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騎士候補生少女譚  作者: 柳生 劣情(文章)&春畑 晴燕(設定)
第十一章 鳥は堕ちた
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止まり木

 今日も複数の紅茶が入り交じった匂いがする。わたしが慣れ親しんでいて、大好きな匂い。

 わたしの家の匂い。お店の匂い。

 わたしの家は喫茶店。

 お父さんとお母さんが切り盛りしていて、わたしも小さい頃からお手伝い。

 大好きだった。

 お店も、お父さんも、お母さんも。

 だからわたしは、大好きなお父さんとお母さんに何かプレゼントをしたいと、お小遣いや、十五歳からお給金として貰うようになったお金を少しずつ貯めていた。

 そして、十九歳になった時に貯まったお金で、ふたりにプレゼントをした。

 ずっと働き続けてきたふたりへの、隣のカラザ地区への小旅行。

 疲れた身体が癒やされたらなと、ちょっと高めの温泉宿。

 お店の仕事になれたわたしはお留守番をして、ふたりだけでゆっくりと過ごしてもらう。その話をして、お父さんもお母さんもすごく喜んでくれた。

 そして、旅行に出発する日、わたしはお父さんとお母さんを見送って――それがわたしが最後に見たふたりの姿になった。

 ふたりが帰ってくる予定の日。

 その日、王都の路面電車に爆弾が投げつけられた。路面電車に乗っていた、沢山の人たちが死んでしまった。

 その日、わたしは警察局の騎士の人から知らされた。爆弾の投げられた電車には、家に帰る途中だったお父さんとお母さんも乗っていて――もうふたりは、二度と家には戻ってこないことを知らされた。

 その日から、わたしは家ではひとりきり。

 わたしに残ったのは、お父さんとお母さんがずっと守ってきたお店だけ。

 お父さんとお母さんの形見になったお店は、わたしのただ一つの居場所。

 ふたりとの想い出が詰まっていて、そして――大好きなあの人が来てくれる、大切な、何よりも大切なわたしのただ一つの居場所。

 だから、わたしは、このお店を守るためなら、なんだってする。

 あの人が知ったら、きっと哀しむに違いないけども。優しいあの人は、とても哀しむに違いないけども。

 だけど、どんなことをしたって、わたしは、この場所を――


    *


 レゼ国王都メキオ。昼過ぎ。

 近衛騎士団警察局本営より少しばかり離れた商業地区の一角にある喫茶店のドアをリノは開く。

 店の名は“止まり木”。木製のドアをリノが開ききると同時にカランと心地よくドアベルの音が鳴る。

 木製の床に白い壁。複数かかる木椅子と白いクロスのかかるテーブルは年季を感じさせながらも手入れは行き届いており、明るく清潔な印象を与える。

 ランチタイムをやや過ぎた時間の店内には客はおらず、白シャツに濃緑のロングスカートの上からエプロンを着た女性がひとりテーブルを拭いている最中であり、ドアベルの音を聞いて来店者であるリノに顔を向けた。

「いらっしゃいませ――あ、リノさん! こんにちは!」

 店主の女は来店者がリノであることを認めると、ぱっと明るく笑いかける。

「ええ、こんにちは、ナルミさん」

 その彼女に対し、リノも柔らかく微笑み返す――それは、リノと職務を共にする強行第四班の面々が一度たりとも見たことがない、優しげな笑顔だった。

 ナルミ・アリギエリ。リノより二つ下の二十二歳で、喫茶店“止まり木”を営む平民の女性。

 肩を越えて背中に届くか届かないか程度まで伸ばされた髪は茶色で、瞳はやや濃いめの緑色とレゼ民族の女性としては一般的な風貌。リノと同じ強行第四班ではセリアやアイリが彼女と同じく茶髪緑眼となる。

「少し遅くなったけど……まだ、お昼は大丈夫かしら?」

「はい、大丈夫ですよ! ご注文はどうしますか?」

 ナルミと会話しながらリノは店の中程にある壁際の席につき、答える。

「今日も、いつもと同じのをお願いするわ」

 リノの注文は、薄めのトマトソースのパスタに、小さめのサラダ。“止まり木”特製ブレンドの紅茶。“止まり木”に通い始めた時はだいたいこの注文をしていて、今では「いつもと同じ」と言えばナルミに通じるようになっていた。

「サラダ付きのトマトパスタに特製紅茶、ですね?」

「ええ」

 ナルミの確認に、リノは微笑んで首肯する。短い言葉だけで通じるナルミとの注文の遣り取りが、リノにとっては心地よく。

「かしこまりました。少々お待ちください」

 そう言うとナルミは店の奥の調理場へと向かった。

 少しするとパスタを茹でる音が聞こえはじめ、ソースを作る時の甘酸っぱくて香ばしい匂いが、仄かに漂いリノの鼻をくすぐる。

 調理が一通り終われば、ナルミが完成した料理を持ってきてくれて、昼食を摂る。その時に他に客がいないようであれば、彼女の迷惑にならない範囲でナルミと他愛のない言葉を交わす。

 それが、警察局本営で勤務している時の、リノの昼の過ごし方。

 悲観主義的な傾向のある神経質で厳格なリノが、無意識の内に顔を綻ばせて自然な笑顔を作る唯一の場所が、ナルミのいる“止まり木”であった。


    *

 

 “止まり木”を訪れ、注文を待つ。この時間がリノにとっては、もどかしくも愛おしい。

 他に客がいない時は、ナルミの料理を食べながら彼女と会話し、笑い合う。注文品が完成し、細やかな喜びを覚えるこの時間が待ち遠しい。

 だからリノは、時間に都合が付けば書き入れ時を外して敢えて店が空いている時間に行くこともあった。少しずるいとは思いながらも、ナルミを独り占めにできるような充足感は抗しがたい。

 ナルミは客観的に見れば特徴のない、平凡でありふれた女性だろう――それでも、リノにとっては彼女と同じ空間にいるだけで、心が安らぐ気持ちとなる。その声に、眼差しに、仕草に、離れがたいという思いが生じる。

 そう自分が感じるようになったのはいつからか――待ち時間の手持ち無沙汰の中で、つとそんな問いが、リノの胸中に浮かぶ。そして、正確な時はわからないとリノは自答する。

 ただ少なくとも、ナルミの店に通うようになった頃から、時間の許す限りはナルミのそばにいたいという感覚が既にリノの内に形成されていた。知らないうちに、そんな自覚が自分にあった。

 この穏やかな時間に、心良さを感じる自分がいつの間にかいた。けれども――自分とナルミとの出会いは、今の穏やかさとは程遠い出来事が契機だった。凄惨で、そしてナルミにとってはこの上なく残酷な出来事が、始まりだった。

 リノとナルミが出会ったのは三年前――王都で路面電車爆破事件が発生した年。

 王都内を走行する路面電車に爆弾が投擲され、数多くの王都市民の犠牲者を出していた。乗員乗客の約九割が死亡し、数少ない生存者も重篤な状態。そして、犯人と目された人間も現場近くで遺体となって発見されていた。無登録民の中年男性。遺体の脇には作りかけの爆弾と毒薬が少量残った開封済みの瓶、そしてスヴェーラ主義の教本。この状況から、当局は路面電車爆破はスヴェーラ主義者によるテロ行為であり、実行犯は犯行後に服毒自殺を遂げたものと判断することとなる。

 その路面電車爆破事件当時のリノは近衛騎士団警察局入隊四年目であり、今の刑事部ではなく警備部に在籍していた。

 警備部はスヴェーラ主義者を初めとする反王政府分子の摘発や、テロ行為の抑止及び対応を任務としており、スヴェーラ主義者の犯行と目されている路面電車爆破事件はまさにリノら警備部の管轄事件であった。

 路面電車爆破事件におけるリノの仕事のひとつが、遺族に対する死亡した被害者の身元確認依頼であり、その最初の相手がナルミであった。死者の中にナルミの両親がおり、彼らは旅行中であったため政庁の発行した旅客証明を所持しており、早期に身元が判明したが故に。

 ナルミに彼女の両親の死を伝え、その遺体の確認を依頼する。それが、リノが初めて“止まり木”を訪れた理由であり、初めて行ったナルミとの会話。

 この痛ましい出会いの時に、リノはナルミの姿を深く刻み込むことになった。

 その時のナルミは十九歳。リノより二つ年下であり、まだ少女らしさを強く残す年の頃。両親の死を告げられた十九歳の彼女は、事件を知って或いは覚悟を決めていたのであろう。取り乱すことをせず、リノの依頼に対応してくれた――自分の感情を押し殺すが如く、終始ずっと唇を噛みしめながら。手を強く握りしめながら。

 その姿に、心がただただ痛んだ。

 リノも母親を亡くしていたため、彼女の痛みと苦しみに共感することができ――だからこそ、理不尽に両親を奪われてもなお、悲憤を堪えて対応するナルミの姿はリノに鮮烈な印象を与え、強く記憶に残ることとなった。

 リノが母親を亡くした時は、ナルミと同じく十九歳の頃。母が死去した際は、自分も妹もただただ慟哭するばかりであった。だから、親を失った哀しみに耐え努める彼女は自分とは大違いだと思った。弱い自分とは違って、彼女はとても強い人だと思った。

 それがリノとナルミとの出会い。そして、再会まで少し時を置くこととなった。


    *


 喫茶店“止まり木”。

 注文したパスタとサラダを食べ終えたリノは、紅茶を口にしながらナルミとの会話に興じる。

 ナルミの友人の話や店の話、商業地区の噂話や外部に伝えても問題ない範囲での騎士団内での四方山話等々。

 話をする中でナルミの好きな芝居について触れられた時、リノは手持ちの鞄を開きながら言った。

「そうだ、ナルミさんが見たがっていたお芝居、パンフレット持ってきたの」

 リノは鞄から芝居のパンフレットを取り出し、ナルミに手渡す。

 グルワンベリエフ侯立歌劇団の公演パンフレット。リノ自身はさほど観劇に興味はないが故に、流行り物好きのライザ経由で入手したもの。

「わあ、ありがとうございます、リノさん! わたし、お芝居には中々行けないので、パンフレットだけでも嬉しいです!」

 リノからパンフレットを受け取ったナルミは、両手で抱えながら嬉しそうに言った。

 ナルミは劇のパンフレットや戯曲を読むことを好んでいる。

 本来であれば、直接芝居を見に行きたいという気持ちはあるが、王都で随一の人気を持つグルワンベリエフ侯立歌劇団の観劇料は一般的な平民には手を出しがたい金額になる上に、今のナルミはひとりで“止まり木”を営んでいるため、時間的にも厳しいものがあった。それでも、両親が健在な頃には誕生日に公演に連れて行ってもらったことがある故に、思い入れを強く持っている。

 観劇は、ナルミにとっては亡き両親との想い出と結びついた憧憬。その彼女の心境を知ったリノは、せめて少しだけでも彼女の憧憬の縁になればと、“止まり木”を訪れる日は芝居のパンフレットなどを時折ナルミに手渡していた。

「いつか、本物を観に行けるようになるといいわね」

「そうですね。中々厳しいですけど……あはは……」

 リノの言葉を受けて、ナルミは苦笑しながら、小さく呟いた。

「……リノさんと見に行けたらなぁ」

 その声は本当に微かなものであり、会話を一区切りして紅茶を口にしていたリノには正確に聞き取れなかったようで。

「ナルミさん、何か……?」

「あっ、ごめんなさい。なんでもありません」

 リノの問いを受けて、頬をほんのりと赤らめて照れたようにナルミは笑った。

 ナルミが何故そのような表情をするのかリノには理由は分からないが、はにかむナルミを見て単純にかわいらしいと、リノは思ってしまう。

 心が温まるような居心地の良さを覚えてしまう。彼女が自分に笑顔を向けてくれることは嬉しいと感じてしまう。

 だが、その反面、リノは胸に痛みを抱く。ナルミに対する正の感情に比例するかのように、自分自身に対する負の感情が強まる。

 罪悪と自罰。自分が果たして、ナルミのそばにいることに喜びを感じてしまっていいのかという疑念が頭をもたげる。

 自分は結局、ナルミの両親が犠牲となった事件の真実を突き止めることができず、挫折した。そんな人間にも関わらず、彼女は自分に屈託のない笑顔を向けてくれる。そんな資格が、果たして自分にはあるのだろうか――


    *

 

 三年前。

 リノが路面電車爆破事件の遺族対応を一通り終えた頃、警備部による事件捜査は終結を向かえつつあった。

 爆破事件の犯人と思しき男は、現場近くで服毒自殺。無登録民という身元と遺留物から背景的な組織もなく単独犯と推定され、被疑者死亡により捜査終了となる雰囲気が警備部内に醸成されていた。

 そのような中でリノはひとり、捜査資料を改めて精査していた。

 それは、この事件に対するリノなりのけじめ。専ら遺族対応で、実地捜査に加われなかったが故に、どのような事件であったのかを知り、自分なりに整理をしたいという気持ちがあった。

 この事件で犠牲になった人々の残した家族の顔を知っているからこそ、その苦痛や哀切に直接触れてきたからこそ、自身に与えられた職務だけでなく、この事件全体を知る必要があるという倫理的な責務――そのような考えを抱きながら、リノはひとり捜査資料にじっくりと目を通し、ページをめくっていく。

 ページをめくり文章を読み進めていく最中、自分が会ってきた遺族の姿が去来する。その中で、最も印象に残っていたのはナルミだった。二十一歳の自分と年が近い、まだ少女らしさの色濃い十九歳の女性。奇しくも自分が母を亡くしたのと同じ年でありながら、悲しみを見せないよう努める姿は、最初に対応した遺族であることを差し引いても、リノにとっては忘れられない存在であった。

 彼女らの悲痛を間近で見てきたからこそ、自分はこの事件を細部まで知らねばならない――それは、リノの良心にであり、単なる自己満足でもあるという自覚はあった。

 犯人は自殺し、組織的な背景もなく、自身に与えられた役割も終えて間もなく終結する事件について調べるのは、リノの心にけじめをつける以外には詮無いことである――はずであった。

 だが、リノは見つけてしまった。それは余りにも不自然であり、リノに疑念を抱かせた。

 犯人と思しき、服毒自殺した無登録民のスヴェーラ主義者。彼の遺体の脇には、スヴェーラ主義の教本と毒薬が少量残った開封済みの瓶、そして作りかけの爆弾。

 その作りかけの爆弾の分析結果は、路面電車に投げつけられたものの破片から検出された成分と一致し、彼が犯人だと判断する根拠の一要因となっているのであるが、その点にリノは不審な箇所を発見した。

 それは、爆弾に魔術によって作成されたと推定できる痕跡があったこと。

 魔術式の爆弾の作成すること自体は、さほど高度な技術は要求されない。魔術師の血筋や教育とは程遠い無登録民自身は魔術を使えずとも、無登録街を根城にする犯罪組織を経由すれば魔術式爆弾を入手するのもそれほど困難ではないだろう。

 だが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()使()()()()()()()()()()()、というのがリノの認識であった。

 万人平等を謳うスヴェーラ主義は、血筋が重要な魔術の存在を反平等の業としてその存在を否定し、科学を称揚している。故に、捜査資料を紐解く中で、魔術式の爆弾を用いられた路面電車爆破事件は本当にスヴェーラ主義者による犯行なのかという不審をリノに抱かせることになった。

 その疑問に基づき、リノは改めて事件を俯瞰する。

 この事件は、魔術式爆弾による鉄道爆破。魔術による科学への攻撃――この構図は、国内鉄道敷設を初めとする科学技術導入政策における魔術師団体の猛烈な抗議をリノに思い起こされた。

 魔術師には科学を嫌う者が多い。レゼにおいて魔術を扱うのは専ら騎士階級であるために、魔術師の仕事は騎士団の公職の他にはエネルギー産業に従事するのがポピュラーであった。

 魔術を利用した道具作成及び発電によるインフラ整備――だが、今では魔術によるエネルギー供給産業はクロン市から導入した技術によって脅かされ、滅びつつあった。

 魔術は発電機に置き換えられ、魔術はガスに取って代わられた。何しろ、例えば電力であれば、クロン市製の安価で簡易的な発電機とそれを取り扱う技師が複数名いれば、エネルギー産業に従事する平均的な魔術師およそ二百五十人分の年間発電量に匹敵するエネルギー確保することができるほど、効率が段違いなのだから。

 科学技術による圧倒的なエネルギー革命。王都の富裕層のみに許された高価な魔術式の電灯による光は、平民や地方民に科学技術という形でもたらされた。

 一部の人間のみが享受できるコストと効率に劣る魔術から万人が享受できる優れた科学へ――その潮流によりレゼ国の国民生活全体は総合的に向上していったが、エネルギー関連の業務に従事していた魔術師たちの多くは失職し、また、若手魔術師の就職機会を奪うこととなった。

 故に、レゼ国の魔術師たちの間には反科学の気風が強く存在し、科学技術導入政策に対して魔術師職能団体であるレゼ国魔術師連合会を中心にした抗議活動が度々行われていた。その上、王立魔術大学校総長の“英雄”インガルデン卿や騎士団副総裁ブライス卿ら王政府要人が複数の魔術師団体の役員や顧問を兼ねていることから、反科学的な主張をする魔術師団体の国内プレゼンスが非常に高いという状況にある。

 鉄道敷設による交通網整備や科学発電によるエネルギー革命が行われている現状でも、彼ら王政府要人の魔術師の支持を陰日向に受けた魔術師団体は反科学的抗議活動を根強く行っており、それ故に工業都市クロンに隣接しながらなお科学技術の導入が遅々として進まず、国内の鉄道網も最北エイリス地区への路線敷設が行われていない不完全状態にあるのがレゼ国の現状であった。王都での路面電車敷設を初めとする交通網整備に際しても魔術師団体の抗議や、ブライス卿やインガルデン卿に忖度した騎士団の反対を何とか押し切って、大政庁が実現させたという経緯が存在しいる。

 そのような国内情勢で、発生した路面電車爆破事件。凶器は魔術式爆弾。犯人として目されるスヴェーラ主義者が使用することはありえないものであり、ずっと鉄道敷設に反対していた魔術師と親和性が高いもの。

 だから、これはもしかしたら、路面電車爆破事件はスヴェーラ主義者の仕業に見せかけた魔術師の手によるものではないか――その疑惑が、リノの内に形成された。

 自身の疑念を確かめるために、リノは遺留品である作りかけの爆弾を直接に精査を行った。そして、その結果はリノの疑念をより強固にした。

 リノ自身は魔術師の家系ではないが、騎士学校時代に最低限の魔術の素養を身に付けてきたからこそわかる。

 爆弾に残留していた魔術の痕跡はごく僅かなものであったが、その質は極めて高度なものであった。爆弾自体は非常に簡素な作りであったが、まるで鶏を割くに牛刀を用いるが如き、低級な魔術式爆弾に相応しくない上質な残留魔力。それは、無登録民が犯罪組織経由で入手できるとは思えない、魔術大学校卒業生レベルの魔術が使用された痕跡。

 この事件はスヴェーラ主義者の犯行ではなく、魔術師が、それもかなり地位のある魔術師が絡んだもの。

 そう確信したリノは、上司に一通りの報告を行い追加捜査を具申し、そして――警備部からの異動を命じられた。

 辞令は、警務部付。正式な辞令が下りるまでは自宅にて休養を取るようにと付言されて。

 季節外れの異動命令は、名目としては遺族対応という心身共に疲弊する任務をこなした報酬的休暇処置であり、翌年より昇給を伴う刑事部への栄転的配属を内示されていた。しかしながら、実態としては警備部から離脱させた上で待機命令を下してリノから路面電車爆破事件の捜査権を剥奪する処置であった。要は(懐柔)(屈服)である。

 その仕打ちにリノは愕然とした。唖然とした。慄然とした。憤然とした。上司に抗議するも、ただ見下すような冷酷な視線を向けられながら黙って命に従えと切り捨てた。

 それは露骨な圧力であり、数年来共にした上司への失望であり、正義を追求するはずの騎士団で堂々と罷り通る不正義であった。

 爆破事件で命を奪われた人々と、彼らを失った悲しみを今まで間近で見てきたナルミ達遺族への背信的行為であった。

 許せるはずが、なかった。

 だからリノは密かに、待機命令を無視して独自に事件捜査を行った。

 違法捜査。越権行為。秩序を重んじる騎士としては有り得ない行い。精神的にも肉体的にもただただ疲弊し続ける孤独な戦い。わかっている。だが、それでも納得できなかった。多くの人々の悲しみを、唇を噛みしめ、皮が破れそうになるほど強く手を握りしめて両親の死を堪えたあの人を裏切り、貶めているようで許せなかった。

 自分が会ってきた遺族の姿を胸にリノは密やかに魔術師団体を中心に単独捜査をする中で、リノはナルミと再会した。

 それは、警察局本営から少し距離がある市場近くでのこと。市場付近に魔術師団体の幹部の邸宅があることから周辺の捜査を行った朝方の頃、店で出す紅茶の買い付けに来ていたナルミと出会うこととなった。

 声を掛けたのは、ナルミから。事件対応で世話になった礼を述べて、時間があれば店に来てほしいと笑いかけた。

 初めて見るナルミの笑顔。両親を失ったばかりの翳りを感じさせながらも、優しく笑いかけてくれた人――それは、命令違反の捜査を行う重圧を抱えた孤独なリノの心を溶かすのに十分だった。

 その日の昼が過ぎた頃、リノは“止まり木”を訪れた。

 朝方の言葉通り、リノがすぐに店を訪れたことにナルミは少し驚いていたが、笑ってリノを迎え入れてくれた。

 昼食時間を超過した、他に客のいないふたりきりの店内。その時、ナルミはリノに声を掛けた。

「アケローンさん、何かあったのですか……?」

 その言葉を受けて、リノは何故そのようなことを訊くのかと尋ね返す。

「ご、ごめんなさい! 余計なお世話、でしたよね……けど、アケローンさん、前に会った時よりも、ずっと疲れたような顔をしていて……つい、心配になってしまったんです……」

 それが、リノにとってはとても嬉しかった。上司に裏切られ、同僚もなくただ一人で事件を追うリノが初めて他者から向けられた配慮であった。両親を失ったばかりの傷を負いながらも、自分を慮るナルミの優しさに胸を打たれた。

 自分の気持ちを、リノはナルミに正直に話した。爆破事件の捜査であることは伏せながら、単独捜査の重圧と孤独に疲弊した自分を心配してくれて嬉しいと、ナルミに言った。

 リノの告白に、ナルミは驚き戸惑いながらも、頬を赤らめて少し恥ずかしがりながら言った。

「わたしはお料理を作ったり、お茶を淹れたり、話を聞いたりすることしかできないですけれども……それが、お世話になったアケローンさんの役に少しでも立つなら、とても嬉しいです!」

 その時から、リノが捜査を進める原動力に、不正義への怒りや犠牲者達への無念に加え、ナルミに報いたいという気持ちがあった。自分がつらい時でも他者を思い遣ることができる、強くて優しくて、とても素敵な人に報いたいという想い。彼女の大切な家族を奪った本当の元凶を突き止めたいという正義。そして、こんな自分でも具体的な誰かを救うことができることを証明したいという自己肯定的な私欲。

 その日から、リノは捜査の合間を縫ってナルミの店を訪れるようになった。どんな重圧を感じようとも、彼女のそばにいれば自分は進み続けることができるという活力が生まれた。事件捜査とは関係ない、ありふれた会話をする内に、いつしか互いを名前で呼ぶようになり、ナルミの店に居心地の良さをいつの間にか感じるようになっている自分に気付いた。

 だが――リノの単独捜査は、長くは続かなかった。

 ある夜、リノは突如複数の騎士に囲まれ、同行を求められた。騎士達は一様に丈長のフロックコートに官帽を被った姿。コートの襟には五つ花弁の桜花を象った鈍色の記章。

 それは、彼らが“特憲(とっけん)”の――近衛騎士団監察局特別憲兵隊に所属する騎士であることを示していた。

 近衛騎士団監察局は、本来は騎士団内の不祥事の捜査及び懲戒を行う内部警察的組織。しかし、“ドレクスラーの獄”においては逃亡騎士ら戦犯捕縛の名の下に実務的な権限を拡大していき、現在では騎士団内に留まらず騎士団外の不穏分子対応も行う諜報組織としての面を強めていった。故に警察局警備部とは任務上の重複が存在しており、警察局と監察局の間ではある種の対立・牽制関係が存在しているのであるが、監察局において諜報活動に専従し、時には不穏分子の制圧捕縛を行う実行部隊が特別憲兵隊――通称“特憲”である。

 しかしながら、リノが“特憲”に同行を求められた理由は彼らの監察局としての本来の任務――即ち、リノの行っている違法捜査に基づくもの。

 多勢に無勢。ましてや“特憲”は制圧や逮捕といった荒事を担当する武闘派集団。リノは“特憲”の騎士達の同行要求を容れ、彼らにレゼ騎士団本営へと連行された。

 監察局は機構図上は近衛騎士団の一部局という扱いだが、実際には他の近衛騎士団部局とは異なり近衛騎士団総裁カーター卿の指揮権はなく、軍政司令部直属組織であった。

 同じ近衛騎士団でも立ち入れぬ、闇のヴェールに包まれた組織。その監察局を現在実質的に指揮しているのは、前監察局長であり、現騎士団副総裁のシグ・ブライス卿――リノが“特憲”の騎士達に連れて行かれた部屋の主。

 反科学抗議活動を行うレゼ国魔術師連合会の顧問を兼務する卓越した呪法使いであり、リノにとっては捜査対象となり得る相手。

 ブライス卿の執務室は反科学の魔術師らしく電灯は無く、部屋の明かりは古めかしい燭台と窓から注がれる月明かりのみで薄暗く、然れどもその陰湿な雰囲気を纏った外法の魔術師の姿をリノははっきりと捉えることができた。

 それほど、ブライス卿の存在感があった。部屋の空気は、ブライス卿を起点として淀み、息苦しく、重苦しい。

 ブライス卿はリノを見据えながら、短く言葉を発した。

「爆破事件の捜査を、ただちに打ち切りたまえ」

 言葉は淡々としていた。

「違法な捜査は看過できない。君も、ドレクスラーの娘の二の舞にはなりたくなかろう」

 だが、その眼には明確な殺意があった。

「秩序のためとは言えど、たったひとりの軍規違反者のために無辜の家族まで連座させるのは心が痛む」

 父と妹の顔が頭を過ぎると同時に、悪寒が身体を貫いた。

「これが同じ騎士階級でなく、例えば商店を営むような平民の女をひとり消す程度で済むのなら、我々も楽なのだがね」

 ナルミのことを言っているのだと理解した瞬間に、身体の芯が凍り付いた。

 答え次第によって、自分はブライス卿に即座に呪殺されるだろう。そして、自分が死ぬだけではなく、父も妹も、ナルミまでも――そう認識した瞬間、リノの心は折れた。

 何一つ反論も糾弾もできず、殺意を発する眼前の強大な権力者にただ屈服し、単独捜査をやめることをリノは誓った。

 リノの言葉を入れたブライス卿は、ただ「今回の件は不問とする」と「ただし、次はない」と二言だけ告げてリノに退室を命じた。

 リノは“特憲”から解放され、騎士団本営の敷地から出た瞬間、耐えきれずにその場で嘔吐した。嘔吐しながら顔をぐしゃぐしゃにして泣いた。

 正義も、犠牲者の無念も、ナルミに報いたいという想いも、何もかもが汚され、貶めされ、蹂躙され、破壊された。自分でも誰かを救えるという願望は、無惨にも消滅した。

 悔しくて、恐ろしくて、情けなくて、罪深くて、つらくて、痛くて、気持ち悪くて、寒々しくて、恨めしくて、押し潰されそうで――気付いた時には、店がとっくに閉まる時間にも関わらず“止まり木”を訪れていた。

 ただ、ナルミに会いたかった。折られて、ずたぼろになった心が、ナルミを求めていた。彼女に報いることができない罪悪感を、抱えきれなかった。

 リノの突然の訪問を受けて店を開けたナルミは、彼女が泣いていることに気付いて驚いていた。ナルミの姿を見たリノは、ただ「ごめんなさい」としか言えずに泣き続けた。そんな彼女を、ナルミは何も訊かず、ただ抱きしめた。一晩中、ナルミが泣き止み眠りに落ちるまで抱きしめていた。

 次の日から、リノは爆破事件の捜査をやめた。

 捜査に充てていた時間は、自宅に籠もり、市街を彷徨い、昼夕は食事を摂るために“止まり木”を訪れる日々。

 あんな無様な姿を見せてもなお、ナルミはリノを受け容れ、“止まり木”では変わらず笑いかけてくれていた。あの夜のことは、互いに口にはせずに。

 それは、リノにとってはある意味では救済であり、ある意味では責め苦でもあった。

 ナルミのそばにいる時は、心が安らぐ。彼女が自分を許してくれるような気がして、折れた心が慰められる。

 いつでも、自分を屈託無く迎え入れてくれるナルミの優しさはリノにとっては何よりの癒やしであった。

 だからこそ――ナルミの心の優しさを感じるからこそ、リノは彼女の家族が奪われた事件の真相に辿り着くことができずに挫折し、屈服した罪悪感に苛まれ続け、悲嘆し続ける。

 果たして自分は、彼女のそばにいて幸せを感じる資格があるのか――ナルミに報いることもできず、家族のために妹を生贄にした自分が、幸せになる資格があるのか、と。


(続)

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