晩餐/前日
中央総合演習前日の夜。鷹鳴城の迎賓室では晩餐会が行われていた。
瀟洒な刺繍が施された白絹のクロスが敷かれる長大なテーブルには、山海の料理、果物、葡萄酒等々。
晩餐室最奥には五百年前のネルクスタ大平原の戦いに勝利した偉大なる王の肖像画が飾られており、その前に位置する主賓席に二人の少女が座する。
ひとりは、端麗な顔立ちに醒めた桜色の瞳を持つ表情が乏しい少女。レゼ王位継承権第二位の王女であるセイラ・レーゼスフィーア。十四歳。本来は国王が出席するはずであったが、国王と王位継承権第一位の王太子は州刺史対応を行っているためが故の代理出席者。
王女の左手側に座るもうひとりは、無表情な彼女とは対照的に可憐な笑顔で料理に舌鼓を打つ、簡素な法衣と五光架の首飾りを提げた少女。当代のリズレア教会の聖女。同じく十四歳。
聖女側の長辺の最上位にはティルベリア侯国の賓客、王女側にはクロン市の賓客が座し、残りの席にはレゼ国の要人と中央総合演習の参加校である中央本舎とエイリス分舎の舎長たち。
そして王女と聖女の対面側に座るのが、この夜宴の主催者であり中央総合演習運営の責任者である王族ゲキ・フラルタルコフ=レーゼスフィーア。
ゲキは葡萄酒に満ちたグラスを傾けながら、自然と笑みが零れる。
いやいや、眼前に美少女がふたりいる食事風景というのは実に良いものだね、と。
特にリズレア教会は、去年は聖女様の代わりに年寄りの聖職者が来たのだからたまったものじゃない。今年は聖女様に来ていただけて何よりだ。やはり見るべきは美少女だねと改めて思う。
我が国の王女様は無表情であり、物静かに野菜ばかり食べている。見目麗しいその姿は正に絵にはなるのだが、わたしとしてはもっと生き生きとした子が好ましい。いや、いくらわたし好みだとしても流石に王女様に手を出したりはしないけど。王を怒らせて残った方の目も抉り取られるのは勘弁していただきたいものだね。
しかしまあ、うちの王女様と違って聖女様は表情豊かだ。今はとても嬉しそうな顔をして肉を頬張っている。
うんうん、実にかわいらしい。まあ、流石に我が愛しい妹には負けるのだけども。いやいや、流石にそれは姉馬鹿か。
いずれにしろ、目の前にこんなにもかわいらしい笑顔があるのだから、少し水を向けたくなる。
「料理は如何ですか、聖女光下?」
“光下”というのはリズレア教会の聖女に対してのみ用いる尊称だ。
遙か昔、創世女神クラリザが“天の階段”と呼ばれる雲よりも高い山の頂より、光と共に自身の代弁者である聖女リズレアを地上へ遣わせたという神話に因んだ尊称である。
かつて“グ”帝国が大陸統一をした際に“陛下”という尊称を“グ”皇帝以外に用いることを禁じたように、呼称は時に外交問題を引き起こしかねない重大なものだ。楽しい会食の場ではあるが、油断せずにしっかりと押さえなければならないところだね。
「とてもおいしいですわ、ゲキ閣下。特にこのお肉! かかっているソースが甘くて、初めて知る味ですわ」
百点満点の笑顔で聖女様は答える。うんうん、たくさんお食べよ。美少女の笑顔は、わたしの最大の報酬だ。
「ゲキ閣下、これはいったい何のソースですの?」
「この地で採れる、タルティエベリーと呼ばれる木イチゴのソースです」
「あら、木イチゴなのですの? 木イチゴがこんなにお肉に合うなんて知りませんでしたわ」
「聖女様のお口に召したようで、それはそれは、実に光栄」
こんな可憐な笑顔を見せられたら、わたしの口角も自然と上がってしまうというもの。
ちなみに“閣下”というのは我が国では国王以外の王族に使用する敬称だ。十四歳の少女といえど、リズレア教会の象徴として外交儀礼を心得ているようだね。
うんうん、実に好ましい。まあ、呼称一つで外交問題を引き起こす権限も意識もわたしにはないのだけども。
「そうだ、折角なのでフリージアやポインセチアもお食べになって? とてもおいしいですわよ?」
そう無邪気に言いながら、聖女様は後ろを向いて背後に控えているふたりの護衛役に声を掛ける。
聖女様の左手側に控えるのは“雷鳴剣”フリージア。右手側に控えるのは“轟風戈”ポインセチア。
どちらも麗しき妙齢の女性だが、“聖女の双璧”と讃えられるリズレア教会聖騎士団の二枚看板の武人だ。
護衛役だけあって、この会食の場でもフリージアは帯剣しており、ポインセチアの方も刃部分は革袋で覆っているが戈を持ち込んでいる。
武器も本人達も実に物騒なのだが仕方ない。それが彼女たちの役目なのだからね。
もちろん、護衛を連れているのは聖女様だけではない。
我が国の王女様の後ろには女性騎士が幾人かいる。おそらくは、叔父である外戚のクリスト・ロットラッファー卿の郎党であろう。どれも名前を知らない顔だが、いずれも美女揃いだ。見栄えを気にするロットラッファー卿らしいチョイスだね。悪くない。
ティルベリア侯爵の後ろにも、厳つい顔をした巨漢の騎士団長を初めとする幾人かの騎士が仰々しく佇んでいる。こちらは男ばかりでむさ苦しいったらありゃしない。聖女様や王女様を見習って美女を連れてきていただきたいものだね。葡萄酒がまずくなるから、余り視界に入れたくないものだ。最悪である。
「い、いえ、聖女様、とてもありがたきお言葉ですが……私達は護衛ですので、その……」
「そうですよ、聖女サマ。これは聖女サマのために用意されたお食事ですので、アタシ達のことはお気になさらず」
か細い声を出しながら不安げな顔で恐縮するフリージアと、明るい調子で笑いながら窘めるポインセチア。
ほほう、実に対照的なふたりだ。まさに影と光。月と太陽。
それぞれ単独でも魅力的な女性ではあるが、ふたり揃うと彼女たちは互いに互いの魅力を引き立たせているね。
いやいや、実に良いものだ。わたしも今度“仕込む”時は対になりそうなふたりを並べて試してみようか。くっくっく。
「そうなのですの? 残念ですわ、こんなにおいしいお料理ですのに……」
「では、会食後にはおふたりにも同じ料理を出すよう手配しましょう。セヴン、頼んだよ」
「承知しました。ゲキ様」
わたしの後ろに控える秘書兼護衛のセヴンが明朗に言う。セヴンは優秀だ。わたしが最も巧く“仕込んだ”自慢の下僕だけある。
「あら。感謝いたしますわ、ゲキ閣下」
「ほう。肉料理がお好みですか?」
王女様側の長辺に座るクロン市のゲブノミシ・ホヅ副市長が聖女様に尋ねた。
ホヅ副市長は刈り込んだ白髪と白い口髭に丸眼鏡を掛けた年かさの男だ。背広というクロン市の礼服を着用している。酒は飲めないようで、手に持つグラスには葡萄酒の代わりに冷水が注がれている。
クロン市長は多忙なため、中央総合演習には毎年ホヅ副市長が出席している。わたしが中央総合演習を取り仕切るようになってから四年連続で見る顔だが、毎年見たいと思うような顔ではないね。
「ええ。お肉、大好きですわ! もちろん、お魚も、甘いお菓子も好きですわよ。お野菜はちょっと……苦手ですけれども」
最後の方は恥ずかしそうに声が小さくなっていく聖女様。うん、そうか、野菜が嫌いなのか。ふむふむ、なるほど。覚えておこう。
「ふうむ、当代の聖女殿下は先代とは随分異なりますな。先代の聖女殿下は野菜がお好きなようでしたので」
冷水を少し口に含みながらこともなげに言うホヅ副市長の言葉に、わたしと王女様以外のレゼ側出席者が固まり青ざめる。
うんうん、当然の反応だ。
何せ、副市長は聖女様に対し“光下”ではなく、“殿下”という呼称を使ったのだから。
“殿下”というのは我が国の国王を初めとする領邦君主に対して用いる敬称だ。リズレア教会の聖女という宗教権威に対して使う呼称ではない。
そもリズレア教の聖女に対し“光下”という固有の尊称が用いられているのは、“グ”帝国統一以前は我が国やティルベリア侯国、旧ゲイト国ら複数国がリズレア教を国教としており、リズレア教会の頂点に立つ聖女は国家君主ら世俗権力者よりも上位に君臨する宗教的権威の象徴であったという歴史に起因している。
勿論、宗教権威のみならず、リズレア教会は教会直轄領における徴税権や宗教戒律に基づく裁判権といった世俗権力や、聖騎士団のような軍事的実行力も擁している。大陸最大宗教の総本山であるリズレア教会聖女庁は並の国家以上の実力を持つ組織であり、複数の国家を信仰という鎖で繋ぎとめる盟主国的存在であった。
しかしながら、“グ”帝国の大陸統一戦役の折にリズレア教圏国家は次々と帝国に敗北し、剣であり盾となるリズレア教圏国家を失ったリズレア教会も“グ”帝国に恭順を示すことになる。
リズレア教会恭順後、“グ”帝国は教会の持つ徴税権等の世俗権力の一切を否認し、聖女庁領は隣接するクロン市領と併合、同市の統治下に置くという政策を採った。
更に“グ”帝国はリズレア教を含むあらゆる宗教の国教化を否定する政教分離令を領邦に布告することにより、リズレア教会に対する国家単位での寄進も禁止となった。政教分離令を受けた旧リズレア教圏国家は、例えば我が国なんかは“王個人が信仰している”という体で王室予算から以前と変わらず寄進しているのであるが、まあ、政教分離令をこれ幸いとして寄進を取り止めたところが殆どである。
つまるところ、大陸統一戦役によりリズレア教会の世俗権力は大いに弱体化し、同時に宗教的権威も失墜させることとなった。
それでも大陸最大の宗教だけあって、リズレア教会は聖俗両面に対し未だに強い影響力を持っている。一般信徒からの寄進は絶えること無く、また、帝国と本格交戦する前に降伏したことによって聖騎士団を損なうこともなく、現在でも強大な軍事組織として大陸で名を馳せている。
全盛期よりも遥かに衰えたといえども過去の歴史からリズレア教会の聖女には領邦君主や“グ”皇帝とは異なる宗教権威として“光下”という尊称が現在でも用いることが外交の場では一般的だ。
そして、そのような経緯があるからこそ、クロン市とリズレア教会の関係は極めて悪い。
ホヅ副市長が敢えて聖女様に“殿下”という呼称を用いたのは、リズレア教会の宗教権威をクロン市としては認めていない姿勢を端的に示すものといえるだろう。一方でリズレア教会もクロン市の姿勢を承知しているから彼らが“光下”という尊称を用いなくても、特段の問題にはしないのである。
――と、そんな背景事情があるのだが、知識を持っていても実際にその場を目の当たりにすると驚くのは無理もない。
実際、わたしも初めて中央総合演習前の会食に参加した時、ホヅ副市長が当時の聖女様に対して“殿下”呼びしたことに肝を潰すような思いをしたものだ。だから、わたし以外のレゼ側出席者は中央総合演習の会食に参加するのは初めてなので、青ざめるのも無理もない話だね。
しかし、今はもう慣れたとはいえど、クロン市とリズレア教会の諍いをレゼが主催する場にも持ち込むのは正直なところ勘弁してもらいたいものだと、つくづく思うよ。
それに、ホヅ副市長の殿下発言に王女様の鉄面皮が崩れるのではないかと密かに期待していたのだが、彼女には全く動揺の色が見られなかったのが実に残念だ。
そして“殿下”呼びされた当の聖女様と言えば。
「そうですわね。先代さまはお野菜がお好きでしたわね」
全く気にせず素振りを見せず、にこやかに応答している。
ふむふむ、いい対応だ。十四歳の少女といえど、そこは聖女様。実に立派な対応だよ。
去年、聖女様の代わりに来た口うるさいご老人は、ホヅ副市長と会食の場で皮肉の応酬をし始めたものだから、うんざりしたものだ。全く、今年はあのご老人が来なくて良かったと心から思うよ。
ああ、そういえば――
「そういえば聖女光下、代替わりしてから中央総合演習を観覧されるのは初めてですね」
「ええ、昨年はわたくしの選定年でしたので、他の公事と重なって来られませんでしたの……せっかくお招きいただいたのに、心苦しいですわ」
リズレア教の聖女は十三年ごとに選定される。それは、聖女リズレアの記録が十三歳から二十六歳までの十三年間の部分しか残されていないことに因んでいるという。
聖女に選定されるのはその年に十三歳となる少女であり、今の聖女様は十四歳なので昨年が選定年である。聖女様の言ったとおり多忙な選定年故に、去年の中央総合演習には出席していない。小国である我が国の行事参加など、優先順位がとても低かったのだろうね。まあ、仕方ない。わたしが聖女でもきっとそうする。
「去年はわたくしの代わりに右聖佐さまが出席されたのですが……」
右聖佐というのは、昨年来たご老人の役職名だ。うん、役職名を聞くだけでも嫌な気持ちになるね。
リズレア教会において、聖女を補佐するふたりの最高位聖職者を聖佐と呼び、枢機卿の互選で就任する右聖佐と先代の聖女が就く左聖佐の二名定員となる。
聖女はあくまでもリズレア教会の信仰象徴であり、教会政治には参画しておらず、左聖佐もほぼ名誉職に近い。
つまり、リズレア教会の主流派は事実上、右聖佐をトップにする枢機卿団が運営している形となっているという。
「右聖佐さまは自他共に厳しいお方なので……もしかして、昨年はご無礼はありませんでしたか、ゲキ閣下?」
聖女様は不安げにわたしを見つめながら尋ねる。うん、いいね。実にいいね、その表情。
それはそれとして、右聖佐猊下はホヅ副市長とギスギスした遣り取りをして会食の場の空気を悪くするわ、レゼ側に対しても寄進額が少なくなったと嫌味を言うわで、悪い印象しかないのが正直なところ。
だけども、公的な場で相手側の要人を悪く言うなんて馬鹿な真似はできないし、聖女様の可憐さに免じてここはリップサービスで褒め言葉でも贈っておこう。
「いやいや、そんなことはありませんよ。右聖佐猊下には――」
「――おい、酒が切れたぞ」
わたしが聖女様と会話をする最中、不愉快な男の声が邪魔をする。思わず舌打ちをしそうになるが、ここは我慢だ。
発言者はティルベリア侯国の君主エリック=ティルベリウス・ミネルヴァス侯爵。
立派な口髭を生やした四十半ばほどの男。見た目は貴族的に取り繕っているが、その実は粗野で下卑な男である。ティルベリア侯国は我が国の友邦といえども、その場所はエイリスよりも北の田舎は田舎であり、こんな野蛮人が君主をしているのもさもありなんといった感想しか出ない。
このような蛮族とは余り同じ空気を吸いたくないのが本音だが、まあ、曲がりなりにも賓客は賓客である。相手が愚者でも礼を以て接するのが賢者の務めだ。
「おやおや、これは申し訳ない。侯爵に葡萄酒を」
指をパチンと鳴らすと、鷹鳴城の係員が手際よく侯爵に葡萄酒を注ぐ。
うんうん、一度やってみたかったんだよ、フィンガースナップを合図に人を動かすの。実際やってみると中々に楽しいものだね。
「ちっ、これだけか……」
グラスに注がれた葡萄酒を見て、侯爵が吐き捨てるようにいった。これ以上注いだら飲む時に零れるだろう。馬鹿なのだろうか。馬鹿なのだろうな。
「侯爵様、余り飲み過ぎるとお身体に障りますよ」
「ふん……」
不満顔をする侯爵に対して、左隣に座る男がドスの利いた声で窘めるように言った。
ティルベリア侯国教会のトップに立つクレマン・モムチャット僧正。通称“政僧”モムチャットと呼ばれる、斜視気味の強面だ。
モムチャット僧正の人相の悪さは、僧侶と言うよりも無登録街を根城にする犯罪組織の親玉といった風情だが、その実は敬虔な信仰者だという。
彼の持つ僧正という称号はリズレア教に多大な貢献をした人物に与えられる特別なものであり、悪人面ながらも見目麗しい聖女様を大いに敬っている。いやはや、似合わないものだね。
しかもモムチャット僧正は単なる敬虔な聖職者のみならず、“政僧”の名の通りかなりの知恵者だという。
聖職者でありながらティルベリア侯爵の政務を全面的に補佐しており、平たく言えばティルベリア侯爵の共同統治者といえる人物だ。実際は補佐どころか全ての政務を取り仕切っているとも噂されているが、いやはや、如何にも粗暴で無能そうな侯爵の姿を見ていると真実味溢れる話だね。
いずれにしろ、形式上はティルベリア侯爵家の臣下ではあるが実務的にはティルベリア侯国の最高実力者と目される人物であり、その立ち位置から会食の場でもモムチャット僧正は席に着くことが許されているのであろう。
しかし楽しい会食の場でも脇に腹心を置き、背後には多くの護衛を引き連れている侯爵は、まあ、本当に小心な男だと心から思うよ。
「侯爵殿下は相変わらず飲酒がお好きなようで。また、当市の新酒を贈らせていただきましょう」
侯爵に対して、鷹揚な口調でホヅ副市長は言った。こういう気配りは肝要だね。
ホヅ副市長は護衛だらけの小心な侯爵とは対照的に一切の護衛を引き連れていない。この会食の場のみならず、鷹鳴城に到着した時点でホヅ副市長は単身だ。
彼の政務地である工業都市クロンは大“グ”領邦連合帝国を構成する百二十七の領邦に含まれておらず、その支配圏は帝国法上は“グ”帝国の領土とされている。最高統治者である市長もクロン市統治圏により構成される帝国行政区分“ゲイト州”の刺史と兼務であり、立場としては領邦君主ではなく帝国の官吏という扱いとなっている。
それ故にクロン市への攻撃は即ち“グ”帝国への叛逆行為と同義となり、敵対者は牙兵派遣を含めた徹底攻撃を受けることとなる。
並の領邦正規軍以上の戦力である聖騎士団を持つリズレア教会がクロン市に逆らえないのはこういう理由であり、大陸統一後も領邦間戦争は絶えることなく勃発している中で、クロン市は一度たりとも戦乱に巻き込まれることなく発展を重ねている。
リズレア教会ですら“聖女の双璧”らを連れてくる中で、帝国の力を背景にしたクロン市だからこそ、護衛すら不要の副市長単独訪問を可能としているのだろう。
いやいや、敵には回したくないものだね。
「しかし聖女殿下のみならず、レゼ国も昨年とは別の方々が来ておりますな。ゲキ閣下以外は初め見る方ばかりだ」
ホヅ副市長がレゼ側出席者に目を遣りながら言った。レゼ側の出席者が昨年よりも格下なのに思うところがあるのだろうか。少しばかりひやりとしたものを覚えてしまうが、まあ、正直に答えるしかない。
「ああ、すまないね、副市長。本来であれば去年と同様に国王と大政庁長官らの三権の長が出席するはずでだったが、州刺史対応が重なってね。だから、代理で王女閣下とそれぞれ副長が出席しているんだよ」
「なるほど。州刺史対応は重要ですからなぁ」
得心したようにホヅ副市長が言うが、クロン市市長が州刺史であることを踏まえて聞くと、いやいや、実に嫌味ったらしい言葉だ。
「うん、折角だから紹介しようか。王女様については先日にご挨拶も済んでいるので、三権から。まず、大政庁からはイワンチェルネスコ・イワクラァ大政庁次官」
イワクラァ次官はぎょろ目に禿げ上がった頭の冴えない男で、大政庁の機構図上は我が妹の上司にあたる。
だが、見た目はともかくとしてかなりの遣り手行政官であり、元は地方の男爵出身でありながら大政庁次官まで上り詰めた実力者。
まあ、能力はともかくとして、余り視界に入れたくない顔なのは違いない。
「騎士団からはシグ・ブライス騎士団副総裁」
ブライス副総裁は白髪交じりの薄茶髪を後に撫でつけた、銀縁眼鏡の男。眉間には深い皺が刻まれて眼鏡の奥の目つきは鋭い。如何にも陰険そうな顔つきをしている。
実際、ブライス家は薄暗い呪詛魔術を家法とする魔術師であり、近衛騎士団監察局長を代々務めた一族。
ブライス家は王政府の裏側の汚い仕事を担ってきたのだが、シグ・ブライスは七年前の“ドレクスラーの獄”の功績で騎士団副総裁という顕職に至ったと来ている。しかも後任の監察局長には子飼いの部下を任命しているあたり、ちゃっかりしたものだね。野心家であり策謀家の、できることなら関わりたくない人間だ。
また、去年の中央総合演習では中央本舎の総大将役を担ったアクア・ブライスの父親でもある。
娘の方も同じ呪詛魔術の使い手だが、見た目は父親とは似ても似つかないかわいらしい少女だったのが唯一の救いと言えそうだね。くっくっく。
「最高法院からはアロンソ・ガルグ最高法院副院長」
ガルグ副院長は顔全体を白い髭で覆った、筋骨隆々の屈強な老人だ。
本当に文官なのかと疑いたくなる容姿だが、それもそのはず、このご老人は元々は勇名を馳せた騎士なのである。妹が先々代の国王の妃となったため外戚となり公爵位を授けられ、ガルグ家は騎士から貴族に身分昇格している。
しかし、貴族となったが故に軍事に関わる権限を失い、畑違いの最高法院に出仕することとなったガルグ公爵は法務に携わること無く事実上のお飾りとなっている。大した仕事もなく、暇なときは最高法院の中庭で槍を振るって鍛錬しているらしい。
老いて益々盛んなのは大いに結構だが、彼を見ていると公爵位の授与を辞退して騎士階級に留まり軍権を保持しているロットラッファー家は賢い選択をしたと思うよ。
しかし、いずれにしても年配の男の顔ばかりで華というものに欠けていけない。とはいえ、本来の出席者である大政庁長官や騎士団全軍総裁や最高法院院長が出席しても、老人中年の顔が老人老婆にすげ代わるだけだから余り意味が無いことである。
「そして、中央本舎のルビー・ブキャナン本舎長。彼女は今年からの在職だね」
「ルビー・ブキャナンと申します。皆々様方、お見知り置きをお願いいたしますわ」
ブキャナン本舎長は甲高い声で恭しく一礼する。名前はルビーだがその瞳は紫水晶色をした細身の女性。
腰まで届く長い金髪に、如何にも名家のご令嬢然とした高飛車できつそうな顔立ち。年は二十代半ばくらいと聞く。わたしよりも少し年上かな。
ブキャナン家は騎士教育政策の方面に根を張る有力家系で、中央男子高等騎士学校や女子幼年騎士学校にも一族の者が要職に就いている。老齢で引退した先代の本舎長も、彼女と同じくブキャナン一族の人間だ。
それに、今年の中央本舎側の参加者には彼女の姪がいるという。うんうん、後で確認しておこうか。ブキャナン分舎長はわたしの好みではないが、容貌は優れいるので姪御も期待できようってものだ。
「最後に、今年の相手校であるエイリス分舎のムミツ・ブラックウッド分舎長」
わたしにとっては見慣れた顔の老婦人である。彼女はエイリス分舎を中央総合演習の相手校にするために色々と手を尽くしており、わたしの元にも熱心にロビー活動に訪れていた。
ブラックウッド分舎長の熱意はわたしも認めるところではあるが――彼女は最後の最後で失敗をしてくれた。
この鷹鳴城にユキノヲ君を連れてこなかったのだ。
いやいや、嘆かわしい。実に嘆かわしいものだね。ユキノヲ君との逢瀬は、今回の中央総合演習の大いなる楽しみとしていたのに、肝心要の彼女が来ないのだからたまったものじゃない。
肩透かしにも程がある。これがもっと前の時期だったら、エイリス分舎の相手校選定を取り消すことも考えようが、もはや手遅れだ。
ブラックウッド分舎長を詰っても無意味だし、それに――
「では、紹介が済んだところで歓談に戻りましょう。ハルカ君、わたしにも葡萄酒の追加を」
「は、はい! ゲキ閣下!」
わたしは後ろを向き、セヴンの横に控える袴姿の極東人に声をかける。
ハルカ・ニシザキ君という、中央総合演習に際してブラックウッド分舎長がわたしの世話係としてつけたエイリス分舎の極東武術科教官だ。任官二年目の若手で、ユキノヲ君の後輩にあたるという。
ぽわぽわとした間の抜けた雰囲気の女性で、同じ極東人でも凜々しいユキノヲ君とは似ても似つかないタイプであるが、うん、中々に愛らしい。
好みか好みで無いかと問われれば、まあ、好みだね。かなりの。今度エイリスに行く機会があれば、もっと親密になりたいものだ。
この愛らしいハルカ君が鷹鳴城にいる間はわたしにつきっきりで世話をしてくれているのだから、ユキノヲ君が不在という減点要素を挽回してやることも吝かではないかな。
「ど、どうぞ……!」
「うん、ありがとう」
緊張した面持ちで、ハルカ君はわたしのグラスに葡萄酒を注ぐ。中々にそそる顔だね。くっくっく。
「――おい、そこの女!」
わたしがハルカ君の表情を愛でている中で、ティルベリア侯爵の不愉快な声が響く。全く、邪魔な男だ。
侯爵は聖女様の後に控えているフリージアに目を向けていた。頬が赤らんでおり、明らかに酔っ払っている。
「え……私、ですか……?」
「ああ、お前だ。酒が切れた。注げ。酌をしろ」
「いえ、その私は……」
うわあ、酒癖が悪い。いきなり酌婦の真似事をしろと命じられたフリージアは戸惑っている。
当然のことだ。自分の家臣やレゼ側に言うならまだしも、相手はリズレア教会の護衛だ。ありえないだろう。
「いやいや侯爵、フリージア殿は聖女様の護衛なのだから――」
「おい、私は一国の領邦君主だぞ。貴様は教会の婢だろう? 身分が違うんだ。口答えをするな。酒を注げと言われたら注ぐんだ!」
「え、あ、あの……」
わたしを無視して侯爵がフリージアに声を荒げる。なんだこいつは。
怒鳴られたフリージアの怯える顔は中々にくるものがあるが……いやいや、そんなことを考えている場合ではない。これはまずいぞ。
「すいませーん、ここ、そういうお店じゃないんですよー?」
フリージアを庇うように、ポインセチアが彼女と侯爵との間に割って入る。
ポインセチアは顔こそ笑っていたが、明らかに圧がある。ああ、怒っているな、これ。
「なんだ貴様は……?」
しかし侯爵は怯まずポインセチアを睨み付ける。
いや、怯んでおきなよ、そこは。酔っているとはいえど、命知らずにもほどがあるだろう。相手はあのポインセチアだぞ。
「えーと、アナタこそ何様なんです? いくらどこぞの君主サマでも聖女サマの護衛に酌をしろとかあり得なくないですか?」
「何だと……!?」
正論。だが、相手に非しかないといえど流石に一護衛が領邦君主に対してして良い口の利き方ではないぞ。話がこじれる。
ポインセチアの言葉に侯爵は怒りで顔をますます赤くしている。勘弁してほしい。
「――下がれ。侯爵様に無礼を働くな」
そして、もうひとりの命知らずが現れる。
ティルベリア騎士団長のバーラル・シュナイダーが、侯爵とポインセチアの間にその巨躯を割り込ませた。
シュナイダー団長は腰に携えている剣の柄を握っており、臨戦態勢となっていた。こいつら、君臣ともども本物の馬鹿なのか。
「……へー、おじさん、この“轟風戈”ポインセチアとやろうってつもり?」
シュナイダー団長をつま先から頭まで見定めると、ポインセチアが挑発するかのように携えていた戈の柄で自身の肩を叩く。
おいおい。
「関係ない。如何なる場でも、相手でも、侯爵様を守るのが、俺の使命だ」
シュナイダー団長は淡々と答えた。
おいおいおい。
「ふーん、余程腕に自信があるのか、それともただの愚者なのかしら?」
ポインセチアが周囲の人間にぶつけないよう器用にくるくると得物の戈を回す。
おいおいおいおい。
「あら、ポインセチアの武芸が見られるのですの?」
ポインセチアの姿を見ながら、聖女様が目を輝かせる。おい、アンタの部下だろ。止めろよ、聖女様。煽るな。
よりによってわたしが主催する会食で、なんでこんなことが起きるのか。
背筋が凍る。胃に激痛が走る。食事も葡萄酒も吐き戻しそうになる。
そして、我が国の王女様は隣の出来事に対して一切無関心であるかのように、淡々と食事を続けている。
だが王女様がいくら平気そうにしていようとも、会食の場で護衛同士が諍いを起こすだなんて大問題だ。実際、王女様以外のレゼ側は全員が顔を狼狽の色を見せている。わたしもきっと顔が真っ青になっているだろう。
しかも相手はリズレア教会。下手をすれば諍いがこの場に留まらず、ティルベリアとの戦争に発展しかねない。
戦争は様々な大義名分が掲げられるが、大抵はあくまでも名分は名分であって、その本質は権利争い、利益争いだ。実際に我が国がかつて行っていたムルガルとの戦争も、サタク銀という資源とクロン市との貿易を見据えた利益争いが根本にあった。
だが、リズレア教会の戦争は通常の戦争とは次元が違う。
中央の聖女庁が西方の分派と権限争いを行うこともあるにはあるが、例えば、二年前に極東のウキシマ地方で宣教師が殺害されたことが発端となり、教徒保護を名目として出兵した“ウキシマの聖惨”がそれだ。
遠く離れた極東地方への出兵は莫大な戦費がかかる一方で、クロン市の管理下におかれているリズレア教会は領土も利益も獲得することは一切無い。実利を度外視して、ただ聖職者殺害に対する教会権威の復権のためだけに、“聖女の双璧”を筆頭にリズレア教会の聖騎士団員が極東人二万八千人を殺害したのが“ウキシマの聖惨”であり、教会の携わる戦争の本質を端的に示す事件である。
リズレア教会が行った戦争を見ると、ティルベリア侯国側の聖女一行に対する侮辱行為が原因で聖騎士団の出兵が行われることも否定はできない。
そうなった場合、まず間違いなく、レゼが巻き込まれる。地理的に隣接し、ティルベリア侯国とは長年の友邦国である我が国が、確実に。しかも、わたしが主催する会食が契機で――
「――聖女様の前ですよ」
余りの事態にわたしが気絶しそうになる寸前、モムチャット僧正の一喝するかの如き重々しい声が室内に響いた。
彼の声を受けて、ポインセチアも、シュナイダー団長も、侯爵も動きを止めて場は一瞬の静寂に包まれる。
「あら、モムチャット僧正、わたくしは全く気にしませんわ?」
その静寂を打ち破ったのは、聖女様の無邪気な声。
「ハッハッハ! 当代の聖女殿下は肝が据わっておりますな!」
そして、ホヅ副市長の愉快そうな笑い声。
「どうでしょう。双方、ここは引いては。聖女殿下と、クロン市長の名代である私の顔を立てて、ですな」
ホヅ副市長はニヤリと笑いながら聖女様に目を向け、聖女様も天使のような笑みで頷いた。いや、本当に天使だ。
「そうですわね。ホヅ副市長の仰る通りですわ。ポインセチア、喧嘩はめっ、ですわ」
聖女様がからかうようにポインセチアを叱ると、彼女はばつが悪そうに呟いた。
「聖女サマが仰るのであれば、戈を収めましょう。ですが……」
ポインセチアの顔がティルベリア侯爵へと向かう。彼女に合わせて、聖女様もホヅ副市長も侯爵に目線を向ける。勿論わたしも一緒になって、非難がましい目を侯爵に向ける。
流石の侯爵も場の雰囲気を察したのか、徐々に赤ら顔が青ざめていき、怯えたような居たたまれない表情となる。ざまあみろ。
「……ちィ、気分が悪い。もうどうでもよいわ。私は退出する。シュナイダー、モムチャット僧正、行くぞ」
「承りました」
侯爵は精一杯の虚勢を張りながら荒々しく立ち上がり、退室し、モムチャット僧正や護衛達もそれに続く。
あっ、侯爵が帰りながら未開封の葡萄酒を一本失敬していった。いやいや、本当に卑しさが服を着たような男だよ。
だが、シュナイダー団長だけ場に残り、ポインセチアとフリージアに対して頭を下げた。
「すまぬ。侯爵様がフリージア殿に無礼を働いた。俺も侯爵様に仕える騎士という立場といえども、ポインセチア殿に礼を逸する態度を取った。許してもらいたい」
おやおや、主君とは違いそれなりに筋の通った人間じゃないか。無能な主君とはいえどそれに忠を示すのも騎士道のひとつだね。尤も、外交の場ではいただけない振る舞いではあるが。
まあ、いずれにしろティルベリアにはモムチャット僧正以外は野蛮人しかいないと思っていたが、その評価を改めよう。
「あ、あの、私はもう、大丈夫ですので……」
「……フリージアちゃんがそう言うのなら、いいわ。おじさんも大変ね」
シュナイダー団長の謝罪とフリージアの言葉を受けて、ポインセチアの表情から険が消えた。
「感謝の言葉もない――では、失礼する」
木訥と述べるとシュナイダー団長も退室し、迎賓室からティルベリア一行がいなくなる。
「ふぅ……」
諍いの原因が消え去ると、わたしは安心して思わずため息をつく。やれやれ、寿命が縮まったかもしれないね、これは。
「ごめんなさい、ポインセチアさん、私のせいで、こんな……」
「いいのいいの。それにフリージアちゃんは悪くないし、何があってもアタシがフリージアちゃんを守るから」
慰めるように、ポインセチアはフリージアを抱きしめる。おやおや、随分と仲がいいじゃないか。
「うふふ、おふたりの睦まじい姿には心を癒やされますわ。きっと、女神様もお喜びでしょう」
聖女様はいちゃつきだすふたりを咎めることも無く、相変わらず天使のような笑顔をしている。
先ほどまでティルベリア侯爵の蛮行に戦いていたわたしも、思わずつられて笑顔になってしまうよ。
「うんうん、聖女光下がお喜びで何より。しかし、ホヅ副市長もすまなかったね。いやいや、本当に感謝しきれないよ」
「いいえ、構いませぬ。ハッハッハ!」
ホヅ副市長がまた愉快そうに笑った。余り良い印象を持ってない人物であったが、今日ばかりは彼の存在は実にありがたかったよ。
「それに、女性同士が仲がよろしいのは、リズレア教の伝統ですからな。仕方ありますまい」
副市長の言うとおり、リズレア教には女性同士の親愛を尊ぶ思想がある。
リズレア教の聖典曰く、聖女リズレアは女神クラリザと恋人関係にあるとされているためであり、リズレア教に纏わる宗教画にも女神と聖女や歴代の女性聖職者同士の親密な関係をモチーフにしたものが多くある。
聖女様の後で護衛ふたりが仲睦まじい姿を見せても誰ひとり咎めないのも、当の聖女様のお許しがあったことも大きいが、根底にはリズレア教の思想が存在している。
いやいや、信仰心など持ち合わせていないわたしでも、リズレア教は崇拝したくなるよ。
「――では、気を取り直して、改めて歓談を続けましょう」
パチンと指を鳴らすと、係員たちが新しい料理を運ぶ。やはり気分がいいものだ。
「あら、新しいお料理が来ますの? 今度はどんなお料理かしら? 楽しみですわ」
聖女様がぱっと目を輝かせて、嬉しそうに笑った。
うん、実にかわいらしい。全く、眼福とはこのことだよ。隣に座るうちの王女様も、聖女様を見習ってもう少し表情豊かでかわいらしい姿を見せてもらいたいものだね。
それに、かわいい少女といえば、明日の中央総合演習に参加する騎士候補生たちである。
剣や槍を手にしたかわいい少女達の戦いが見られるのだ。戦う少女というのは、様々な顔を見せてくれる。
興奮。好戦。苦痛。歓喜。怯懦――うん、見ていて飽きない。最高の娯楽だね。
いやいや、毎年のことだが、本当に楽しみだよ。くっくっく。
(続)




