祝宴/中央総合演習終了後
中央総合演習終了後、対戦両校の騎士候補生とダスバ城塞で彼女たちの戦いを観覧していた賓客たちは鷹鳴城へ帰還する。
少女たちが鷹鳴城に戻る頃には既に夕刻。暫しの休息時間を挟み、日が落ちて月が出る頃に鷹鳴城では中央総合演習の終了と騎士候補生たちの健闘を記念した宴が催される。
鷹鳴城中央部大ホールにて開かれるは、対戦両校同席の大会食。それと平行して別室では、教官や運営協力の騎士団員たちによる慰労会、そして賓客たちによる祝宴が行われることとなり――
「我が中央本舎の騎士候補生たちの勇姿、皆々様に観覧を賜り深く感謝いたしますわ!」
賓客たちによる祝宴の場である迎賓室にて、ブキャナン本舎長の甲高い声が響く。
その声色は上機嫌であり、自分が上機嫌だと言い聞かせているようでもあり、どこかほっとしたような含みのあるものであった。
「うんうん、今年も無事に終わって良かったよ」
ブキャナン本舎長の姿を見ながら、ゲキは冷ややかな笑顔で頷く。
自慢の上位階騎士候補生や姪が撃破された時にはあんなに喚いて気絶までしたのに、今になって上機嫌で澄まし顔をしているのだから実に図太いものだと、ゲキは彼女に対してある種の呆れを抱く。
「ふん……図太い女だ……」
ブキャナン本舎長がにこやかに挨拶をする最中、ティルベリア侯爵がぼそりと呟き、肉を口に運んでくちゃくちゃと食む。
ティルベリア侯爵の声は小さく、ブキャナン本舎長には聞こえていないようではあったが、やはりゲキは耳ざとくその声を捉え、僅かばかりの苛立ちが生じる。
(またティルベリア侯爵と見解一致か……不愉快だね。全く、さっさと帰ってくれればよかったのに)
嫌悪するティルベリア侯爵に対して、ゲキは内心で毒づく。
賓客祝宴の場は演習前日の晩餐会と同じ部屋ではあるが、参加者の人数は同数ではなく前日より減少していた。
リズレア教会の聖女一行とクロン市のホヅ市長は政務多忙なためにダスバ城塞からそのまま帰途に就き、また、イワクラァ次官が体調不良のため自室で寝込んでおり欠席しているが故に。
ホヅ副市長とイワクラァ次官はどうでもいいとして、ゲキの目に適う美女揃いの聖女たちがいないのは悔やまれる。
セイラ王女やブキャナン本舎長も眉目秀麗であるが、やはり美人は多ければ多いほど良いものだと聖女たちの欠けた晩餐会の景色を見てゲキは改めて思う。
この状況であれば、余り自分好みではないけれども美女であるブキャナン本舎長をからかえば少しは不愉快さも晴れるだろうとゲキは考えついた。
「いやいや、しかし今年の中央総合演習は大波乱だったね。中央本舎の上位五席が全員敗退して、その上まさかブキャナン本舎長までも失神して医務室に運ばれるなんて、流石のわたしも想定してなかったよ。くっくっく」
「な……!? そ、その節は皆々様方にご迷惑をおかけして誠に申し訳ありませんでしたわ……」
ゲキから茶々を入れられて、ブキャナン本舎長は赤面して項垂れる。
第四席エズメ・フィルモアと第五席レスリー・フォードが立て続けに敗退し、更に第三席であり姪であるヘイゼルが戦う姿を見ることも叶わず敗北していたショックで昏倒したブキャナン本舎長。彼女が医務室に搬送された後に、エイリス分舎側は次席のノーラ・グラントを退け、そして首席であり総大将役のベアトリス・カーターが撃破するという意外な結果を見せた。
その健闘振りは賓客たちを大いに驚愕させ、観覧室を湧かせることとなった。特にホヅ副市長は、総大将役同士の一騎打ちはクロン市が中央総合演習を放送するようになってからは初であり、更に中央本舎側の総大将役を打ち倒すというエイリス分舎の大金星は視聴者の反響を呼ぶだろうと大喜びであった。
だが、最終的な結果は――
「ですが――勝利の栄冠は、例年と同じく我が中央本舎! 常勝無敗の歴史は守られましたわ!」
ゲキからの嫌味にめげずブキャナン本舎長はこほんと咳払いをして気を取り直しながら言った。彼女の言の通り、中央総合演習の最終的な勝利は中央本舎となった。
総大将役同士の一騎打ちが行われた歩兵部隊の戦闘ではレゼ側が勝利を収めた。しかし、魔術部隊と騎兵部隊はレゼ側が敗北し、総合判定では中央本舎が勝利するという結果となった。
魔術部隊は中央本舎側の最高実力者であった第五席レスリー・フォードが敗退したものの、撃破された人数はエイリス分舎の方が僅かに多く惜敗。更に騎兵部隊については中央本舎側が一方的にエイリス分舎側を蹂躙し、一矢すら報えず徹底的な惨敗を喫した。
そのため、全体的な中央総合演習の勝敗判定に際しては、エイリス分舎側は敵総大将役撃破という大幅加点があってもなお、敗北という結果に至ることとなる。
「しかし、負けたとは言えエイリス分舎は見事な結果を残しましたな。その勇壮さ、実に天晴れ!」
武人でもあるガルグ副院長が白い顎髭を撫でながら賞賛し、ゲキやブキャナン本舎長もその言葉に頷く。
彼女たちの様子を見ながら、ブラックウッド分舎長は密やかに胸を撫で下ろした。
中央総合演習には敗北したものの、エイリス分舎の実力を示して廃止を回避するというブラックウッド分舎長の目的からすれば、中央本舎上位五席の撃破は十二分すぎる望外の結果であった。騎士教育行政に決定的な影響力を持つゲキの反応も極めて良好。
途中、余りにもやり過ぎた場合はブキャナン本舎長の逆恨みを買って却ってエイリス分舎の立場を悪くするのはとの懸念も生じていたが、エイリス分舎を賞賛するガルグ副院長の言葉に彼女も頷いているのを見ると、その心配も払拭される。
「うんうん、全くガルグ副院長の言うとおりだね。こんなにも優秀な騎士候補生を養成できるなら、エイリス分舎の取り潰しはしない方がいいと思うが、どうだろうか、ブライス卿?」
ゲキに尋ねられると、ブライス卿は眉間に皺を寄せて苦々しく言った。
「それは……閣下がお決めになることかと」
騎士団組織の構成上、騎士団副総裁のブライス卿は教育局という一部門の要職に就いているに過ぎないゲキにとっては上役にあたる。しかしながら、騎士教育行政について実質的な決定権は王族という国内最高身分であるゲキが握っており、ブライス卿は事実上口出しができない状況となっている。騎士教育行政において彼女にものを申せる騎士は、全軍総裁であり“英雄”のジューコフ将軍か、王族とほぼ同等の権力者である外戚のクリスト・ロットラッファー卿のみ。
無論、ゲキは全て承知の上。敢えてブライス卿に伺いを立てたることにより、自身の権力性を誇示する彼女ならではの嫌がらせ的儀式。
ブライス卿の反応に満足がいったゲキはにんまりと笑って頷くと、ブラックウッド分舎長の方に目を向けて告げる。
「おやおや、言われてみればそうだね。ブラックウッド分舎長、エイリス分舎の存続は決定事項だと考えてもらっていいよ。この成果であれば、誰も異論は出さないだろうさ」
「感謝いたします、閣下……!」
求めていた回答を得て、ブラックウッド分舎長の表情が肩の荷が下りたかのように一気に和らいだ。
エイリス分舎存続について事実上の結論が出たところで、ブライス卿はすと椅子から立ち上がり、ゲキに向かって淡々と言った。
「では、そろそろ私はこれで失礼を……」
「ああ、そう言えばブライス卿は王都から帰参命令が出ていたね。気をつけて帰りたまえよ」
一通りの嫌がらせを終えてブライス卿に興味をなくしたゲキが軽く言うと、ブライス卿はセイラ王女とティルベリア侯爵に中途退室の挨拶を短く行い、迎賓室を後にした。
*
演習終了後の夜。鷹鳴城大ホールでは、中央本舎とエイリス分舎の両校騎士候補生による大会食が行われていた。同年代の少女同士が気兼ねなく親睦を深められるようにと教官や要人ら大人たちは席を外した気兼ねなき祝賀会。
「イト、お疲れー!」
会場に振る舞われている葡萄ジュースを手にしながら、サヤはイトに声を掛ける。その脇には、カティとフィーネ。
「サヤちゃんもお疲れ。あはは……」
イトは若干苦笑しながら、自身の姿を省みて言った。
衣服は演習正装から騎士団制服へ着替え直しているのであるが、その肩には“本日の主役”と“アンタが大将”と書かれたタスキを二つ交差するように掛けられており、頭には赤や青の星が散らされた円錐状のパーティーハットを被らされていた。
だいたいはサヤの仕業。
鷹鳴城の宴席利用を想定しているのか、売店には土産物の他にパーティーグッズが販売されており、トンチキなフレーズの入ったタスキも、カラフルなパーティーハットもサヤが悪ノリで買ってきたもの。それをフィーネとふたりがかりで装着されて今に至る。恥ずかしいことこの上なく最初は断ろうとも思ったが、折角ふたりが自分のために買ってきたのだし、少しばかり浮ついた気持ちもあったので、結局は身に付けてしまった。
ただし、フィーネが買ってきたちょび髭付きの鼻眼鏡だけは全力で拒否。故に、今はサヤが代わりに装着している。
「サヤもイトも、どっちも面白い格好だね」
「……うん」
変なタスキと帽子姿のイトと鼻眼鏡のサヤを見ながら、フィーネは自分が実行犯であることを棚上げした普段通りの笑顔で、カティはイトの浮かれポンチな姿に若干顔を引き攣らせて言った。
友人たちの微妙な反応の中で、サヤは鼻眼鏡を付けたまま続ける。
「まさか総大将役同士の直接対決があって、その上でイトが勝つなんてすごいよね。わたしも見たかったなー」
ふにゃりと笑いながら、サヤは演習終了時のことを思い起こす。
終了狼煙が上がっているのを見たのは、名も知らない銀髪の騎士候補生を背負って本陣に帰還する途中。故に、イトとベアトリスの直接対決を目にすることは能わず。後になってイトのベアトリス撃破とカティ、フィーネの戦果を聞かされることになった。
「それに、イトだけじゃなくてフィーネやカティも――」
「サヤちゃん!」
「ほよ?」
会話の途中、後方から聞き覚えのある声がしたので、鼻眼鏡を外して振り返る。すると、視界にはエズメの姿が映る。
「えっちゃんじゃん。それと……」
よくよく見ると、エズメだけでなくレスリー、ヘイゼル、そしてベアトリスという次席のノーラを除く中央本舎上位陣が揃い踏みしていた。
彼女ら四人はサヤ達の元に歩き寄る。ただし、二日前に邂逅した時とは異なり、全員が和やかな雰囲気を纏っていた。
四人の中で真っ先にエズメがサヤの元に駆け寄り、輝くような笑顔で嬉しそうに言った。
「サヤちゃん、百戦目、楽しかったよ。やっぱりサヤちゃんは強いね!」
「わたしも楽しかったよ。それに、えっちゃんだって強かったよ。わたしが勝てたのは紙一重だし」
彼女との久しぶりの戦いは、楽しかった。
エズメ独自の跳躍斬り相手の攻防。実戦の場において初めて成功した“瞬望”。剣術勝負と実戦の違いを知った魔術攻撃。
とても印象深く、忘れ得ぬ、旧友との再会。今日を以て彼女とまた別の場所で生きていくことを思うと、幾ばくかの哀切が生じる。
「ねえ、えっちゃん、また会った時は百一戦目やろう?」
「うん、サヤちゃん! なんだったら、今からでもいいよ?」
「いやー、それは無理ー」
幼馴染み同士が軽口を飛ばし合う最中、エズメの後ろについていたレスリーがおずおずと尋ねた。
「あ、あの……サヤさん、すみません。ちょっといいっすか?」
「どしたの、レスリーさん?」
「その、マリナさんは……? サヤさん達とは一緒じゃないみたいっすけど……?」
レスリーの問いを受け、サヤは困ったような表情になりながら答えた。
「あー、マリナね……医務室。ここには来られないみたい」
中央総合演習で体力を使い果たしたり、想定外のダメージを受けた騎士候補生たちは大ホールの会食には参加せず、医務室で休息を続けている。
マリナがまさにそうであり、演習中に体力を使い果たしてそのまま鷹鳴城医務室に搬送されたという。他にも知った仲ではフィリパも医務室組であり、ダイアナもフィリパの付き添いとして会食には不参加。
祝宴が始まる前にイト達と見舞いに行ったが、フィリパは起きていたもののマリナはぐっすりと深い眠りに落ちており、フィリパの見立てによると今日はもう目が覚めないであろうとのこと。
サヤの回答を受けてレスリーはがっくりと肩を落として小さく言った。
「そう、ですか……ありがとうございました。後で、行くだけ行ってみます……」
レスリーの姿に前に会った時とは随分と雰囲気が違うなと思ったところ、サヤはエズメから声を掛けられる。
「医務室って、ノーラちゃんと一緒だね。ノーラちゃんも起き上がれないみたいだったし」
「へー……あの人がかぁ……マジで?」
サヤは苦笑する。
ノーラ・グラント。この場にはいない中央本舎次席。
イトを侮辱したり戦意喪失した相手を痛めつけたりと印象は余りよろしくないが、奇剣“サーペント”を自在に操る実力者。あれほどの力量を持つ彼女が医務室から出られないというのは相当なことをされたのだろう。
サヤは彼女と剣を交えたが、途中でフィーネと交代したので最終的にノーラがどうなったのかは知らずにいた。
一応、演習終了後にフィーネからサヤが撤退した後に自分が倒したと聞いてはいたのであるが。
「フィーネ、あの人になんかしたの?」
サヤが尋ねると、フィーネは右手の人差し指を唇の下に当てて考える素振りを見せながら言った。
「うーん、特には何も。普通に剣で勝負して倒しただけだよ。ね、カティ?」
フィーネはカティに視線を送る。
カティはフィーネがノーラを撃破した直後に雑木林を抜け出て、彼女と合流してイトの元へ向かったという。
「……うん」
若干の間を置いて、フィーネの問いをカティが首肯する。
フィーネは普段と同じようににこにこしているが、カティの方は――
「なんか、カティ、青ざめてない? 大丈夫?」
「うん、大丈夫……」
そうサヤの問いに返すが、やはり顔は青ざめており、僅かばかり声も震えていた。
「そっかー。大丈夫かー」
サヤは顔を強ばらせながら、カティの言葉を受け入れる。
普段は表情変化がほぼないカティの顔色が明らかに悪く、どう考えても大丈夫そうではないが、これ以上追及しない方がいいだろうとサヤは本能的に察知したが故に。よくよく見ると、フィーネの笑顔にも圧のようなものを感じられなくも……いや、それも気のせいだとサヤは思い込むことにした。
そんなカティの姿を知ってか知らずか、ヘイゼルが後ろからカティの肩を叩いて陽気に言った。
「よー、なに浮かない顔してんだよ、カティ!」
「うん?」
「このオレを倒したんだからもっと明るい顔しろって!」
ヘイゼルがカティの背中を叩いた右手を動かして一方的に肩を組む。カティは普段の表情に戻ってはいたが、どことなく鬱陶しそうな雰囲気があるようにサヤには見えていた。
「仲間に自慢してもいいんだぜ、中央本舎第三席のヘイゼル・ブキャナンを倒したって?」
「しない」
だが、ヘイゼルは全く気にも留めずに友好的に話しかけ、名家の令嬢然としたその優雅な容姿に似合わず豪快に笑う。
「ハ! 相変わらずつれねェな! ああ、それと、オレの短剣を一本、お前持って行っただろ?」
「あ、ごめん。後で返す」
「いいんだ、そのまま借りておけ。オレを倒した記念だ」
「うん。ありがとう?」
ヘイゼルの言葉の意図を汲めずにカティが首を傾げると、ヘイゼルは右手をカティの肩から離す。
「けどな、次は負けねェ。オレはこれからもっと鍛錬を積んで、そしてもう一回お前と勝負して勝つって決めたんだよ。そして、オレが勝ったその時に、短剣は返してもらうからな。それまで大事に持ってろよ」
「うん?」
カティの隣から前へとヘイゼルは移動し、にっと笑いながら右手を差し出す。
「だから、これからもよろしくな! ま、次はいつ会えるかわからねェけどよ!」
「うん」
今度はヘイゼルの意図を汲むことができ、カティも右手を差し出して二人はぐっと握手をした。
一方で、カティとヘイゼルの様子を無言で見ながらイトは少し複雑そうな表情をしていたのであるが――
「私もだ、ヤマノイ殿」
「ひゃっ! あ、カーターさん……」
背後より気配なくベアトリスに声を掛けられ、イトは思わず声を出してしまう。
ベアトリスは喉に包帯を巻いており声も少し掠れている風であったが、二日前に帯びていた氷のような冷たさはなく、穏やかに微笑んでいた。
「此度は貴公に敗れたが、私も次は負けないという気概を以て一層の研鑽に努めよう」
「あ、あの……はい。とてもいい戦いができました。ありがとうございます」
「こちらこそ」
演習場で刃を交えた両総大将役は互いに深々と一礼し、次いで言葉を交える
「時に、エイリス分舎の首席と言うことは、ヤマノイ殿はやはり騎士大学校へ進学するのだろうか?」
「そうですね……首席には入学推薦権が与えられますので。元々、私が首席を目指していたのは、騎士大学校の入学推薦権を得るためだったですし……」
「であれば、来年からは私と同窓だ。同じ学び舎で、貴公と再び刃を交えること、楽しみにしている」
「私もです、ベアトリスさん」
ふたりはふっと笑い合う――が、ベアトリスが神妙な顔をして尋ねた。
「それとヤマノイ殿、この格好はいったい……? タスキには“アンタが大将”と書かれているし、帽子も珍妙な……普段より日常ではこのような姿で……?」
「あわわ! そ、そんなわけないじゃないですかっ! 今日だけ! 今日だけですっ!」
しげしげとイトに付けられた愉快なグッズを観察するベアトリスに対し、イトは赤面しながら否定する。
イトとカティがそれぞれの対戦相手と交流する姿を見ながら、サヤもまた嬉しげにへにゃっと笑った。
「みんな仲良くなってるねえ。これが青春……なのかなぁ?」
「そうかも。けど、サヤちゃん、あたしたちは最初から仲良しだもんね」
エズメが少しずれたことを言っていて、サヤは思わず噴き出してしまった。
「あはは、だね」
「そうだ、サヤちゃん、あっちにハットウが出てたよ。持ってこようか? 好きだよね、ハットウ?」
“ハットウ”とはエイリス地区の郷土料理。太麺とカボチャ、根菜、山菜を味噌で煮込んだもの。
今年の対戦校がエイリス分舎であることから、主催側が気を利かせて用意したものであり、事実多くのエイリス出身の騎士候補生たちが好むものであったが。
「あ、ごめん、えっちゃん。わたしハットウ嫌いなの」
サヤが申し訳なさそうに断るとエズメが――否、エズメを含む中央本舎四人が一斉に凍り付くように停止した。
「え、何、この空気……? ど、どしたの、えっちゃん? それに、他の人も……?」
その異常な光景に、サヤは空恐ろしいものを感じながら尋ねる。すると、エズメが目をぱちくりしながら尋ね返した。
「……サ、サヤちゃん嘘だよね? だって、エイリスの人ってみんなハットウ好きなんだよね? パパもそう言っていたし」
「えっちゃんに何を教えているの、おじさん」
ヘイゼルがまるで怪物を見たかのように慌てふためいた。
「嘘だろ、おい! ありえねェだろ! エイリス地区だと毎日ハットウを食べるのが伝統なんだろ!?」
「そんな伝統ないよ! てか、驚きすぎ!」
レスリーがサヤに縋り付くが如く詰め寄り、必死になって言った。
「マジっすか!? サヤさん、本当にエイリスの人なんすか!? それともハットウが嫌いってのはエイリス地区的なジョークなんすよね!?」
「正真正銘、生まれも育ちもエイリス地区だから! あと、そんなジョーク言ってどうすんの!?」
そして、ベアトリスが自身の最高の技を打ち破られたかの如く愕然とした様子見せた。
「馬鹿な……! ありえん……!」
もはや突っ込む言葉も失われ、サヤは憤然としながら叫ぶように言った。
「あんたら……勝手な思い込みでわたしの個性を決めつけんなー! エイリスの人間が地元料理が嫌いでそんなに悪いかーー!!」
*
同時刻。鷹鳴城医務室。
フィリパの伏せるベッドの隣でダイアナがリンゴを切り、フォークに刺してフィリパに差し出す。
「フィル、リンゴ切れたよ」
「ごめんねー、ダイアナ。食べさせて?」
照れたように舌を小さく出して笑うフィリパに対し、ダイアナは少し呆れたように言った。
「腕は動くでしょ……ま、いっか。あたしが食べさせるんだから、感謝しなよー」
「女神様、聖女様、ダイアナ様、感謝しますー」
「うわっ、説得力ないわー」
苦笑しながらもダイアナはフィリパの口元にリンゴを運び、フィリパはそれを口に含む。
リンゴを咀嚼して飲み込むと、フィリパは少し俯き申し訳なさそうに言った。
「本当に、ごめんね、ダイアナ……」
「なにが?」
「ほら、私に付き合わせて会食に行けなかったし……」
フィリパの言葉を聞いて、ダイアナは明るく笑って言った。
「そんなこと? 気にしなくていいってば。あたし達だけが仲間はずれって訳じゃないんだからさ」
実際、医務室にはフィリパやダイアナ以外にも複数人の騎士候補生が存在している。
フィリパの右隣のベッドではマリナがずっと寝ているし、左隣には「プラチナ怖い、プラチナ怖い……」と譫言を言いながら搬送された糸目の少女が、震えて毛布を被っている。
また、向かい側のベッドに就いている銀髪の少女にはアーシャというダイアナの友人がずっと付きっきりでそばにいる。
更に、来客も少なからずあり、会食前にはサヤとフィーネ、イトとカティが来てくれているし、先ほどまではフィリパと共通の友人であるヴィルヘルミナが自分たちと向かい側の銀髪の少女の見舞いに来ていた。
「それに、フィルが来られないなら会食に行ったって――」
ダイアナの言葉の途中、つと、医務室の扉がノックされる。
「ん、誰か来たみたい。出てくるね」
「はいよー」
フィリパとの会話を中断して、ダイアナは医務室の扉に向かい、開く。
「はい、どなたですか?」
扉を開けた先には、見知らぬ男が立っていた。
白髪交じりの薄茶髪を後ろに撫でつけた、銀縁眼鏡に鋭い目つきの男性。
初めて見る顔だが騎士団制服を着用していることから、おそらくは地元騎士団か中央本舎の関係者だろう。
「失礼、こちらにマリナ・ブライスという騎士候補生はいるかね?」
「マリナ、ですか……?」
見知らぬ騎士が見知った名前を出して若干訝しがりながらも、フィリパは答える。
「はい、いるにはいますけど……」
「話は、できそうかね?」
「うーん、無理だと思いますよ、寝ているので。何か伝えることがあれば聞きますけど?」
「いや、なら結構。失礼する」
フィリパの答えを受けて騎士は一礼すると足早に医務室から立ち去った。
「……なんだったんだろう、あの人。ま、いいか」
見知らぬ男の言動に不審さを感じながらも、ダイアナは医務室の扉を閉めた。
*
人の気配のない鷹鳴城の廊下を、ブライス卿はひとりで歩いていた。医務室を後にして、自室に戻り出立の支度をするために。
自室は西の隅。長めの廊下を直進し、左直角路を曲がり――
「娘に会わなくていいのか?」
「――――」
不意に、ブライス卿は背後からの声に呼び止められる。
小さく、ぼそぼそとした、だがはっきりと耳に入る老人の声。
振り返ると、先ほど曲がった廊下の角に老人が佇んでいた。
緩くウェーブのかかった白髪。たるんだ頬の肉。丸眼鏡の下にある落ち窪んだ細い目には陰惨な色を滲ませている。薄汚れたステッキの上に皺だらけの両手を重ね乗せ、やや俯き気味の顔はブライス卿の方に向いておらず、床の一点を見つめているようであった。
自分が歩いていた時には、間違いなく存在していなかった老人。禍々しい空気を周囲に淀ませている老人。
未だに得体の知れない老人。
「人情めいたことを言うとは、貴方らしくない」
ブライス卿は老人に恐怖感を抱こうとする自身の心を抑えつけるかのように、皮肉を込めて言った。
だが、老人はブライス卿の言葉を無視してぼそぼそと続ける。
「今生の別れになるかもしれぬぞ」
その言葉を聞き、ブライス卿ははっと目を見開く。
マリナと会わねば、今生の別れとなる。老人の言葉の意図するところは読めないが、その意味は余りにも不吉なものを感じさせた。
「それは、どういうことで……?」
ブライス卿の問いを受けてもなお、老人はブライス卿に顔を向けることなく答えた。
「今にお前にもわかるであろう」
そう告げると、老人は先ほどまでブライス卿が進んでいた方へと歩き出す。
「もし、次に娘に会える機会があれば、しっかりと会っておけ」
歩きながら老人はそう言い、そのまま壁の角に隠れて姿を消した。
「…………」
老人の姿がブライス卿の視界から消え、少しした後にブライス卿は音を立てずにゆっくりと老人が歩いて行った方へと進む。
直角路を曲がり、その先を見る。
自分が歩いてきた長い直線廊下には、老人の姿は影も形もなく、ただブライス卿は自身が大汗を発していることを自覚するだけであった。
(第七章 了)




