模擬戦
「勝算はあるのかアゲハ?」
「は? ある訳無いだろう」
クロハとセル、各々が簡易闘技場……と言ってもただ何も無い開けた広場だが、そこの端に立ち、準備運動をしている姿を眺めながらクロードが質問する……が、アゲハは軽い調子で返答する。至極当然の事を何故聞いているのかとクロードをバカにするように。
「なら……何故?」
「何故とは?」
「何故勝算の無い……無謀な試合を彼女に受けさせたのかと聞いている」
「あ〜待て待てクロード。勝算が無いとは言ったが、それはあくまでマトモにあいつと殴り合いをした時だ。さっきも言ったが、俺らがやるのは騙し討ち。バカ正直に正面から行くんじゃなく、横から、後ろから、奇襲を仕掛ける」
「奇襲……か。しかしセルには半端な攻撃だと、当てることすら出来ないぞ?」
「半端な攻撃……確かに威力は微妙かもな。クロハの腕を見てみろ」
アゲハはテントの中にあった木箱を二個積んで作った即席の椅子に腰掛けてから、クロハを……正確には彼女の腕を指差す。
クロードもアゲハの隣に木箱を積んで座ってから、アゲハが指差す先を見る。
クロハは腕や脚の柔軟を念入りに行っている。そのクロハに対峙しているセルは瞑想をして精神的な準備を行っている。
クロードはアゲハに言われたように、クロハの腕を目を凝らして見つめる。
「ん? あれは……」
「そうだ、あれだ。クロハがセルに一本取るなら、あれが重要なんだよ」
✣✣✣
両者準備が整い、十メートル程距離を開けて対峙する。
審判はクロードが務めるようだ。
周りが少し騒がしくなる。
どうやら訓練をしていた他の兵士たちが、何事かと見に集まってきていた。
「おい、あれってセル様か?」
「あ、ああ……確かにそうだ。しかし、相手は……?」
「おそらくあれだ。昨晩セル様が言っていた異世界の人間だろう。今まであんな娘は見た事が無い」
上官であるセルが模擬戦をするようである事を理解すると、更に闘技場の空気が盛り上がり始めた。
「両者共、準備は良いか?」
「ああ。いつでも始めてくれ」
クロードの確認に、セルは返事を返す。クロハもセルに同調し、首肯する。
「では……クロハがセルの持っている短木刀を奪い、地に落としたらクロハの勝利とする……が、制限時間は三分だ。その時間内、セルが短木刀を守り切れればセルの勝ち、というルールだ。言うまでも無いと思うが、場外に出たらその時点で負けだからな」
「分かっている。始めてくれ」
クロードの説明を聞き、早く始めてくれと急かしながら右手で木で作られている短刀をクルクルと器用に回す。クロハは依然、口を開くこと無く対戦相手を、セルを見つめている。
(勝てない……かな。これ)
クロハは内心でそう考えていた。しかし、やはり兄妹。考える事は一緒である。
(正面から素直に向かっていったら……ね。勝てるわけ無い)
(だからクロハ、お前ずっと袖の中にそんな物騒な物を仕込んでたんだろう?)
(時には負ける事も必要だけど、今はその時じゃあ無いし。勝ちたいな)
別に会話をしている訳では無い。テレパシーで話している訳でも無い。しかし、兄妹同士考える事が予想出来る。たとえ目を見合わせなくとも、だ。
出逢って、巡り会ってから十年間、共に過ごしてきたのだ。この位のことは容易いだろう。
クロハ一度大きく深呼吸する。
そして、クロードの声が闘技場全体に響いた。
「模擬戦、始めッ!」
✣✣✣
クロードのその掛け声によって、模擬戦が開始されるも、しかし始まりは静かだった。
セルは守りに徹しなければならないため、その場から動いてないのは致し方ないのかもしれないが、問題はクロハだった。
制限時間は三分。三分という短い時間で、いかに攻め、スピーディに決着をつけるかが重要なこのルールの模擬戦で、クロハはまず、軽くジャンプした。
まっすぐ、上に、ジャンプをした。
二回、三回、トーントーントーンっと。
周りはクロハ行っている異様な行動に首を捻るが、刹那、その疑問が消え去るほどの急展開を迎えた。
「--!?」
突然セルに向かって、ナイフが投擲される。
サバイバルナイフがそのまま小型化したようなナイフであり、斬れ味は抜群、人間に刺さりなどすれば、貫通はしなくとも致命傷を負わせることが出来るほどのナイフ。
クロハの右腕の、袖から突然飛び出てきたそれを、彼女は目で追うことなど出来ないほどのスピードで掴み、そしてセルへと向けて投擲したのである。
最初の意味の無いものに見えたジャンプの、三回目。着地したと同時にナイフを投擲した。
そのナイフを追うようにしてクロハはセルへともの凄いスピードで接近する。
(私がその右袖に潜ませていたナイフに、気づいてないとでも思ったかッ!)
セルは眼前に迫っていたナイフを己が持っている短木刀でたたき落とす。
短木刀だが、今、この一瞬でセルはこのナイフを付与魔法……エンチャントで強度を上げていた。いくら斬れ味が良いクロハのナイフと言えども、簡単に勢いを相殺する事は出来る。
しかしセルにとって予想外の出来事が次の瞬間に起こった。
二本目。
二本目のナイフが、迫り来るクロハの左の袖から出てきたのだ。
クロハは袖口から出てきたナイフをそのまま掴み、セルの喉元へとナイフを向けた。
クロハの左腕が速いスピードで伸ばされる。
「なっ!」
命の危機を感じ、セルは後ろに跳んで後退する。だが、間に合わない。
クロハは左手で持っていたナイフを、左手首のスナップだけで右手へと投げ、それを掴むと、左腕を元に戻す反動を使って再びナイフを投擲する。
再びセルの首元に……否、今度は狙いを外したのか顔面へと向かってナイフが飛ぶ。
(セルの腕を掴む? いや、蹴り飛ばす方が速いし確実ッ!)
クロハはすぐさま、短木刀があるセルの右手に鋭い回し蹴りを繰り出す。
(甘いなクロハッ!)
迫り来るナイフと、クロハの回し蹴りを避けるため、セルは即座に身を屈めた。
クロハの脚が空を切る。
その瞬間--クロハが無防備になった瞬間を、セルが見逃す筈が無い。
「--は?」
キュイーンッと、セルの右手から異音が発せられる。次の瞬間、クロハはただのパンチとは思えない程の衝撃を、左脇腹に感じた。
痛いとか、そんな甘っちょろいものでは無い。痛いとかそんな事を脳が認識するより前に、クロハの体躯は右に吹き飛ばされた。
「あっ」
セルのそんな間の抜けた声が遠ざかる。
(やばっ死--)
クロハは場外へと飛び、テントへと直撃する。中に収納されていた道具や木箱が大きな音を立てて崩れ、クロハはそこに叩きつけられた。
意識が遠ざかる--。
片目を薄く開いて最後に見えたのは、右手、そして腕の付け根まで幾何学的紋様が浮き出ているセルが、大慌てでこちらに駆け寄ってくる姿だった。
次回は早めに投稿出来るようにします。頑張ります。