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騎士候補生少女譚  作者: 柳生 劣情(文章)&春畑 晴燕(設定)
第八章 密命
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密命

 残り二十五歩――女は息を殺し、足音を忍ばせて歩を進める。

 レゼ国最東部ダクレイ地区の夜。月は雲に隠れ、周囲の民家も明かりを消して住民が寝静まる中で、細身の曲刀を腰に帯びた女はひとり、僅かな音を立てることなく進む。

 彼女の名は――フリージア。リズレア教会聖騎士団に所属する女性騎士であり、“聖女の双璧”と称えられる剣士。

 聖女庁領が任地のフリージアがレゼ国にいるのは、同日に開催されたレゼ国の行事“中央総合演習”の賓客として招かれた聖女の護衛であり――それとは別の密命を帯びているが故。

 中央総合演習終了後、政務多忙という理由で祝宴の出席を辞退して帰路に就いた聖女一行からフリージアのみが離脱して、承った指令に基づきレゼ国に留まり続けて今こうして夜の道をただひとり忍び歩いていた。

 残り二十歩――それは、フリージアの前を歩く標的を斬り仕留めることが可能になるまでの間合い。

 彼女の帯びた密命は、教会の敵対者の暗殺。

 命を下したのは右聖佐(うせいさ)。リズレア教会の頂点に立つ聖女の補佐を務める役職“聖佐”の片翼を担う老人。

 聖佐職は右聖佐と左聖佐(させいさ)の定員二名であり、名目上は教会組織において聖女に次ぐ地位にあたる。だが、頂点に立つ聖女はあくまでもリズテア教会の信仰的象徴であり、また左聖佐もほぼ名誉職であるため、右聖佐が実質的な教会政務のトップに立つ人物である。

 そして、標的の名はゲブノミシ・ホヅ。聖女と同じく中央総合演習に賓客として招かれていた工業都市クロンの副市長。

 多忙を極めて本拠より外に出ることが叶わないという市長トーマス・マサキアラの名代としてクロン市内外を東奔西走する対外交渉の実務者であり、内政にも辣腕を発揮するクロン市の要。故に、ホヅ副市長を葬り去れば、怨敵クロン市の外交及び市政に機能不全に等しい大打撃を与えられると右聖佐はフリージアに説明をしていた。

 クロン市。大陸統一戦役の折に“グ”帝国の尖兵として“聖女の盾”と謳われた信仰国家ゲイト国を滅ぼし、リズレア教会を屈服させて教会に財産を簒奪し、女神と聖女の権威を徹底的に貶めた背教者集団。

 その重鎮中の重鎮であるホヅ副市長を殺すことに、一切の躊躇をフリージアは持っていなかった。むしろ、今すぐにでも殺すべき人物であるとさえ、認識していた。

 “雷光剣”フリージア。リズレア教会の二大戦力“聖女の双璧”に数えられる騎士であり、大陸最高の剣士“五剣聖”の一角。その剣は常に、リズレア教会のために振るわれる。

 全ては女神様と聖女様のために――フリージアの剣は信仰の剣。己の剣を、背教者の命脈を断つ(魂を救う)ために振るうことが女神より授かりし使命。

 残り十歩。

 右聖佐の計画における暗殺決行地は、レゼ国とクロン市を結ぶ鉄道の起点となるダクレイ駅への道の中途。レゼ国の領域内である。フリージアの方向音痴振りから詳細な地図も用意され、決行日以前に下見も幾度か行っている。

 そして、フリージアが身に付ける衣服は普段の聖騎士団のものではなく、右聖佐が暗殺任務のために用意したレゼ国騎士制服。

 暗殺の場を誰かに見られた場合や、万が一ホヅ副市長を仕留め損なった場合に下手人がレゼ国の人間だと錯誤させるための工作。

 右聖佐の命に従ってレゼ国騎士団制服を着用してはいるものの、無粋な小細工だとフリージアは思う。

 “グ”帝国の大陸統一後にもリズレア教会に事実上の寄進を続ける信仰国家のレゼに濡れ衣を着せようとする真似は心苦しく――何よりも、ホヅ副市長の暗殺を目撃させることも、彼を仕留め損なうこともフリージアは想定していないが故に。

 フリージアの二つ名である“雷鳴剣”。その名は、彼女の振るう神速の剣に由来する。フリージアの剣閃は、余りに速きに過ぎて常人は見ることも、躱すことも能わず。

 残り三歩――フリージアは剣の柄に手を掛ける。

 残り、二歩。

 一歩。

 零。

「――――」

 ホヅ副市長を間合いに捉えたフリージアは、即座に地面を蹴る。

 そして、フリージアは一瞬でホヅ副市長を追い抜き――すれ違いざまに首を一閃する。その剣撃は、刃が届いた後に切断音が鳴るほどの(はや)き剣。故に“雷鳴剣”。

「――ふぅ……」

 着地したフリージアは、ホヅ副市長を仕留めたことを確信して剣を納めながら小さくため息をついた。

 手応えは、あった。幾百、幾千も知った首を刎ねる感覚が、この手に間違いなく存在している。

 確実に、ホヅ副市長の首と胴は分断されているであろう。

「女神様、どうか、彼の罪深き者の魂をお救いください……」

 そして、フリージアは小さく誅殺した背教者への慈悲を請う祈りの言葉を唱える。

 しかし――

「やれやれ……教会の方は相変わらず野蛮で困りますな。いつまでも古き亡者の影に囚われ続ける連中だけあるわい」

「え……?」

 背後からの声に、フリージアは驚愕する。

 その声は、ホヅ副市長のものだった。間違いなく、首を刎ねた感覚がこの手に残るホヅ副市長の声。

 振り向き、声の先を見る。だが、月も隠れて民家の明かりも消えている闇夜では、彼の姿を捉えること能わず。

 ただ暗闇より、ホヅ副市長の声が聞こえる。

「どう、して……?」

 思わず疑問を口にする。だが、ホヅ副市長の声は答えず、適当にあしらう。

「さて、どうしてだろうな」

 そして、ホヅ副市長の声は嘲笑するかのように続けた。

「それはそれとして、だ。レゼのお嬢さん方が頑張ってくれたお陰で、私は大層機嫌が良くてな。今宵のことは不問に付してやるぞい」

 暗闇にホヅ副市長の声が響く中で、少しずつ、月を覆っていた雲が動く。

「市長には報告する。だが、対外公表はせんから安心しなされ。この程度のことを外交問題にするほど、我らは暇ではなくてな」

 雲が動く。月の姿が空に現れていき、少しずつ暗闇を照らしていく。

「我らクロン市がリズレア教会を滅ぼすのは簡単だ。だが、忌々しいことに今だ市民にもリズレア教の信仰者が多い。だからクロン市としても表だってリズレア教会と戦争する訳にはいかんのだよ」

 闇が月明かりに照らされていき、その先にいるホヅ副市長の姿を見出していく。

「そういうわけで、だ。ここはお互い、何もなかったことにして帰りましょうや、“雷鳴剣”のお嬢さん」

「…………!」

 月明かりに照らされたホヅ副市長は首を刎ねられているどころか傷一つ負った様子もなく、フリージアの姿を見てニヤリと笑っていた。

 首を刎ねた感覚は間違いなくあった。それなのにホヅ副市長は平然としている。

 信じがたい光景を目にしたフリージアがその場に立ち竦んでいると、ホヅ副市長はフリージアにくるりと背を向け、闇夜に溶け込み、消えた。


    *


 数日後。リズレア教会聖女庁領中心都市ヨツグ。

 ヨツグは聖女庁本部を兼ねるリズレア教の総本山ハザ・サナハト大聖堂を中心とする白亜の信仰都市であり、教会美術の粋を集めたヨツグ美術館、希少な文書を収蔵している聖リズレア図書館、聖職者養成のための聖女庁立ヒサ大学といった歴史ある教会施設が建ち並ぶ。

 その中の荘厳な街並みの一角に、リズレア教会聖騎士団宿舎が存在しており――

「フリージアちゃーん、外交部から報告ー」

 聖騎士団宿舎に所在するフリージアの私室のドアを、ポインセチアが開く。

 日中ではあるが部屋のカーテンが閉め切られており薄暗く、隅に設置されたベッドにはうつ伏せとなったフリージアの後頭部が見えた。

 その姿は相当落ち込んでいる風であり、フリージアの周囲は特に暗く、重く、じめっとした空気を漂わせているようにポインセチアには見えてしまった。

「うわっ……相変わらず空気重いなぁ……」

 フリージアの部屋に入ったポインセチアが、苦笑しながら茶化すように言った。

 レゼ国より帰還してから、フリージアはずっとこの調子。

 暗殺任務に失敗したフリージアは激怒した右聖佐から徹底的に詰られ、クロン市側の対応次第では追って重罰が下され得ることを告げられた上で謹慎を命じられていた。

 謹慎中であるが故か、普段より外出が少ないフリージアはより一層部屋に籠もりがちであり、また、口数も以前より少なくなっている。

 ただでさえ陰気なフリージアがますます暗くなり、このどんよりと閉ざされた部屋にずっと籠もっていたらそのうちキノコが生えてしまうのではないかとポインセチアは心配してしまう。

 そんな思いから、フリージアと接する時はできる限り明るくしようとポインセチアは努める。そして――

「ホヅ副市長、やっぱり生きてるみたいだねー。教会(うち)の外交使節が会談したけど、今までと変わったところは全くないんだって」

 軽く言いながらポインセチアはするすると自身の法衣を脱ぎ、壁に吊された空ハンガーに掛ける。

「けど、暗殺されかけた話は一切口にしなかったみたいだよ。フリージアちゃんの報告通り、クロン市(向こう)は不問とするみたい――よっと」

 右髪を束ねていたシュシュを取る。下ろした髪を手櫛で軽く整えながら、ポインセチアは疑問に思う。

 ホヅ副市長はどうして無事だったのか。

 フリージアの報告では、ホヅ副市長を斬った感覚は確実にあったという。騎士として数多の人間を斬り伏せてきたフリージアが、斬ってもないものを斬ったと思い違いをするということは有り得ない。

 そう考えるのであれば、ホヅ副市長はフリージアの剣を受けた上で生存しているということになる。

 だが、それも中々考えがたくもあった。

 ホヅ副市長は生粋の政治家であり、武人としての逸話は全く存在しておらず、実力でフリージアの剣を防御できるとは思えない。暗殺決行時のホヅ副市長は中央総合演習観覧時と同じ背広姿。両手にそれぞれステッキと鞄を持っていただけで、武装も一切していなかった。

 また、技術を称揚し魔術を忌避するクロン市の要人であることを考えれば、何らかの魔術を使ってフリージアの剣を逃れたという可能性は零に等しい。

 或いは、クロン市らしく何かしらの科学技術を用いてホヅ副市長はフリージアの剣を防御したのかもしれないが――その場合はクロン市の技術に対する情報に乏しいリズレア教会が原因を究明するのは無理であろう。

 詰まるところ、フリージアがホヅ副市長の暗殺に失敗した原因を探ろうにも結論は出すことができず、そのことに言及するのは詮無きことだとポインセチアは結論づける。

 そして、今はそんなことよりも、だ。

「で、向こうが暗殺について公にしない以上、こちらとしてもフリージアちゃんを処罰するわけにはいかないって感じなんだって。謹慎も少しすれば解除されるんじゃないかなー?」

 下ろした髪を整え終えると、ポインセチアはブラジャーを外し、大きめの胸部を解放する。外したブラジャーは、法衣を掛けたハンガーの底辺に引っかける。

「だから、そんなに落ち込まないで、フリージアちゃん」

 半裸となったポインセチアは少しばかり品を作って言いながら、フリージアのベッドの中に入る。

 すると、フリージアは目を潤ませながらポインセチアに顔を向けた。 

「あう……ポ、ポインセチアさん……!」

「きゃ……!」

 そしてそのまま、フリージアはベッドの中でポインセチアに抱きついた。

「わ、私、とても……悔しいです……!」

 ポインセチアはフリージアを抱きとめ、泣く子をあやすように頭を撫でながら言った

「もう、フリージアちゃんは甘えん坊さんなんだから。けど、それは悔しいよねー。フリージアちゃんの剣技で仕留められないなんて――」

「私、ホヅ殿の魂を救うことができなかったのですから……! これでは、女神様とホヅ副市長に申し訳が立ちません……!」

 ポインセチアを遮って堰を切るように出てきたフリージアの言葉を聞いて、ポインセチアは一瞬きょとんとした後に曖昧な笑顔となる。

「あー……そっちの意味での悔しいかー。やっぱり、フリージアちゃんはそうだよねー。あははー」

 ポインセチアはフリージアの言葉の意味を理解する。

 彼女がホヅ副市長の暗殺に失敗して気を落としていた理由は、敵を仕留め損なったことで剣士としての矜持を傷つけたからではなく、信仰者としての務めを果たせなかったことによるが故。

 フリージアは、リズレア教の非常に敬虔な信徒であった。それも、ある意味では狂信的と言えるほどの。

 “雷鳴剣”フリージア。“五剣聖”の一角として世人に称えられる大陸最高峰の剣士。だが、フリージアは剣士であるよりも、リズレア教の信仰者としての自負が遥かに大きかった。

 信仰者フリージアにとって、剣技とは自己の信仰心を女神に示すための手段。彼女は自身の剣を以て背教者を誅することを、崇拝する女神への奉仕としていた。

 フリージアのその思想は、救いがたき背教者の魂は正しき信仰者が死を以て浄化することで女神の御許に導かれて救われるという、リズレア教会の教義に基づくもの。

 リズレア教会は背教者の魂を救う慈悲として、敵対者を滅ぼすことを肯定する。

 そして背教者の命を断った信仰者もまた、()()()()()()()()()()()()()()()()によって女神より恩寵を与えられる、とされる。

 故に、フリージアは背教者を誅殺することに躊躇いはなく、むしろその命を断つ(魂を救う)ことが自身の使命であると認識しており、ホヅ副市長を仕留め損なったことを悔やむのは彼の魂を救えなかった慈悲の心に基づいている。

 そんなフリージアの姿を見て、ポインセチアは改めて思う。

 自分たち殺す側も、殺される相手側も、そのどちらも救われるだなんて聖騎士団という武力を持つ教会組織にとって実に都合の良い教えだと。

 だが、その一方で背教者の命を断つことを肯定する教義は教会のみならず多くの人々に必要なものだとも、ポインセチアは思う。

 リズレア教においては、信仰の名の下に殺すことも殺されることも、その魂の救いとなる――故にこそ、戦乱が絶えずに常に人と人とが殺し合うこの大陸に最大宗教として根付いたのであろう。

 歴戦の戦士であろうとも、真っ当な精神を持っていれば人を殺し続けることはその心を蝕み、傷つけ、切り刻み、苛ませる。だからこそ、人を殺す側も殺される側もそれが救いであると肯定するリズレア教の教えは、長い歴史の中で戦場に立つ多くの者達の心の癒やしとなってきたのだろう。

 それは、女神の名を負う聖騎士団員として多くの命を奪ってきたポインセチア自身が身を以て知っている。殺した相手の魂が救われたのだと思わなければ、こんなにも手を血で濡らしてきた自分でも救われるのだと思わなければ、とてもじゃないが正気を保てない。彼らの魂はきっと救われたのだと、彼らを救ってきた自分もまた女神に救われるのだと、自分に言い聞かせることで、その怨嗟と痛みから目を背けられてきた。

 そして、それはきっと、フリージアにとっても同じ。殺人に躊躇のないほど極端なフリージアの信仰心は、彼女の心を人を殺すことに対する重さと苦さから守っているとも捉えられ――ある意味では、それが女神の恩寵とも言えるかもしれない。

 自分もフリージアも、信仰に縋らなければ、人を殺すことが生業の騎士として生きていないという点では同じ――そう思うと、自分が抱きしめている彼女に、とても掛け替えのない愛おしさが湧いてくる。

「まー、けど、副市長さんの件は一応決着がついたんだし、いつまでも落ち込まない落ち込まない。だから――楽しいことして忘れようよ、フリージアちゃん?」

「あ……ポインセチアさん……」

 ポインセチアは微笑みかけながら、フリージアの肩に手を掛ける。

 フリージアは顔を赤く染めてポインセチアから目を逸らすものの、抵抗の気配は一切ない。

 するりと慣れた手つきでフリージアの寝間着を脱がし、彼女の大きく形の良い双丘が露わとなる。

「うう……恥ずかしい……です……」

「照れてるフリージアちゃんかわいいー。大丈夫、女神様も、きっと喜んでくれるだろうしね♪」

 恋人関係にある女神と聖女を信仰するリズレア教は、女性同士の強い結び付きを重視する。

 女性同士の親密な在り方は女神と聖女の関係の再演。女神に愛しき日々を想起させて喜ばせる善行であり、正しき信仰者の在り方。

 それ故に――フリージアには躊躇いがない。

「だからいいよね、フリージアちゃん?」

「は、はい……お願い、します、ポインセチアさん……優しく、してくださいね……?」

 潤んだ瞳を上目遣いにして、フリージアは誘うようにポインセチアの言葉を受け入れる。

 彼女の仕草に、自分から誘ったにも関わらずポインセチアは思わずどきりとしてしまう。胸が弾み、昂ぶる。

「はいはーい! ポインセチアちゃんにお任せー!」

 ポインセチアは明るく笑いかけながらフリージアをぎゅっと抱きしめ、愛しい彼女の顔を自身の胸に埋めて甘えさせた。


(第八章 了)

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