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騎士候補生少女譚  作者: 柳生 劣情(文章)&春畑 晴燕(設定)
第十一章 鳥は堕ちた
55/71

雨夜の対峙

 ワタシは同性が、女の人が好きだった。

 その自覚を持ったのは、おそらくは十五の頃だっただろう。高等騎士学校に入る頃。

 この年頃の騎士階級の少女は、ワタシに限らず自分の同性に対する愛慕を自覚する者が多くある。

 共に机を並べ、汗を流し、寝食を共にする。昼も夜も、ずっと同性と共に過ごす日々。

 この女だけの濃密な環境の中で、多感な年代である騎士候補生の少女が、同性間で親密な関係を結ぶことは当然の帰結と言えるかもしれない。

 女神様と聖女様が恋愛関係にあった聖典の記述に基づき、女性同士の結びつきを賛美するリズレア教がレゼの国家的宗教であったことも、そういった気風を醸成しているのだろう。

 だけど――女神様は、残酷だった。

 女性同士が愛し、結びつくことができる世界の中に生まれたにも関わらず、ワタシは同性を愛することを許されない人間だった。

 ワタシが生まれた家は、魔術師の家。直系血族に家法の魔術を脈々と受け継いでいくことを第一の使命とし、血を分けた子孫を残すことが絶対的な義務となる魔術師の家。

 だから、女同士で親密な関係を築いていた同輩達と違い、ワタシはそれを行うことが許されなかった。同性に心惹かれてしまうことを口に出すことすら、憚られた。

 だからワタシは、同性を愛してはいけない魔術師としての責務という鳥籠に、同性に心惹かれ、情欲を覚える心を閉じ込めた。

 同性に対する欲求を押し止め、漏れ出ないように、笑って何も感じていないかのように振る舞い続けて、この女だけの時間をやり過ごそうとした。

 それでもワタシは、表面上は幾ら誤魔化そうとも、魔術師としての義務と個人としての願いの矛盾を抱き続け、懊悩し、苦悩し、苦慮し続け、歪み続けていった。

 そして、最も厄介なのは、そんなワタシの心境を彼女たちが全く知らないということ。

 昼に騎士候補生として教練に望む彼女達も、夜にはひとりの少女としてしどけない姿を見せるのは日常であった。

 制服から私服に着替えた彼女たちは、無自覚で、無防備で、その肌を、肢体を、惜しげも無く露出する。時には人前であることを憚らず睦み合い、夜には閉じられた扉の先の私室から淫靡な声を漏らす。

 彼女たちはワタシの悩みを露知らず日常を謳歌して、同性を愛することが許されず、自分の嗜好を押し止めようとするワタシの欲望を刺激し続け、理性を破壊しようとする。

 そんな学校生活に耐えられなかったワタシは、同性を愛してはいけないという鳥籠の扉がいつしか外れてしまい、無自覚な彼女たちの姿を眺め、愛で、自分を慰めるようになっていた。

 そして、ワタシは自覚した。ワタシは特に、彼女たちの脚に情欲を覚えることを。

 ワタシは彼女たちの脚が、大好きだった。ワタシは彼女たちの脚が、堪らなく好きだった。ワタシは彼女たちの脚に、常に心惹かれていた。

 気を抜くと、ずっとずっと、彼女たちの脚ばかりを眺めてしまうようになっていた。

 それは、とても美しくて。とても綺麗で。とても艶やかで。とても淫靡で。

 それを手にすることをワタシはずっと憧れていて。

 いつしか夢想するようになった。

 ワタシは同性と結ばれることは許されないけれども、せめて、ワタシを狂わせる彼女たちの脚に、脚だけに、むしゃぶり、集め、ほしいままにし、弄びたい。

 そんな夢を見ながら、ワタシは自分を慰め続けた。

 それでもワタシの欲望は、加速し続ける。

 好きで。好きで。好きで。

 ずっと欲しくて、欲しくて、欲しくて、欲しくて、欲しくて。

 時を経るごとに欲望が肥大化していった。

 ただ眺め、妄想して、自分で慰めるだけでは抑えることができなくなっていった。

 ワタシの情欲を刺激する脚であれば、それは誰でも構わないと思うようになっていた。騎士でも、平民でも――無登録民でも。

 無登録民。人であって人に非ざる存在。レゼの国民として、人間として認められていない以上、無登録民に何をしても許される。そう、ワタシが、ワタシのしたいように、ワタシの持つ欲望を自由にぶつけても、許される。

 脚だけにして、むしゃぶり、ほしいままにし、弄んでも許される。

 だからワタシは、騎士学校卒業後は無登録街の管理を行う近衛騎士団警察局に職を得た。入って早々、ワタシは幸運にも無登録街の管理担当を行う治安維持部に配属された。

 そして、ワタシは――自分だけの脚を、集めることにした。

 治安維持部の騎士であれば、無登録街への出入りは自由にできる。

 ワタシは自分の立場を利用して、気に入った容姿をした無登録民を、時には屋敷に連れ帰り、時には無登録街でそのまま、彼女たちの脚を舐め、頬ずりし、甘噛みし、指をしゃぶり――最後には、脚だけにした。気に入った脚を持つ女を殺して、一方を堪能するまで貪り、もう片方は屋敷で保存して、気の赴くまま幾度も愛でる。

 充実した日々だった。騎士候補生時代に果たせなかった欲望を、満たしていく日々。失われた少女時代を、取り戻すかのような充足感。

 警察局への奉職に前後して両親が没し、使用人達も追い出して屋敷にはワタシひとりだけなので何の気兼ねもなく脚を集めることができる。

 楽しい――だが、そんな時間は永遠に続かなかった。

 警察局へ出仕して五年目、ワタシは治安維持部から異動となり、無登録街への自由往来ができなくなった。

 無登録街管理は年々厳格化しており、例えかつての治安維持部在籍者であっても、別部署所属者は公的手続なくして出入りが不可能となった。

 以前のように、無登録民の女の脚を好きなだけ愛でることができなくなったワタシが行き着いた先は、売春宿だった。

 無登録街管理と同様に、売春取締も年々厳罰化している。それに比例して、売春に対する隠匿化も進んでいることは、元治安維持部のワタシにとっては常識的な知識であった。

 仮に、無登録民の女と同じように、脚を自分のモノにするために娼婦を殺したとしても、売春業者側は絶対にそのことを訴えないだろう。捜査は間違いなく難航する。

 更に、娼婦の出自は無登録民から平民、貴族、騎士と種々様々であり、無登録民以外の脚を堪能できるという魅力もあった。

 だが、無登録民と違って、平民や騎士を殺すことは罪になる。犯罪行為である売春に従事する娼婦といえどもそれは変わらない。その上、ワタシは警察局の騎士。もし、ワタシの行為が露見した場合は、間違いなくワタシの命はないだろう。

 だけど、ワタシは自分の欲望に抑えがつかなくなっていた。一度抑圧から解き放たれたワタシは、騎士候補生の頃と同じように我慢することなど耐えられなかった。

 もはやワタシには、自分を止める手立てを持つことができなかった。それほどまで、脚が欲しかった。

 だから、ワタシは――


    *


 闇色の空は雲に覆われ、月が隠れて雨も降る。陰鬱な、夜だった。

 警察局本営よりさほど距離もない、南東に位置する静かな街路をナルミは右手に傘を差しながら歩く。

 街路、と言っても住宅街から離れた場所。周囲は明かりも見えずに人の気配がない荒ら屋に、稼働していないであろう朽ちかけた工場。手入れのされてない雑草が伸び放題の空き地に、虫の声が仄か聞こえる雑木林。そして、雨露の匂いにほんの僅かばかり混ざる何かの臭い。

 宵中の明かりは古びた街灯のみで、ナルミの住んでいる商業区よりもずっと闇が濃い。

 王都市街とは思えないほどの寂れ方をしたこの場所は薄気味悪く、不快な印象を抱かざるを得なかった。

 そして、空気が恐ろしく冷たい場所だった。雨が降っているとはいえど、夏の夜とは思えない冷たい空気。

 丈短のスカートから露出した脚は、日常ではロングスカートやズボンで空気に晒していないことを差し引いても、身震いするほどの寒さをナルミは感じとっていた。

(うう、寒い……上着、着ておいて良かったぁ……)

 脚から感じる寒々しさに辟易しながら、ナルミは心内で呟く。そして、左手で上から羽織っていたジャケットの左胸部分に触れると、そこには確かな形と重みがあった。

 ナルミが着ている上着の左内ポケットには、果物ナイフほどの短刀がお守り代わりに入れられている。

 “共鳴刀(きょうめいとう)”という名の魔術道具で、あの人がわたしのために作ってくれたもので――

「変わったところだと思いませぬか、この場所?」

「えっ!? あの、それは……」

 不意に、隣を歩く客に声を掛けられてナルミは口籠もる。

 細身の身体にしたしなやかさを感じさせる手足、無造作に伸ばされた銀髪の女性。

 客は目を細めてナルミに笑顔を向けていたが、その表情はこの場所に対して悪印象を抱いていることを見透かしているようにも見えた。 

「いえ、ナルミさんがそう思って無理もありませぬ。我が家路ながらも、ワタシも薄気味悪いなと思いますので。アハハ!」

 そう客はからからと笑った。

 自分が今、この寂れた道を歩いているのは、隣にいる彼女の意向に依るものだった。

 ナルミにとっての初めての客は、躰を売る場所を伯父が関わっている売春宿ではなく、彼女の自宅を指定していた。故にナルミは今こうやって、客と共に夜道を歩いている。

「実はこのあたり一帯はワタシの家の土地でしてね。ヤマノイ家没落の折に先代が格安で買い取ったのです。まあ、その後に先代が死んで、ワタシも全く手を入れられずにこの有様なのですよ」

 客の話を聞いて周囲の人気の無い景色に合点が行くと同時に、一般平民であるナルミは客の裕福さを感じ入った。

 彼女は騎士。それも近衛騎士団警察局に奉職している騎士。

 服装も警察局制服を纏っている。あの人と同じ、警察局の制服。だけど、下衣は常にズボン姿のあの人とは異なりスカートを履いていて、その左腰には、大きな鍔のサーベルを挿していたあの人とは異なる極東風の剣があった。

「…………」

 ナルミの顔が、自然と曇る。胸に忍ばせている“共鳴刀”が、やけに重く感じる。

 何をしても、それが客の姿を見ることでも、あの人の顔が浮かんでくる。

 いつもわたしを気に掛けてくれていた、優しくて、格好良くて、それでいて可愛らしい人。わざわざ魔術道具を作ってくれるほど、わたしのことを心配して、思い遣ってくれる人。

 わたしの、大好きな人。

 大切なお店を守るために、躰を売ることを決めたはずなのに、あの人の顔を瞼から拭えずにいる。

 あの人のことを、ずっと心に留めたまま、わたしはこれから隣にいる彼女に抱かれる――そう思うと、胸が締め付けられるように痛い。

 本当に、これで良かったのか。そんな思いが、ナルミの胸中に顔を出す。だって、客と待ち合わせをしていた時に、心内であの人に助けを求めてしまうほど、わたしは、彼女を、リノさんのことを――

「あっ、見えてきましてね。あそこです、あの屋敷が、ワタシの家です」

 ナルミが逡巡する中で、隣を歩く客が傘を持っていない右手で指し示した。

 その先の宵闇には、僅かな街灯の光によって屋敷の影が浮き彫りとなっていた。長方形の中心に、ドーム屋根の小塔が聳えるシルエット。

 まるで、それは鳥籠のように見えて――ぞくりと、ナルミの全身に強い寒気が走った。

 周囲の空気が、針のように全身を刺すが如き寒気。

 何故か客の住まう屋敷を目にすると、身体が震えそうになる。得も知れぬ恐ろしさが湧いてくる。

 そちらの方へと歩みを進めるごとに、雨に混じる何かの臭いが、肉が腐敗したような臭いが強まっていくように感じる。

 行きたくない。あの場所に、行ってはダメ――そう本能が告げるのと時を同じくして、雨音と二人分の足音に混ざって、後ろから誰かの声がナルミの耳に届く。

(え……?)

 その声を聞いて、ナルミは立ち止まる。

 それは、ナルミのよく知る人の声だった。それは、ナルミが最も求めている人の声だった。

「おや、どうしましたか?」

 急に立ち止まったナルミに対し、客は訝しむように声を掛ける。しかし、ナルミは答えずに後ろを振り返る。

 ナルミの視界に、こちらに駆けてくる人影が捉えられる。

「ナルミさん――!」

 その人影が、自分を呼ぶのをはっきりと聞いた。

 街路の光がその人影が、細身の長身で髪を一房に束ねて胸元に流した女性だと、恋しい人であることを、傘も差さずに雨夜を走るリノの姿だと知らしめる。

「リノ、さん……?」

 リノの存在を認識した瞬間、心臓がとくんと動くのをナルミは感じた。今の自分が置かれている状況を忘れて、胸が高鳴っていることを自覚した。

 リノさんが、来てくれた。助けてほしいと願った人が、来てくれた。

 この場所に対する不快感も、刺すような悪寒も、得体の知れない恐怖心も、全てが消え去り、ただリノが自分のもとに来てくれていることに対する喜びがナルミの胸中に満たされた。

 リノさんに、会いたい。もう、自分の愚かな行いを知られてもいい。誰にも告げられなかった苦しみを、リノに吐露したい。

「リノさん!」

 感極まったナルミは傘を放り出して、リノの元へと駆けようとする。しかし――

「――きゃ!?」

 ナルミはリノの元に向かう能わず。後ろ髪を掴まれて力尽くで引っ張られると同時に、膝の裏を蹴られて姿勢を崩す。

「おや、もしかしてリノさんに気付かれてしまいましたか。困りましたね」

 客の声。その声は、先ほどナルミと一緒に歩いていた時から変わらず軽い調子であったが、淡々とした冷たさがあった。


    *


 夜雨の中、リノは拳銃を構えていた。

 リノの向けた銃口の先にはふたりの女がいた。

 一人は、ナルミ。後ろ髪を掴まれ膝を屈し、その喉元には刃が突き付けられている。

「ナルミさんを……彼女を、離しなさい――」

 リノは峻厳な声で、銃を向けたもう一人の相手に言った。

 ナルミを捕らえている女。その顔には、見覚えがあった。馴染みがあった。信じがたいという感覚があった。

 だが、自分が常日頃見てきたのと同じ笑顔が、銃を向けた先にあることは否定しがたい事実であった。

「――マラコーダさん……!」

 リノが銃を向けている相手、即ち、ナルミを捕らえて刃を向けている相手は、ガラテア・マラコーダ。

 近衛騎士団警察局刑事部所属の騎士。同じ強行第四班のメンバーであり、今年から一緒に組んでいた相手。

 その彼女が、左手でナルミの髪を掴み、右手に持つ刀を首に向けていた。

「アハハ! 離すわけないじゃないですか、リノさん! そんなことしたらワタシの身の破滅ですよ!」

「悪ふざけはやめなさい!」

 哄笑するガラテアに対し、リノは声に怒りを滲ませて応える。

 ガラテアが何故、ナルミを人質に取るかのような真似をしているのか、リノには理解しがたかった。

 ナルミに渡した“共鳴刀”が作動し、彼女が助けを求めていることを知り、無我夢中でこの場所に来た。そして、辿り着いた場所にいたのが、ガラテア。

 “共鳴刀”が反応した時、ナルミが何かしらの犯罪に巻き込まれた可能性は考えることができたが、彼女と一緒にいた人物がガラテアなのは予想だにせず、それに加えてガラテアがナルミに刃を向けるなどとは全く以てリノの理解の範疇にある状況であった。

「なぜ、このようなことを……」

 訳がわからないという正直な心情をリノが零すと、ガラテアが首を傾げながら言った。

「……もしかして、リノさん、気付いていないのですか?」

「気付いて、いない……?」

 ガラテアの言葉を受けて、リノは思考する。

 “気付いていない”という言葉――つまり、ガラテアにはリノが気付くべき何かがある。

 自分はナルミに渡した“共鳴刀”の反応に導かれてこの場所に来た。“共鳴刀”をナルミに渡したのは、彼女が危険な目に遭った時に助けられるようにするため。例えば、今自分が捜査している“脚食(あしは)みジャック”のような存在に――その言葉に思考が行き着いた瞬間、リノの脳内で繋がりが生まれた。

「マラコーダさん、もしかして、あなたが……」

 “脚食みジャック”。治安維持部の警邏計画を熟知しているかのように動く、売春婦をばかりを狙った殺人者。

 警邏計画資料はガラテア経由で入手できたもの。自分たちが今まで気付かなかった被害者の共通点を発見できた売春捜査資料は、年若い治安維持部の騎士曰くガラテアが取り寄せたもの。

 その上、彼女自身が“脚食みジャック”事件の捜査官――“脚食みジャック”に関わる治安維持部と刑事部の資料全てにアクセスできる存在であった。

 そして、現に今、ガラテアは“脚食みジャック”が狙ってきた若い女性に、ナルミに刃を向けている。もしかしたら、他の被害者と同じように売春に関与していたかもしれない、ナルミに――

「“脚食みジャック”、なのですか……?」

「正解です! その通りです! ワタシが“脚食みジャック”です!」

 リノの答えを、ガラテアは愉快そうに肯定する。その口調は大袈裟で芝居掛かっており、リノを嘲笑うかの如き態度で、ガラテアは続ける。

「ですが、それにたった今気付いたばかりのリノさんが、どうして今宵はワタシのところに?」

「……偶然です。私がここにいるのは、ナルミさんに渡していた“共鳴刀”の反応を辿って来たからよ」

「アハハ、なるほど! ならば、ナルミさんを人質にしたのはワタシの早合点でしたね」

「ううっ……!」

 ガラテアは苦笑しながら左手を少し上にすると、ナルミの顔が髪を引っ張られた痛みで歪み、呻く。

「ナルミさん! くっ……!」

 リノはガラテアを睨み、歯噛みする。

 拳銃こそ構えているが、自分とガラテアは膠着状態。自分が引き金を引くような素振りを見せれば、ガラテアがナルミの首を刀で突くことは容易に想像できる。

 ガラテアが隙を見せれば即座に発砲して彼女を制圧しにかかるのであるが、彼女はリノをじっと見据えており、油断なく一挙一動を見定めている様子。

 下手に動けば、即座にナルミを突き刺すだろう。隙がない。何か、突発的なことが起こり、ガラテアが気を取られれば、或いは――

「まあ、いずれにしろ、娼婦と一緒にいるところを見られたら、こうするしかありませぬ。リノさん、この場所に来たご自身の間の悪さを――」

「うわああああああ!!」

 ガラテアがリノに対し語りかける中で、ナルミが突如大声を発した。突然の絶叫に、リノもガラテアも驚きナルミに目を向ける。

 ナルミの右手には“共鳴刀”があった。ナルミがずっと上着の内ポケットに忍ばせていた、リノからの贈り物。

 ガラテアがリノの行動を注視する隙に、ナルミは“共鳴刀”を取り出していた。そして。

「くうっ!」

 ガラテアの顔が歪む。ナルミは後ろ髪を掴んでいたガラテアの左手を“共鳴刀”で切りつけていた。

 魔術用であるが故に“共鳴刀”は普通の短刀より切れ味は鈍く、ナルミの反撃はガラテアの手の皮膚を少しばかり裂くに留めたが、不意打ち的な痛みによってガラテアは怯み、思わず掴んでいたナルミの髪を離す。

 それはリノにとっては、ナルミが作り出してくれた千載一遇の好機――リノは拳銃の引き金を引いた。

「ぐああっ!!」

 発砲。銃声。ガラテアの苦悶めいた声。リノの放った弾丸はガラテアの右肩に命中し、彼女の肩と二の腕が凍結する。

 リノが発砲したのは、魔術を込めた弾丸を射出する魔法銃。殺傷よりも制圧を重視した刑事部官給品。リノがガラテアに放ったのは、被弾箇所を凍結させて動きを止める氷魔法の弾丸。

 凍結された右手は自由を失い、ガラテアは刀を取り落とす。銃撃の痛みでよろめき、膝をつく。もはや、髪を掴んだ手も、突き付けられた切っ先もなく、ナルミは解放されていた。

「ナルミさん、走って!」

「はい、リノさん……!」

 リノは拳銃をホルスターに収めてナルミの元へ駆ける。ナルミもまた、リノの元へと走る。

 駆ける。走る。駆ける。走る。駆ける。脚がもつれて、転ぶ。駆ける。起き上がり、手を伸ばし、そして、ふたりの手と手が触れあい、リノはナルミを引き寄せ、抱き留める。

 冷たい雨夜の中に感じる、確かな温もり。

「ナルミさん、怪我は?」

「さっき転んだだけで、多分、大丈夫です、リノさん! けど――」

 リノに抱き留められたままナルミは後ろを振り向き、リノもナルミと同じ方向に目を向ける。

 その先には、ガラテア。おそらく火炎魔術か何かで溶かしたのだろう、右肩と右腕の凍結は既に解除されており、刀を持っていた。

 だが、銃撃による痛みは残っているようで、左手で右肩を庇うように押さえている。

「くっ……アハハ、やってくれましたね……!」

 笑い狂っているような、怒り狂っているような、獣めいた歪な顔をガラテアはリノに向けていた。

 ガラテアが武器を持って立ち上がるのを認めたリノは、ナルミを背後に下がらせながら毅然と見据え、サーベルを抜いた。

「ナルミさん、下がっていてください。“脚食みジャック”を、制圧します」


   *


 雨夜の中、剣撃の音が交じる。

 古びた街灯のみが光源の夜闇の中で、騎士と殺人鬼がお互いの刃を疾駆させる。

 警察局騎士リノ・アケローン。“脚食みジャック”ガラテア・マラコーダ。

「アアアアッ!!」

「っ……!」

 ガラテアは咆哮しながら打刀を振り回し、それをリノはサーベルで危なげなく捌き、逸らす。

(防ぐ()()なら、私でも問題ないわね……だけど……)

 商人の家出身のリノは、剣術は騎士学校時代の術式科教練で身に付けた程度で、評価も中程度。だが、ガラテアの剣はそれ以下だった。

 太刀筋は直線的かつ大振り。右肩に魔術弾を受けたことも相まってか、剣速も遅く見切りやすい。ガラテアは魔術師であり、剣術の心得はおそらくないのだろう。

 防ぐには難は無い。しかし――

(女神様、どうかリノさんのご加護を……!)

 リノのすぐ後ろには、ナルミ。地べたに腰を落とした体勢で、戦うリノの姿を見つめながら一心に祈っていた。

 自分がガラテアを制圧している間に、ナルミには逃げてもらうつもりでいたが、それは叶わなかった。人質に取られた時にガラテアに両脚を蹴られていたことに加えて、自分の元へ走った時に転んだことでナルミは脚を挫いていて、動けなくなっていた。

(……何としてでも、ナルミさんを守らなければ……!)

 ガラテアの剣を防ぐには難は無い。しかし、ナルミを守ると同時にガラテアを制圧することはリノにとっては困難な任務だった。

 攻撃に転じようとするなどリノが少しでも隙を見せようものなら、ガラテアはナルミの方に刃を向ける素振りを見せる。ナルミにガラテアの刃が向けられたら、脚を挫いた彼女は避けることなどできないだろう。下手に攻め込むことはできない。

 セリアのような腕利きの剣士であれば、ナルミを守りながら剣力のないガラテアを制圧するのは容易なことだろう。だが、凡庸な剣力しかないリノにとっては容易な話ではない。

「ぬっ……はぁ!」

「うぐっ!」

 振るわれる刃をリノは弾き、ガラテアは距離を取る。

「ハァ、ハァ……やりますね、リノさん」

 ガラテアは息を乱しながら、両手で打刀を構える。濡れた刀身から、ぽたぽたと雫が止めどなく滴り落ちる。

 ガラテアに合わせるかのように、リノもまたサーベルを構え直す。

(疲弊しているみたいね。攻め時、かしら……えっ!?)

 リノは絶句する。

 自身が持つサーベルの刀身が、所々赤茶色くなっていた。それはまるで、腐食して錆びたかのような姿。

「アハハ……もうそろそろ、ですね?」

 リノの困惑に気付いたガラテアは、挑発するかのように笑いながら告げる。

酸刀(さんとう)青州(せいしゅう)”……刀身から酸を発して相手の刃を腐食させるように、ワタシが加工した魔術刀です」

「酸……!?」

「“青州”は切り結んでいる内に、相手の剣を腐らせて折るための刀なのですよ。こんな風に、ね……!」

 ガラテアは飛びかかりながら、横一文字に“青州”を振るった。

「くっ、この程度!」

 ガラテアの攻撃を、リノはサーベルで受けて防ぎ――腐食部分に“青州”がぶつかり、折れる。腐食したサーベルの刀身が地面に落ち、ガラテアの刃を防ぐ術をリノは失う。

「しまった……!? きゃっ!?」

 サーベルを折られて動揺したリノをガラテアは蹴り飛ばし、尻餅をつかせた。無防備になったリノを見下ろしながら、ガラテアが笑う。

「アハハハハハ! お覚悟を、リノさん!」

 ガラテアが“青州”を振り上げ、リノの脳天目がけて刃を走らせようとする。今から拳銃を取り出して撃つことは能わず、他に武装もなく。

「リ、リノさん!! いやあああ!!」

 サーベルを失ったリノの危機的状況に、ナルミが悲痛な叫びをあげた。

「大丈夫です、ナルミさんもいずれ同じ場所に送ってあげましょう! じっくりと、おふたりの脚を堪能した後に、ですが! アハハハハハハ!」

 ナルミの叫びが胸に突き刺さる。ガラテアの勝ち誇った哄笑が耳に谺する。

 身体が凍り付く。間近に迫る死を意識する。妹の姿が脳裏を過ぎる。

(ナルミさん……リナ……ごめんなさい――)

 ガラテアの腕が動く。“青州”が振り下ろされる。

 そして――ガラテアの後方から、突如して低い男の声が響いた。

「“屍電招来(しでんしょうらい)”」

「ぐあああああっ!!」

 叫び声を上げたのは、リノでもナルミでもなく、ガラテア。

 ガラテアの凶刃がリノ目がけて振り下ろされるより前に、雷鳴が轟くと同時に紫色の稲妻がガラテアの胴体を貫いた。


   *


 それはまるで、殺人者に対する神罰が如き鮮明な一瞬であった。轟音響かせ貫く紫の槍は、死に直面したリノを救った。

「あっ……かっ……かはっ……」

 紫色の雷撃を受けたガラテアは、全身を痙攣させながら地面にどさりと倒れる。

 地に伏す彼女の瞼は閉じられており、完全に気絶していることを示していた。

「え……? どう、して……?」

 死を意識する中での突然の出来事に、リノは呆気にとられていた。

 助かった――その客観的な状況は理解できる。だが、余りにも唐突過ぎて実感が湧かない。ただただ、唖然とするしかない。

「リノさん! よかった……! よかったぁ……!!」

 そんなリノを、ナルミは抱きしめる。地べたに腰を落とした状態のまま、挫いた脚を引き摺ってリノの元に辿り着くと、彼女の無事を全身で確かめ、泣きじゃくる。

「ええ、本当に良かった……ナルミさんが無事で……」

 ナルミの抱擁に気を取り戻したリノは、ナルミを安心させるかのように抱き返す。雨濡れと間近に迫る死で冷え切った身体には、ナルミの体温は癒やされるような心地よさがあった。

 ああ、自分たちは助かった。間違いなく助かったのだ。

 ナルミの声が、熱が、リノに現実に対する実感を持たせる。だからこそ、確かめなければならない。どうして、自分たちが助かったのかを。

「けど、あの雷は……?」

 ガラテアを打ち倒した雷の槍。

 その正体を見極めるべく、リノは雷光が発せられたガラテアの後方に目を向ける。そこには古びた街灯があり、その明かりは影の如き男の姿を闇夜に映し出していることにリノは気付いた。

「あなたは――」

 街灯に照らされる男の姿を、リノは知っている。

 騎士団所属を示す薄墨色の法衣。銀製の魔術杖。白髪交じりの薄茶髪を後方に撫でつけた銀縁眼鏡。その身に纏う空気は陰惨で、重々しく、禍々しい。

「君は確か……リノ・アケローンくんだったか」

 その男の声を、リノは知っている。

 忘れられるはずもない、痛みの記憶の中の人物。三年前、リノに路面電車爆破事件の捜査をやめるよう圧力をかけてきた相手。

「ブライス卿……!」

 レゼ騎士団副総裁シグ・ブライス――強大な呪法使いにして、レゼの闇を統べる監察局の実質的支配者その人であった。


(続)

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