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騎士候補生少女譚  作者: 柳生 劣情(文章)&春畑 晴燕(設定)
第十四章 親と娘
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煌めくアオ

 青色の照明が、室内を照らす。水を、ガラスを、泳ぐ魚たちを青く煌めかせ、非日常的な空間を形作る。

 その青く煌めく空間で、ヒメナは息を呑み、胸の鼓動を速める。

 ヒメナの胸の高鳴りの理由は、青く幻想的な場の雰囲気のみに非ず。想い人が隣にいて、この青い空間を共に歩いている時間を愛おく想うが故に、より強く激しく、その胸を脈打たせている。

 左隣を歩く想い人に、ヒメナは控えめに眼差しを向ける。

 黒髪を後ろに結って垂らした、蒼い瞳を持つ少女。

 恋人の、サヤ。

 ふたりが共に歩く場所は、エイリス地区立水族館の回廊。彼女たちの左右には、青い照明で照らされた水槽が配置され、数種類の魚が泳いでいる。

 エイリス地区立水族館は淡水魚専門の水族館であり、周囲に配置された水槽にはイワナ、ヤマメ、ニジマス等々の姿が見える。時には騎士学校の食卓にも並びうる川魚も、斯様な場所で見ると、どことなく端麗で、神秘的な印象を得てしまう。

「きれい……」

「うん、そうだね」

 ヒメナが素直な感想を口に出すと、隣にいるサヤは軽い調子で笑いかけた。その瞳の蒼が水族館内の色調と似付かわしく、サヤの顔立ちをより一層魅力的に感じてしまい、ヒメナの頬は自然と熱を帯びる。

「ヒメナちゃんが喜んでくれてるみたいで良かったよ」

 そう言って、サヤはへにゃりと柔らかく笑う。その笑顔には、どこか安心したような色が存在していた。

 エイリス地区立水族館はサヤがヒメナを誘って訪れた場所。自分が提案したデート場所に相手が好印象を持っていることを知り安堵したのであろうと、ヒメナは彼女の表情から感じ取った。

 その素直で飾り気の無いところが、ヒメナは愛おしく想ってしまう。

 彼女に恋をしたあの日も、彼女が自分を守ってくれたあの時も、サヤはきっと何の他意も無く、ただ純粋で率直な善意を以て自分を助けてくれたのだろうと思い至り、一層胸に喜びの情が湧く。

「あの、サヤさん、ありがとうございます。こんな素敵なところに、連れてきてくれて……」

 笑うサヤに対し、ヒメナは礼を返す。

 エイリス地区立水族館自体はヒメナが幼い頃から中心街に存在していたが、来館するのは今日が初めてだった。

 小さい頃は興味が無く両親に連れて行ってほしいとせがんだことは無く、最近は一度は行ってみたいと思ってはいたものの、生来の消極的な性格もあって実際に行くことが無かった水族館。

 初めて足を踏み入れたその場所は、青を基調とした光差す空間を泳ぐ魚が想像以上に美しく、幻想的で、左右に水槽が配された回廊を歩くだけでも息を呑ませ、ヒメナの心をときめかせる。

 来て良かったと、心から思えてしまう。

 そして、ヒメナがそう思うのはエイリス地区立水族館の館内デザインの妙に依るもののみに非ず。ヒメナの心を弾ませる最も大きい要因は初恋の相手であり恋人であるサヤが隣にいることであった。

 サヤと一緒であるからこそ、この景色がより美しく感じられる。サヤが隣にいるのであれば、どんな場所でも楽しめそうな気がしてくる。

「そかそか。ヒメナちゃんが気に入ってくれて嬉しいな。わたし、ここ好きだから……と言っても来るのは久しぶりなんだけど」

 そうサヤは照れ隠しするかのように右手でこめかみ付近を掻きながら言った。

「サヤさんは、前にも来たことがあるんですか?」

「そだよ。わたしが小さい頃に、お姉ちゃんが連れてきてくれたんだ」

 ヒメナの問いを受けて、サヤは――ヒメナの視点からでは――変わらない笑顔のままで言った。

「お姉ちゃんと来た時と、余り変わってないなあ」

 そう言うとサヤは足を止めて、懐かしむように左手側にある水槽を眺めた。

「サヤさんのお姉さん……」

 一緒に立ち止まり水槽を長めながらも、ヒメナはサヤの姉のことを想起していた。

 アヤノ・イフジ。天才剣士として名を馳せた有名人――ではあるのだが、王都か他地区に移り住んだのか、今は全くその名前を聞かない。

 いずれにしろ、自分の隣にいる恋人があの著名人の縁者であることを思い出すと、気弱なヒメナは心臓の鼓動が恋心とは別の理由で速まる気がしてくる。

 そんなヒメナの心境は露知らず、サヤはにへらと笑いながら尋ねる。

「そ言えばさ、ヒメナちゃんってひとりっ子?」

「は、はい。そうですけど……」

 ヒメナはサヤの問いを首肯する。姉がいるサヤとは違い、自分には兄弟姉妹がいない純然たるひとりっ子。

 その答えを受けると、サヤは悪戯っ子を思わせるような笑みをヒメナに向けた。

「あ、当たった! ヒメナちゃん、ぽいもんねー」

「あう……」

 彼女の悪戯な笑みにどことなくからかわれているような気がして、ヒメナは俯きながらやや不機嫌そうな声を漏らす。

 俯きながら、確か以前に、学舎の食事で嫌いな野菜をアーシャに食べてもらおうとした時、彼女にひとりっ子でしょとからかうように言われたことを思い出し、気恥ずかしさが蘇る。

 だがやはり、マイペースなサヤはヒメナの心境などは露知らずに――

「じゃ、そろそろ行こうか」

 不意にサヤは、右手でヒメナの左手を取り、繋ぐ。

「――――っ!?」

 左手にサヤの手の温もりを感じた瞬間、ヒメナの心臓は驚きとときめきで飛び跳ねそうになった。

 マイペースなサヤはヒメナの心境などは露知らずに、それどころか思い出し羞恥中のヒメナを更に混乱させるような行動に打って出る。

 しかしながら、サヤはやはり一切気に留めることは無く、暢気に笑いながら言った。

「恋人同士って、やっぱり手を繋ぐものなんだよね?」

 恋人同士。手を繋ぐ。手が温かい。サヤさんの笑う顔。顔が良い。煌めく青い水槽――

「あ、あうう、あう、サ、ヤ、さん……?」

「ん?」

 キャパオーバーして明らかにしどろもどろし始めたヒメナの姿を見て、ようやくサヤが彼女の動揺に気付くと、少しばかり訝しがるように尋ねた。

「ありゃあ……もしかして嫌だった?」

「あうぅ……い、いえ、そ、そんなこと、ない、で、す……! む、むしろ……」

 ヒメナは否定するために頭を振る。

 嫌なわけがない。恋人に手を繋がれて嫌なわけがないい。

 嬉しい。嬉しい。とても嬉しい。ドキドキする。昂ぶる。顔が熱い。お腹が熱い。

 けど、急に手を繋がれると、心臓が激しく動きすぎて持たない――

「なら良かった。あはは、こうやって誰かと手を繋ぐのも久しぶりだなあ……じゃ、このまま手を繋いで行こう?」

「あ、あううぅ……」

 サヤの提案を首肯するために首を下に向けるが、気恥ずかしさのためそのまま上げること叶わず。サヤと手を繋ぎながらというよりも手を引かれて歩きながら、ヒメナは顔から火が吹き出るかと思うほど、頬が、耳が、熱くなっていった。


    *


 エイリス地区立水族館は二階建てであり、一階は常設展示が行われ、二階は期間限定の特別展示が入れ替わり行われている。

 サヤとヒメナは手を繋いだまま一階の常設展示を一回りし終え、二階へと登り特別展示室へと移っていた。

 一階の回廊に配置されたものよりも遙かに大きい、見上げるほど高い水槽の中にはクラゲ、クラゲ、クラゲ――大小多くの白いクラゲが、青く照らされた水槽の中をぷかぷかと漂う。

 サヤとヒメナが訪れた今日この日の特別展示はクラゲ展。

「すごい……!」

 一際大きな水槽の中を漂うクラゲを前にして、ヒメナは声を漏らす。

 その左手は、サヤの右手に繋がれたまま。

 臆病で気弱なヒメナも、常設展示を見終えるまでずっと繋いだままのサヤの手に慣れ、色素の薄い頬肌をやや薄ピンクに彩る程度にまで落ち着いていた。

 むしろ、今のヒメナの最も色味が強い場所は、輝く薄青の瞳。

 まさかクラゲが見られるなんて――そんな感慨が、ヒメナの内にあった。

「最近人気あるんだってね、クラゲ」

「はい、そうなんです! クラゲ、人気あるんです!」

 軽めのサヤの言葉とは対照的に、ヒメナは先ほどまでの気弱さから一変、力強く首肯する。

 クラゲ。クラゲ。憧れのクラゲ。一度は見てみたいと思っていたクラゲ。

 サヤの言葉通り、現在、大陸全土で一種のクラゲブームが巻き起こっていた。

 そのクラゲブームの火付け役は、現在、大陸で最も名高き流浪の大文豪アキヒロ・ムシャノコウジ。

 数ヶ月前に上梓した最新作の恋愛小説にて、主人公の少女達が水族館で一緒にクラゲを見る場面が、作中で極めて重要なシーンかつ、アキヒロ・ムシャノコウジ特有の流麗な文体と表現技法が惜しげも無く施されたことから数多の読者の心を強く打ち、大陸全土を席巻するクラゲブームを発生させたという。

 そのアキヒロ・ムシャノコウジの威光はレゼ国にも及んでおり、かの小説は身分問わず広く愛読されており、王都の貴族や上士たちの間では他国同様にクラゲの観賞が大流行しているという。

 無論、ヒメナもアキヒロ・ムシャノコウジの最新作は読了しており、深い感動体験味わった。

 それ故に、あの小説と同じクラゲを、しかも小説の主人公と同じように恋人と一緒に見ることができるというのは、作品の追体験をしているような気分になる。

「そうなんだ。本当にクラゲが人気あるんだねえ」

 だが、ヒメナの熱心さに対して、サヤはクラゲ自体にはそれほど関心が無いように見えた。 

「あの……サヤさんは、ムシャノコウジ先生の最新刊は読んだことありますか……?」

「ううん、読んでないよ。アキヒロ・ムシャノコウジの名前くらいは知ってるけど一冊も読んだことないし」

 そうサヤは苦笑しながら言った。

「あう……そう……ですか……」

 サヤの反応に、ヒメナは目を伏せながら呟くように言った。

 自分には恋愛小説を追体験しているようなときめきや喜びがあるのに、恋人であるサヤは全く違う。

 同じ体験をしたかったのに。同じ気持ちになりたかったのに――興が削がれたような気持ちになってしまう。

 最初に喜びがあったが故こそ、ヒメナの心中をどんよりとしたものが急速に覆っていった。

 そしてやはり、サヤは相変わらずのマイペース。ヒメナの心境変化を全く気付くことは無く、にへらと柔らかく笑いながら続けた。

「ま、でもヒメナちゃんが喜んでくれるのなら、わたしとしては嬉しいかな? いやー、イト様々だね」

「イト……?」

「あ、イトってのは友達。知ってるよね? 中央総合演習で総大将役してたし」

「え、あ、はい……」

 イト・ヤマノイ。名前は知っている。サヤの言の通り中央総合演習の総大将役で、直接言葉を交わしたことはないが、姿は見たことはある――尤も、イトが極東系の容貌をしていることと、胸が大きかったのが印象に残っている程度であるが。

「イトにヒメナちゃんとのデート場所の相談をしていて、色々と雑誌を貸してくれたんだよね。で、それを読んでここを選んだんだ。イトから借りた雑誌無ければ、絶対ここ行こうって思わなかったしね。あはは」

「そう、だったんですね……」

 事も無げに言うサヤに対するヒメナの口調は、意識せずとも少しばかり不満げなものになっていた。

 自分と一緒にいるのに友人とは言えど他の女の子のことを笑って話すサヤに対し、ヒメナは僅かばかり燻るような感情を抱いていた。


(続)

次回:2023年8月中(予定)


今度こそ執筆再開します。

また、再開にあたり一部設定の変更を行います。

変更箇所:カティの髪色

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