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騎士候補生少女譚  作者: 柳生 劣情(文章)&春畑 晴燕(設定)
第七章 少女たちの蒼穹
41/71

白銀/七年前から

 薙ぐ。捌く。逸らす。穿つ。絡める。払う――蒼穹の下で、青と白銀の刃が煌めき、交わる。

 青い刃の槍“御走(みばしり)”を振るうは、中央本舎総大将役ベアトリス・カーター。

 白銀の刃の薙刀“高砂(たかさご)”を振るうは、エイリス分舎総大将役イト・ヤマノイ。

 彼女らが打ち合うこと数十合、その動きは未だにふたりとも衰えず。流麗な動作は演舞の如く。

 舞うが如く振るわれる長柄の交錯を目にする者がいれば、きっと驚嘆の息を漏らすに違いなく――やんぬるかな、この場に立つは両総大将以外はおらず、彼女らの武美を目にする者はなく。

「はっ」

「せい!」

 まるで呼応するかのようにふたりは同時に身体の軸を捻る。柄を右手のみで持ち、片足を起点にして身体全体を回転させ、刃を(はし)らせる。

 鳴り響く金音(かなおと)。双者の渾身の一撃は、それぞれの得物の鉄柄にぶつかり、刃がその首に触れる直前にして止まる。

 イトの首の寸前で止まった“御走”は、氷刃(ひょうじん)に触れた彼女の毛先を凍り付かせる。

 ベアトリスの首の寸前で止まった“高砂”は、直刃に触れた彼女の髪をはらりと数本切り落とす。

「む、う……!」

 ベアトリスは息を呑む。

 武器や魔術の殺傷能力を落とす鈍化魔術が施されている中央総合演習であってもなお、僅かながらでも髪という人体の一部を切り落とす“高砂”の威力に。そして、白銀の直刃の美しさに。

「流石、ダイゼン家の“高砂”だ……旧ヤマノイ家の(すえ)が振るうに相応しい」

 まだ、幼年騎士学校に入る前の時のことを想起する。“高砂”の刃は、七年前より変わらずに美しい――ベアトリスの内に歓喜が生じ、無意識に目を細めた。


    *

 

 物心がついた時から、ベアトリスは美しいものが好きだった。美しいと感じる時、胸はときめき、弾み、締め付けられ、自然と息を漏らしてしまう。

 どうしてそうなったのかは、わからない。思い出すことができない。生まれ持った(さが)なのかもしれない。

 同時に、物心がついた時から、強さへの憧憬があった。

 それは、祖父の存在が大きかった。“グ”帝国の大陸統一戦役に従軍したジューコフ将軍やリスト卿らと並ぶ“英雄”カーター卿。齢八十を超えてもなお、近衛騎士団総裁を務める王政府重鎮であり、“千石(せんごく)もの”と称された槍術の名手たる武人。

 ベアトリスにとっては祖父は誇りであり、槍術の師であり、生涯の目標。十七歳の少女らしからぬ喋り方も、幼少の頃から憧れの祖父の口調を真似し続けていたことが未だに抜けなかったがため。少しでも、祖父のような強い武人に近づきたいという幼心。

 斯様な美しいものへの希求と強いものへの憧憬は、ベアトリスの興味を名工による武具に惹き付けさせた。使い手の威を示す武器でありながら芸術品とも称される美しき刃をもった名刀名槍は、ベアトリスの好むものが体現された存在。幼いベアトリスは、祖父やその戦友たちにせがんで彼ら・彼女らの武器を見せてもらうことを大きな楽しみとしていた。

 そんな彼女が特に心を惹き付けさせた武具が、“高砂”。初めて実物を見たのは七年前。王都で開催された武器展。王都居住の名門武家が所蔵する武器を中心とした展覧会であり、エイリス騎士団の武威を知らしめて愛国心を称揚するための行事の一。

 騎士団と大政庁の共催でありカーター家からも魔術槍“御走”を出展していた関係上、十歳のベアトリスも展覧会を見学することになった。

 出展された武器はベアトリスも名を知る名品絶品が多くあり、彼女の心を昂ぶらせ、その目を惹き付けさせた。

 グラント家の所有する蛇の如き奇剣“サーペント”。

 クリスト・ロットラッファー卿が常に携えている機械剣“クライスラー”。

 ジューコフ将軍が愛用している血を吸う薙刀“卒都婆小町(そとばこまち)”。

 斯様な数々の出展品の中で最も彼女を魅了したのが“高砂”だった。

 華伝流という薙刀術の流派を修める極東武門の名家ダイゼン家の家宝。ジューコフ将軍の“卒都婆小町”と同じく極東の刀匠ヨシミツ・カンゼの作。

 光沢のある霊木拵(れいぼくごしらえ)の柄の先に戴く白銀の刃は決して欠けることなく、如何なるものでも砂山を斬り散らすかの如く通すと謳われる。

 “御走”や“サーペント”のような魔力が籠められた武器でなく、ただただ純粋な薙刀としての性能を追求して形作られた直刃。

 一目でその刃の美しさと、刀匠の想念を感じてしまうほどの力強さに十歳のベアトリスは心を奪われた。

 ただ武器は飾り、鑑賞するものだけに非ず。いつか、この麗強な武器の使い手と刃を交えたい、という空想じみた小さな願いが生まれていた。

 しかし、武器展が終了して数週後――“高砂”を所有しているダイゼン家は没落した。

 “ドレクスラーの獄”による粛清。ダイゼン家は財産のほぼ全てを没収されても“高砂”は手放さず、都落ちをした。王都の土地屋敷を失った当主も、“高砂”もその所在は不明となった。

 ダイゼン家没落を知ったベアトリスは大きな衝撃を受けた。“高砂”の行方も分からなくなり、もう二度とあの美しい白銀の輝きを目にすることも、その使い手と刃を交えることも叶わなくなったのだと、十歳のベアトリスの心に大きな喪失感を残すこととなった。

 それから七年後。十七歳となり、中央本舎の総大将役として赴いた鷹鳴城で出会ったのが相手方のエイリス分舎総大将役イト・ヤマノイ。

 ヤマノイの名を聞けば誰もが想起する――“ドレクスラーの獄”で没落した極東武門の棟梁ヤマノイ家のことを。そして、ベアトリスはヤマノイ家とダイゼン家は姻戚関係にあることを知っていた。

 もしかしたらと思い“特憲(とっけん)”の叔母に便りを出したところ、事実彼女はヤマノイ家の後継者であることを知った。

 イトの素性を知り、ベアトリスは希望を抱いた。ダイゼン家の血を受け継ぐイト・ヤマノイは、“高砂”を所持しているかもしれないと。あの強く美しい白銀の刃が、彼女の得物になっているかもしれないと。

 だからこそ、ベアトリスは逸った。彼女が、“高砂”を所持しているのかを知りたくて、総大将役にも関わらず常道を無視して自ら前線へ赴き――実際に演習場で対峙した彼女の得物には、七年前に見たのと同じ白銀の煌めきがあった。

 変わらぬ刃の美しさに、ベアトリスは歓喜した。七年前、心を奪われて憧れた“高砂”と刃を交えるという空想じみた願いが、まさに叶おうとしていたのだから。


    *


「流石、ダイゼン家の“高砂”だ……旧ヤマノイ家の裔が振るうに相応しい」

「……!?」

 ベアトリスの発した言葉に、イトは心臓を槍で穿たれるが如き衝撃を覚える。

 ダイゼン家の“高砂”。旧ヤマノイ家の裔。叔母より受け継いだ薙刀と、自身の血筋。

 エイリス分舎の友人たちにも明かしていないイトの素性に関わることを、どうして彼女が知っているのか。

「何故……そのことを……!?」

 心に怯えめいたものが生まれ、それを霧散させるが如く思いっきり力を込めてベアトリスの槍を弾く。

 ベアトリスは後方へと引き、槍を構え直して答えた。

「失礼ながら、“特憲”の親族を頼りに貴公のことを予め調べさせてもらった。極東武門の棟梁とかつては謳われた旧ヤマノイ家の娘であり、ダイゼン家の血を受け継ぐ者だと」

「――――」

 ベアトリスの発した言葉に、イトは凍り付く。

 “特憲”。七年前のあの夜、カラザのヤマノイ邸に踏み込み、母とレーナを拘束していった騎士達を示す言葉。

 あの夜のことが、イトの脳裏に次々と蘇っていく。

 使用人のタキガワ夫婦の悲鳴。廊下を駆ける荒々しい足音。フロックコートに官帽姿の七人の騎士達。拘束されるレーナと母。母の拘束に今まで見たことないほど取り乱すレーナ。涙を流して縋り付く自分を宥める母の声と手と微笑み。隣で自分の手を握ってくれていたカティ。

 いつしか満月は雲に隠れ、ただただ黒い夜だけが残っていた――あの夜のことは、今でもはっきり覚えている。忘れられない。忘れられるはずがない。脳に焼き付けられた、永遠に消えない傷。

 日中は極力、思い出さないようにしている。それでも、今でも時折、あの黒い夜のことを夢に見る。心を抉り、切り刻み、苛ませる黒い夜。

 その夜を想起させる言葉を、ベアトリスは口にしていた。

「あ――」

 イトの耳に、あの夜に踏み込んだ“特憲”の指揮官の声が響いた。

 母が連行される前に浴衣から着替えさせてほしいという望みを、却下した時の言葉。

『……不許可だ。時間が惜しい。カーター、ウェン、拘束しろ』

 その言葉を受けて、ふたりの女性騎士が母に手錠を掛けた。

 そうだ、あの時、母に手錠をかけた女性騎士のうちひとりはカーターと呼ばれていて。

「――――!」

 あの夜に、母に手錠を掛けた女性騎士のひとりの顔と、目の前にいる少女の姿が交錯した。

 彼女の名は、ベアトリス・カーター。

 彼女は言った。親族が“特憲”にいると。それはつまり、あの時に母を拘束した――

母様(かあさま)……!」

 自然と、母を呼ぶ声が口から漏れる。

 心臓を穿つような衝撃の残滓が、じわりじわりと寒い痛みとなっていく。

 頭が白む。身体が震える。雲一つない快晴なのに、凍えるような寒さを感じる。

「くっ……」

 イトは歯を食いしばる。

 ここは、中央総合演習の場。眼前にいるのは、敵方の総大将役。その現状を自身に喚起し、心の平静を取り戻そうとする。

 痛むほど地面を踏み込み、震える脚を抑えこむ。

 だが、あの夜の痛みを葬りさることは能わず。胸の痛みがより深く、鋭く、抉るように強まる。

 目の前にいるベアトリスが、黒い夜に母に手錠を掛けた女性騎士と重なり続ける。

 心の中に黒い夜に対する様々な情念が渦を巻き、乱れ始めていく。

 恐怖。後悔。憤怒。憎悪。逃避。嫌悪。

 このままではいけない。今は戦わなければ――そう、理性が囁いた。だが、溢れ出る悪感情が止まることはなく。

「はああぁぁ!」

 故に、心に渦巻き始めた黒い夜の情念を振り払うが如く、イトは大声を上げ、猛る。

 そして、薙刀を構えて駆ける。ベアトリスへの攻勢を仕掛ける。がむしゃらに、自身の傷を覆い隠すために。

「せいやぁ!!」

「むっ……!」

 イトが薙刀を振り下ろし、ベアトリスが受け止める。鉄柄がぶつかり合う高音が再度響く。

 刃が踊り舞う。刃が荒び舞う。刃が乱れ舞う。

 しかし、薙刀を振るう度に、イトの心の悪感情は払われるどころか増していく。

 眼前の相手が、母を連れて行った騎士の姿と二重写しとなる。

 憎くて、寒くて、怖くて、冷たくて、ただただ目の前の相手を排除したいという激情に心が染まっていく。

 平静さを失い行く中で、イトはつと思う。

 カティは、今、どこにいるのだろうか。

 こんなにも身体を動かして、薙刀を振るっているのに、身体が寒い。あの夜のように、身体の芯が寒い――だから、あの時みたいに、カティにそばにいてほしい。

 眼前の敵に対し刃を振るいながらも、イトの心の一部は遥か遠くに向けられていた。


    *


「はあああ! せい、せい! せやああぁぁ!」

「くっ……」

 首を狙って突き出された“高砂”の刃を、ベアトリスは身体全体を逸らして避ける。

 はらりと、幾本か髪の毛が落ちた。

 “高砂”の切れ味を改めて思い知る。文字通り間一髪。身体に凍り付くような悪寒が走る。

 避け方を少しでも誤れば即敗北。それがイトと刃を交えたベアトリスの感懐。

 今の攻撃も身体全体を動かさなければ即座に切り落としが放たれて肩、或いは胴に刃が振るわれていただろう。

 彼女の攻撃は速く、鋭く、そして何よりも恐ろしいのは攻撃が全て首狙いに帰結するという点。

 急所中の急所を狙う、戦いを最速最短で終わらせるための技巧。相手の首を刎ねて確実に仕留めるという殺意めいた気迫。

 単純な首狙いの攻撃であれば狙いが明確な分だけむしろ対処しやすいのであるが、イトの振るう薙刀は牽制のための小技が多くて防御が難しく、かつ、流れるような連撃は技の繋ぎは滑らかであり、いつ首狙いの本命の一撃が飛んでくるか極めて読みづらい。そして、反撃をする暇がない。下手に動こうものなら、即座に隙を突いて刃が首に届くことは容易に想像がつく。

 今まで致命的な攻撃を避けられてきたのも、イトの攻撃を読めたというよりも純粋な身体能力によるものが大きい。

 首狙いの攻撃が放たれてから身体を動かす敏捷な反応力。日々の鍛錬の賜物。訓練は裏切らないという言葉を、改めて噛みしめる。

(私とは、大違いだな……)

 軽快な身体捌きで後方に数度跳び退いてイトから距離を取り、“御走”を構え直しながら、ベアトリスは思う。

 自分は戦うことそれ自体が好きである。敬愛する祖父から槍を習ってきた経験と、幼少の頃に読んだ『クリストフ王物語』を初めとする騎士道物語の影響という自己分析。

 武術の師である祖父自身が強者との戦いを好む武人気質であったことから、強者との誇り高き一騎打ちに望む騎士道物語に描かれた騎士の在り方がベアトリスの憧れであり理想となっていた。

 だが、今“高砂”を振るう彼女は違うように、ベアトリスには感じられた。

 彼女が用いるのは、戦いを最速で終わらせるための技。戦い自体を愉しむ気質の人間であれば、決して用いぬ技法。

 その在り方は、戦いを生業にしながらも戦いそれ自体には価値を見出さない、現実的であり実務的な騎士の姿。騎士道物語に描かれた理想的な騎士を目指す自分とは対極的でありながら、非常に騎士らしい戦い方であった。

 或いは、そのような理由だけではなく――即座にこの戦いを終わらせたいという強い情念が、彼女を突き動かしているのかもしれないとも、ベアトリスは分析していた。

 だが、いずれにしろ厄介には極まりない。

 いつ放たれるか分からない首狙いの一撃を、そう幾度も躱せるとは思わない。こちらが反撃できないほどの攻勢であるため、自身の体力が尽きる前にイトを打ち倒すことも難易度が高すぎる。

 然らば、そもそも彼女に攻撃をさせなければいい――

「……戦い方を変えよう」

 ベアトリスはそう言いながら“御走”を右手一本で持ち、彼女の元へ駆け迫るイトの対して穂先を向ける。

「魔力解放……放て!」

 命じるようにベアトリスが言うと“御走”の青い刃の尖端から白い光線がイトに向かって真っ直ぐと放たれた。

 “御走”に籠められた氷魔術の解放。着弾点を凍り付かせて氷塊や氷筍を生じさせる技法。直接刃を交えることが不利であれば、“高砂”の間合い外より攻めるより他に無しというベアトリスの判断。

 だが。

「せいっ!」

「むっ……!?」

 イトが白い光線を“高砂”で一閃すると、“御走”の魔力は霧散し、消滅した。

 極東武術では、強い剣気を以て魔術を切り払う技があるという――知識として覚えてはいたのであるが、実際にその場面を見るのは初めてであった。

 ベアトリスの内に、見事だという純粋な賞賛と、“御走”の魔力解放を初めて打ち破られた畏怖が同時に生じ、入り交じる。

 イトが迫る。刃を交えがたい相手が、自分の元へ駆ける。

「ならば、奥の手だ……!」

 中央本舎の同輩であれば誰も聞いたことのないような、僅かな恐れを感じさせる声でベアトリスが宣する。

 彼女が取れる最後の選択肢であり、切り札。

 ベアトリスは“御走”を頭上に掲げて、周囲の空気を取り込むが如く数度回転させた後、地面に思いっきり穂先を突き立てる。

「っ!?」

 その光景を見て、ベアトリスへと馳せるイトの表情に驚きの気色が生じる。

 ベアトリスが“御走”を地面に突き立てた瞬間、イトの背を超す程の巨大な氷塊が凄まじい速度で次々と地面に生じていく。

 地面に突き立てられた“御走”の青い刃から真っ直ぐにイトに向かって次々と生じていく氷塊。それは不可視の神性存在が疾駆し、その痕跡として大地を凍り付かせていくが如く――“御走”の名の由縁を示す技であり、氷の魔槍に秘められた魔力の最大解放。

「くっ……ああああっ!」

 ベアトリスの最大の技である高速の氷塊乱立を、彼女へ向けて走るイトは避けること能わず。イトの足下から生じた氷塊は彼女の歩みを掬い、凍り付かせ、そのまま高さを増していく氷は両腕をも包む。

「うっ……あっ……」

 イトが苦痛の息を漏らす。

 “御走”の最大解放により生じた魔術氷塊は、イトの両手と両足を“高砂”ごと氷の中に閉じ込めていた。

 氷に覆われていない部分は胴体と頭部のみで動くことは叶わず。その姿はさながら氷の(はりつけ)。更に四肢を封じた氷塊は強烈な痛みを覚えるほどの冷気を発し、イトを苦悶させる。

「はぁ……はぁ……ぬぅ……!」

 一方でベアトリスは、“御走”の氷塊でイトを拘束したことを見届けると、その場で屈み込んで呼吸を乱す。

 “御走”の魔力最大解放による反動。使い手自身の魔力をも多大に食らい、気力体力を格別に消費するベアトリス最大の技。

 できることなら即座に氷の磔により動けなくなったイトの元へと迫りとどめを刺したかったが、余りの体力消耗に叶わない。

 だが、相手は魔術氷塊が直撃して四肢を凍り付かせているのであれば、体勢を整える時間的な余裕はある。何も問題は――

「ベアトリスさん、援護を!」

「!?」

 不意に、ベアトリスの後方より声が掛かる。

 振り向き見ると、少し離れた位置にある小さな丘に黒の演習正装を纏う中央本舎の騎士候補生たちの姿があった。新たにエイリス分舎陣地に進軍してきた同輩たち。

 人数は三人。彼女たちはいずれも弓を構えており。

「今だ、一斉射撃! 敵大将を狙えぇ!」

「やめろ! 水を差すな――!」

 弓使いの中央本舎騎士候補生の号令と、ベアトリスの叫びが同時に響く。

 だが、彼女の制止も空しく、イトへ向かって矢が即座に放たれ、そして――

 

    *


 とても冷たくて、寒かった。

 両手足は、動かない。冷たい。痛い。息が白む。頭がぼんやりとする。

 四肢を氷の檻に閉じ込められ磔にされたイトは、朦朧としていた。

 油断した――などと、紋切り型の使い古された反省の弁も浮かばない。油断以前の問題である。

 ベアトリスの戦いの最中、心を大いに乱されていた。

 “特憲”という言葉と、あの夜に母を連れ去った女性騎士の姿の幻視。

 渦を巻く、黒い情念。

 目の前にいるベアトリスが、母を連れ去った女性騎士と重なって、その姿を拭えなくて、憎くて、許せなくなってしまった。

 八つ当たりめいた衝動。

 ここで彼女を害して何になる。そもそも彼女はあの夜とは何ら関係ない無辜。何をしようと母は戻らない。

 全く意味のない。

 それでも、その無為な悪感情がイトを狂わせ、突き動かしていた。

 あの夜に自分の隣で手を握ってくれたカティがそばにいてくれたのなら、もしかしたら、感情を暴走させることもなかったのかもしれない。

 甘えと悔やみ。

(馬鹿だな……私……)

 視界がぼやける。少しだけ意識が薄くなる。

 ただ目の前の少女を排除したいという間違った感情の赴くまま、刃を振るった。敗北して当然である。

 そのベアトリスは――地面に膝をつき、苦しげな様子を見せている。未だにとどめは刺されていない。

 だが、自分は動けない。どうしようもない。時間の問題――

(あれ……?)

 そう諦念めいた思考を巡らす中で、イトは気づいた。

 ベアトリスの後ろの小さな丘に、複数の黒い人影が――否、黒い演習正装を纏った中央本舎の騎士候補生がいることに。

 数は三人。全員が弓を構えているようであり、そして、矢が放たれる。

 ベアトリスが何かを叫んだようだが、薄れ行く意識の中では内容を認識できない。

 ただ、自分へ向けて飛来する矢が見えて、そして――自分に届くより前に、三本とも落ちた。

 二本は中空で突如ずたずたに柄が切り刻まれ、残りの一本は投擲された短刀に撃ち落とされる。

 目の前に発生した出来事を見て、イトは気を取り戻す。

「カティ……ちゃん……?」

 矢を撃ち落とした短刀には、確かな見覚えがあった。

 あれは、カティが持っていたものの一つで――そう思考を取り戻す最中、ベアトリスの後ろにいた三人の弓使いが、ふたりの少女によって打ち倒されていった。


    *


 弓使いの騎士候補生たちは、一同信じられないものを見るような顔をしていた。

 放った矢は全て、撃ち落とされていた。

 そしてすぐに、二人が叫び声を上げながら倒れた。その背中には、短刀と戦釘(せんちゅう)

 残った一人が状況を飲み込めず恐慌とした様子を見せる中で、涼やかな声で魔法句が告げられる。

「“木生火(もくしょうか)”」

 五行相生(ごぎょうそうしょう)。木は火を発する。

 “グ”帝国由来の五行論に基づく魔術により、木製の弓は炎上し使い手を更なる混乱へと落とし込む。

「カティ、やって」

「うん!」

 最後の一人が、後方から駆けてきた長身の少女によって打ち倒される。その後背には、白金(プラチナ)色の髪をした少女が優美に微笑んでいた。

 彼女たちの姿を、イトは知っている。常に一緒に過ごしているふたり。

(フィーネちゃんと……カティちゃん!?)

 ヘイゼルを撃破して雑木林を抜けたカティは、出口付近でノーラを屈服させたフィーネと合流。イトのいるエイリス分舎本陣へと馳せ参じ、今し方辿り着いてイトの危機的状況を救う形となった。

(無事だったんだ……来て、くれたんだ……!)

 彼女たちの存在を認識し、イトははっきりと意識を取り戻す。

 視界が明瞭になる。心臓の鼓動が早まる。

 カティがそばにいてくれれば、彼女の顔が見られるのなら、自分はどこまでも行ける――心から勇気が満ち溢れる。

 母が“特憲”に連れて行かれた時も、その母が死没した時も、カティがそばにいてくれたから自分は耐えることができた。歩むことができた。今、この場に在ることができた。

 ならば、この程度――


    *


「イト! すぐに――!」

「待って」

 イトの元に駆けようとするカティを、フィーネが制する。

「イトは、多分、大丈夫だよ。ほら」

「うん?」

 フィーネに促されて、カティは目を向ける。

 氷付けにされていたイトがいるはずだったその場所には、白煙が立ちこめていた。

「やああああっ!!」

 白煙の中、イトの喝声と破砕音が入り交じる。

 その様子に、ベアトリスは驚愕していた。

「まさか……!?」

 ベアトリスの呟きを、一際大きな破砕音が塗りつぶす。 

 氷塊が溶け砕け、消える。白煙が切り払われる。その先には“高砂”携えるイトが立っていた。

 気迫により両腕を拘束していた魔術氷塊の一部を溶かし、自由になった腕と“高砂”で残りの氷塊を破壊して氷の磔から脱したイトの姿。

「“御走”の最大解放が、破られる……とは……!」

 愕然としながらも、ベアトリスは状況を理解する。

 先に目にした、強い剣気を以て魔術を切り払う極東武術の技。イトの強い気迫は、ベアトリスの最高の技を上回ったという単純至極な力関係。

 気炎万丈の文字通り、かの“グ”帝国最高の剣士であるベッカリーア無領公は気迫のみを以て周囲の敵を焼き尽くすという逸話が存在するが、イトはその無領公の逸話を小さく再現する形となった。

「決着を、つけましょう。カーターさん」

 イトはベアトリスに“高砂”を突きつけながら、凛とした声で言った。

 敢えて、あの夜に聞いた名前を口にして。

 心の乱れは、ない。自分でも驚くほど平静だった。

 カティが自分のそばにいてくれる。それだけで、イトの精神は安定を失うことはなく。

「承知――参る!」

 自身の切り札を打ち破ったイトに怯むことなく、ベアトリスは駆ける。

 青き刃の“御走”を振るい、イトが白銀の“高砂”で応じる。

「ふんっ!」

「せいっ!」

 蒼穹の下で再度、青と白銀の刃が煌めき、交わる。

 薙ぐ。捌く。逸らす。穿つ。絡める。払う。そして――

「はあっ!」

「がふっ……!」

 ベアトリスに払われた“高砂”をイトは右手一本で器用に半回転させ、石突を前に向けた状態で構えて相手の腹を穿つ。

 先ほどまでと同じく首狙いの攻撃がくると思い込んでいたベアトリスは石突での攻撃に対応できず、腹部を強打し飛ばされ、地面を転がる。

「強い……だが、甘いっ!」

「うっ……」

 地に伏しながら、ベアトリスは“御走”の魔力を僅かに解放する。穂先から放たれた白い光線は、イトの足先に命中し凍り付かせ、動きを止める。

「さらばだ――!」

 即座に立ち上がり、動けなくなったイトの元に迫ったベアトリスは“御走”を頭上に振り上げて、決着の一撃を放とうとする――と同時に、カチリと機械音がした。

 ベアトリスの動きが、停止する。

「ぬっ、ぐっ……!」

 そして、呻くようにベアトリスが声を漏らした。

 彼女の首元には、白銀の刃。強く美しい“高砂”の刃。その付け根には細い鎖が付けられており、“高砂”の鉄柄に通じていた。

 柄の中は空洞。刃の底に鎖を通して、飛叉の如く放つ暗器めいた絡繰が“高砂”に施されていた。

 自分が知る“高砂”では有り得ない構造。刀匠ヨシミツ・カンゼが機械仕掛けの武器を作るなど信じがたい――そんな思いが去来する。

「なぜ、だ……?」

 疑問を口にすると同時に手の、全身の力が弛む。

 “御走”を取り落とし、ベアトリスは膝をついた。


    *


 首に“高砂”の刃を受けて、膝を屈しながらベアトリスは想起する。七年前に、自分の心を奪った“高砂”の姿を。

 美しい白銀の直刃。その刀身は光沢ある霊木拵の柄に取り付けられており――

「――――!」

 ベアトリスは気づいた。

 痛む首を動かし、顔を上げてイトの姿を視界に入れる。

 イトの持っている“高砂”は刃こそは自分が七年前に見た時と同じ。だが、その柄は七年前とは異なり霊木ではなく鉄の拵え。

 つまり、イトは失われた名宝である“高砂”を。

「改造、したのか……? あの……“高砂”、を……?」

 喉の激痛を堪えて絞り出すようにベアトリスが言うと、イトはそれを首肯する。

「ええ。カーターさんの言うとおりです」

「ダイゼン家の、家宝だろう……!? それを……」

 非難めいた眼差しを向けるベアトリスに対し、イトは毅然と答えた。

「武器は……戦うためのもの。ただ死蔵するものではありません。だから、私の戦い方に合わせて、“高砂”を作り替えました」

 イトは少しだけ瞼を閉じ、意を決したように続けた。

「“高砂”は、ダイゼン家の当主である叔母から譲り受けた品。叔母が持つもの全てを手放しても守り続けたのは、私が“高砂”を振るって武威を示し、ダイゼン家とヤマノイ家の栄誉を取り戻すためだ、と……だからこそ、迷いましたが……決めたのです。自分の名を挙げ、私に託された願いを叶えるためには、何でもすると」

 その声には罪悪めいたものがあった。だが、悔悟は一切なく。

「――だから、これは私の覚悟の証」

 真っ直ぐと、ベアトリスに対して告げる。

 イトの言葉を受けて、ベアトリスは諦めたように小さく笑んだ。

「ふっ……そうか……ならば……」

 その表情は、自分を魅了していつか刃を交えることを切望していた“高砂”への惜別と、自分がそれほど心奪われたものを作り替えるイトの覚悟への賞賛。

 ダイゼン家の至宝は、もはや失われた。今在るのは、使い手の決意によって作られた機械仕掛けの成れの果て。

 血族が守り抜いた宝を、それほど大切なものだと理解してでもなお、自らの願いのために形を損なわせ、不可逆的に作り替える。その覚悟は、ある種の欲に囚われた自分では決められないもの。

「……覚悟足りず、私の敗北だ、な……」

 言い終えると、ベアトリスはかくりと頭を垂らす。

 彼女の演習正装の飾緒は途切れ、中央本舎総大将役ベアトリス・カーターの陥落を物語っていた。


    *

 

 時を同じくして、狼煙が上がる。

 それは、中央総合演習終了の知らせ。

 狼煙が上がる。狼煙が上がる。

 蒼穹の下で繰り広げられた少女たちの戦いは、両陣営の総大将役同士の決着と時を同じくして、幕引きとなった。


(続)

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