奇剣跳梁/寸前
ダスバ城塞観覧室の壁面には、レスリー・フォードの敗退する様子が映し出されていた。その映像を見る賓客たちは様々な反応を示す。
「ほほう、またもや番狂わせ……いや、ブライス卿のご息女であれば、妥当な結果かな。見事なものだね。くっくっく」
ゲキは驚きながらも、その状況を心から楽しんでいた。少女同士が戦う姿を眺めること自体が彼女にとっては大いなる娯楽であるが、それに加えて予想外の結末となったことは彼女の心中に更なる愉楽を生じさせたが故に。
「…………」
シグ・ブライス卿は、眉間に皺を寄せながら無言で我が子の映し出される画面を見ていた。普段から鬱屈とした雰囲気を纏う彼の表情からは、どのような感情を抱いているのか読み取れる人間はこの場にはいなかった。
「まさか、ブライスさんまで……」
ブラックウッド分舎長は、曖昧な表情で呟いた。エイリス分舎廃止回避のために戦果を出せたのは喜ばしいが、あまりにもやり過ぎて中央本舎の不興を買うことへの不安がその声に入り交じっていた。
「うっ……死体を使う魔術なんて……」
イワクラァ次官は、顔を青くしながら呻いた。ただでさえ気分が優れない状態であったが、レスリーの外法を目の当たりにしたせいでより一層その顔色を悪くさせていた。
「嘘よ! ありえませんわ! 上位五席のうちふたりが負けるなんて……!」
ブキャナン本舎長は、観覧中に腰掛けていた椅子から立ち上がり悔しげに喚いた。個別に映像視聴が可能な肝いりの騎士候補生二名の敗退した、という事実を受け入れがたい様子であった。
そんな彼女の姿を見ながら、ゲキは言った。
「ありえないもなにも、実際にふたりとも敗退しているじゃないか。けど、第四席を撃破したのはあのアヤノ・イフジの妹で、第五席を撃破したのはブライス卿のご息女だ。優秀な身内のいる子なのだから、戦果を出せても不思議じゃないね。だから、そんなに悔しがることはないよ、ブキャナン本舎長」
そう言葉をかけるゲキの嘲るようなにやけ顔と口調は、明らかにブキャナン本舎長の神経を逆撫でする意図があった。
彼女はいびりの対象をブライス卿からブキャナン本舎長へと変えていた。だが、興奮気味のブキャナン本舎長はゲキの態度に一切気にも留めずに言った。
「そうですわ、ゲキ閣下! 優秀な身内というならば、わたくしの姪のヘイゼル! 今からヘイゼルの姿を映してくださいませ! あの子であれば我が中央本舎の武威を示せるはずですわっ!!」
まくし立てるように言うブキャナン本舎長を目の当たりにして、ゲキの顔が若干引き攣った。
(あ、こいつ全然わたしの言うこと聞いてないな……ま、それはそれとして、だ……)
不出来な次女の勝利に、ブライス卿は何一つ言葉を発しない。言葉尻を捉えていびろうかとかとも思っていたゲキにとっては興ざめな反応であり、ブライス卿いびりも潮時かとゲキは思った。
これ以上、同輩と組んで中央本舎第五席との激戦を制したマリナ・ブライスの姿をこれ以上映していても用を為さないと判断したゲキは、肩をすくめながら命じる。
「うん。そうだね、本舎長の要望に応えようじゃないか。セヴン、ヘイゼル・ブキャナンを映してくれ」
「承知しました」
涼やかにセヴンが返事をすると、画面は魔術部隊演習場の平原から歩兵部隊演習場の雑木林の景色へと切り替わる。
ヘイゼルら上位三席がエイリス分舎短剣術科の騎士候補生たちを蹴散らしていた場所。しかし、画面に映ったのは――
「は……?」
壁面を見ながらブキャナン本舎長が口を開けて唖然とする。
確かにヘイゼルの姿は映し出されているが、彼女は巨木の幹に寄りかかった姿勢で微動だにしない。身に纏う演習正装の飾緒は既に途切れており、ヘイゼルが敗退していることを示していた。
観覧室でマリナたちとレスリーの戦いが映し出される最中、ヘイゼルは人知れずカティにより撃破されていた。その結果、賓客たちはヘイゼルが敗北するまでの過程を見ることも能わず、ただ彼女が敗退したという結末のみを突きつけられる形となり。
「おやおや! これはまたしても意外な結末じゃないか! まさかこんなことになるなんて、わたしも予想できなかったよ! くっくっく!」
ゲキは噴き出すように笑った。
ヘイゼル・ブキャナンは中央本舎の第三席。その実力者が全く顧みられないまま敗退するなど全く以て想定できない上に、余りにも滑稽。
そして、彼女の桜色の左眼はヘイゼルの映る画面からブキャナン本舎長の姿に映される。ブキャナン本舎長はイワクラァ次官よりも顔を青くしてがくがくと身体を小刻みに震わせていた。
「ヘイゼル!? 嘘ですわよね!? ヘイゼーール!!」
首を絞められた鶏の如き声で、ブキャナン本舎長は画面に向かって叫ぶ。
「いやいや、本舎長。ここからわたしたちの声は届かないから叫んでも彼女は起きないよ。全く、期待をかけていた姪御が理由も分からず敗退だなんて、心の底から同情するよ」
宥めるように言いながらも、ヘイゼルが敗北したことをわざわざ明示したゲキの発言を受けて、分舎長は譫言のように呟いた。
「へ、ヘイゼルが敗北だなんて……そ、んな……ありえ、ません、わ……」
言い終えると同じくして、ブキャナン本舎長はふらりと身体をそらし、ショックの余り昏倒して倒れ伏した。
*
ブキャナン本舎長昏倒と同時刻。ネルクスタ大平原魔術部隊演習場。
レスリーの演習正装の飾緒が切れたことを見届けたマリナは、その場ですとんとへたり込む。
「お、終わったぁ……」
マリナはため息めいた声を出す。
厄介な、相手だった。魔術師としての技量。自身の魔術を欺罔する策略。そして、自身が負い目を抱いている出自や姉について知る人物であったことが。
「マリナーー!」
後ろからフィリパの声が掛かる。
フィリパは自身たちに被害が及ばぬよう火炎魔術の消火を行っていたため、マリナとレスリーの決着を目にしておらず、マリナの元に駆け寄って初めて彼女がレスリーを仕留めたことを認識できた。
「よかった! ちゃんと倒せたんだ!」
「ええ。フィリパのおかげよ。ありが――あれ?」
「マ、マリナ!?」
フィリパの声を受けて立ち上がり礼を言おうと思ったが――視界がぐらりと落ちる。足がもつれ立つことができず、そのまま草原に仰向けとなって倒れた。
視界には、雲一つない蒼穹のみ。
「え……どういうこと……?」
愕然とマリナが呟く。身体が動かない。動かそうと思っても、手足の筋肉が全く動かせない。痛みも疲労感もないのであるが。
「あちゃー……身体が限界突破したんだ……」
視界にフィリパの不安げな顔が入り込む。
「限界突破……?」
「疲労取りの薬飲んだ時に言ったでしょ。あの薬は疲労を一時的に感じさせなくするだけで疲労自体は消えないって。今のマリナは、疲労は感じてないけど身体自体がもう限界迎えて動かせなくなってるのよ、多分」
「そ、そんな……!」
抗議するようにマリナが短く言った。だが、その先の句は継げない。
思えば相当無茶をした。大荷物を持って演習場を駆けずり回り、武器を振るう屍武者たちの攻撃を盾で防ぎ、レスリーを拳術で打ち倒す。
体力に劣る自分としては信じられないほど肉体を酷使しており、フィリパの疲労取りの薬があってこその戦果である。
だから、無茶した結果が今跳ね返ってきたことについてフィリパに抗議するのは誤っていると、マリナは結論づけた――それはそれとして、翌日に来る反動が途轍もないものになると想像でき恐ろしくもあるが。
「要は身体が滅茶苦茶疲れてるって状態だから、少し休めば動かせるようになるかもよん?」
マリナの不安を解消しようと冗談めかした態度でフィリパは言った。そして。
「それに限界なのは私も同じみたいだし……あっはは、もうダメだ~」
「フィリパ……!?」
笑顔のままでフィリパの身体はぐらりと傾き、そのままマリナの隣に倒れて横臥する。
「と、こんな感じで私ももう動けないのよね~」
へらへらと笑いながら言うフィリパを見ながら、マリナは呆れたように言った。
「敵が来たらどうるするのよ……まだ演習終わってないのに」
「そん時はそん時よ。それに、私たちは十分戦ったと思うし、脱落しても許されると思うわ」
「……そうね」
誰に許されるのかと突っ込もうとも思ったが、マリナはフィリパの言葉を首肯した。
本当に、その通りだ。フィリパに言われて、十分に戦ったという充足感が心中に生まれる。
一昨日の邂逅を思い出すに、撃破したレスリーは中央本舎第五席。上四名は歩兵部隊配属の術式科のため、魔術部隊では一番の実力者と言うことになる。ここで倒れても戦果としては、上出来だろう。
そう思うと、急に眠気が襲ってきた。空も眩しくて、目を開いているのも億劫となってくる。
マリナは目を閉じる。少しずつ思考が微睡み始め――眠りに落ちて意識が途切れると同時に、マリナの演習正装の飾緒がぷつりと途切れた。
*
刃が流れる。
陽光にきらめく刃が、水のように穏やかに流れる。
ひとり、ふたり、さんにん――複数の中央本舎の騎士候補生たちが、刃の流れに連動してぱたりぱたりと倒れていく。
「ふぅ……」
手の届く範囲での敵を全て打ち倒すと、イトは一息つきながら薙刀を納める。
ネルクスタ大平原歩兵部隊演習場。エイリス分舎陣地中部。
もはや防衛戦としていた西方の雑木林は突破されており、数多くの中央本舎騎士候補生がエイリス分舎陣地に侵攻していた。会敵すること数度。薙ぎ倒した相手の数は最初から数えておらず。
いつもより高価な肺病薬を予め服用していたせいか、体調もすこぶる調子がいい。
「うわー、相変わらずすごいね、イトは」
後ろから鈴のような声が掛かる。
「ありがとう、フィーネちゃん」
振り返ると、いつもと変わらない笑顔のフィーネ。彼女の後ろにも幾人かの中央本舎騎士候補生が地に伏していた。
乱戦。自分やフィーネのみならず他の同輩たちも現在進行形で戦っている。とはいえど、自分やフィーネの手持ちの相手は全て倒しており、少し会話する余裕がある。
「中央本舎の人たち、沢山来ているけど総大将役はまだここまで来ていないみたい。雑木林を抜けた以降の報告がない。あと、第三席の人が雑木林から出たって報告もない」
「そうなんだ……?」
フィーネの報告を受けて、イトは思案する。
中央本舎の首席と次席のふたりが雑木林を抜けたと報告を受けた際は、カティらは雑木林に残り第三席の足止めをしていると推測した。
そして第三席が雑木林を抜けたという報告が未だなく、首席らの進軍についても追加の報告がされていない。一方で上位三席以外の敵は多く侵入し、現に自分やフィーネが数多く討ち果たしている。
この現状を鑑みるに、雑木林内でカティらが陣取っていたルートを通った上位三席らは雑木林付近で足止めをされており、それ以外のルートを通った中央本舎の騎士候補生が陣地に攻勢をかけている、という戦況だと見立てられる。
そうだとすれば、カティは――
「あれ……?」
イトが思案する最中、フィーネが視線を彼女の後ろへと移す。イトの背後から、数本の矢が迫っていることをフィーネは認識した。
だが、フィーネは焦りもせずに淡々と魔法句を唱えた。
「“金剋木”」
フィーネが軽く言葉を発すると同時に、飛来してきた全ての矢は矢柄を剣で切り刻まれたかのように微塵に切断され落ちる。
「フィーネちゃんも流石だね」
後背に壊れた矢が落ちているのを認めると、イトはフィーネに小さく笑いかける。
フィーネは剣術と魔術の二科専攻であり、魔術についてはレゼの位置する大陸西部でポピュラーな四元素論ではなく、“グ”帝国由来の木火土金水の五行論に基づく魔術を使用している。
特にフィーネは五行論の内では金の属性に優れているという。五行論では金属性は木属性に打ち勝つと定義されており、実際に先ほどフィーネが用いたのも金の術式。木製の矢を金属の剣で裁断したかのように破壊するもの。
思えば、進軍して未だに彼女が剣を抜いてないことに気付く。フィーネの剣の腕は相当だとサヤから話を聞いてはいたが、遭遇した全ての敵を彼女は魔術のみで倒していた。
「ねえ、イト。私、雑木林の方、見に行ってこようか?」
「えっ?」
フィーネの不意の申し出にイトが驚くと、彼女は少しからかうような口調で言った。
「カティのこと、気にしているでしょ?」
「うっ……それは、そうだけど……」
図星を突かれ、イトは目を逸らす。気恥ずかしさで、頬に僅かばかり熱を帯びる。
「カティのこと心配して実力発揮できなかったら困るし、他にも護衛役の子はいるから、私が抜けても問題ないかなって。もちろん、判断するのはイトだけど」
フィーネは笑ったまま続けるが、その笑顔には圧のようなものをイトは感じ取っていた。
確かに、フィーネの言にあるようにカティのことに気を取られていて腕を鈍らせてしまうのは大問題である。自分は総大将役。精神を安定させるのも、重責を負う者として必要なこと。
そう結論づけて、イトは私情に関わるものでもあるが故に若干おずおずとしながらフィーネに言った。
「あはは……ごめん。じゃあ、お願いしてもいいかな……?」
「うん、わかった。行ってくるね」
イトの返事を受けるとフィーネは頷き、軽やかに西方へと駆けていった。
*
エイリス分舎陣地南西部にて、サヤは戦斧を携えた中央本舎の騎士候補生と対峙していた。
「ていやぁー!!」
「おっとと」
敵が大声を発しながら振るう戦斧を軽く避けながら、サヤは後方に目配せする。
後ろには、名前も知らないエイリス分舎の騎士候補生。サヤは、戦斧使いに苦戦中だった彼女を発見し、救援のためにその戦いに割り込んだ。
戦斧使いは遠距離攻撃の手段を持っていないようで、この距離なら安全だろう。
彼女は茶色の髪を後ろで三つ編みに束ねており、二振りの短剣を両手に持っている。得物を見るに、おそらくは短剣術科。
そう認識したサヤは、咄嗟に彼女に向かって呼びかける。
「投げて!」
「は、はい!」
サヤが声をかけると、彼女はその意図を汲んで手に持つ短剣を一本、戦斧使いに投げつける。
「うっ!?」
短剣は戦斧使いの左肩に命中し、怯ませる。それはサヤにとっては十分すぎる隙となっていた。
「よし……そいやっ!」
「しまっ――きゃあっ!」
サヤは怯んだ戦斧使いの胴体を横薙ぎで一閃。演習正装の飾緒は切断され、そのまま倒れ伏した。
「ふぅ、急なアドリブ対応ありがとねー」
サヤは振り返って救援した騎士候補生に向かってへにゃっと笑うと、相手は恐縮したかのように慌てて一礼した。
「い、いえ! わたしの方こそ、助けてもらって……」
「いいっていいて。それよか、あなた、短剣術科だよね?」
「え。は、はい。そうですが……?」
「同じ術式科のカティって子、知ってるよね? 今どうしているかわかるかな?」
相手が短剣術科の騎士候補生であることを確認すると、サヤはカティの状況について尋ねる。
本陣にいた時にイトがどうにもカティのことを気にしているように見えたため、彼女の様子がわかったらイトに伝えようという考えがサヤにはあった。
「その、カティちゃんとは一緒に雑木林に布陣していたんですけど、わたしは中央本舎の人たちが来た時に伝令で離脱したので、残ったカティちゃんたちがどうなったかは、分からなくて……」
「うーん、そっかー」
申し訳なさそうな短剣術科の騎士候補生の言葉を受け、サヤは困ったように笑む。
当てが外れた。これではカティの様子がわからない。だったらいっそ、自分が見に行こうか――そんな考えが浮かび、サヤは演習開始前の作戦会議を思い出す。
確か、カティが布陣しているのは雑木林の中部。ここからだと北側に位置する。割と近い。であれば、少し様子を見に行こうと、サヤは決めた。
「あの、すみません、お役に立てなくて……」
「あー、いいの、気にしないで」
頭を再度下げる相手に対し、サヤは気にしないようにと手を振って笑い言った。
「じゃ、そういうことでわたしは行くね。敵さんが結構来てるみたいだから気をつけて」
「はい! ありがとうございました!」
サヤは刀を納めると、助けた同輩の謝意を背に北へと走り出した。
*
エイリス分舎陣地西部。雑木林付近。
ふたりの少女が、槍を交える。刃がぶつかり、捌き、打ち合い、そして、片方の槍が相手の左胸を穿つ。
「ぐっ……あぐっ……!」
穿たれたのは、エイリス分舎の騎士候補生。背中まで伸ばした金髪に、釣り目がちの勝ち気な顔には、苦悶の色が濃く。
しかし彼女は胸を青い刃で刺突されてもなお、膝をつかずに歯を食いしばって堪えながら相手を見据え続ける。
「見事だ」
穿ったのは、中央本舎の騎士候補生。総大将役のベアトリス・カーター。
その表情は鉄のように硬く、その声は氷のように冷たく、だが、交戦相手への敬意が確かに存在していた。
「私をここまで引き留めるとは……相応の覚悟と気概があったのだろう。敬服に値する」
「ううっ……あたしは……あたしは、まだ……倒れるわけには……!!」
呻くような声を金髪の少女は振り絞って自身を鼓舞するが、ベアトリスの槍に突かれた彼女の左胸はパキパキと音を立てながら凍り付き、身体を蝕む。
ベアトリスの得物である“御走”の威。尖端から氷塊や氷筍を発生させる魔力を放ち、刃の接地面を凍結させるカーター家伝来の魔術槍。
「さらばだ」
「くあっ!」
ベアトリスが槍先を相手の左胸から縦に斬り下げて払う。左胸を起点に広がった身体の氷が砕けると同時に演習正装の飾緒が切れ、金髪の少女は膝をついた。
「ヒ……ヒメ、ナ……」
金髪の少女は無念そうな片言を漏らすと、その場で倒れ伏す。
「随分と足止めをされてしまったな。さて、ノーラの方は……」
ベアトリスと金髪の少女の決着がつく一方で、彼女らから少し離れた位置でノーラは奇剣“サーペント”を手にしながら、別のエイリス分舎の騎士候補生と相対する。
小柄な体躯に黒髪を二つに束ねた黒縁眼鏡の騎士候補生は、長剣を両手に携え構えながらノーラの元へと駆け迫る。
「避けられるかしら~?」
小馬鹿にするように言いながらノーラが“サーペント”を振るう。ワイヤーで繋がれた連刃は唸るような風切り音を発して伸びながら、蛇の如く地を這って小柄な少女の足下へと向かう。
「舐めるな……!」
小柄な少女は低めの声で凄みながら、軽妙な足捌きで“サーペント”を躱し、そのままノーラを狙って更に速度をつけて走る。
剣が相手に届くまであと五歩、四歩、三歩、二歩――走りながら腕を上げ、敵を切り捨てる体勢にしていく。
しかし。
「お馬鹿さんね~」
「かはっ……!」
ノーラを得物の間合いに捉える直前、小柄な少女は走る勢いのままでどさりと倒れる。彼女のうなじには、躱したはずの“サーペント”の剣先が命中していた。
「簡単に躱せるような攻撃するわけないわよね~? 普通に考えればわかりそうなものだと思うけど~?」
既に飾緒が切れて意識を失ったこと示している小柄な少女に向かって、追い打ちをかけるかのようにノーラは意地悪く言った。
使い手の意思に従って刃が伸縮し、敵を追尾する奇剣“サーペント”の威。ベアトリスが金髪の少女と一騎打ちに興じる間、ノーラは先に討った小柄な剣士の少女を含めて複数人のエイリス分舎騎士候補生を打ち破っていた。
そして、この場で唯一残されたエイリス分舎の少女が震えながら声を発する。
「アーシャちゃん……! ミキコちゃんも……!」
肩先ほどの長さの銀髪に薄青の瞳と全体的に色素が薄い印象を抱かせる少女。ヒメナ・ブラン。エイリス分舎槍術科の騎士候補生。
短槍こそ構えてはいるが、脚を震わせてその瞳には同輩たちが為す術なく次々と討たれた姿を見届けたが故の怯懦の涙を湛えていた。
「残るは一人だが……」
「ひっ……!」
ベアトリスに目を向けられたヒメナは身をすくませる。脚の震えが一層と速くなる。
「……戦意のない者に刃を向ける意思はない。行くぞ、ノーラ」
相手の怯えきった様子を見たベアトリスは、彼女を捨て置いて進軍を再開する意思を示す。しかし、ノーラがそれに異を唱えた。
「ねえ、ベア様、戦意はなくても敵は敵。中央本舎の得点源になってもらいましょうよ~」
「確かに打ち倒す利はある。だが、我らは足止めをされている内に同胞たちが先行して敵陣に侵攻している状況だ。将としてこれ以上の遅れは避けたい」
進軍を優先するベアトリスの言葉を受けると、ノーラはにっこりと笑って彼女に返した。
「だったら、あの子は私がやっつけるわ~。で、その間にベア様は敵陣の方に進軍するの~。貴女であれば護衛役がいなくても問題ないと思うし~」
「……なら、お前の好きにしろ」
ベアトリスは眉間に皺を寄せながらも、ノーラの提案を容れる。
我の強い彼女を説得するよりも好きにさせた方が却って時間の浪費は避けられるとの判断によるもの。
「だが、あまり遅くなるな。お前は重要な戦力だ。戦闘を終えたらすぐに私に合流しろ……いいな?」
「は~い」
ベアトリスはノーラに釘を刺すと、東方のエイリス分舎本陣へと向けて進み去る。
雑木林前に残ったのは、ノーラとヒメナのみ。ヒメナは変わらず震えており、そんな彼女に目を向けながらノーラは笑いかける。
「さ・て・と……じゃ、楽しませてもらおうかしら~?」
彼女の顔立ちは糸目で柔和そうな造形ではあったが――その笑顔には陰惨な悪意に満ちていた。
*
刃が、鈍く唸る。
ノーラの右手の動きに合わせて、鞭の如き奇剣が唸りながら跳梁する。
「ああああっ!」
ヒメナが、苦痛に満ちた声を上げる。
“サーペント”は容赦なく、ノーラの獲物となったヒメナの胸に、腕に、脚に牙を剥き、なぶる。
「うう……痛い……痛いよぉ……!」
地に伏しながら、ヒメナは泣きじゃくる。幾度も“サーペント”の攻撃を受けたヒメナは唯一の武器であった短槍もとうに手放しており、もはや敵に抗する術も無い。逃げようとしても真っ先に脚を撃たれてしまい、それも叶わない。
もう痛いのは嫌だ。いっそ一撃で気絶させてほしい――それが今のヒメナの感情。
実際、ノーラの実力であれば、ヒメナの願い通りに彼女を一撃のもとに気絶させることは容易い。だが、ノーラはヒメナに対して手加減をしていた。気絶させないための手加減を。
「いい。すごくいいわ~。その顔~」
「ううっ……」
ノーラは倒れるヒメナの元に近寄り屈み、彼女の顎を掴んで顔を上げさせながら言った。
「私ね、かわいくて気の弱そうな女の子が泣いてる姿に、とっても興奮するの~。貴女、本当にいいわ~。その顔、すごく私の好みよ~」
怯えるヒメナの顔を覗き込むノーラは、頬を少し赤らめており彼女の言の通り興奮している様子だった。
弱者をいたぶる嗜虐趣味を持つノーラにとっては、泣いて怯えるヒメナの姿は最高の好物。
「よいしょ~」
「ひゃうっ!」
ノーラはヒメナの顔から手を離すと、恍惚としながら彼女の腹を勢いよく蹴り飛ばして地面に転がした。
「いい感触~。剣でいじめるのも好きだけど、直接蹴るのも悪くないわね~」
「えぐっ……! ううっ……! い、痛い……!」
蹴り飛ばされたヒメナはノーラから逃げるために立ち上がろうとする。だが、数度に渡って攻撃され続けた脚の痛みに耐えられずに途中で体勢を崩し、尻餅をついてしまう。
「もうやだぁ……! 帰りたい! 帰りたいよぉ……っ!」
心を折られて泣きじゃくるヒメナを前に、ノーラはぞくぞくと性感めいた快楽を得る。
つまらない演習の中で見つけた自分好みの玩具。もっとこの子で遊びたい。どうせなら、演習が終わるまで――そう思考が偏った時、ノーラはベアトリスに釘を刺されたことを思い出す。
早急に合流しろとの命令。面白い玩具を見つけたのだけど、後々ベアトリスに叱られるのは相当に不愉快ではある。
ノーラは少し思案し、ヒメナに対して残念そうに言った。
「そうね~……本当はもう少し貴女と遊んであげたいのだけど、遅くなるとベア様に怒られるし~……ごめんなさいね~、そろそろ、終わりにしようかしら~?」
くすくすと笑いながら、ノーラは“サーペント”を突き出すように振るう。ワイヤーで連結された刀身が伸びて行き、真っ直ぐと速度を付けてヒメナの顔へと向かう。
「ひぃ!」
剣先が間近に迫る。
恐ろしさの余り目を閉じる。全身の力が抜ける。下腹部から何か生温かいものが漏れ出すのを感じる。
顔を刺される。痛い。嫌だ。絶対に痛い――だが、その寸前に高い衝撃音が鳴った。
「え……?」
痛みはない。意識はある。何が起こったのか分からない。
ヒメナが怯えながら目を開けると、誰かの背中が見えた。
エイリス分舎の白い演習正装に、伸ばした黒髪を後ろで束ねた総髪。右手に持つ刀には、ヒメナに向かってきた“サーペント”の刀身が絡みついていた。
奇剣の刃が命中する寸前で、彼女が割り込み自分を守ってくれたのだとヒメナは状況を認識した。
「ぎりぎりで間に合ったー! 大丈夫?」
前に立つ守護者の少女が振り返る。
彼女は空と同じ色の蒼い瞳をしていて、怯えきったヒメナを安心させるようにへにゃりと笑いかけた。
(続)




