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騎士候補生少女譚  作者: 柳生 劣情(文章)&春畑 晴燕(設定)
第七章 少女たちの蒼穹
30/71

氷鉄対峙/二日前

 中央総合演習開始より二日前。昼過ぎ。

 自主鍛錬のために、サヤは鷹鳴城の中庭へと向かう。今の鷹鳴城中庭は、サヤのみならず彼女に触発されて鍛錬の場として用いている候補生達も多くいる。

 例えば、中庭へ続く途上の廊下に設えられた休憩用のソファに座る彼女たちがそうであった。

「あれは……」

 廊下の途上で見知った顔を認めて、サヤは呟く。

 マリナとフィーネ。

 その彼女たちの姿を目にしたサヤは、思わず苦笑してしまう。

「あ……サ、ヤ……」

 汗まみれで青息吐息となっているマリナが、サヤに気付いて苦しげに目線を送る。そんな彼女を、フィーネは隣に座って団扇で涼ませていた。

「どうしたのさ、マリナ?」

「カティと一緒に鍛錬していて、スタミナ切れでへばったみたい」

 疲労困憊で息を乱すマリナに代わって、フィーネは変わらぬ微笑みで答える。

「あー、また体術?」

「うん、体術」

 再度、マリナに代わってフィーネが答える。

 マリナは中央総合演習に向けて、カティより体術を習っているという。

 中央総合演習は専攻術式科に限らず習得したあらゆる技能の使用が許されている実戦型行事であり、持ち手は多ければ多いほどよい。魔術一辺倒だったマリナも物理的な技芸を修めようと考え、結果として選んだのが入学時の適性調査で魔術の次に高かった体術という――尤も、その体術も人並み以下。剣術等の武器を用いる術式科の適性が余りに低すぎるが故の選定。

「フィーネも一緒に鍛錬してたの?」

「ううん。私は見学。マリナが動けなくなった時に助けようと思って」

「悪かった、わね……けど、ありが、とう……」

 フィーネの答えを受けて辿々しくも先ほどより回復した様子で言葉を発するマリナの姿に、サヤは安心したように笑い、尋ねる。

「そいえば、イトとカティはいないね。鍛錬中?」

「ううん。イトはニシザキ教官に呼び出しされて、カティはイトについていったの。だからマリナと一緒に休憩中」

 フィーネの言葉を受けて、サヤは訝しむ。優等生のイトが何かしら教官に呼び出されるようなことをするのは考えがたい。

「呼び出しって……イト、何かやらかしたの?」

「なんだろうね? 昨日から騎士制服もちゃんと着ていたし」

 それはフィーネも同じのようで、マリナを団扇で扇ぎながら首を傾げる。

 エイリス分舎には極東武術科専攻の騎士候補生は制服だけで無く袴の着用も許可されているが、中央本舎の候補生達が到着した先日より、極東武術科専攻候補生も騎士制服を着用するようにと教官から通達が出された。

 日常では袴姿のイトもそれに従っており、昨日よりほぼ一年ぶりの騎士制服姿となっているため、被服的な問題は無い。サヤが見てきた中でも、イトの行動にも咎められるような要素は思い浮かばない。

「となると、もしかしてイトは演習のそ――どわっ!」

 イトの呼び出しについてサヤは見解を述べようとしたところ、突如、背中に衝撃を覚える。

「な、なに!?」

「やっぱり、サヤちゃんだー!」

 背後から、弾んだ高めの声が発せられる。その声はサヤにとっては聞き覚えがあり、そして懐かしいものがあった。

「もしかして……」

 振り返ると、騎士制服を着た小柄な少女が見えた。浅黒い肌に大きな瞳。首の半分くらいまで伸ばされた髪。

 自分の知っているものより成長しているが、その容姿には記憶の中にある面影がはっきりと重なった。

「えっちゃん! 久しぶりー! 何年ぶりだっけ!?」

「四年ぶりだよー!」

 見知らぬ少女と手を取り合って喜ぶサヤを見て、マリナは小声でフィーネに尋ねる。

「あの子、誰……?」

「見覚えない子だね。中央本舎の人かな? ねえ、サヤ、そちらの子はどなた?」

 マリナの疑問を受けて、フィーネが尋ねる。サヤはエズメの横に立ち位置を移動させて、ふたりに彼女の姿を示しながら言った。

「エズメって子。お祖父ちゃんと王都に行っていた頃の友達」 

「中央本舎のエズメ・フィルモアと申します! よろしくお願いします!」

 元気良く一礼するエズメに、マリナとフォーネのふたりは会釈し名乗り返す。

「えっちゃんは幼年騎士学校の頃に、お祖父ちゃんから剣術を教わっていたんだよ。その稽古にわたしも一緒について行ってて、年が同じだったから友達になったんだ」

 サヤの説明に、エズメが補足する。

「パパがイフジ先生の知り合いで、あたしの剣術稽古をお願いしたんです。幼年騎士学校に入学する年だから、本格的な剣術修行を始めるにも丁度いいって」

 王都にある幼年騎士学校は寮制の高等騎士学校と異なり自宅通学。カリキュラムは上級騎士としての基本的な教養等座学が中心であり、術式科は余り行われていない。

 幼年騎士学校に行く年頃の騎士の子女に対する武技芸習得は、家内鍛錬で賄うのが一般的な王都上士の家の教育指針。それ故に、エズメの父は幼年騎士学校の終業後の時間に、娘に対する剣術鍛錬をさせようと考えたという。

「あたしが剣術嫌いで、パパと稽古するの嫌がっていたからイフジ先生がお願いされたんです。イフジ先生は教え方が上手だから、きっと剣術が好きになるってパパから言われました」

 エズメは気恥ずかしげに笑う。

 サヤの祖父は王室の極東武術指南役――尤も、実態としては名誉職であり、王族に極東武術を教授したことは一度も無いのではるが――に任じられたこともある剣士であり、極東系統に限らず武芸百般に通じていた。

 その祖父の名声と能力を見込んで、旧来の知己であるエズメの父は娘の剣術稽古をサヤの祖父に依頼したという。

「んで、王都まで行って剣術稽古するのは結構時間いるし、家に長い間わたしひとりっきりでいるのもまずいからって、わたしもお祖父ちゃんと一緒にえっちゃんの所に行ってたんだよねー」

 そう言ったサヤの顔はふにゃっとしていたが、少し寂しげなものがあった。祖父が出かけると家にはサヤひとり――それは、その時は既に姉が失踪していることを意味していた。

 幼年騎士学校に入学するのは十三になる年の頃。サヤの姉であるアヤノが失踪したのはその一年前にあたる。

「そだ、おじさん、お元気?」

「パパ? たまに手紙をくれるけど、忙しいみたいだよ。休暇日には会えるけど、いつ会っても疲れてるみたいだし」

「そかそか。おじさん、近衛騎士団の偉い人だもんね」

 言いながら、サヤはエズメと同じ浅黒い肌をした優しい雰囲気の男性を思い出す。

 王都の人間は極東民族に対する蔑視感情が強いと言われているが、エズメの父は極東民族に好意的な人物であった。

 フィルモア家に極東風の絵画や民具、調度品が幾つも飾られているのも彼の趣味であり、エズメと一緒にフィルモア家で食べたお菓子も団子や饅頭など極東菓子が多くあった。今思い返せば、サヤのために用意してくれたのだろう。

 エズメの父は祖父に敬意を以て礼節を尽くした対応をしており、サヤもエズメと仲良くしてくれてありがたいと言われたことがある。友達の親という点を差し引いてもサヤにとっては良い印象しか無い人であり、エズメの父親を思い出すとまたおじさんにも会いたいなという気持ちとなる。

「四年も経ってれば、おじさんももっと偉くなってるだろうしなあ……そいえば、四年ぶりなのによく後ろ姿だけでわたしだってわかったね、えっちゃん」

「うん、サヤちゃんだって匂いでわかった」

 エズメの満点笑顔の回答に、サヤはぎょっとする。思わず左右の腕を鼻の前に近づけて、くんくんと嗅ぎながら言った。

「えっ、わたし臭う!?」

「違う違う。あたし、鍛えてるからわかるの、匂い」

「そっかー。鍛えているからかー」

 鼻を鍛えられるものなのかという疑問もあったが、本人が言っているのだろうからそうだろうと思い流し、サヤは笑う。

「もちろん、剣の方も鍛えてるよ! また、サヤちゃんと戦えるの楽しみにしてたんだから!」

「あはは、あの頃はえっちゃんといっぱい手合わせしたねえ……勝ったり負けたり」

「戦績は九十九戦中、四十一勝、四十一敗、七引き分けだよ。結果は五分五分」

「よく覚えてるね、えっちゃん」

 驚くサヤに対し、エズメは少し怒ったように言った。

「当然だよ! 剣術嫌いなあたしでも、サヤちゃんと手合わせするのすごく楽しみにしてたんだもん! 百戦目する前に先生の講習終わって勝負できなかったの、凄く悔しかったんだから!」

「サヤもエズメさんと一緒に稽古していたの?」

 立ち話をするふたりの元へ、フィーネもソファから立ち上がって向かいながら尋ねる。

 マリナもフィーネと一緒にサヤ達の元へ歩み寄るものの、初対面のエズメに対して人見知りモードに突入したせいか、会話に入るフィーネとは対照的に警戒するような顔でサヤとエズメを交互に見ながら終始無言となっていた。

「ううん、わたしは見ていただけ。お祖父ちゃんの稽古が終わった後の時間使って一緒に打ち合っていたんだ。暇だったし」

「本当に楽しかったなあ……あたしが剣術嫌いを直せたのはイフジ先生だけじゃなくてサヤちゃんのおかげでもあるし」

「そなの? 照れるねえ。にひひ」

「百戦目は演習でやろうね、サヤちゃん!」

「うん、かち合えば、ね」

 にへらと笑うサヤと、目を輝かせるエズメ。

 そのふたりの元へ、後ろからまた別の少女が駆け寄る。

「エズメぇー。何やってるんすかぁー。急に走り出してぇー」

「あー、レスリーちゃん、ごめんごめん!」

 レスリーと呼ばれた少女の声を聞いたエズメは、くるりと身軽に振り返り手を合わせて謝る。

 きっちりと騎士制服を着用しているエズメやエイリス分舎の面々とは対照的に、騎士制服の上着を着ておらず白いブラウス姿で、加えて脚には指定のタイツもなしの紺ソックス。ブラウスのボタンは二つほど外されており、地肌と細いチェーンのネックレスが覗く。ブラウスは少し大きめのものを選んでいるのか、袖が長く手の甲を半分ほど隠していた。

 垂れ目がちで猫を彷彿させる口元をした顔立ちに、肩を超すくらいまで伸びた栗色の髪は緩やかなウェーブがかかる。

 その容姿と着崩した制服姿が相まって、王都の名家の娘である中央本舎の騎士候補生というお堅いイメージから遠い、弛んだ雰囲気を醸し出している。

「ふぅ……あれ、エイリス分舎の方と一緒だったんすかぁ」

 レスリーは一呼吸置いた後、のんびりとした口調でエズメに尋ねた。その表情には僅かばかり疲れの色があり、エズメを探して走っていたことを窺わせる。

「うん。昔の友達に会ったんだ」

「えと、どちら様?」

 ニコニコ顔で答えるエズメに対し、サヤが尋ねる。

「レスリーちゃん。魔術科の候補生」

「レスリー・フォードっすぅー。よろしくっすぅー」

 語尾が伸びた脱力するような声を出しながら、レスリーはにやけた顔で軽く頭を下げる。

「この子が友達のサヤちゃんで、あと、エイリス分舎のフィーネさんとマリナさん」

「マリナ……?」

 エイリス分舎一行の紹介をするエズメの言葉を受けて、レスリーが呟く。一瞬だけ、彼女の弛んだ雰囲気が消失したようにサヤには感じられた。

「あのぉー、もしかしてぇー?」

「……!?」

 レスリーが声を掛けながらマリナの元へと近づくと、思わずマリナはフィーネの背に隠れた。やはり人見知りの悪癖が出ているのだろう。フィーネは相変わらずにこにこ笑っており、マリナを咎めることも隠すこともしない。

 しかしマリナの抵抗も空しく、レスリーはフィーネの背に回ってマリナに相対する。

「あ、あの、何か……?」

 少しばかり震える声で問うマリナの顔を観察するかのように見ながら、レスリーは笑んで尋ねる。

「間違っていたら申し訳ないんすけど――もしかしてマリナさん、アクア先輩の妹さんっすかぁ?」

「え……」

 彼女の言葉に、マリナの顔はさっと青ざめた。


    *


 サヤがエズメ達と遭遇したのと同時刻。鷹鳴城中央部。エイリス分舎教官の会議室として貸し出された一室。

 部屋には椅子に座るイトと、円卓を挟んで向かい側には極東武術科薙刀担当のニシザキ教官、ファンファーニ教官統括、そしてブラックウッド分舎長。

 ニシザキ教官に呼び出されたときに同行したカティは入室を拒まれたため、部屋の外で待たせている。

「ヤマノイさん、そういうことでよろしいですね?」

「は、はい!」

 イトの上ずった返事を聞き、ブラックウッド分舎長は満足げに頷いて立ち上がる。

「では、私たちはこれで」

 言い終えるとブラックウッド分舎長はファンファーニ統括とともに退室する。室内に残ったのは、イトとニシザキ教官のふたりだけ。

「ヤマノイさん……」

 ニシザキ教官はまだ緊張の抜けない面持ちで、声を震わせる。

 在職二年目の若手教官にとっては、ブラックウッド分舎長やファンファーニ教官統括らエイリス分舎最高幹部とそれなりの時間を密室で共にするのは堪えるものがあったのだろう。

 然れども、その震え声には明らかな喜びが内在しており――

「ニシザキ教官、私、もしかして……」

「ええ、実質的に今期の首席の内定です!」

 ニシザキ教官が驚愕と歓喜の混ざった笑顔で言うと、イトが口をぱくぱくとさせて吃音となりながら叫ぶように言う。

「ややややっぱり、そういうことですよね、総大将役って!?」

 イトがニシザキ教官に呼び出されたのは、ブラックウッド分舎長より中央総合演習の総大将役任命と総大将役を務める上での訓示を受けるためであった。

 中央総合演習の総大将役は、毎回その年の首席たる騎士候補生が選定されるという。

 イトがエイリス分舎の総大将役に選ばれたという事実は、彼女の認識通り今期の騎士候補生の首席であることが示されたのも同義。

 つまり、エイリス分舎におけるイトの目標である“首席となり、王都の騎士大学校への推薦権を得る”ことが達成されたことを意味している。死に往く母から託されたヤマノイ家の再興の願い。その橋頭堡となる騎士大学校への推薦権を、イトは将来的に手に入れられることを約束されたも同じ。

「やったー! やりましたよ、ニシザキ教官!」

「やりましたね、ヤマノイさん! 極東武術科の候補生が総大将役に任命されるのは、わたしも誇り高いです!」

 ふたりは歓喜の余り立ち上がって、互いの両手を握り喜びを分かち合う。

「これもニシザキ教官のご指導のおかげです! ありがとうございます!」

「いえ、そんなことはありませんよ! わたしなんて赴任早々ヤマノイさんに薙刀試合に負けてるんですから! ヤマノイさんの役になんか全然立ってません! むしろオキ教官のご指導と評価があってこそです!」

「そうですね! オキ教官のおかげですね!」

 ニシザキ教官の薙刀の腕前はイトより遙かに劣っており、教練時間もイトに指導すべきことが無く自主鍛錬を行わせていたというのは事実ではあるものの、興奮気味の彼女はさらっと教官職らしからぬ奇怪なことを言ったが、イトは気づきもせず。そしてイトも何気なくニシザキ教官に失礼ではあったが、やはり互いに気づきもせず。

 兎にも角にも、エイリス分舎に戻ったらユキノヲ教官に中央総合演習の戦果報告と一緒にお礼をしなければならない。薙刀以外の極東武術を苦手としている欠点だらけの自分を、それでも高く評価してくれたユキノヲ教官には感謝をしてもしきれない。ユキノヲ教官に胸を張って報告できる結果を残さなければならない――そんな想いが、イトの内にあった。

「あの、ニシザキ教官、みんなにも総大将役のことを話してもよろしいでしょうか?」

「ええ、大丈夫です。まずは外にいるドレクスラーさんに伝えてあげてください!」

「はい! ありがとうございます、教官!」

 イトはニシザキ教官に一礼し、退出する。

 部屋を出るとすぐに、カティがドアの横の壁にもたれ掛かりながら居眠りをしているのが見えた。

「やったよカティちゃん!」

「ふわっ!?」

 感極まったイトから抱きつかれたカティは、ビクンと跳ねて目を醒ます。

「イ、イト……?」

「カティちゃん、私ね、総大将役に選ばれたんだ!」

「う、ん。おめで、とう……?」

 寝起きのぼんやりとした思考ではイトの言葉の意味するところが理解できないが、抱きつきながら自分を見上げるイトが喜んでいるのはわかる。

 そう、イトが自分に抱きついているのである――脳が覚醒していき、自分の状況を認識していくにつれて、カティは身体と頬が熱くなっていくのを感じる。

「あと、その、イト、うん……」

「あ、ごめん! つい抱きついちゃった……」

 もごもごと口を動かすカティの姿に、イトはカティの身体からぱっと手を離す。

「うん。別に、いい、けど……」

 言いながらイトから目を逸らすカティの頬は紅潮しており、明らかに照れているようで。

 カティにしては珍しい、イト以外でも認識できる表情変化であった。

 

    *


 イトがカティに抱きついたのと同時刻。鷹鳴城中央部。中庭付近の廊下。

「――もしかしてマリナさん、アクア先輩の妹さんっすかぁ?」

「え……」

 レスリーの問いを受けたマリナの顔が青ざめる。

 アクア先輩――レスリーが出した名前に、サヤは心当たりがあった。

 アクア・ブライス。マリナの一つ年上の姉であり、ブライス家の呪法を正しく受け継いだ後継者。ブライス家にいた頃、マリナは姉と会話することがほぼ無かったという。

「アクア先輩から妹がエイリス地区にいるって聞いていたんすよぉ。マリナさん、先輩に見た目似てるからもしかしてーって」

「あ、え、あ……そ、そう、です……」

 やっとのことで首肯すると、レスリーは嬉しそうに笑ってマリナの手を取る。

「やっぱそうなんですねぇ! あーし、去年の首席だったアクア先輩、マジ尊敬してるんすよぉ! 妹さんとお会いできるなんて光栄っすぅ!」

「ど、どうも……」

 虚ろな目をしながら頷くマリナを見て、サヤは思案する。

(あちゃー、マリナ、完璧に気圧されてら……しかも――)

 マリナはただの人見知り状態では無く、明らかに動揺をしている。

 それはきっと、レスリーがマリナの家族の話に触れたから。ブライス家の家法を習得できずに父親から見放されてエイリスに追放されたマリナにとって、優秀な姉について触れられるのは心の傷を抉られるようなものであろう。

 マリナの様子に助け船を出さなければならないと思い、サヤはレスリーに声を掛ける。

「あーと、レオリーさんでしたっけ?」

「レスリーっすねぇ」

「ごめん、レスリーさん、あのね」

 サヤは嫌味にならないようにへにゃっと笑い顔を作りながら、小声でレスリーに告げる。

エイリス分舎(うち)は他地区から来ている子が多くて、出身のことは本人が言わない限り尋ねちゃダメって空気あって、さ?」

「あー……」

 サヤの言葉に、レスリーは察したように声を漏らす。

 実際に、マリナは自分の出自をエイリス分舎では隠している。マリナの過去を知っているのは自分と同室のフィーネだけ。エイリス分舎入学前に知り合っているフィリパやダイアナ、一年次の山岳訓練以降の付き合いであるイトやカティにも話していないであろう。

「……そんなローカルルールあるんすね。これは申し訳ないことしったす」

「い、いえ、別に……」

 マリナに頭を下げて謝罪するレスリーに対して、不意に後ろから荒々しい少女の声が掛かる。

「――おい、レスリー、エイリスの奴らと仲良くしてんじゃねーよ」

「ふはっ!」

 レスリーが驚き振り返る。つられてサヤも同じ方へ目を向けると、騎士制服姿のふたりの少女がいた。

「そんなぁー、ヘイゼルさんは厳しいっすよぉー」

 レスリーは力の抜けた笑顔をしながら、そのうちの一人である発言者の少女に言った。

 腰まで届く長い金髪の、前髪を目の上で、横髪を顎のあたりで丁寧に切り揃えた姫カット。如何にも名家の令嬢然とした容姿であるが、騎士制服は上着のボタンを全て外しており、口調と合致した柄の悪い着こなし方。

 顔立ちも生まれ育ちの良さを感じさせる気品があるが、その表情は好戦的で粗野な相反する印象を与えるもの。

「ヘイゼルの言うとおりよ~。明後日戦う人たちじゃな~い。情が移ったら困るわ~」

 もうひとりは間延びするような甘ったるい声をした少女。

 ライトブラウンの髪は胸元まで伸ばされており、ふんわりとしたカールを作る。目を糸のように細めて柔和に笑んでいる表情はヘイゼルと呼ばれた少女とは対照的に優美な印象を与えるが、どこか人を見下しているような意地の悪さも幾ばくか感じさせる。

 上衣はちゃんと制服を着ているが、規定のタイツでは無く白のハイソックスで、スカートの裾には本来無いフリルが付けられており改造制服であることを示している。

 レスリーも併せて王都居住の名家の子女らしくない――或いは特権階級(エリート)たる王都名家の出身者だからこそ許される自由な制服着用。

「えと、中央本舎の方?」

「そーっすそーっす」

 サヤが尋ねると、レスリーは軽く返す。その様子に気付いて、糸目の少女が名乗る。

「ノーラ・グラントで~す。こっちの子はヘイゼル・ブキャナン」

 ノーラと名乗った少女はエズメとレスリーに問うた。

「エイリスの子たちと仲良いみたいだけど、知り合いかしら~?」

「うん、ノーラちゃん。この子、あたしの友達のサヤちゃん。で、サヤちゃんのお友達のマリナさんとフィーネさん」

 マリナの姉のことには触れない気遣いを見せながらエズメがエイリスの三人を示すと、ノーラはサヤたちを品定めするかのように見た後、口を三日月のようにして笑う。

「ふ~ん、エイリスの子はかわいい子揃いね~。ま、私の好みじゃないけど~」

「…………」

 嫌味を感じさせるノーラの言葉にサヤは少しばかり蟠るものを覚えるが、何か言おうとする前にヘイゼルが皮肉めいた口調で言った。

「ハ! まーた女の話かよ。外に出ても色ボケはぶれねェな、ノーラは」

「ヘイゼルは相手によってぶれまくりだもんね~」

「ンだと、てめェ!?」

 ノーラの挑発にヘイゼルが凄む。ふたりの間に剣呑な雰囲気を感じ取ったサヤは、エズメに小声で尋ねた。

「えっちゃん、あのふたり、仲悪いの?」

「ノーラちゃんとヘイゼルちゃんはいつもあんな感じだねー。友達と言うよりライバル的な?」

 エズメはことも無く答える。サヤから見ればまさに一触即発のような状況ではあるが、エズメが特段慌てるような素振りを見せないあたり日常的な光景なのだろう。

「もぉー、おふたりとも、こんなところで喧嘩するのは止めてくださいよぉー!」

 同じく見慣れているだろうレスリーはまたかと呆れるような顔をして窘める一方で、初見のマリナは先のこともあり少し怯えたような表情となっている。フィーネは相変わらず涼やかに笑んでいた。

 そんな彼女たちに、会議室から自室に戻る途中のイトとカティが気付く。

「あれ、サヤちゃんたちだ?」

「うん。マリナとフィーネと、あと知らない人がいる」

「知り合い……なのかな?」

 遠巻きに見ながら、イトは首を傾げる。どうにも、彼女たちからは険悪な空気を感じてしまう。

「行く?」

「うん、そうだね。総大将役のことも話したいし」

 空気の悪さよりも総大将役任命の報告を早く友人にしたいという気持ちが先立ち、イトはカティを連れてサヤ達の元へと向かった。


    *


「あ、お帰り、ふたりともー」

 ノーラとヘイゼルが小競り合いをする中で、サヤはイトとカティに気付き、声を掛ける。

「うん、ただいま。ごめんね、鍛錬の途中でカティちゃんと一緒に離れちゃって」

「気にしないで。それより、イト、呼び出しって何があったの……?」

 心配そうに尋ねるマリナに対し、イトは輝かしい笑顔で答えた。

「あのね。ブラックウッド分舎長から任命されたの! 中央総合演習の総大将役に!」

 喜びを示すイトに、サヤも顔を明るくする。

「やっぱそうだったんだ! やったね、イト!」

「すごいじゃない! 心配するような話じゃなかったわね!」

「おめでとう。となると、イトは首席確定かな?」

「ありがとう、みんな!」

 イトの総大将役任命に賑わうエイリス分舎の面々を見ながら、エズメは感心するように言った。

「あの子がエイリス分舎の総大将役なんだ? 極東系の子が就任するなんてエイリス地区らしいね」

「へ~。つまり、あの子がエイリスの首席になるのかしら~?」

「ノーラさん、どうしたんすかぁ……?」

 嫌な予感を感じ取って顔を引きつらせるレスリーを無視して、ノーラはすっとサヤ達の合間を抜けてイトの正面に立った。

「ど~も~」

「わっ!?」

 突然、見知らぬ顔が眼前に現れてイトは驚くが、ノーラは目を細めて笑みながら軽い調子で言った。

「中央本舎のノーラ・グラントと言いま~す」

「あ、エイリス分舎のイト・ヤマノイと申します。明後日は中央総合演習で――」

 イトの言葉を無視して、ノーラは彼女の顔を見つめて品評するように言った。

「ふ~ん、顔は合格~。身体は……」

「ひゃあ!」

 イトが小さく叫ぶ。ノーラはするりとイトの背後に回り、両手で彼女の胸を掴んでいた。

「おっぱいも大きいわね~。柔らか~い。うふふ」

「やっ、やめてくだ、さ……」

 突然のことに涙目になって怯えるイトの表情を、ノーラは愉しげに鑑賞しながら続けた。

「私、アナタのこと好きになっちゃうかも~?」

「や、やだぁ……!」

 ノーラは妖艶に微笑むと長い舌を出し、イトの頬へと近づける。

「イト……!」

 友人を辱める行いをするノーラに対し、サヤが咄嗟に腰に帯びている刀に手を掛ける。しかし、サヤが抜刀する前に風切り音が鳴り、パラリとノーラの茶髪が数本床に落ちた。

「あら~、怖い怖い」

 舌を引っ込めて笑うノーラの後方の壁には、短刀が突き刺さっていた。カティが投擲したもの。

「イトから離れて。次は、顔に当てるから」

 淡々と、だが、怒りを滲ませた声でカティが言うと、ノーラはくすくすと笑う。

「少しからかっただけ~。ごめんなさいね~」

 ノーラはイトの胸から手を離すと、蛇の如くぬるりと中央本舎の騎士候補生達の元へ戻る。

 解放されたイトは腰を抜かしたようにその場に力なくへたり込む。カティが彼女の元へと駈け寄り助け起こした。

「イト、大丈夫?」

「うん……平気……」

 庇うように胸に手を当てて呼吸を荒げながらイトは答える。肺病の発作こそ起こしてないが、彼女の顔色は格段に悪くなっていた。

「ちょっと、あなた! 何を!?」

 人見知りの気後れよりも怒りが上回ったマリナが、ノーラに対し声を荒げる。

 しかしノーラは全く気にも留めずに、平然と言った。

「やだ~。ちょっとしたイタズラに怒らないでよ~。田舎者(エイリスの人)はノリが悪いわね~」

「こいつ……っ!」

「うーん、これは流石に、ね」

 サヤが吐き捨てるように言う。フィーネも表面的には涼しげな笑顔のままだが、若干の圧を放っていた。

「ノーラが(わり)いことしたな、エイリスの。けど、結構気迫があるじゃねェか! どうだ、本番前にオレたちと一戦交えるか?」

 サヤ達の様子を見てヘイゼルが不敵に笑うと、ノーラもそれに同調した。

「そうね~、ヘイゼルに賛成~。だって、手合わせなら何されても文句言えないものね~」

 煽るように言う彼女には、一切の反省の色が無かった。

 レスリーはいい加減にしてほしいという表情で頭を抱えており、エズメは無言でサヤ達に対して申し訳なさそうな顔をしながら手を合わせて謝罪のジェスチャーを作る。

 しかし、サヤの情動は収まることは無く。

「いいよ。わたしが相手になって――」

「――やめろ」

 再び刀に手を掛けたところで、氷のように冷たい少女の声が背後から静かに響いた。

「――――!?」

 その声を聞いた瞬間、サヤの全身にぞくりと寒気が走った。

 それは、声の威圧感に因るものでは無く、声がするまで誰かが背後にいるということに気付けなかった事実に対するもの。

 声がしたのは、自分の真後ろ。怒りを覚えていたとはいえ、すぐそばに誰かがいる気配を感じられなかったが故の悪寒。

「ベ、ベアトリス……!」

「あら~、ベア様~。気配消して来るなんて人が悪いわ~」

 サヤの後方を見ながらヘイゼルは唖然としており、ノーラも声には若干の焦りがあった。このふたりも彼女の存在に気付かなかったことを示す態度。

 ベアトリスと呼ばれた長身痩躯の少女はサヤたちをつかつかと通り過ぎ、中央本舎側に立つ。

 光沢を放つ、背中まで伸ばされた流れるような灰色の髪は側頭で編み込まれ、後部の黒いリボンで結ばれている。

 独自に着崩しているレスリー達とは違って騎士制服を閉ざすように堅く着込んだ、冷厳な鉄の如き印象を与える少女。

(この人……えっちゃんたちと違う……!)

 ベアトリスは冷然と佇みながら醒めた瞳でサヤ達を見つめると、深々と頭を下げて言った。

「エイリス分舎の方々、中央本舎(こちら)の者が無礼を働いたこと、代表して謝罪しよう。誠に申し訳ないことをした。数々の非礼、お許しいただきたい」

 その流れるような動作は、彼女が高度な礼儀作法を身に付けていることを示している。

「…………ふぅ」

 背後を取られても気づけなかった驚きと、ベアトリスの見事な所作に気を収めたサヤは一息ついて刀の柄から手を離した。マリナも反論することは無く、フィーネも笑顔から圧が消えており、一端は矛を収める形となる。

「ベアトリス、何もお前が頭を下げることは――」

 謝罪する彼女に対してヘイゼルが不満そうに言うと、ベアトリスは目を見開いて睨み付ける。

「黙れ」

「ぐっ……」

 短いながらも圧力のある声に、ヘイゼルは口を噤む。

 ベアトリスは視線をヘイゼルからノーラに移して、咎めるように続けた。

「ノーラ、校舎は違えど私達は同じ騎士候補生だ。エイリス分舎の方々は対等の演習相手として尊重し、礼を尽くすのが正しき在り方だろう?」

「そうですね~。私、調子に乗りました~。本当(ほんと~)にごめんなさいね~、皆さん」

 ベアトリスの言葉を受けて、ノーラは口答えせず素直にぺこりと頭を下げる。やはり反省の色は薄いものの、もはや彼女をまともに相手にするのも馬鹿馬鹿しいとサヤは思い、怒りも何も抱かなかった。

「い、いえ、その、私はもう大丈夫なので……」

 謝罪を受け入れるイトの言葉を聞いて、ベアトリスの凍結した表情がふっと僅かばかり雪解けのように柔らかくなった。

「恐れ入る……それでは、明後日(みょうごにち)、またお会いしよう。我々はここで失礼する。行くぞ」

了解(りょ~かい)で~す」

「ちっ……ああ、わかったよ」

 ベアトリスはノーラとヘイゼルを連れて、廊下を後にする。エズメとレスリーは彼女たちに同行せず場に留まり、申し訳なさそうな表情でイトに言った。

「ごめんね。嫌な感じにさせちゃって」

「本当に申し訳なかったっす。中央本舎(うち)は我の強い人が多くて……」

「あ、その、本当に私はもう大丈夫なので、お気になさらずに……」

 顔色は未だに優れないものの、イトはまだ名前も聞かされてない彼女たちを気遣って言う。イトの言葉に、エズメもレスリーもほっと胸を撫で下ろす。

 場が手打ちとなった雰囲気となる中で、サヤは問うた。

「ところで、今の人は……?」

「槍術科のベアトリス・カーターさん。大陸統一戦役の“英雄”カーター卿の孫娘で、中央本舎(うち)の首席っすねぇ。一年次から不動の首席」

 レスリーが答えると、フィーネが更に尋ねる。

「一年次からずっと首席って、どうしてわかるの?」

「中央本舎は成績席次を在籍者にも公表してるんすよぉ。ちな、あーしは現状上から五番目っすねぇ」

「で、あたしは第四席。ヘイゼルちゃんが第三席でノーラちゃんが次席」

 エズメが補足し、レスリーが再度続ける。

「そしてベアトさんは一年次からずっと首席なんっすよぉー。ノーラさんとヘイゼルさんは毎回次席・第三席争いをやってますけど、第四席以下は時期ごとに流動っすねぇ。あーしはこの前まで第七席でしたし」

「へー、そんな仕組みなんだね、中央本舎って」

 サヤが感心するように言うと、ヘイゼルの荒々しい声が廊下に響いた。

「おい、エズメ、レスリー、行くぞ! たらたら残ってんじゃねェ!」

「はーい、行きまーす!」

「じゃあ、あーしたちもこれで……すんませーん、今から行くっすぅー」

 ヘイゼルに叱責され、エズメとレスリーが慌てて後を追う。彼女たちの姿が見えなくなると、フィーネが言った。

「マリナ、私達も、戻ろっか」

「そうね。イト達も部屋に戻る?」

 マリナは首肯しイトとカティに尋ねると、彼女たちも頷いて同意を示す。

「うん……私、ちょっと横になりたい……」

「わたしはイトと一緒。サヤは?」

 カティの問いに、サヤは首を横に振る。

「わたしは今から鍛錬してく。そのつもりでここに来たんだし」

「そう。じゃあ、私達は先に部屋に戻るね」

 フィーネは言いながらカティと一緒にイトを支え、四人は自室へと戻っていく。

 ひとり中庭付近の廊下に残ったサヤは、ぽつりと呟いた。

「ベアトリス・カーター、か……」

 かつての“グ”帝国による大陸統一戦役に帝国将として従軍した“英雄”カーター卿の孫娘であり、中央本舎の不動の首席。

 彼女の武を直接目にしてはいないものの、その威圧感と気配遮断はエズメら他の中央分舎の騎士候補生達とは格が違っていることを如実に表していた。

 今のエズメの剣力はわからないが、仮に四年前と同じく自分と互角であれば――刀と槍という得物の違いがあるので単純比較はできないが、ベアトリスという少女の総合力は確実に自分よりは格上であろう。

 そして、旧知のエズメは元より、彼女より上位に評価されるノーラやヘイゼル、だらけているように見えて如才ないレスリーもまた、実際戦うとなると油断ならない相手になるであろうとサヤは思い至る。

「明後日かぁ……楽しみだなぁ」

 意識せず、サヤの口角が上がる。不愉快な出来事もあったが、それ以上に中央本舎の相手と剣を交えたいという戦闘欲がサヤの内に強まっていった。


(続)

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