。
「はい。わかりません」
堂々ハキハキとした声量。その発言内容は気概がないことこの上ないのだが。
しかし実はこれ——この英語の教師に適応した最善手。どこの単語ですか——と馬鹿正直に言えばどうなるか。それは私はあなたの話を聞いていませんよ——と白状することと同意義。
幸いこの教師は「わからない」に対して深く追求するタイプではない。ならばここは、パスの意味を込めた「わからない」の一言で済ませた方が晒し上られる心配もなく自分のターンを切り上げられる。
「ったく。夏休み明けだからって気が抜けてるんじゃないのか。授業前の単語の予習は絶対やってこいよー。『transparent』の意味はな——」
知ったことか。
そう内心で毒づきながらクイは手を動かす。
単語の意味を書き留めるため? いいや、落書きだ。英語の教科書の登場人物——金髪アメリカ人のビルの頭上に吹き出しを書き込み「うっさいわ! 舐めとんちゃうぞボケェ!」と言わせていた。
不真面目極まりない。が、教師目線ではこの動きは先述した通り——単語を書き留めている生徒にしか見えないだろう。
無論、確信犯だ。
教師の特徴を理解し、そして騙している。まるで自分の手のひらの上で転がしているような感覚。ざまあみろ。
——と、自分の策略(笑)が狙い通りに遂行されたことにお喜びの哀れな男。右手拳で、そのほくそ笑んでいる口元を隠しながら。
なぜなのか。
なぜ彼がこうも屈折した性格を持ってしまったのか——その淵源には大したドラマを期待されても困ってしまう。
同じ中学の友達がいない高校。そんなクイにとってアウェーとなる地で、友達なんてしばらくすれば勝手に出来上がっていくものだろう——そう楽観視した結果。
クラスに生まれたのはクイを除いた仲良しグループだった。カーストの低い者たちですらその中でグループを作っていた。クイはそこにすら入れていない。ただそれだけのこと。
——中学時代に比べて人と話す機会は極端に減り、代わりに脳内での独り言は著しく増えた。
だが結果として、言論の自由の極地——心の中。そこでは何を言おうが許される。クイの脳内独り言は日に日にエスカレートし、ついには何に対しても悪態ばかりをつくようになった。
当然その過程で性根は曲がるに曲がり、性格は捻くれに捻くれた。
この話を聞いてみて——どうだろうか?
やっぱり、彼の屈折した性格の理由は——ただのそれだけのことである。
「——よーし! 少し早いがキリがいいからここで授業は終わりにするかぁ! じゃあお前ら、文化祭準備も頑張れよぉ。それとしばらく授業がないからって今日やったとこは大事だから忘れんなよぉ」
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文化祭。
高校生にとっての特大行事の一つ。クラス一丸となり共通の思い出を作るお祭り。みんながみんな楽しみにしている。それはこの活気のあるクラスの雰囲気で一目瞭然である。
そう、文化祭とは……青春製造イベントであり恋人量産イベントであり——
ぼっちの首を真綿で絞めるイベントでもある。それが二日後だ。
「くだらねぇ。文化祭だ謎解き迷路だ——やりたかねぇぞ俺は」
ドカッと重力に任せて床に座り込み、クイはあくまで小声で——文句をクラスに向けて吐く。
「成績も友達もない僕から、ついには唯一の居場所である机すら奪うとか。全員参加の行事ってのは想定よりキチーもんがあるな」
謎解き迷路——その催しの内容は関係ないので割愛させて頂くが——それは教室を使う催しなため、ひとまずはと机と椅子は廊下に出されている。
——正確には、今もまだ出している最中だ。
他の仕事でクラスメイトの半数が教室を去り、今クラス内の生徒数は二○人程度。その者たちに課せられた最初の仕事が机と椅子の移動だ。四○人分を二○人で——協力すれば五分と経たず終わる仕事だ。
……なら我関せずとばかりに床に座り、壁にもたれかかって楽をしているこの男は一体?
「ま、俺は何もサボりたいわけじゃないからな。やるべきことはやりますよ。振られた仕事もしっかりやるさ」
正解は——もう仕事終えている、だ。
いやいや机も椅子もまだ教室にはあるだろうと、だからまだ出している最中なのだろうと——言いたい人も多いだろう。
そう思った方は、クイと思考回路が少し違っている。
クラスには大体二〇人がいて、四〇人分の机と椅子を廊下に出すのなら、一人当たりに求められるのは二人分だ。
クイはいの一番に自分の席と最もドアに近い席を廊下に出していたのだ。一人当たりの話は、もちろん単純な計算上での話。例えその仕事が終わってもまだ教室に机があるのなら、持っていくのが当然かもしれない。
「なんで俺がそこまでしてやんなくちゃいけないんだ? 健気な性格を期待されても困る」
だがそれは——クイには関係ない。
全員が二人分をこなせば終わるのにまだあるというのなら、それは自分の責任ではない。それすら働いていない輩が悪い。
そして少なくとも二人分を出したのなら文句を言われる筋合いもない。もしかしたら人数の都合上三人分運ばなくちゃいけない人が出ることがあっても——絶対にその貧乏くじは引きたくない。
これがクイの思考回路。その考えに基づき、仕事が終わったクイ——堂々と床に座る。
——と解説している間に机も椅子もなくなり、教室の中はまさに殺風景となる。
「次は何をすればいいのかなー。是非とも手前に仕事を振ってくだされよー。この——ツマハジキ者によ」
先ほどからの、これらの発言は誰かに伝えようと思って発してる言葉ではない。クラス内にごった返す作業内容の説明やアイディアを出し合う声。この音に打ち消してもらえるほどの音量で話している。
理由は単純。聞かれたら大変だから。
しかしクイは強気な発言とは裏腹に、一切動こうとしない。自分から仕事を貰いにいくことはしない。
クラスメイトで協力するのが文化祭。その考えは持ってなお動かない。
——それはクイが自分の立ち位置を助っ人的なもので捉えているからだ。
——クイ自身、クラスの一員などと思ってないからだ。
「ここまで明確にハブられてんと吹っ切れて楽しくもなってくるわい。まあ折角の楽しい楽しい文化祭準備にわざわざ水を差し込もうとする奴なんかいないか。友達同士で話してる方が楽しいもんなぁ。——逆にこの俺に仕事を振れるような勇敢なクラスメイトは果たしているのだろうか。逃げも隠れもせん。俺は——いつなんどきでも、ここに座して待つ。話しかけられるというのなら話しかけてみろ!」
ってもはやどの目線なのか。
自分でツッコミを入れ、鼻で笑う。
だが——開き直れば独りでも惨めな状況を楽しめる。クイが高校生活序盤で気づき、そして支えられた教訓。
一年も経ってないが懐かしき中学生時代。友達付き合いに悪戦苦闘し、周りに合わせることで精一杯だった——あの頃の自分に教えてやりたい。
「見てなキョロ充。これがぼっちの役得だ」
クイの手に握られたスマホには一万円という額が入れられている。今日から文化祭当日も込みで四日間。その膨大な時間を潰すための最終兵器。一体何冊の電子書籍——漫画が読めるだろうか。
まだ買ってもいない。読むものを探す時間すら、今に使うべきだから。
最強の防具であり防音具であるイヤホンを装着。その効果はクラス内の不快な音を遮断。さらにはクイに声をかける難易度が跳ね上がるといったところだ。
自分の用意周到さ、それと思いの外楽しい時間になりそうなことが、クイの気分をあげさせる。またも口角が上がってしまうほどに。
では往こう。
俺の文化祭準備の開始だ——
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——そうだ。ここまでは、なんの問題もなかった。
時に。皆さんはものを紛失したとき——あるいは何か考え事をしていたのに忘れてしまったとき——いかにしてそれを探し出すだろうか。
手段は数多。人により異なり、一概に答えはない。
その中でひとつ、有効な手段を挙げるなら——
「このあと電子書籍は買ってもまずはダウンロードをしなきゃ読めない事実を忘れてた俺は……月の初めだってのに通信量をゴッソリ持っていかれてしまうのだった——」
チッ——と舌を鳴らす。今日のハイライトを思い返したことでイライラが再発していた。だがそれでもクイは今日の記憶を——さっきからずっと辿っていた。
忘れた事柄を探し出すのなら、事件の起こる前までの自分の行動を辿る。これに限る。
クイは今、事細かに、記憶を辿っていた。
大事な何かを——恐らく忘れている何かを思い出すために。
「そうだ。五時に解放されてからは駅前の古本屋に寄ったな。で、古本屋を出たのが八時頃ってのも覚えてる」
古本屋での立ち読みは、教室での座り読みより明らかに時間の進みが早いな、と店を出る時そう思った。間違いない。
「ならそのあと……駅らへんが問題だな。おかしかったこと。何かないか。——いやないはずはないんだよ。何かなきゃこんな状況になってるはずはねぇんだから」
こんな状況。
前。後。上。下。右。左。
こんな状況とは——その六面すべてが闇に覆われている状況のことだ。ここには風もなく音もない。歩いたところで景色は全く変わらない。広さも高さも何も分からない。怖い。
加えて怖いのは——何にも見えず、光なんてないはずなのに、自分の学ラン姿や背中にかけているリュック等の所持品だけははっきりと見えるということ。最近切るのを怠っていた爪までしっかりとだ。
ここでクイは床(かどうかはわからないが下の方)に手を当ててみる。
だが触覚からは何も読み取れない。温もりも冷たさもザラザラもツルツルも。そもそも本当に触れられているのかに疑問を持つほど。
わかったことは、自分の足より下には手が降りないことだけだ。
ただ漠然と感じるのは——得体の知れない恐怖。
だが何か特異な出来事がなければ、こんな状況にクイが置かれているのはおかしい。それを思い出さなくては。
「駅では——改札では何も。階段は——足を滑らせたら前の人と入れ替わるかなとか、過去や異世界に飛ばされたりするかなとか考えながら降りてたな。でもちゃんと一段一段気にて歩いてたし……何事もなく降りきった……はずだ」
記憶というのは基本——時間が経てば経つほど、過去のものであるほど曖昧になる。そこから考えると今回のケースは明らかに異質だった。
「で——えーっと。あれ? それから——電車に乗った……か? あれ昨日の記憶と混ざってるか? えっーとえぇ——」
これ以上。クイには記憶を追うことができなかった。
異質なのはまさにこのこと。今の状況に近づけば近づくほど記憶が曖昧なのだ。
気がつけば闇の中という状況はこうして作られたと考えていい。闇の中に陥るイベントがあると仮定したらその直前の事柄ほど——
「忘れてる……?」
記憶の欠如。
それは——今の自分を見失うことをなによりも忌み嫌う——クイにとって認めたくないもの。
しかし、自分の記憶を振り返り、自分の記憶が消えているかも知れない事実。
その結論に辿り着いたのもまた——自分の思考のおかげだ。見失ってなどいない。死んでなどいない。
「ん——死んで?」
背筋をゾクっと一閃。悪寒が走り抜ける。
「ないだろ——どうせな」
一度考えてしまったらもう頭に残り続けてしまう。恐怖に支配されてしまう。
が、無理やりに払拭しようとする。
「いつもの取り越し苦労だ。そんな——考えすぎだって」
クイは想像力豊かな心配性。常日頃をかも知れない運転で過ごす。そんな彼にとって取り越し苦労とは日常茶飯事なのだ。クイの心配が実を結んだことは一度もなく、すべて無駄に終わる。
だから今回もそうだ。
「確かに記憶が一番薄いのが駅だからって……それはないって——」
それって?
「俺が……で、電車に……ひっ——」
小刻みに身体を震わせる。
ホームまでしか記憶がないのなら、クイがどれだけ頭を振り絞っても、辿り着く答えはひとつだ。
「——取り越し苦労だっつっってんだろおおおお!!!」
もしそれを受け入れてしまえば、今はまだ存在するこの意識、思考、感情、記憶までもが——全身を包むこの大きな闇の中に溶けて消えてしまいそうに思える。
最大の恐怖。
己の死。
——クイには、その恐怖はとくに堪えてしまう。
「考えすぎんのは——よくない。取り敢えず、歩こう」
従来、一寸先は闇の状況で策もなく歩く行為は度胸試しのようなものだろう。
まだ目印にパンくずを落としていった少年少女の方が賢い。実際クイの頭にも、もしかしたらさっきの場所に戻る必要ができるかも——という思考は沸いた。が、クイは構わず歩いた。
とりあえず散歩がしたかった。
精神が危ういときだからこそ、自分を気遣えなくなったら終わりだ。気分転換——というわけではないが、それでも恐怖の支配から少しは抜け出せた。
今もなお、身体は震えているし、目は一足先に死んでいるが。
「大体、冥界の入り口がこんなオープンワールドでたまるかよ。行列とか、誘導とかあんだろ普通。閻魔様が最近のゲームに影響を受けてない限り、ここは死後の世界じゃない。うん、違う」
ゆっくりと気持ちが前向きになる。たとえ景色が一定でも、散歩とは効果があるものなのだ。
クイにとっては立ち止まって考えるよりも、歩きながら考える方が性に合っている。登下校、毎度欠かさず行っていたからだろう。
だが、ふと自分がこんな目に遭うんだと考えてしまった。
人には極力迷惑をかけないよう生きてきたつもりだ。ぼっちだからとかは関係なく、クイはできた人間でもなければ——できてない人間でもなかった。両親のおかげでもあるが——幼少期から今に至るまで、社会や空気が作ったルールを守り続けてきた。
その功績は数少ないクイの誇りだった。
なのに——
こんな罰が待ってるとは。
人はひとりでは生きていけないという言葉がある。あれは言葉ではなくルールなのだろうか?
ひとりで生きようと決心することはルール違反なのだろうか?
これはその罰なのだろうか?
ふざけるなよ。
「ってまた考え事してら。気分転換にイライラしてたらどうしようもねえよ。たく死ぬまで治らんクセだなこりゃ。でもまあいい——」
けど。
独り言が途切れる。足も止まる。クイは——ある方向を見たまま固まっている。
遥か先に見える。ように見える。わずかな灯りが存在した。
その大きさは五センチ四方ほどで、周囲は相変わらず何も見えない。そのせいで光の大きさも距離も遠近法によるものなのか分からない。
ただクイは瞬きを忘れていた目を一度擦り、また目を開けた頃には光が消えてるんじゃないかと一瞬心配したが、光は心配をよそに変わりなく構えていた。
ヒュウ。
無音の世界で、出来もしない口笛が吹かれた。
文字通りの希望の光。これを出口と言わずなんと呼ぶのだろうか。
「誕生日のロウソクと並ぶ感動的な光がこの世にあるとは——この世でいいんだよな? ってこの際関係ないか。行っていいよな。行くしかないよな」
五センチ四方の小さな光が、クイにとっては希望そのものに感じる。
考え過ぎる性格も、今回ばかりは怪しいだとか罠だとかの水を差すような危惧を自重した。率直に言えば、こんなところさっさとおさらばしたいのだ。
——走ろう。
おもむろに、つま先を交互に地面へ小突く。音も感覚もないが多分小突けている。
光を眺め、消えないよう祈りながらも落ち着くためにアキレス腱も伸ばした。もはや走れない理由も見つけられなくなった頃、覚悟は完全に決まった。
今更、これは罠かもと防衛本能が知らせてきたが、もうクイは止まらない。
——行くぞっ!!!
駆ける駆ける。
一切足音のならない不思議な地面を蹴って駆ける。
声も出さず、振り向かず、一心不乱に、捻くれた思慮も置いてきて——自分が走っている理由さえも曖昧になり、目的の光へ——
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——久しぶりに走ったが息はまったく切れなかった。光は決して近くではなかったが、終わってみれば辿り着くのはあっという間だと感じる。
クイは——光の先へ行くことができた。それは同時に、闇から脱したことを意味していた。
闇の外は真昼間だ。頭の上に位置する太陽はクイの髪にジリジリと熱を与えて、クイが小さな冒険から帰還したことを祝福するようだった。
気味の悪い地面はとうにアスファルト——ではなく石畳に変わっている。足先で地面をこするクイの顔はなんとも嬉しそうだった。見ようによっては気持ちが悪いとも言えるが。
背後からの音に反応するように振り向くとレンガでできたトンネルがあった。光の少ないトンネルの中はまさに闇。その中から出てきたのは仮面を被った馬と荷台だ。
蹄の音かと納得していたら周囲のざわめきにも目がいった。これまた珍しい、特徴的な耳や尻尾をした人が大勢歩いている。会話らしき声が広場のあっちこっちから流れ出る。
この広場で止まっているのは——クイだけのようだ。
ひとまず、闇の世界から抜け出せたことを重ねて安心しよう。
まずはそれだけでいい。死んでなかった。生きていた。日の下に戻ってきた。
それらを喜べるだけでいい。
だが残暑というやつか、九月なのにうだるような暑さだ。クイはすぐさま学ランを脱ぎ、再び周りを見渡しながら今回の冒険の総括を行う。
奇妙で不思議で——はた迷惑な世界だった。
しかし終わってみれば、そこで過ごしたこの体験で自分が変わった気がした。何かが——確実に。
そして変わるのを恐れていたはずの自分がそれを喜んでいる。生まれ変わったような——そんな気がした。
なぜなら、見渡しているこの世界の光景が、以前とまったく違った世界のように見えるから——
——————。
————違った世界のように?
「——ようにっていうより……明らかに違う世界だな……フフ……でもまぁ俺死亡説よりはマシっていうかなんていうか……とりあえずここは——」
どこなんだぁぁぁぁぁああああああああああ!!!!!
長い長い前置きの末、主人公——白々クイ、ようやく異世界上陸。
そんな彼の記念すべき第一声は、それはそれは大きな咆哮だった。