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騎士候補生少女譚  作者: 柳生 劣情(文章)&春畑 晴燕(設定)
第七章 少女たちの蒼穹
33/71

百戦目/四年前から

 剣術を始めたのは四年前、女子幼年騎士学校に通うようになった年からで。

 幼年騎士学校の授業が終わって家に帰ると、パパとの剣術稽古の時間が始まる日々。

 あたしは、その時間が好きではなかった。

 身体を動かすこと自体は好きだし、パパのことは立派な騎士だと尊敬している。だけど、あたしは剣術が好きにはなれなかった。

 受けに失敗して木刀が身体に当たると痛くて怖いし、剣術自体が人を傷つけるための技術なのだと思ってしまうと、何だか嫌な気持ちになってしまう。

 だからあたしはパパに何度も言った。剣術は好きじゃない。稽古をしたくないと。

 そんな風に嫌がるあたしを見かねて、ある日パパは先生を連れてきた。とても教えるのが上手な先生だから、きっとあたしも剣術を好きになれるだろうと。

 パパの連れてきた先生は、目つきがとても鋭い、王都では見慣れない民族衣装(着物)を着た背の高いおじいさんで、そして先生は女の子と一緒にやってきた。

 先生と同じような王都では見慣れない服を着ていて、やはり王都では見慣れない顔立ちをした、黒い髪に蒼い瞳の女の子。パパからは先生の孫娘で、極東民族の子だと教えられた。

 彼女と出会ったその日から、あたしは先生に剣の手ほどきを受けることになった。

 先生の教え方はパパの言うとおりとても上手で、わかりやすくて、自分でも日に日に上達していくことが感じ取れるほどで――それでもやっぱり、あたしは剣術を好きになれなかった。いくら巧くなっても、結局はパパに言われてやっていることだから。あたしの意思じゃないのだから。

 先生との稽古が始まってから数日ほど経った頃のある日。稽古の後。

 あたしは屋敷の離れにある稽古場に忘れ物を取りに行くと、そこには先生の孫がいた。

 明かり取りの窓から夕日差す稽古場で、ただひとり彼女は木刀を振っていた。

 揺れる黒髪。凛とした蒼い瞳。朱い夕光に照らされる彼女の貌は、何故か胸を締め付けられるような寂しさを感じさせて――あたしは、その姿に目を奪われてしまった。

 少しすると彼女はあたしに気づく。剣を振る腕を止めて、あたしに柔らかく笑いかけた。

「……一緒にやる?」

「うん」

 あたしは、頷いた。

 この子と同じ場所に立ちたいと、思ってしまったから。

 何故そう思ってしまったのかわからなかったけど、あたしは彼女と一緒に剣を振りたいという気持ちが胸に生じていた。

 初めてだった。初めて、自分から剣を振ろうと思った。

 ふたり並んで木刀を振る。稽古後の疲れは、もうとっくに忘れていた。

 ふたり相対し木刀を交える。攻撃を受ける痛みへの恐怖や相手を傷つけることへの厭いは、いつの間にか消失していた。

 眼前には、木刀を構える同じ年の少女。

 軽やかな足捌き。力強い剣筋。弾ける汗の滴。

 彼女の(存在)に、(言葉)に、(情動)に、あたしは応え、剣を振る。

 楽しい。

 数度打ち合う中で、心臓がとてもドキドキとしていることを自覚する。

 その鼓動には、激しく動いたことに対する反動とは全く異なる、今まで感じたことがない心地よさがあった。

 あたしは、思った。

 ああ、これが多分、好きになるってことなのだろうなって。

 その瞬間からあたしは、剣術が好きになった。

 その瞬間からあたしは、先生の孫と――サヤちゃんと手合わせをすることが、とても、とても楽しみになっていた。


    *


 鷹鳴城より南東、レゼ国行政区分では最東ダクレイ地区に位置する地点にダスバ城塞という砦が存在する。

 鷹鳴城と同じく五百年の歴史を持つダスバ城塞は演習場からほど近く、演習の運営を行うダクレイ地区騎士団の詰め所や演習時に騎士候補生達が大怪我を負った場合に備えた医療設備などの演習に関わる設備が設えられている。

 その一つが、中央総合演習に招かれた賓客達のための観覧室であり。

「まあ、絵が動いていますわ!」

 驚嘆の声を上げながら、リズレア教会の聖女が観覧室で目を輝かせる。

 観覧室には、聖女をはじめとする演習前日の晩餐会に参加した要人達が贅を尽くした椅子やソファに腰掛ける。その後背には前日と同じく護衛達が控え、そして、その眼前にある壁面には演習正装を纏った少女達の姿が映し出されていた。

 ある少女は平原を駆け、ある少女同士は剣を交え、ある少女は魔術杖より火炎弾を放つ――音声はないものの現実に生きる人間達の姿そのままが映し出されている十六に分割された壁面に、聖女のみならず観覧室内の多くの者達が釘付けとなる。

「いやいや、聖女光下(こうか)にお喜びいただけて光栄ですよ。くっくっく」

 聖女の様子を見ながら、中央総合演習総責任者であるゲキが誇らしげに笑う。聖女のみならず、今年初めて中央総合演習の観覧を行うレゼ国三権の副長や演習校の舎長たちも、壁面に映し出された少女達の動く姿を見ながら顔に大なり小なり驚きの色を浮かべていた。

「この画面には、中央総合演習に参加している騎士候補生達の姿が映し出されているのですよ。わたし達がこの観覧室にいる瞬間と同じくして、例えば、あのふたりの子は演習場で戦っているのです」

 言いながら、ゲキは上部左端の剣を交えるふたりの少女の映像を指し示した。

「そうなのですの? こんな凄いことができるだなんて……いったい、どのような魔術を使っているのかしら?」

 聖女が問うと、クロン市のホヅ副市長は噴き出すように笑った。

「ハッハッハ! 聖女殿下は異な事を仰りますな!」

 ホヅ副市長はソファにゆったりと腰掛けながら金属製のステッキに両手を乗せ、にんまりとした笑みを浮かべて続ける。

「これは決して、魔術ではございませぬ。今ご覧になっている映像は、クロン市が提供した純然たる科学技術に依るものでございますぞ!」

 ホヅ副市長の口調は陽気ながらも、どことなく見下すような色合いがあった。それを察したのか聖女の後ろに控えているフリージアとポインセチアが僅かばかり表情に苛立ちを見せる。

「ええ、ホヅ副市長の仰る通り、これはテレビジョンという技術によるものです。中央総合演習の観覧がしやすいようにと、クロン市より提供を受けていましてね」

 少しばかり不穏な空気を感じ取り、ゲキがホヅ副市長の言葉に被せるように補足説明を入れる。

「聖女光下もこちらにお越しになる際、ネルクスタ大平原に幾つもの鉄柱が立てられているのをご覧になってますでしょう? あの鉄柱には映像を記録する機械が備えられていまして、そこで撮影した景色がこの画面に映し出されているのですよ」

「なるほど……魔術ではなく、クロン市の技術ですのね」

 ゲキの説明に、聖女は得心したように微笑みながら言った。

 護衛役とは違いホヅ副市長の態度に聖女は不満を抱いていないと認識してゲキは安堵する。しかし、そこから続く聖女の言葉に、ゲキに冷や汗を掻かせることになった。

「ですが、ゲキ閣下、クロン市から技術提供を受けるには多くの資金と強い信頼関係が無いと難しいと聞いていますわ。以前よりレゼはクロン市に多額の資金と引き替えに鉄道敷設の支援を受けていることを知ってはいましたが、それに加えてこんな技術まで提供していただけるだなんて、驚きですわ。レゼとクロン市は、本当に仲がよろしいのですのね」

「え? ええ、まあ……」

 聖女はにこやかな顔をしているが、ゲキは言葉に淀み、一つしかない目を泳がせる。

 帝国直轄の技術都市であるクロン市と良好な関係であることはレゼ国にとっては大きなメリットであり、誇るべきものであろう。しかしながら、それを指摘するのがクロン市と長年険悪な関係であるリズレア教会側であれば、特殊な意味合いを帯びざるを得ない。

 更に聖女が言う鉄道敷設事業についても、多額の資金を捻出するために王室費の一部削減も行われ、そのためにリズレア教会への国王名義の寄進が年々少なくなっているという事情も存在する。その事象は、昨年の中央総合演習で聖女代理として出席した右聖佐から苦言を呈されていた。

 斯様な言葉を発する聖女は無邪気な笑顔をしており、表面上は牽制的な意味合いを読み取れないが、それ故にゲキは彼女の意図を汲めずにどのような態度を取るべきか答えに窮していた。

「いえ、聖女殿下、テレビジョン技術の提供も鉄道事業と同じく無償ではございません。こちらもそれ相応の対価をいただいております」

 そんなゲキの様子に気付いたのか否か、ホヅ副市長が会話に口を挟んだ。

「確かに演習場での撮影機材設置などの設備構築やメンテナンスのために、こちらも相当な資金と労力を費やしている訳ですが、その代わりとして中央総合演習の放映権をレゼ国よりクロン市に譲っていただいておるわけです」

「ホウエイケン?」

 聞き慣れない言葉に聖女は首を傾げるが、その姿が彼の優越心をくすぐったのか、ホヅ副市長は更に饒舌となる。

「中央総合演習は市営放送局のテレビ番組として放映を行うことになっておるのです。これがですな、中々の人気コンテンツでして、市民からは実に好評なのです。まあ、私には理解できぬ感覚ですが、年若い少女同士の戦う姿というものは、娯楽としての需要があるのでしょうなあ」

「シエイホウソウキョク? テレビバングミ? ニンキコンテンツ? 先ほどのホウエイケンといい、技術の話はむつかしい言葉が多いですのね……ホウエイ(ケン)というからには、フリージアは聞き覚えがあるかしら?」

「い、いえ、申し訳ございません、聖女様……私には……」

 不思議がる聖女と困惑するフリージアの様子に、ホヅ副市長は謝罪を示すように手を振り軽く頭を下げる。ただし、その顔は嬉しそうに笑っていた。

「いや、これは失敬。聖女殿下の仰られる通り、難しい話題でしたな。申し訳ない。ああ、そうだ、ゲキ閣下、放映権の契約内容については例年通りでよろしいかな?」

「うん? ああ、うんうん、そうだね。構わないよ」

 聖女の発言に加えてホヅ副市長の意図的にリズレア教会側を小馬鹿にするかの如き態度が重なり、ゲキはより顔を引き攣らせながら返した。

(いやいや、クロン市と教会とのいざこざをレゼ(ここ)にまで持ち込むのは本当に勘弁してもらいたいものだね……ま、仕方ない。これも大切な仕事だ)

 内心でゲキは毒づきながらも、自分の役目を思い起こして気を取り直す。

 ホヅ副市長の言う放映権譲渡の契約はレゼ国に大きな利益をもたらすことをゲキは理解している。

 放映権譲渡契約により、レゼ国は中央総合演習に関わるクロン市の技術提供を無償で受けられるのみならず、来年度の中央総合演習予算を補って余りあるほどの資金提供を引き出すこともできる。それでいて、こちらがクロン市に渡すものは中央総合演習に対する放映権を譲る旨の文章を書いた紙切れ一枚のみ。

 失うものは実質的には何も無く、得るものは余りにも大き過ぎる。

 中央総合演習放映権のクロン市への譲渡契約はレゼ国にとっては大きな収入となり、そして、その収入を引き出す自分の立場や発言力をより一層高めることができる。だからクロン市と教会の険悪関係に放り込まれて胃を痛める程度であれば、安いものであるとゲキは認識していた。

 そして、戦う少女達を愛でるという気持ちは副市長とは異なり大いに理解できる。それに金を払う人間がいてもおかしくはないというのはわかる。自分がクロン市民だったら、間違いなく金を払うであろう。

 自分の立場を高める上に、かわいらしい少女達を使った最高の見世物である中央総合演習は、ゲキにとっては趣味と実益を兼ねた大いなる楽しみであった。

 聖女様も興味津々なご様子だしここは水を向けてみようと、ゲキは笑顔を作って聖女に声をかける。

「そうだ、聖女光下。中央本舎の中で特に優秀な騎士候補生については、いつでもその様子が見られるように仕掛けが組まれているのですよ。どうです、誰かひとり、様子を見てみませんか?」

「そんなことまでできますのね! どのような方を観ることができますの?」

 聖女に予測通りの反応を引き出せたゲキは満足げな顔をブキャナン本舎長に顔を向けて言った。

「中央本舎の成績上位五名です。ブキャナン本舎長、紹介を頼むよ」

「では、僭越ながらわたくしから」

 ブキャナン本舎長は椅子から立ち上がり、手帳を開いて読み上げる。

「まずは第五席、魔術部隊所属、フォード家長女レスリー・フォード」

「フォード家? 聞かぬ家名だな」

 ブキャナン本舎長の紹介にガルグ最高法院副院長が興味を示すと、ゲキが補足を入れた。

「フォード家は魔術大学校総長を務めているインガルデン卿の郎党筋だね。一応上士ではあるが、家格はかなり低い家だよ。ガルグ副院長が知らないのも無理ないんじゃないかな」

「ふむ、陪臣家系か。ご教示かたじけない」

 ガルグ副院長の疑問が解消されたことを認めると、ブキャナン本舎長は上位五席の紹介を続ける。

「続いて第四席、歩兵部隊所属、近衛騎士団監察局長フィルモア卿の長女エズメ・フィルモア。第三席、歩兵部隊所属、中央男子高等騎士学校ブキャナン舎長の次女ヘイゼル・ブキャナン。彼女はわたくしの姪でもありますわ」

 ヘイゼルの紹介時に自分の血縁者である旨を強調するように付け加え、続ける。

「次席、歩兵部隊所属、銀獅子騎士団総裁グラント卿の七女ノーラ・グラント」

「おやおや、グラント卿のご息女なのか。ほほう」

 ノーラの紹介を受けてゲキがニヤリと笑いながら言った。銀獅子騎士団総裁を務めるグラント卿は高齢であり、高等騎士学校に通う年代の少女であれば祖父と孫ほどの年齢差が存在する。

 その実、グラント卿は好色家として有名であり、年若い後妻を迎え入れている他、老いてなお愛人を幾人か囲っていると噂される。ゲキの言葉は、ある程度事情を知るレゼ側の要人たちにグラント卿の醜聞を想起させざるを得ないものであり、意地が悪い彼女らしい態度であった。

「そして今期の首席であり総大将役、歩兵部隊所属、近衛騎士団総裁を務める“英雄”カーター卿の孫娘であり、近衛騎士団総裁官房局マシュー・カーター局長の長女ベアトリス・カーター。以上の五名です」

 上位五名の紹介を終えてブキャナン本舎長が着座すると、ゲキが再度聖女に声を掛ける。

「先にも申しました通り、彼女たち五人についてはいつでも様子が見られるように機材の調整をしています。それに、今は画面分割をしているので音は流れませんが、ひとりに絞れば戦闘時の声や音も聞くことができるようになるのですよ。どうでしょう、気になる子がいれば映しましょう」

 ゲキの言葉を受けて、聖女は右手の人差し指を顎の下に当てて思案する。

「なるほどなるど。先代様からは歩兵戦が迫力があると聞いてますので……では、まずは試しに歩兵部隊所属で一番席次の低い方を見てみたいですわ。お願いできますでしょうか?」

「第四席のエズメ・フィルモアですね。セヴン、機材の操作を」

「了解しました」

 ゲキが命ずると、画面脇の機材の前で控えていたセヴンが手慣れた調子で操作を行う。

 すると十六分割された画面は一つの大きな画面となり、部屋には演習場の喧噪音が響く。

 壁面全体を覆う画面には、黒い演習正装を身に纏い剣を携える、褐色肌の少女の姿が映し出されていた。


    *


 ネルクスタ大平原演習場中部。

 中央本舎の歩兵陣地とエイリス分舎の歩兵陣地の丁度中間部にある平原地帯で複数の少女達が干戈を交えていた。

 演習場には映像記録用のビデオカメラが取り付けられた鉄柱が複数立ち並び、東側には雑木林が広がっていた。

「ぐっ……あ……」

 その雑木林前にて中央本舎の騎士候補生であることを示す黒の演習正装姿の少女が、苦しげに息を漏らしながら膝をつく。それと同時に演習正装に設えられている金の飾緒がぷつりと途切れ、中央本舎の少女は倒れ伏した。

「ふぅ、これでよし、と」

 倒れる少女の前で、彼女に打ち勝ったサヤは右手に刀を携え左手で額の汗を拭い、安堵の息を漏らす。

 目の前にいる相手を撃破したことが確信できたが故に。

 演習正装に付けられている飾緒は単なる飾りでは無く、特殊な魔術が施されている。飾緒は着用している人間の意識と連動しており、気を失った瞬間に切れるように仕掛けられた魔術繊維製。故に演習正装の飾緒が切れたことは、中央総合演習からの脱落を意味しており、対戦相手としては自身の勝利を確認する手段となっている。

「サヤー! こっちも片付いたぞー!」

「お疲れ、ダイアナ」

 サヤが額に滴る汗を拭い終えるのと同じくして、ハルバードを肩に担いだダイアナが歩み寄り声を掛ける。

 サヤとダイアナは東の雑木林を背にして迫ってくる中央本舎の候補生に対処する防衛線の守備担当。無論、彼女らのみならず複数のエイリス分舎騎士候補生が同じ任務を担っている。

「余裕そうじゃん。具合は良くなったの?」

「まー、それなりに、かな」

 サヤは下腹部を左手でさすりながら苦笑する。正直なところ痛い。開始前よりもギリギリと痛む。だが、まだ耐えられる程度。

「ふーん、そか。ま、余り無理すんなよ、サヤペン」

 サヤの答えにダイアナは僅かばかり不安そうな素振りを見せるが、それ以上は踏み込むことはせず、茶化し誤魔化す。

「呼び名退化してない? あと心配してくれてありがとね」

「どーいたしまして。あ、こっちはとりあえず目の前の相手は全員倒しといたけど、何人かは討ち漏らしちゃってね。大丈夫かな……?」

「んー、まあ、何とかなるんじゃない?」

 ダイアナの問いに対し、サヤはへにゃっと笑い答えた。

 防衛戦を越えた先の雑木林にはカティら幾人かの短剣術を修めた騎士子補正達が控えている。彼女ら短剣術科の騎士候補生は往年は優秀な猟兵だったというファンファーニ教官統括に鍛えられており、侵入者に対して適切な対処が可能であろうという信頼がサヤにはあった。

「しかし意外と歯応えがないなー、中央本舎。たまに魔術を使ってくるやつもいるけど、近づけばどうとでもなるし」

「あはは、それは同感」

 気を紛らわせるかのようにハルバードの柄をぐるぐると回すダイアナに対し、サヤは笑いながら頷く。

 先ほど倒した少女も含めて幾人か中央本舎の候補生を相手取ってきたが、彼女たちは決して弱いという訳ではない。だが、日常的に術式科教練で手合わせを行っているエイリス分舎の騎士候補生達よりも腕が劣る者ばかりであったのは事実。体調的な問題を抱えながらも全く危うげなく勝てる相手ばかりである。

 複数人の相手をこなすことによる疲労感と痛みの波の激化はあるが、高揚感は全く覚えることは無く。現状を評するのであれば拍子抜け、肩透かしという言葉が浮かんでしまう。

「もう少し強い相手が来ないかな……」

 サヤは独りごちる。

 強い相手。そう、例えば演習二日前に出会った五人の少女がそうだ。

 あの時に彼女たちと直接剣を交えたわけでは無いが、次席であるノーラの立ち居振る舞いや第三席のヘイゼルの気迫、そして首席であるベアトリスの威圧感を見るにかなりの実力者であろうことは推察することができた。

 それに、四年前に自分と互角だったエズメは彼女たちよりも席次が下の第四席であり――

「――おっと、サヤ。新しい敵さんのお出ましだ」

「ありゃりゃ、もう来たんだ」

 サヤは目をこらすと、黒の演習正装を纏った三人の少女がこちらに駆けてくる姿が見えた。

 得物は三人とも剣。一番先頭を走る少女の肌は色黒で。その顔は見覚えのあるもので――

「えっちゃん……?」

 サヤは無意識に、ダイアナに聞こえないほどの小さな声で呟いた。

 先頭を走るのは間違いなく、エズメ。四年前に幾度も手合わせをした相手であり、今では中央本舎の第四席。

「三人かー。どうする?」

「……わたしが先頭の子の相手をする。ダイアナは後ろの二人を任せていい?」

「その心は?」

「先頭の子は強い。多分、ダイアナじゃ無理。勝てないよ」

 サヤは淡々と、ダイアナに対する貶めの気色が一切無く淡々と答えた。

「あたしじゃ勝てない、か……よし!」

 そのサヤの言葉に、ダイアナは頷きハルバードを構える。その顔には、勇壮な笑みを浮かべていた。

 こと戦闘技量に関しては自分よりサヤの方が圧倒的に上であることをダイアナは認識している。故に、自分では勝てないという彼女の言葉は聞き入れるべき判断であると捉えた。

「サヤがそう言うのなら間違いないだろうしね。じゃあ、あたしは後ろ二人を相手する」

「よろしくー」

 サヤはダイアナに対して左手をひらひらと振り終えると柄に添え、正眼に刀を構えた。


    *


「だりゃああーーーー!!」

 大声を発しながら、ダイアナはハルバードを豪快に振り回す。中央本舎の剣士ふたりを一度に相手をする大立ち回り。剛にして豪のその薙ぎ払いは相手側の攻撃を寄せ付けず。

 ダイアナによる一対二の攻防が繰り広げられる中、サヤとエズメは静かに向かい合っていた。

「サヤちゃん、また会えて嬉しいな!」

「そうだね。まさかこの広い演習場で本当にえっちゃんとかち合うなんて思わなかったよ」

 サヤが笑むと、エズメは嬉しそうに返した。

「うん。匂いでサヤちゃんがここにいるってわかったから、急いで来たの」

「そっかー。匂いかー……ん、前にも似たようなこと言ったような?」

 サヤが首を傾げると、エズメは噴き出すように笑った。

「アハハ! サヤちゃんは相変わらずだね」

「えっちゃんも。あの頃と同じだね。笑い方も、雰囲気も変わってない」

 その言葉には、偽りが無い。目の前の少女の笑顔が、四年前の友人の顔とはっきりと重なっていた。

「うん、変わらないよ。あたしはずっと、サヤちゃんとの百戦目を楽しみにしていたんだから――」

 談笑しながら、エズメは鞘から剣を抜く。彼女の得物は、細剣(さいけん)

(えっちゃんのは刺突用の剣、か……やっぱ四年前とは違うか)

 四年前にお互いが使っていた極東式の木刀とは作りが全く異なるもの。尤も、サヤと手合わせする時のエズメは極東剣術を使うわけで無く、飛び跳ねながら剣を振り回すほぼ我流の戦い方をしていたのであるが。

「――行くね!」

 強く、短く言うと同時にエズメは地面を蹴り、飛び跳ね――その数瞬後に刃と刃がぶつかる高音が鳴り響く。

「のわっ……!」

 刃鳴(じんめい)と同時にサヤが驚声を発する。

 エズメの得物は刺突用の細剣。しかし彼女の攻撃は刺突では無く跳躍からの振り下ろし。

 四年前の我流剣術の再演――否、その剣撃は四年前と比べものにならないほど(はや)く。

 手に持つ武器から突きが来ると無意識的に思っていたサヤはエズメの跳躍斬りに戸惑いながらも、咄嗟に刀を上方に向けて防御姿勢を取り防いでいた。

「ふんぬっ!」

「っと」

 サヤは両腕に力を込めてエズメを弾くと、彼女は空中でくるりと一回転し、屈んだ体勢で着地した。そして。

「よっ――はい!」

 再び、刃鳴が響く。

 エズメは着地後にすぐさま地面を蹴り、空中からの再攻撃を行い、サヤはこれを防ぐ。

 着地。跳躍。攻撃。防御。着地。跳躍。攻撃。防御――

「っ……」

 三度、跳躍からの斬撃を受けた後、サヤは後ろへと引いてエズメと距離を取り、顔を顰める。

(剣速自体は、ユキノヲ教官より下。だけど……)

 速いとはいえど、ユキノヲ教官ほどでは無い。エズメの動きを冷静に見極めれば、対処は十分可能。振りの重さもユキノヲ教官の高速剛剣に比べられる程のものもない。

 だが、エズメの剣の脅威は、攻撃から再始動までの時間の短さ。

 エズメからの攻撃は受けられる。だが、こちらが反撃に転じる前にエズメの再攻撃が始まる。

 防ぐことはできるが、攻めることは能わず。

 千日手。そんな言葉がサヤの脳裏に浮かんだ。

「さすがサヤちゃん。あたしもずっと鍛えていたんだけど、全部防がれちゃった」

 讃えるように、楽しむように、エズメが笑いながら片手で細剣を構え直して言った。

「まーね。てか、細剣ってそういう使い方、普通はしなくない? 刺突剣だよね、これ?」

「アハ! これ、細くて軽いから使いやすいんだよね。サヤちゃんの言う通り、本来は刺突用なんだど――っと!」

「うおっ!」

 喋りながらエズメはサヤの顔へ向けて突きを放つが、サヤは身を引いて避ける。

「はい!」

 エズメは即座に身を僅かに引き、再度サヤに突きを放つ。

「甘いって! せいやっ!」

「きゃっ!?」

 サヤは突き出されたエズメの細剣を刀で巻き逸らし、その勢いで反撃に刺突を放った。しかし、サヤはすぐに表情を曇らせる。

(外した……!?)

 エズメは右方へと跳び、サヤの攻撃を躱していた。好機を逃したことを認識し、サヤは歯噛みする。

「ふぅ、避けられたー。アハハ、やっぱ慣れない使い方しちゃダメだね――こっちの方で行くよ!」

 困り笑顔をしながらエズメは調子を整えるように二度三度足を踏み鳴らした後、サヤの方向に跳び込んだ。

「――危なっ!」

 サヤが攻撃姿勢から身を立て直すより前に、エズメはサヤの元へ迫り中空で斬り下げを放つ。サヤは右手一本で刀を持ってかろうじて受け止め弾いたものの、自然と冷たい汗が噴き出た。

 間一髪。だがエズメの再始動は速く、跳躍は先よりも高く――空中で一回転して放つ決着を狙った一撃は、より迅く、より重く、より鋭く。 

「やああーー!!」

「くぬっ!」

 体勢を立て直すこと能わず、然れどもサヤは再度右手のみで防ぐ。だが、より勢いを付けて放たれた跳撃(ちょうげき)は腕に幾ばくかの痺れを感じさせた。

「うーん、今のも失敗かー。サヤちゃん、すごいや」

「っ…………!」

 空中での回転斬りに失敗したエズメは後方へ飛び退き、口惜しさを滲ませながら賞賛する。だが、サヤは彼女に返す言葉を見つける余裕が無く、顔が苦しげに歪んだ。

 汗が流れる。呼吸が乱れる。視界がぼやけそうになる。

 防御した反動による腕の痺れは、意外と問題にならない程度のもの。しかし、エズメと剣を交え続ける中で、下腹部の痛みが増してきていることをサヤは自覚する。

 息が苦しくなる。身体の反応が鈍る。気が散りそうになる。

 先は受け止められた攻撃を、また防ぐことができるのかと不安になってしまう。

 千日手から、ジリ貧へ。

「…………ふぅ」

 サヤは深く息を吐き、狼狽しそうになった自分の気を収める。

 渾身の一撃を打ち損じたエズメは警戒したのか、戦う前よりもサヤから距離を取った位置にいる。この距離であれば、一回の跳躍で自分の元へ迫ることはできないとサヤは認識した。

 故に、思考を巡らす。

(一度攻められると手が付けられない……勝つにはえっちゃんの攻撃より速くわたしが動かないとダメ……だとすれば)

 答えは、すぐに見つかった。

 “瞬望(しゅんぼう)”。ユキノヲ教官の得意技である、脇構えから放たれる速剣。

 ユキノヲ教官は剛剣攻勢からの脇構えという心理戦要素を交えた切り札として用いていたが、単体としても通用する高速跳躍からの斬撃。

 この技を実際に受けた自分だからこそわかる。“瞬望”はエズメの跳躍始動よりも上の速度が出せる、と。

(上手くいくかは……わからないけど……)

 練習は幾度も重ねてきた。しかし、一度も成功はできていない。

 だが、他に考えられる手立てはなく――

(やるしか……ないか!)

 サヤは右足を引き刀を持つ腕を下げ、脇構えの体勢を取った。

「あれ……?」

 遠距離で脇構えに移行するサヤの姿を見て、エズメは訝しむ。

 四年前は、あんな構え方をサヤはしていただろうか――その疑念が、隙となった。

(今――!)

 サヤは地面を蹴り、真っ直ぐに跳躍する。

 身体は浮いているが、高度は感じない。肌を切る空気から、十分な速度が出せていることを自認できる。

(いける……!)

 道場で幾度も練習し、失敗してきた中で決して感じることが無かった手応えが、サヤには確かに感じ取られた。

「え……!?」

 前に立つエズメは目を見開き、驚愕の表情を見せる。

 彼女の右手にある細剣は攻撃姿勢を取る寸前の、言うなれば中途半端な位置にあり、防御に移ることは叶わず。

「はああーー!!」

 サヤは叫ぶように声を発しながら刀を振り上げる。その刃はエズメに届き、彼女の左脇腹にめり込む。

「ぐあぁ……うぅっ!」

 サヤの“瞬望”が直撃したエズメは顔を歪め――左手の人差し指を伸ばし、サヤの額へと向けていた。

「……っ!! シ、発砲(ショット)ッ!!」

 絞り出すようなエズメの(詠唱)が耳に入ると同時に、サヤは額に強い衝撃を覚えた。 


    *


 エズメが崩れ落ちる姿が見えた瞬間、サヤは後方へと仰け反り、足が宙を浮いた。頭に受けた衝撃には、不思議と痛みが無かった。

(あー、えっちゃん、魔術使えたんだ……)

 周囲は音も無く静かで、思考も自分でも驚くほど冷静で、だからこそ、彼女が行ったことが認識できた。“瞬望”を受けたエズメの左手の形をはっきりと思い起こすことができた。

 親指を立てて人差し指を自分の方へと向けた形。人差し指から先に僅かに感じた空間の揺らぎ。

 指銃術(しじゅうじゅつ)。指先を銃口に見立てて魔弾を発する簡易的な攻撃魔術。

 機械武器である銃を参考にした近代魔術の一。攻撃は指の示す方向に直線と単純であり、威力も低い術ではあるが――エズメとの戦いは剣術勝負であるという先入観を持っていたサヤには完全な不意打ちであった。

(認識、甘かったなあ……)

 自然と、頬が緩んだ。

 見通しの甘さへの自嘲によって。“瞬望”を初めて成功できた喜びによって。そして、強者と仕合うことへの昂揚感によって――

「――――!」

 背中に強い衝撃を覚える。地面への激突。やはり、不思議と痛みは無く――


    *


「か、はっ……」

 サヤの“瞬望”を受けたエズメは膝をつき、脇腹を押さえながら嗚咽する。

「はぁ……はぁ……サヤちゃんは、やっぱりすごいよ……あんな技、使うなんて……」

 息も絶え絶えに言いながら、エズメは細剣を支えに立ち上がる。

「あたし、焦っちゃって……サヤちゃんとは、剣だけで戦うつもりだったのに……魔術、使っちゃった……ごめんね……」

 悔しそうな声を漏らしながら、エズメは覚束ない足取りで倒れたサヤの元へと歩み寄ろうとする。

「これで百戦目……四十一勝、四十一敗、八引き、分け……結果は、五分五分……ううん、違うね……魔術使ったし、あたしの、反則負け……かな?」

 しかし、サヤの元へと辿り着くより前に――エズメの演習正装の飾緒がぷつりと切れて落ちた。

「アハ、もう、限界だね……四年ぶりに、楽し、かった、よ……サヤ、ちゃ、ん……」

 言い終えると同時に、エズメはにっこりと笑ったまま仰向けに倒れた。

 中央本舎第四席エズメ・フィルモアは、この瞬間を以て中央総合演習より脱落した。


    *


「サ、サヤ!?」

 エズメの指銃術を受けて倒れるサヤの元に、ダイアナは駈け寄る。

 彼女が相手取っていた中央本舎の剣士ふたりは、既に敗退して地に伏していた。

「くっ、サヤが相打ちになるなんて――」

(いった)ーーーー!!」

 ダイアナが助け起こそうとしたところ、サヤは右手で額を押さえながら自力で起き上がる。

「うお!? 生きてた!?」

「勝手に殺さないでよ……演習じゃ死なないから……」

 言いながらサヤは額を右手で庇うようにさする。痛みは魔弾が命中した直後は感じなかったが、間を置いて一気にやってきた。少しばかり、涙目になってしまう。

「ごめんごめん。ま、とりあえず、サヤが無事で良かったよ。あの子、あたしじゃ絶対勝てなかっただろうし」

「かなり危なかったけどね……ふぅ」

 サヤは額に当てていた右手を胸の方に動かして飾緒が未だ無事であることを識ると、安堵し息を漏らす。

 自分はまだ、戦える。そして、先ほどまで自分と交戦していた相手方は――

「さて、えっちゃんは……あ、いたね。よいしょっと」

 サヤは周囲を見渡すと、倒れているエズメの姿がすぐに見つかった。

 立ち上がりエズメの元へ赴く。彼女の演習正装の飾緒が切れていることを確認すると、サヤはへにゃりと笑って言った。

「……四年ぶりの百戦目、結果は四十二勝、四十一敗、七引き分け。わたしの勝ち越しだね、えっちゃん」

 エズメは気を失っていながらも、その顔は楽しげな微笑みを浮かべているかのようにサヤには見えていた。


(続)

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