茜色教室/一年前から
魔術には貴賤がある。
一般的には地火水風の四元素に基づく魔術理論や、“グ”帝国由来の五行魔術といった大陸で広く普及している魔術は“貴”とされ、一方で生物の血や死肉を用いる魔術理論はその性質から人々より忌避されて“賤”と見做される。
そして、あたしの修めてきた家法の魔術は“賤”に属するものだ。
外道の術。理外の法――あたしの家の魔術はそう同輩から呼ばれて蔑まれ、そして、畏れられるものだった。
フォード家は王立魔術大学校の総長を務める“英雄”インガルデン卿に仕える一族であり、その使命はインガルデン家の汚れ仕事。外法を以て、表に出せないものを闇から闇へと葬る“英雄”の影。
仕える相手が最高峰の武門である“英雄”とはいえど、所詮は王家直臣ではない陪臣家系であるため、家格は上士の内では最低位であり実質的には副士とほぼ同一。それに加えて外法使いの穢れた一族。
そんな家で生まれ育ったあたしには、同じ王都の騎士学校に通っている令嬢達が途轍もなく眩しく見えてしまった。
幼年騎士学校の頃よりカーター家やグラント家、ブキャナン家といったこの国では知らない者はいないであろう名門中の名門に生まれた令嬢達に混じっていたあたしは、彼女たちと同じ空間にいるだけで、自分が穢れた家の娘であることを改めて思い知って、途轍もなく惨めに思えてしまって。
だから、あたしはいつからか仮面を被るようになった。
外術使いの娘であることを少しでも隠すために、軽佻浮薄の仮面を被った。軽い言葉やのんきな笑顔で、残虐な術式を躊躇いなく行使できる自分を誤魔化した。
輝かしい同輩に対する劣等感や妬みを隠すために、阿諛追従の仮面を被った。同輩であっても高家格な相手には軽い調子ながらも媚びを売るように接して、自分の家格の低さを当然のものとして気に留めていない風に見せかけた。
このまま仮面を被り、誰にも本心を知られずに、幼年騎士学校から高等騎士学校までの五年にわたる学校生活をやり過ごす――つもりだった。
あたしが変わったのは一年前。中央総合演習の準備が進められている時の頃。
中央本舎では初年生と上級生の交流が皆無であり、かつ、学校の行事などさほど興味が無かったため、あたしは中央総合演習が差し迫る時期になって初めて今年の総大将役の名前を知った。
アクア・ブライス。今の騎士団副総裁を務めているシグ・ブライス卿の娘。
ブライス家は王家直臣の歴史ある名門武家であるが、家法の魔術は血と生贄を要する外法の呪詛魔術。まさに“賤”の魔術の典型である。
ブライス家はその“賤”たる呪詛魔術を以て王家の汚れ仕事を担ってきた一族であり、当主は代々近衛騎士団監察局長に就任しているが、当代の当主であるシグ・ブライスはかなりの遣り手であり、従来よりも更に上の地位に就いている。
故にブライス家は、歴史も家格も王政府内での役職も、現在のレゼでは“英雄”に次ぐ一族であり、表向きは他家よりも敬意を受けているのではあるが――裏では穢れた外法使いの一族として嘲笑われている。それは、現当主が騎士団副総裁の地位に上り詰めた今でも変わらずに。
同輩が中央総合演習について話す中であたしは初めて、ブライス家の娘が自分の一つ上の学年に属していることを知った。
同輩たちはアクア・ブライスについて様々なことを口にし、噂した。
彼女の優秀さ。騎士団副総裁に至った彼女の父の話。そして、ブライス家の外術。
そのようなアクア・ブライスの話を聞く中で、あたしは思った。
似ている、と。
フォード家とブライス家は、仕える相手が王家か他の武家かという違いがあるが、同じように外術を以て裏の仕事を担った穢家。
あたしも、アクア・ブライスも、同じ外法使いとして蔑まれる家の娘。
似ていると思った。だから、あたしは興味を持った。知りたいと思った。
あたし以外の、蔑まされた外法使いの家の娘が、どんな顔をしているのかと。
どんな思いをして、生きているのかと。
影に生きていた一族の娘が、何を考えて中央総合演習の総大将役という表舞台に出ようと思ったのかと。
彼女は、あたしと同じような仮面を被って生きているのかと。
自分を誤魔化して生きているのかと。
それとも――
*
「いやいや、見事なご息女じゃないか、ブライス卿! 自分の扱う魔術を理解した上で仲間との連携をこなす。うんうん、実に優秀な魔術師だね! くっくっく!」
ダスバ城塞観覧室にて、ゲキは拍手をしながらわざとらしいほど大袈裟に賞賛する。
賓客達の前にある画面に映し出されるのは、ネルクスタ大平原魔術部隊演習場の一角の景色。マリナ・ブライスと他二人のエイリス分舎騎士候補生の姿。
彼女たちは連携を取りながら中央本舎の騎士候補生達を撃破しており、ゲキが喝采をあげる直前にも複数人の敵方を撃破していた。
「しかしこんなにも優秀なご息女を不出来扱いして家中から追放するとは、ブライス卿は魔術に対しては実にシビアな考え方をするものだね。いやいや、むしろそういう厳しい姿勢を持っているからこそ、騎士団副総裁の地位に就けたのだろう。うんうん、実に結構なことだよ」
「……勿体ないお言葉です、閣下」
ニヤニヤと笑いながら言うゲキに対し、シグ・ブライスは苦々しい顔をしながら形式的な謝意を述べた。
「なあに、礼には及ばないさ」
ブライス卿の言葉を受けて、ゲキは一層に口角を釣り上げてより愉快そうな表情を作る。
マリナ・ブライスが優秀であっても不出来であっても、ゲキにとってはどちらでもよいことであった。
優秀であれば先ほどのように、不出来認定したブライス卿の見る目のなさを間接的にあげつらうことができ、不出来であれば娘の不出来さを通して父親を揶揄すればよいだけの話。
つまるところ、“不出来認定して追放した娘”という存在そのものが、ブライス卿をいびるのに十分な材料である。
ブライス家は卑賤な外法使いと見下されながらも、ブライス卿本人は騎士団副総裁にまで上り詰めた策謀家であり、かつ、魔術による暗殺を得意とする実践派の魔術師である。
しかしそのような策謀や武力に長けたブライス卿を幾度侮辱しようとも、ゲキは自身に対して危害を加えられないことを知っている。王族というレゼ国内最高身分であるが故に、ブライス卿を屈服させる権力が自身にあることをゲキは理解している。
いびる相手が強大な存在であればあるほど、ゲキは自身の力を実感でき、快感を得ることができる。ブライス卿いびりは、権力者の自覚を持つゲキならではの底意地の悪い遊戯であった。
無論、その矛先はブライス卿のみに向くものではなく。
「まあ、それはそれとして、だ。イワクラァ次官、どうしたのだね? 観覧室の外に何か用事でも?」
「あっ……」
ゲキはブライス卿に対して意地悪い笑みを向けながらも、その左眼には離席して廊下へと続くドアに手を掛けようとするイワクラァ大政庁次官の姿を捉えていた。
見咎められたイワクラァ次官は禿げ頭に手をやりながら、ぎょろ目を細めて笑みを作り言った。
「いや、あははは……閣下、私はどうにも、こう、人と人とが戦う姿を見るのが苦手でして……少し気分が優れなくなったので、別室で横になっていようかと……」
イワクラァ次官の顔は青ざめており、気分が優れないという申告は事実であることは誰が見ても明白であった。
無論、ゲキもそれを認識できるのではあるが。
「おやおや、それは大変だね。しかし、今はブライス卿のご息女が活躍が映し出されている最中だよ。その途中で退席しようなんて、少し礼を逸するのではないかね。なあ、ブライス卿。キミもそう思うだろう?」
「え? いえ……まあ……」
ゲキは白々しい態度を示し、ブライス卿は曖昧な返事をする。それだけでも気の弱いイワクラァ次官にとっては十分な圧になっていた。
「そ、それもそうですね……大変失礼をいたしました。私は戻るとしましょう……」
「うんうん、わかってくれればいいよ」
自席に戻るイワクラァ次官の姿を見ながら、ゲキは楽しそうに頷いた。
イワクラァ次官は容貌こそ冴えないが、行政家としては非常に有能だという。大政庁に出仕する妹から、その実務能力の高さを聞かされている。しかし、そんな名吏であろうとも恣にできるのだから、やはり権力というものはおもしろいとゲキは改めて実感する。
「さてさて、みんなでブライス卿のご息女の勇姿、しっかり見届けようじゃないか。くっくっく」
二人の王政府高官を愚弄してある程度の満足を得たゲキは、再度前方の映像へと目を向けた。
*
同時刻。ネルクスタ大平原魔術部隊演習場の一角。
「――よし、敵は倒れたまま動かない。作戦成功」
土壁へ顔を向け、左手で前髪を上げて“影捉”の術式を行使しながら、ヴィルヘルミナが軽い調子で報告する。
彼女の後ろには、攻撃役のマリナとフィリパが控える。
「よっし! 今回も首尾よく行ったね、マリナ!」
ヴィルヘルミナの報告を受けたフィリパが満面の笑みを浮かべながら隣のマリナの肩を軽く叩く。一方でマリナは、咎めるようにフィリパに言った。
「フィリパ、まだ油断は禁物よ」
しかしながら、口ではそういうもののマリナは無意識的に小さく笑んでおり、その表情にはある種の歓喜が垣間見えていた。
演習場内に残された古びた土壁を盾にした布陣。ヴィルヘルミナが索敵してフィリパが爆薬等の攻撃手段を作成し、マリナの文書魔術でそれを敵陣へと投下する連係遠距離攻撃にて、中央本舎側の騎士候補生を数度撃破してきた。
相手は王都名家のエリート層出身者たちで構成されている中央本舎。高度な教育を受けたであろう騎士候補生達。そのような相手であっても自分は遜色なく戦える。打ち倒すことができる――そんな自己肯定が、マリナの内で薄らと芽生え始めてきていた。
父から不出来とされてブライス家から追放同然の扱いを受けた自分であっても、騎士候補生として十分な実力があるのだと。
「あっはは、マリナっちは慎重ですなー。まあ、その慎重さが――」
「え……?」
マリナとフィリパが談笑する中で、つと、ヴィルヘルミナの声が割り込んだ。彼女は変わらず土壁越しに“影捉”を行っているが、その声には困惑の色が存在していた。
「おヴィル?」
突如発せられた不穏な声に、フィリパは訝しむようにヴィルヘルミナに尋ねる。
しかし、ヴィルヘルミナはフィリパの声に応えることも能わず。
「なにこれ? えっ、なにこれ? こんなの見たことないけど。え?」
土壁に顔を向けて偵察役としての務めを果たしながらも、ヴィルヘルミナは明らかに混乱していた。今までの戦いの中でもマイペースで飄々としていた彼女の尋常ならざる様子に、マリナもフィリパも戦慄めいたものを覚えざるを得ず。
「ちょっと……!?」
「人? え? 人じゃないの? え、なにこれ? どうなってんの? なにこれ? 近づいてくるんだけど?」
「どうした、おヴィル!? 何が近づいてくるの!?」
ヴィルヘルミナの動揺がマリナとフィリパにも伝播する。数度敵側を撃破してある種の余裕が生まれつつあった三人の小陣地の空気が一変する、
そして――ぎしりと、三人が混沌とする中で奇妙な音が鳴った。
「……!?」
その異音に最初に気付いたのは、マリナ。耳に音が入ったと同時に、背筋に冷たいものが走る。
本能的に、不吉なものを感じる。
音が聞こえたのは、右側。顔を向ける。
「!?」
視界には崩れかけた背の低い土壁があり――その上に、奇妙なモノがいた。
薄汚れた極東風の具足に、髑髏を思わせる仮面を被った人型のモノ。古の極東武士に見える装いだが、その大きさは、同年代の少女よりも幾分小柄なマリナよりも小さい。齢十にも満たない程の童子と同程度の小さな極東武士。
不自然なほどに背の低い風体も相まって不気味に過ぎる印象を抱かせるそれは、弓を構え矢をつがえていた。
鏃はマリナ達の方に向けられており、明確にこちらを害する意図が存在していた。
それはぎしりぎしりと態とらしいほどの異音を立てながら、弓を引いていった。
「は……? なに、これ……?」
弓を引く異音に気付いたフィリパもマリナと同じ方に顔を向け、それの存在を認識する。
魔術部隊演習場に似付かわしくない、気配無く現れた不気味な古武士の如きモノにふたりは呆気に取られ、それが仇となった。
「――危ない!?」
弦が弾かれ矢が放たれる。風切音。
矢はマリナとフィリパの横を通り過ぎ、その先にいたヴィルヘルミナの元へ。
「きゃ!!」
放たれた矢は混乱の余りに異様なモノの存在に気付くことができずに、壁に顔を向けていたヴィルヘルミナの首に命中する。
首に矢を受けたヴィルヘルミナはそのままどさりと倒れた。
「おヴィル!?」
フィリパが悲鳴じみた声を発する。
しかし、ヴィルヘルミナは動かない。彼女の演習正装の飾緒は断ち切られており、意識喪失をしたことを示していた。
急所である首を狙った容赦の無い一矢。重篤な怪我を負わないように鈍化魔術が施された中央総合演習でなければ、確実に彼女の首は宙を舞い、その命は失われていたであろう。
「こいつ、よくもおヴィルを……!」
フィリパは怒りを宿した視線を小さな射手に向けると、即座に演習正装の上着を開いて、内側に仕込んでいたポケットから小さな試験管を取り出す。
試験管の中にあるのは液状爆薬。
フィリパは二の矢を番えるそれに向けて、液状爆薬を投擲した。
「くらえ!!」
試験管はそれの頭部にぶつかると破裂し、爆音を放つ。
フィリパによる爆撃を受けたそれはぐらりと前のめりとなり土壁から墜落する。
地面に落ちたそれは落下の衝撃でがしゃりと音を立てながら四肢がバラバラとなった。
「に、人形……!?」
墜落したモノを視認したマリナが口走る。
それの残骸からは、歯車やネジ、木片や金属片が飛び出し、散乱していた。
足下にまで転がった歯車を一つ摘まみ上げ、フィリパが唸るように言った。
「傀儡魔術か……!?」
傀儡魔術。魔術句を刻んだ回路を核として、制作者の命令通りの動きを行う傀儡を作成し、使役する魔術の一分野。
傀儡は回路に刻まれた魔術句の命令を実行し、基本的には単純動作を行うが熟練した術者による高度な魔術的回路であれば複雑な命令実行も可能となる。
また、戦闘時における傀儡魔術は雑兵的な自動人形の作成の他、術士が魔術糸を通じて傀儡を直接操作し、剣に盾にと用いる操糸人形という方法論も存在している。
長い歴史を持つ伝統的な魔術ではあるが、近時ではクロン市が科学技術を用いて同じような傀儡を作り出せると言われている。
「そう、人形なんっすよぉ、これぇー」
不意に、先ほどまでヴィルヘルミナが索敵を行っていた土壁の方角から、少女の声が聞こえた。
戦いの場には似付かわしくない、語尾の伸びた脱力感のある声。故にこそ、先ほどの射手人形を目にした時と同等の不気味さと違和感を覚えさせる声。
「この声……」
そして、マリナに聞き覚えのある声だった。この声を聴いたのは、確か、二日前の――
「か、壁が!?」
マリナが声の主を想起する最中、フィリパが驚愕する。
破砕音が響くと同時に、土壁からはくすんだ銀色の刃が突き出ていた。その刃は事も無げに十字に振るわれ、土壁を容易に切り崩す。
崩落。土埃。
そして、崩れ落ちた土壁の先には、フィリパが破壊した射手人形と同じ髑髏面を付けた極東武士の姿のモノが槍を携えていた。
新しく到来したそれは、先の小柄な射手人形とは異なり、その厳めしい戦装束に似付かわしい屈強な男性騎士並の巨漢であり、そして、背丈と同等の大きさの棺を彷彿させる木箱が後背部に取り付けられていた。
「どーもー。二日ぶりっすねぇ、マリナさん」
再度、間延びした声が発せられると同時に、槍の巨漢の後ろから白の演習正装を纏った少女が姿を見せた。
垂れ目がちで猫を彷彿させる口元をした顔立ちに、肩を超すくらいまで伸びた栗色の髪は緩やかなウェーブがかかる。
レスリー・フォード。二日前に出会った、中央本舎の序列第五席の騎士候補生。
以前に会った時は騎士制服を着崩していたが、今回は演習正装をきっちりと着込んでおり、その両手には操り人形に用いる手板が携えられている。
その様相から、ヴィルヘルミナを討ったあの射手人形を作成したのは彼女だと、マリナは確信した。
「……知り合いなの?」
「ええ、まあ……」
フィリパの問いに、マリナは口籠もる。
知り合い、と言っていいのかわからない。対面するのは二回目である。やたらと馴れ馴れしくて――姉のことを知っている人。
だから、人見知りな性質もあって初対面の時に彼女に苦手意識を抱いてしまい、そして今現在は直接対峙する敵同士。
「そっちの眼鏡さんはお初っすねぇ。あーしは中央本舎の第五席、レスリー・フォード。所属は……って、この場所にこうやって相見えているんだから言わずともわかるっすよねぇー?」
言いながら、レスリーはにやりと笑った。
その顔の動作は煽るような意図が感じられ、そして何処か害意を覚えさせるものであった。
「いやー、しかし、まさか先に放った“サブロウスケ”がこうもあっさりと壊されるなんて、流石っすねぇ、マリナさん」
レスリーはバラバラになった射手人形に目を向けらながら笑った。おそらく、“サブロウスケ”というのはあの射手人形の名前なのだろうとマリナは察した。
「……あの人形を壊したのは私じゃない。隣にいるフィリパよ」
「ふーん、そうなんすかぁ。ま、そこはどうでもいいっすけどねぇー」
マリナの言葉を受けてレスリーはフィリパに一瞬だけ目を向けるが、すぐにマリナに視線を戻して笑いかける。
その態度はフィリパに対する興味が一切無いことを示していた。また、口調こそは変わらないが以前に会った人懐っこそうな雰囲気をレスリーは全く見せていないことをマリナに十分に感じさせた。
「…………」
演習場で対話する時間を経るにつれて、レスリーの印象が変わる。
距離感が近くて明るい少女から、人を突き放したような冷たさを持つ少女へと。
そして、今になって気付く。最初から今に至るまで、彼女は全くの自然さがない、作られたものを感じさせる少女だと。
「ではでは、改めてあーしの下僕をご紹介するっすよぉ。これが“タロウマル”」
表面上は軽い調子で言いながらレスリーは右手の手板を軽く動かすと、槍の武士がぎしぎしと身体を揺らした。
長槍を携える武士“タロウマル”。
「そして“ジロウボウ”」
レスリーが言いながら左手の手板を動かすと、“タロウマル”の背負っていた木箱が破裂音を放つ。
「うおっ! まだいるのか……!」
突然の大音に、フィリパが身体をびくっと反射させながら言った。
木箱から太刀を持った大きな右腕が飛び出しており、そしてレスリーが更に手板を動かすと、更に同じ太刀を持った左腕が飛び出した。
右腕、左腕と木箱が内側からどんどん突き破られ、破壊されていき、そして中から“タロウマル”と同じ大きさの極東武士がもう一体現れた。
両手に太刀を構える武士“ジロウボウ”。
二体の極東武士を従えながら、レスリーは二つの手板を掲げて言った。
「さあ、行きますよ、アクア先輩の妹さん。あーしに見せてくださいね、あなたの魔術を!」
その声は、冷酷さを感じさせるものだった。
*
アクア・ブライスは周囲から敬遠される騎士候補生であった。
その理由は専ら、彼女が周囲から畏怖されていたことに起因していた。
中央本舎首席の名に恥じない抜群に優れた魔術の力量。ブライス騎士団副総裁の娘という同輩達の中ではトップクラスの家格。そして、陰惨な呪詛魔術を修めているという不気味さ。
だが、それらの要因よりも彼女が敬遠されている理由の最も大きなものは――彼女が孤高の人だったからだ。
彼女は座学科や術式科を同じくする同輩と関わることもなく、学寮の自室にも就寝時以外はほぼ帰らずに同室の騎士候補生ですら疎遠となっているという。
周囲からは畏怖され、孤高を貫く中央本舎の首席。
それが、彼女と直接対面する前に抱いたあたしのアクア・ブライスに対する評価だった。
彼女に興味を持ったあたしは幾人かの同輩や、人のよさそうな先輩方にアクア・ブライスについて尋ね回っていて、その結果から形成した評価であった。
アクア・ブライスはある種の恐ろしさを感じさせるほどの飛び抜けた力量や家柄、呪詛魔術から周囲からは近寄りがたく、アクア・ブライス自身も他者に関わる意思がなく、その孤高さが更に彼女を近寄りがたい存在に思わせる――そんな没交渉の螺旋が、アクア・ブライスを敬遠される存在に仕立て上げていた。
だから、あたしはアクア・ブライスにより一層の興味を抱いた。
同じ外法を扱う家の娘でも、阿りの仮面を被り、自分を偽ってやり過ごしてきた自分とは全く違う彼女を、知りたかった。
そんなあたしにとって情報収集をする中で得た一番有益なものは、アクア・ブライスは座学科講義や術式科教練がない時間は、常に学舎の隅にある空き教室にいるということであった。
具体的に空き教室で何を行っているかはわからない。生贄を捧げる血の儀式を行っているに違いないと妄想を吐く騎士候補生もいたが、直接に空き教室にいた彼女の姿を見た騎士候補生は、ひとりで静かに本を読んでいたと話してくれた。
アクア・ブライスは人と馴れ合うこともせず、自室にも寄りつかず、常に空き教室でひとり本を読んでいるという。
飛び抜けた力量と、ブライス卿の娘という立場、そしてアクア・ブライス自身の人を寄せ付けない態度に、その空き教室には誰一人として近寄らないのだと――だからこそ、都合がいい。
会ってみたい。話してみたい。
彼女が何を考え、何を思っているのかを知りたい。
そんな衝動があたしの内に生まれていて、一日の教練が終わった夕刻、あたしの足をアクア・ブライスがいるという空き教室に突き動かしていた。
「――よし!」
空き教室のドアの前まで辿り着いたあたしは、自分を勇気づけるかのように声を奮わせて、手を伸ばす。
緊張感があった。人気の無いせいか、自分の心音がやたらと大きく感じてしまった。
少しだけ、アクア・ブライスに気取られぬよう少しだけ、扉を開く。隙間に顔を寄せて、目を凝らす。
その先にある景色は、夕陽で茜色に染まった教室と、その中で椅子に座って文庫本を手にする少女だった。
彼女は思ったよりも小柄で、目測ではあたしよりも低い背丈ながらも――眼鏡を掛けたその顔立ちは静かで、ただただ静かで、同年代とは思えない諦念と達観を覚えさせるものがあった。
美しい、景色だった。
茜色に染まる教室で、少女がただひとり静かな顔で本を読む景色に、あたしは目を奪われていた。
そして。
「――外から見てないで、入ってきたら?」
「ふえ!?」
あたしの心臓が、跳ね上がる。
彼女はあたしの存在に気付いていたようで、声をかけた。アクア・ブライスは文庫本に目を落としたまま、あたしに声をかけた。
あたしにかけられた声は彼女の表情と同じくらい静かで、透き通っていて、あたしの心臓は透明の刃に刺されたかのように飛び跳ねていた。
*
ネルクスタ大平原魔術部隊演習場。土壁が崩された小陣地。
「いやー、やりますねぇ、お二人とも! “タロウマル”と“ジロウボウ”の相手をしてここまで粘った人は初めてっすよぉ!」
「くぅ……!」
嬌声を上げながら両手の手板を動かすレスリーとは対照的に、マリナは苦悶の声を漏らす。
マリナは身体の大部分を隠せるほどの紙製の大盾を手にして“タロウマル”の槍の刃先を受け止めていた。
魔法句を刻み鋼鉄並みの硬度にした紙の盾。薄紙の軽さと鉄の防御力を兼ね備えるが故に非力なマリナでも扱える文書魔術具。
中央総合演習前に幾つか作成していたものであり、途中で合流したフィリパとヴィルヘルミナにも貸与している――尤も、ヴィルヘルミナは使用することもなく“サブロウスケ”という名の射手人形により脱落してしまったのであるが。
「ここまで頑張っていただけると、あとどれくらい持つのか楽しみになるっすねぇ!」
言いながらレスリーは右手の手板を動かして“タロウマル”を引かせる。
レスリーの表情は愉悦に満ちており、もはや彼女の備える攻撃性や嗜虐性を隠しもせずに露わとなっていた。
彼女の操る槍使いの“タロウマル”はマリナの、二刀流の“ジロウボウ”フィリパの相手となっていた。
“タロウマル”の槍捌きは軌道が単純、かつ、大柄な見た目とは異なり意外にも軽く、マリナは紙の盾で受け止めることができた。
ただ、それは中央総合演習前にカティと体術の特訓をしていたことによる賜物。あの特訓があったからこそ、物理攻撃を仕掛ける“タロウマル”に対応できる。もし、カティとの特訓が無ければ、とっくに“タロウマル”の槍の餌食になっていたであろう。
そして何より、フィリパの作った疲労取りの薬が効いている。“タロウマル”との戦闘はかなりの運動量だが、未だに息切れすることもない。
胡散臭い薬であったが、投与してくれたフィリパには感謝しかない。反動があるということはこの際考えない。
だから、もっと力を出力できる。この攻撃を耐えきってみせる――その意思に基づき、マリナは紙盾の裏側に強化の魔法句をペンで刻み、力を込めて槍を押し返す。
「やあああ!」
大声を発して気合いを入れ、マリナは非力さを身体強化の術式で補いながら“タロウマル”の槍を弾いた。
その動きに対し、レスリーは右手の手板を動かしながら言った。
「“タロウマル”一端後退し、地面を抉れ」
レスリーが言うと“タロウマル”はマリナから距離をとり、そして力強く槍を後ろから地面を削るように振るった。
「な……!」
“タロウマル”が抉った地面は礫となってマリナに向かい飛ぶ。
「いたっ! うぅ!」
礫の多くは紙盾で防御できたが、幾つかは盾の上方を越えて落ち、マリナの身体にぶつかる。
「ほら、こっちの眼鏡さんも、もっとあーしを楽しませてくださいよぉ? “ジロウボウ”、行け!」
レスリーは煽りながら今度は左手を動かして“ジロウボウ”をフィリパにけしかける。右手の太刀を振り下ろし、フィリパはそれを紙の大盾で受け止める。
「言われずとも……!」
フィリパは紙の大盾で防御しながら、液状爆薬入りの試験管を“ジロウボウ”に向けて投擲する。
空を舞う試験管はがら空きとなっていた“ジロウボウ”の左腕に命中し、爆音を立てて炸裂した。
「ちぃ! “ジロウボウ”、左腕動作確認!」
先ほどまでの攻撃的な態度から、レスリーは狼狽して“ジロウボウ”を引かせる。
攻勢が中断して左腕をぐるりと回す“ジロウボウ”の様子を窺いながら、マリナはフィリパに声をかける。
「やるじゃない、フィリパ!」
「にひひ、まーね。けど、傀儡使いだなんて厄介ね……何かいい手がないかしら?」
フィリパはため息をついた。
「そうね、思うに――」
手板を振りながら命令を下すレスリーの姿を鑑みるに、“タロウマル”と“ジロウボウ”は自律回路を組み込んだ自動人形ではなく、術者が直接操縦する操糸人形と思われる。
直接操縦型の割には動作がやや単純に過ぎるという違和感があるが、自動人形にしてはその場で適切な判断を下しているように見える。少なくとも、盾を構える相手に槍で地面を抉って礫にするような行動は、騎士候補生の作る自動人形では行いがたい。
おそらくは、二体の人形を同時操縦すること自体が高度な技法であると思われるので、ある程度は単純な動作にならざるをえないのだろう。
そして実際に、“タロウマル”と“ジロウボウ”の身体からはレスリーの手板へ繋がる複数の糸が陽光に照らされて輝いているのが見えるのが、操糸人形であることを端的に示している。
「今のところは、二つの対抗手段があるわ」
相手の術式が操糸人形であれば、決定が与えられる手段が二つある。
その、一つは糸を切ること。
「動作問題なし、か……ふぅ、驚かせてくれるじゃないっすか。行け、“タロウマル”!」
「させないわ!」
レスリーが右手を動かして“タロウマル”を進ませるのと同じくして、マリナは肩に掛けていた鞄を開き、命じる。
「真っ直ぐ行って!」
マリナの声に合わせて、鞄から幾つもの紙が舞い上がり、“タロウマル”とレスリーの手板を結ぶ糸へと飛行する。
宙を行く紙は全て硬質化され、刃となりて敵対者を切り裂く武器となる。文書魔術の初歩的技法。
「紙の刃っすかぁ? 糸狙いなんて見え見えっすよぉ! 無駄っすよぉ、無駄ぁ!」
レスリーは右手の手板を振るうと、“タロウマル”は大槍を振るい、回転させてマリナの放つ紙の刃を薙ぎ払う。
「……やっぱりそう簡単には通してくれないわね」
この結果は、十分予測できた。簡単に糸を切らせるほど相手も愚かではない。
であるならば、もう一つの決定打を用いるのみ。
「行け、“ジロウボウ”!」
紙の刃を“タロウマル”で対応しながら、レスリーは左手の手板を動かして“ジロウボウ”を走らせる。
次いでフィリパが、スカートのポケットから紙の玉を取り出す。マリナから分け与えられた紙弾。自動的に敵対者の人体の弱っている部位に命中する魔法紙の弾丸。
フィリパは、紙弾を右手の親指に乗せ、レスリーへ向けて構える。
「紙弾、発射!」
もう一つの決定打。それは、人形を操縦する術者本人を倒すこと。操糸人形は、術者本人の直接戦闘能力が低いがために、強靱な人形に戦闘代行をさせる術式。
然らば、紙弾であれば強靱な人形の合間を縫って、非力な術者に攻撃が届くはず――というのが、マリナの目論見であった。
しかし。
「なっ!?」
「そんなっ!?」
紙弾の命中地点に、レスリーのみならずマリナも驚きの色を見せた。
放たれた紙弾は術者のレスリーではなく、“ジロウボウ”の方へと向かい、その左腕へと命中した。
フィリパの爆薬攻撃により傷んだ“ジロウボウ”の左腕は紙弾により打ち裂かれ、どさりと地面に落ちた。
この結果は、敵対者の人体の弱点を射貫く紙弾は、非力な術者であろうレスリーよりも、フィリパの攻撃によりダメージを負った“ジロウボウ”の左手を優先したことになる。それは、つまり――
「“ジロウボウ”、引け! おのれ、よくも……!」
“ジロウボウ”の左腕が破壊されたことは、レスリーにとっては完全に想定外のようで、慌てて“ジロウボウ”を引かせ、また紙の刃を全て撃ち落とした“タロウマル”の動作も一字停止した
その様子に、“ジロウボウ”と交戦していたフィリパは、胸を撫で下ろす。
「目論見は外れたけど、戦果はあったわね。二刀流はやっぱ厳しい。これであっちの人形の相手は楽になりそう」
「……怪我の功名ね。私なりの勝ち筋が、思い浮かんだわ」
「勝ち筋? 糸を切ったり、術者を狙うのではなく?」
「ええ」
フィリパの問いに、マリナは頷く。
そして、レスリーとの交戦前後のことを改めて思い返す――様々な違和感を。
混乱したヴィルヘルミナ。
気配もなくいつの間にか自分たちのすぐそばにいた射手人形の“サブロウスケ”に気付けた理由。
操糸人形にしては単純だが、自動人形では考えがたい“タロウマル”と“ジロウボウ”の動作。
フィリパの放った紙弾の軌道。
そして、手板を動かすのみならず、逐一“タロウマル”“ジロウボウ”と命令を下すような言葉を発していたレスリーの姿。
そこからマリナは、一つの仮説に辿り着いた。
「ん、どいうこと?」
「まだ、確信は持てないけど――」
マリナは動揺するレスリーに気取られぬよう、密かに自身の仮説をフィリパに告げた。
*
茜色に染まった空き教室に、あたしはいた。
この教室にいるのはあたしと、アクア・ブライス。この部屋の実質的な主であり、覗き見に来たあたしを招き入れた人。
アクア・ブライスは椅子に座って淡々と文庫本を読み進め、あたしは何をすることもなく、ただ彼女の隣に座り、その横顔を眺めていた。
彼女はそれを咎めない。彼女はあたしがここに来た理由すら問わない。
彼女は何もあたしに何も言わない――ただ一度、「外から見てないで、入ってきたら?」と言った以外は。
(アクア先輩って……)
彼女の顔を眺めながら、あたしはつと思う。
綺麗だな、と。
彼女の顔の造形自体は、美人と表現するよりも童顔でかわいらしいというべきものであった。
薄茶のお下げ髪に銀縁の眼鏡。鈍色の瞳。身長はあたしよりも低く、同年代ではかなり小柄な部類。
彼女は幼年騎士学校に在籍していると言っても疑う要素のない容貌であったが、それでも、何故か彼女には綺麗という印象を抱いてしまう。
それは、彼女が纏う、同年代の少女とは思えない諦観めいた静かな空気が、自分にそう感じさせたのかもしれない。
「……どうしたの、私の顔ばかりを見て?」
「ひゃあ!」
ぼんやりと彼女の横顔を眺める中で、不意に声をかけられてあたしは思わず素っ頓狂な声を出す。
彼女はあたしに目を向けず、文庫本を読み続けているが、なんとはなしに気恥ずかしく、目線を逸らしてしまう。
「あー、いや、そのー、寂しくないんすかねぇって? ずっとお一人で本を読んでいて」
「……別に」
顔を眺めていた理由を誤魔化すために、あたしは適当なことを言うと、彼女は短く静かに答えた。
一応、対話する意思はあるらしい。あたしは、更に言葉を続けた。
「でも、色んな人が先輩のことあれこれ言ってるっすよぉ? 近寄りがたいーとか、空き教室で何か儀式をやってるんじゃないかーとか?」
「そう」
「いや、あーしがそう思っている訳じゃないっすよ? ただ、あーしと同じ初年生まで先輩のことを色々と噂してるって言うか……そこまで噂になると気になるって言うか……」
「私は私よ。誰が何を言おうと関係ないわ」
アクア先輩は変わらず文庫本に醒めた瞳を落とし続け、淡々と言い切った。
迷いなく。淀みなく。誤魔化しなく。
あたしは思った。
敬遠され、畏れられ、家柄や家法の魔術のことであることないこと言われ続け、それでも屈することなく、自分は自分だと淀みなく答えられる彼女は――強い人だな、と。
媚びず、揺るがず、自分の意思を持っている人だと。
理想の姿だった。家格の低さと外法使いの娘という出自から、同輩にも阿るように接してきたあたしにとっては、理想の在り方だった。
それは、ブライス家という名家の娘だからできることなのだろうとも思う。
だが、それ以上に、アクア・ブライスという個の強さに依る部分が大きいのだと、この短い遣り取りであたしは感じた。
だから――もっと、彼女のことを知りたい。彼女の姿を見たい。そう、あたしは思った。
彼女のような、自分になりたい。そう、あたしは思った。
弱い自分とは違う、誰にも媚びず、孤高を貫く強い人に。
だからあたしは、勇気を出して言った。
初めて会った彼女に。軽佻浮薄で阿諛追従の仮面を外した、本当の自分の言葉で、あたしは言った。
「あの、先輩……あたし、また、ここに来ても、いいですか? 先輩と、もっと……その、あたし、お話したいと言いますか……」
途中から気恥ずかしさを覚えて、言葉が辿々しくなる。
そんなあたしに対して、アクア先輩は初めて、目線を文庫本からあたしに向けてくれた。
視線が合う。心臓がより一層激しく動く。頬が自然と熱を帯びる。部屋が夕陽で染まっているから、頬が赤らんでもバレないよねと、思考が妙な方へと動いてしまう。
あたしの様子を見ながら、アクア先輩の顔は一瞬だけ――もしかしたら、あたしの気のせいなのかもしれないけども――笑ったように見えて、言った。
「そうしたいのなら、私は構わないわ」
「せ、先輩……!」
精一杯の勇気を出して言った言葉を、アクア先輩は受け入れてくれた。
嬉しかった。嬉しい、などと思うのは、随分と久しぶりのように感じてしまった。
「ありがとうございます! また、その……先輩がいる時にお邪魔します!」
感激したあたしは、アクア先輩に一礼する。その時にはもう、アクア先輩は目線を本に戻していたけれども、またあたしに声をかけてくれた。
「ねえ、貴女の名前、教えてくれるかしら?」
「あ……すみません! そういえば、名乗ってすらいませんでしたね!」
あたしは自分の行動のデタラメさが気恥ずかしく、思わず笑ってしまった。
「レスリーです。レスリー・フォード」
笑って、自分の名前を告げて、そして気付いた。
今、あたしは、騎士学校に入って初めて自然な笑顔ができていたのだと。
*
ネルクスタ大平原魔術部隊演習場。小陣地。
「……マジでか。よく気付いたわね、マリナ」
マリナがフィリパに仮説を伝え終えるのとほぼ同じくして、“ジロウボウ”の左腕を破壊されて狼狽したレスリーが気を取り直す。
「いやー、“ジロウボウ”の左腕が壊されるなんて思わなかったっすよぉ! 完璧にあーしの想定外っす! お見事っす!」
小馬鹿にするように言いながら、レスリーはパチパチと手を叩く。
顔の造作こそ笑ってはいるが、無理しているようでもあり、また、楽しんでいるようでもあり、そして本当に心から賞賛しているようにも見える、複雑な表情であった。
「“ジロウボウ”の左腕、砕いたのはマリナさんの作った文書魔術の道具っすよね?」
「そーよー。マリナっちの道具はすごいんだよー」
レスリーに負けじとフィリパもからかうように言葉を返す。しかしレスリーはフィリパのことは全く意に返さず、マリナの方だけに目線を向けて笑い続けた。
「流石はアクア先輩の妹さんっすねぇ。ブライス家の呪詛以外でもここまで戦えるなんて。けど――そろそろ本気出してほしいっすねぇ。マリナさんの呪詛魔術、見せてくださいよ?」
「――――!」
レスリーの言葉を受けた瞬間、マリナは硬直する。その顔は蒼白としていた。
「マリナ……?」
「だ、大丈夫……ちょっと、嫌なことを思い出しただけ」
彼女の様子に気付いたフィリパの声を受けて、マリナは気を取り戻す。
そうだ。こんなところで、昔のことを思い出して、怯える訳にはいかない。
血と死臭に満ちたブライス家のことを。自分を不出来として追放した父のことを。
「どうしたんすか? まさか、あーし程度の実力じゃあブライス家の家法を使うには不足ってことっすかぁ?」
「……使えないわ」
レスリーの煽りに対して、絞り出すようにマリナが答えた。
「え……? 今、なんて言ったんすか?」
その回答を受けて、レスリーの笑顔が引き攣る。マリナの言葉もまた、明らかにレスリー側にも大きな感情の変化をもたらしていた。
「私は、呪詛魔術は使えないの……だから、王都のブライス家から追放されたのよ」
今度ははっきりと、レスリーのみならず自分にも突きつけるように言った。
自分は家法の呪詛魔術を扱えない不出来な娘だという事実を、改めて噛みしめ、そして向き合う。
「え、マリナ? 王都のブライス家って、やっぱり……?」
「……言わないで、フィリパ。演習が終わったら、ちゃんと話すから……」
フィリパの問いを、マリナは遮る。
自分の出自は、知られたくなかった。知っているのは、同じ部屋のサヤとフィーネだけ。山岳訓練以来の友人であるイトとカティにも、同じ魔術科で気の置けない友人となったフィリパにも、未だに話す勇気が持てなかった。
誰かに話すことは、否応なく自分の境遇に向き合うことと同じ。だから、寝食も常に一緒にいる家族のような相手にしか話せなかった。
だけど――この戦いが終わったら、フィリパにはしっかりと話そうとマリナは決めた。
自分が逃げ続けていた過去と向き合うために。
一緒にここまで戦ってきた友人と誠実に接するために。
「そっか。ま、話したくなければ話さなくていいのよ。それがエイリスのルールだし。にひひ」
そう茶化すように言って、フィリパが気遣う。それが彼女の美徳なのだとマリナは思い、交戦相手と対峙している最中にも関わらずふと小さく笑んでしまう。
「使えない、ですか……? そうですか、アンタは……」
その一方でレスリーの顔からは――笑みが完全に消失していた。
(続)




