邂逅/五日前から三日前
中央総合演習は、レゼ国中東部のタルティエ地区から最東部のダクレイ地区にかけて広がる“ネルクスタ大平原”で行われる。
およそ五百年前、ティルベリア遠征の隙に乗じて北上してきた蛮族――レゼの史書では後のムルガル国の祖とされている――を撃退した由緒ある戦勝の地。
ネルクスタ大平原の戦いの折に、レゼ軍を統率していた王を導くかのように鷹が敵陣に向かって飛んでいったという伝説が存在し、それに因んで平原のほぼ中心となる場所に“鷹鳴城”という城塞が蛮族の再北上や東方の“砂漠の民”と呼ばれる部族への備えとして戦後造営されることとなった。鷹鳴城は現在の行政区分ではタルティエ地区に属しており、五百年の歴史を持つ史跡として同地のシンボルとされている。
その鷹鳴城が、中央総合演習運営に際しては騎士団関係者や来賓となる王政府高官や国外要人、そして参加する騎士候補生達の宿舎として用いられており――
「つーかーれーたー!」
夜の鷹鳴城の宿泊部屋で、サヤがベッドに寝転がりながら叫ぶ。
部屋のベッドはふわっとした寝心地であり、上質な素材で作られていることを肌で感じさせた。
鷹鳴城滞在中に候補生達に割り当てられたのは一室四人から五人が宿泊可能な大型客室。ベッドルームとリビングルームが分かれた広々とした間取り。サヤと同じ部屋には分舎の学寮と同じくマリナとフィーネ、そしてイトとカティの計五人。
「サヤ、お疲れ」
仰向けに寝転がるサヤの顔を覗きながら、フィーネはいつもと変わらない笑顔で言った。
「フィーネは普段通りだね。疲れてないの?」
サヤが尋ねると、顎に人差し指を置いて少し考える仕草をした後、涼やかに答えた。
「うーん。疲れてるかな、とても」
「いや、全然そうには見えないんですけども、フィーネさん」
サヤが呆れたようにへにゃりと笑う。
女子高等騎士学校エイリス分舎から鷹鳴城へ。その行程だけでサヤはかなりの疲労感を得ることとなった。
他地区であれば鉄道によりタルティエ地区へすぐに到着することが可能であり、そこから馬車で鷹鳴城に向かえば良いのであるが、北方辺境たるエイリス地区には鉄道が敷設されていないためそれは叶わない。
故に、エイリス分舎の候補生達はまず馬車で南隣のイザシュワ地区まで移動し、そこから鉄道でタルティエ地区へと行った後、再度馬車に乗り換えて鷹鳴城へ到着するという行程を辿ることとなった。昼食はイザシュワ駅、夕食はタルティエ駅で摂り、鷹鳴城に着いたのは月が昇った時間帯。
複数回の移動手段変更を含む長時間の道行は想像以上に体力を費やすこととなり、日常的に剣の鍛錬を行っているサヤでも宿泊場所に着いて即座にベッドダイブする状態に追いやっていた。
そして、サヤ以上に、否、エイリス分舎で他の誰よりも体力を削り取られた候補生が同室にいた。
「うっぷ、きもちわる、い……」
「イト、大丈夫?」
ベッドに青い顔をしながら横たわるイトの背中を擦りつつ、カティが心配そうに声を掛ける。
馬車と列車での移動でイトは幾度も酔ってしまっており、現在でも回復の兆しはない。イトはイザシュワ地区で列車に乗ってからすぐに顔色が悪くなり、以後カティの介抱を受け続けることとなる。
昼食はタルティエ駅に着く前に途中の駅で吐き戻してしまい、夕食は摂ることも能わず。
鷹鳴城に到着する頃には馬車酔いも加わってイトは歩くことももままならず、宿泊部屋に行くまでカティに背負われることとなった。そのふたりの姿に、サヤは彼女たちと仲良くなる契機となった昨年の山岳訓練を思い出してしまい、不謹慎だと自覚しながらもつい懐かしい気分となってしまった。
「だいじょうぶ……じゃ、ない……がんばらなきゃ、ならない、のに……うぶっ……!」
「……お大事に。まー、けど、演習は今日含めて五日もあるから何とかなるっしょ、イト」
えずきながらも演習に対する意気込みを見せるイトを鼓舞する意識もあり、サヤはあえて軽い調子で言った。
サヤの言の通り、中央総合演習開始は移動日となった今日を含めて五日後。
鷹鳴城にはまだ相手校である中央女子高等騎士学校、通称“中央本舎”の面々も、賓客である王政府や国外の要人達も到着しておらず、所在しているのはエイリス分舎の騎士候補生及び教官のみ。
早めの鷹鳴城到着は騎士候補生達が移動に体力を使うだろうとブラックウッド分舎長が考慮した日程に因るもの。そして、分舎長の考えは正しいものであることをサヤは自身の疲労感とイトの様子から実感していた。
「一日か二日休んだとしても、身体の調整をしたり、鍛錬する時間もあるだろうしね」
「う、ん……」
イトが苦しげな声で返事をした後、この古城に鍛錬を行うことが可能な場所があるのだろうかという自分の言葉に対する疑問がサヤの頭に過ぎった。
だが、仮に城内になくとも城外で素振りや形稽古でもすれば良いかという結論に至る。
中央総合演習に向けて練習してきた“瞬望”は、少しずつ形になってきたが、身を以て受けたユキノヲ教官のものからはまだ遠い。実戦に耐えうるかどうかは、この中央総合演習で量ってみる腹づもり。
可能であれば中央総合演習の直前でユキノヲ教官に指導を受けたかったが、残念ながら彼女はエイリス分舎の留守役であり、今回の中央総合演習には同行していない。
極東武術科の教官で帯同しているのは薙刀担当であり新任のニシザキ教官のみであるため、鷹鳴城にいる間にできるのは自己鍛錬のみであろう。或いは、相手方の中央本舎の候補生で極東剣術を修めている候補生がいれば前哨戦ではないが軽く手合わせを――
「けど、イト以上に重症の人がいるみたいだよ、サヤ?」
「へ?」
サヤが鷹鳴城滞在時の鍛錬について思案している途中、フィーネに声を掛けられる。
彼女がにこにこと笑いながら指し示した先には、ベッドの上で三角座りをするマリナの姿があった。
「うう……幻滅……」
マリナが重々しく独りごちる。彼女の周囲の空気は暗く、どんよりとしていた。
「あー、楽しみにしていたからねぇ……」
哀れむような声で言いながら、サヤは鷹鳴城への道中でのマリナを思い出す。
武術を修めているサヤが疲弊しイトが体調を崩して完落ちする一方で、鷹鳴城に着くまでマリナは一切の疲弊を見せるどころか終始テンションが高かった。
マリナは余暇には史書を読み漁ることが趣味の歴史好きであり、それ故に五百年の歴史を持つ鷹鳴城を実際に見て歩くことを非常に楽しみしていた。
彼女の期待度は、イザシュワ地区から乗った列車の中で、隣接する座席のサヤたちにネルクスタ大平原の戦いや鷹鳴城の歴史について滔々と講義するほどであった。なお、サヤは途中から飽きて聞き流し、フィーネは相槌をするが明らかに適当で、カティは居眠りをし、イトは列車酔いを堪えるのに手一杯でそれどころではなかった。
しかし、それほどまでに抱いていたマリナの期待は、実際の鷹鳴城に大きく裏切られることとなる。
確かに鷹鳴城の外見は重々しい歴史情緒を色濃く残す古城である。だが、中身はクロン市の技術が導入された電気水道完備の最新式の内装で整備されており、五百年前の面影を一切感じさせることのない状態となっていた。
鷹鳴城の内装が最新設備に整えられているのは、中央総合演習の時期に毎年訪れる上流騎士の娘たる中央本舎の候補生達が王都と遜色なく過ごせるようにと配慮した結果だという。
更に中央総合演習以外の平時においては鷹鳴城は観光名所兼ホテルとして取り扱われており、タルティエ地区政庁が“泊まれる史跡”などと言うキャッチコピーを拵えて観光客を呼び込んでいることも、鷹鳴城内の現代化に拍車を掛けている。
しかしながら、いずれもマリナにとってはどうでもいいことであり、鷹鳴城の現状に楽しみが反転して重篤な精神的ダメージを受けることとなった。
「なんで、こんな……エイリスの寮よりも最新式じゃない……折角の古城が台無し……」
鷹鳴城内に入って唖然としたまま声も出せず、部屋に入ってからはずっとぶつぶつと怨念じみた独り言を漏らしているマリナの姿に、流石のフィーネも声を掛けることを躊躇っている様子であった。
「慰めてあげた方がいいのかな?」
「いやー、これは……」
フィーネの問いに、サヤは口を濁す。かつて無いほど沈んでいるマリナの気を持ち直させる方策など見当もつかず、困惑する他なかった。
「ま、まあ、マリナも明日になればイトと一緒に元気になるでしょ。多分」
「うーん、そうかな?」
引きつった顔で何とか絞り出したサヤの言葉を受けて、フィーネが変わらぬ笑顔のまま首を傾げた。
*
中央総合演習四日前の夜。客室。
「ふいー、高級ソファの寝心地はいいねえ……」
サヤは寝間着にしている浴衣姿で、ソファの上に片脚を立てながら横臥する。身体を包み込むような柔らかなクッションが日中の疲れを癒やす。
今日は鍛錬可能な場所を探す目的も含めて鷹鳴城内の散策を行った。
鷹鳴城は大きく分けると中央部と東部、西部、北部の四つに区画されており、エイリス分舎候補生の宿泊場所は東部にあたる。
中央分舎候補生の宿泊場所となる西部と賓客用の区画となる北部は未だに本来の宿泊客達が未到着故に立ち入りは不可で、サヤが今日見て回れたのは自分たちのいる東部及びエントランスや大ホール等の共有施設とエイリス分舎教官等の運営者宿泊場所が存在する中央部のみ。それでも鷹鳴城自体がかなり大きな城塞であるため、散策には結構な時間を費やすこととなった。
また、鍛錬場所として中庭が利用できることをエイリス分舎教官と鷹鳴城管理員に確認を取れたという収穫があり、自主鍛錬も行ったことも併せて夜になって少し疲れが出てきた。
それ故に、疲労を治癒できる上質なベッドやソファが備え付けられている部屋の豪勢な調度はサヤにとってはとてもありがたいものであった。
「サヤ、丸見え」
「おっとと。こりゃお嫁に行けなくなるね。たはは」
脚を向けていた側の椅子に座るカティが指摘すると、サヤは少しばかり頬を赤らめ照れ笑いしながらすっと脚を閉じる。いくら何でも、少ししどけなさすぎたと自省する。
そんな彼女らの様子を見ながら、カティの向かい側に座るマリナが深刻そうな顔をしながら言った。
「丸見えって……サヤ、もしかして穿いてなかったの?」
「ちゃんと穿いてるよ!」
「そ、そうよね……!」
サヤが即座に否定すると、マリナは気恥ずかしげに目を逸らす。その一方で、マリナの隣に座るフィーネはいつもと変わらぬ笑顔のままさらっと尋ねた。
「カティ、何色だった?」
「セクハラなんだけど!」
サヤは抗議するも、カティはそれを無視して小さく口を開く。
「み――」
「カティも回答すんな!」
遮るように即座に三回目の突っ込みを入れた後、サヤは腰を上げてソファに座り直す。
「はぁ……全く、みんなわたしを何だと思ってんの……」
「あはは……」
不機嫌そうに言うサヤを見ながら、カティの隣に座る浴衣姿のイトが苦笑する。
彼女の声を聞いて、サヤはイトにへにゃっと笑いかけた。
「ま、それにしても、イトが元気になって良かったよ」
「うん、心配掛けてごめんね、みんな」
昨夜は部屋に着いてからすぐにベッドに伏せて、暫くして何とか入浴を済ませた後に即就寝という有様だったイトは、今では随分と顔色も良くなっている。
今日も日中はほぼベッドに伏しており、カティがずっと寄り添って看病をしていたこともあってか、普段と同じ状態にまで回復していた。
「謝らなくていいわよ。つらい時は助け合うのが仲間なんだし」
「そそ、マリナの言うとおり」
同調しながら、サヤはテーブルの上に開かれた箱から卵せんべいを一つ取り出してぱりっと音を立てながら食す。
「……ところでサヤ、さっきから食べてるの、何?」
「鷹鳴城せんべいだって。一階のお土産屋で売ってたから買ったー」
「へー」
サヤは鷹鳴城のシルエットが焼き印された食べかけの卵せんべいを摘まんでひらひらと示すと、マリナは平坦な声を出した。
マリナは昨夜の状態から何とか気を取り直して、今日はフィーネと一緒に鷹鳴城周辺のネルクスタ街を巡っていた。
ネルクスタ街は鷹鳴城建設と同じくして城塞都市として整備された歴史ある市街地であり、五百年前の戦いに関する資料館も存在する。マリナの歴史趣味を満たすだけのものがあるだろうと思いながらサヤは見送ったが、帰ってきた彼女の瞳はどこか達観したものがあった。フィーネはいつも通り変わらずにこにこしており、戻ってきた彼女からサヤは観光地として整備された市街は古い街並みは余りなく、商店等は外観は古くても中身は鷹鳴城と同じように最新式に設えられているものばかりだという話を聞かされることとなった。
「そんなのあるんだ? 見せて見せて」
「はいよー」
興味を示すイトに箱を手渡すと、彼女は外装を観察しながら呟く。
「ロイド商会の製品なんだね。あそこ、極東菓子も作ってたんだ」
言いながら、イトは鷹鳴城せんべいの箱をテーブルに戻す。
ロイド商会はエイリス地区の南隣にあるイザシュワ地区を拠点とする企業であり、極東民具を初めとする極東系の製品を主に取り扱っている。
優秀な極東系職人を多く抱えているロイド商会製の極東風の民具や小物は品質に優れており、エイリス地区でもロイド商会の製品が広く流通している。嘘か誠か、エイリス土産で極東風の装飾品を買ったらメイド・イン・イザシュワのロイド商会の製品だったという笑い話も囁かれている。
「ねえ、私も一枚もらっていいかな?」
「いいよー。みんなも食べて食べて」
「ありがとう、サヤちゃん」
サヤに礼を述べながら、イトが小さく鷹鳴城せんべいを口に含んで笑む。
「うん、おいしいね、これ」
イトと同じくして、カティも鷹鳴城せんべいをもぐもぐと食す。
「私も貰うね。あ、そういえば、去年の中央総合演習の相手校ってイザシュワ分舎だったらしいよ」
フィーネがせんべいを一枚摘まみながら言い、サヤが尋ねる。
「そうなんだ? どっちが勝ったの?」
「中央本舎の勝ち」
「なるほど。やっぱり本舎って言われるだけあって、強いんだろうなぁ」
フィーネからの回答を受けて、サヤは柔らかく笑いながら言った。ふんにゃりとした笑顔とは対照的に、彼女の声にはこれから戦う相手の力量を期待する好戦的な色があった。
「うーん、中央本舎はあまり騎士教育に熱心じゃないって聞いたことがあるけど……」
サヤとフィーネの会話を受けて、イトが首を傾げながら呟く。カティが二枚目の鷹鳴城せんべいに手を伸ばす中で、マリナがイトに問うた。
「そうなの? 意外ね……」
「うん。かなり前に人から聞いた話だから今は違うかもだけど……学校主催で中央の男子校とのお見合いみたいな行事があって、騎士になることよりもいい結婚先を探すことが目的みたいな空気が候補生の間にあるんだって」
「うへー、なにそれー」
イトの話を聞いてサヤが顔を顰める。それと同じくして、カティが三枚目の鷹鳴城せんべいを摘まむ。
「そんなの、わたしには絶対無理だわー」
「そうだね。サヤはさっきお嫁に行けなくなっちゃったもんね」
フィーネが涼やかにからかうと、サヤが苦笑する。
「それ、蒸し返します? そして、お嫁に行けないって例えだし。ちゃんと穿いていたし」
サヤは言いながら話に花咲かせる内に緩んで開きかけていた脚を閉じ直し、カティが四枚目のせんべいを食べ始める。
「大丈夫、お嫁に行けないサヤのことは私が貰ってあげるから」
「ワーイ、タマノコシダー」
その言葉が冗談とも本気とも取れる艶のある雰囲気を纏いながらくすりと笑うフィーネに、サヤが強ばった顔をしながら棒読みで答えた。
「…………」
(フィーネちゃんを見るマリナちゃんの目つき悪い……顔怖い……)
そしてマリナは無言でフィーネを睨んで牽制しており、彼女たちの様子を俯瞰しながらイトははらはらとした思いを抱く。
(あ、そうだ……観劇の約束が被ってること、マリナちゃんとフィーネちゃんは知っているのかな……)
つと、マリナとフィーネのサヤとの観劇日程がブッキングしていたことを思い出し、イトが他人事ながら背筋に凍るような寒気を感じる中で、カティが五枚目の鷹鳴城せんべいを食べ終えた。
*
中央総合演習開始より三日前。
この日の鷹鳴城は、喧噪に溢れかえることとなった。
中央分舎の候補生及び教官、賓客となるレゼ国要人及び国外要人の到着日。国内からは王位継承権第二位の王女及び政・法・軍を司る国権三大機関である大政庁・最高法院・レゼ騎士団の副長が、国外からはリズレア教会の聖女、ティルベリア侯爵、クロン市副市長が中央総合演習の賓客となっており、彼女ら、彼らが一日に鷹鳴城へと集結した。
日中、サヤが鍛錬するために中庭へ向かおうとした際は、丁度ティルベリア侯爵が到着した時間帯であり、エントランスにはティルベリア侯爵護衛団である騎士達が犇めいていた。他にも、レゼ騎士の姿も城内で幾度も見かけており、いよいよ中央総合演習の開始が迫ってきていることをサヤに改めて実感させる。
また、鷹鳴城だけでなく、中央総合演習の運営協力や警備を行う騎士団要員やレゼ国要人の随行員、ティルベリア侯爵護衛団の大部分は鷹鳴城に収まりきらないため、別にネルクスタ市街に宿を取っている。
要人到着と彼らの警護により鷹鳴城の混沌とした状況が収まった夜の時間帯、サヤは鷹鳴城中央部一階に構えられている売店へと赴いた。
昨晩、カティによってほとんど食べられたの鷹鳴城せんべいの再調達。
イトからはカティがひとりだけたくさん食べたのだからと自分とカティで代金を折半するという申し出があったが、サヤ自身は元々みんなで食べようと買ってきたものだから気にしてはいなかったため固辞することにした。
カティの不始末に責任を感じるイトや、身体の弱いイトを甲斐甲斐しく世話するカティの姿を思い出すと、あの二人はお互いにお互いの面倒を見ているような、ちょっと面白みのある関係だなと思いながらサヤが売店に寄ると、見覚えのある人物達がいた。
「いろんなの売ってるねー。何か食べたいのある?」
「そうですね。私は、甘いものが……」
快活な声と、気弱さを感じさせる細い声。
リズレア教の聖職者の法衣とは似て非なる、聖騎士団制服を纏ったふたりの女性。
「あっ……」
サヤは思わず息を呑む。
“聖女の双璧”と謳われるリズレア教会聖騎士団の二大戦力。“雷鳴剣”フリージアと“轟風戈”ポインセチア。以前にエイリス分舎で出会ったふたり。
売店の商品を見繕っている最中の彼女たちはサヤの存在に気付く。
「あれれ、あの時の生徒ちゃんじゃん!」
「あ……そ、その節は大変お世話に……」
フリージアが丁寧に一礼する。
大陸最強の剣士“五剣聖”の一角として名を連ねるフリージアは、その勇名に反して気弱でかなり腰が低い。エイリス分舎への道案内をしたときも、幾度も謝っていたのはサヤの記憶に強く残っている。
そういったフリージアの性質を知っていてもなお、遙か格上の畏敬すべき剣士が自分に頭を下げる姿を目の当たりにすると、サヤは狼狽してしまい同じように返礼する。
「い、いえ! わたしこそ、無理を言って見取り稽古をさせて頂きまして……!」
「フリージアちゃんも生徒ちゃんも丁寧すぎー。ほらほら、ふたりとも堅苦しいのはやめなって」
おかしな流れになりそうなところを、ポインセチアが茶化しながら正常化させる。
「ご、ごめんなさい、ポインセチアさん……!」
それでも謝るフリージアに、ポインセチアは困ったように笑って言った。
「もう、言ってる側から……けど、そこがフリージアちゃんのかわいいとこなのよねー。あ、そう言えば、生徒ちゃん、あの時は名前を聞きそびれてたね。名前なんて言うの?」
「サヤです。サヤ・イフジと言います」
「サヤちゃんかー。サヤちゃんはナントカカントカ演習ってのに参加するの? それとも先生達のお手伝い?」
「……えと、わたしは戦う側ですね」
ポインセチアの中央総合演習の名前の覚えてなさっぷりにサヤは噴き出しそうになってしまったが、堪えて答える。
考えてみれば、彼女たちは国賓として招かれている聖女の護衛役なのだから、行事そのものに興味が無くても仕方ないのであろう。
「あれ……?」
つと、サヤは思う。リズレア教会一行は鷹鳴城にいつ来たのだろう。
日中はティルベリア騎士団やレゼ騎士団の面々を幾度も城内で見かけたのであるが、リズレア教会関係者らしき人物は彼女らふたり以外は目にしていない。
「教会の皆さんはいつ鷹鳴城に着いたのですか?」
「確か……ティルベリアの方の少し前くらいでしょうか……?」
サヤの質問に、フリージアがおずおずと答える。丁度自分はティルベリア侯国一行が到着したところに出くわしたが、やはり教会関係者と思しき人間を見た記憶が無く、サヤは訝しむ。
「そうだったのですか? 教会の人たち、全然見かけませんでしたけど……」
「そりゃだって、聖女サマの護衛はアタシとフリージアちゃん含めて四人だけだもん」
「教会から鷹鳴城に入ったのは、聖女様を合わせれば合計五人ですね」
「えっ、たったそれだけで……!?」
ふたりの回答に、サヤは驚嘆する。鷹鳴城に収まらない人数を引き連れたティルベリア侯国の大護衛団を実際に目にしたサヤからすれば、リズレア教会の聖女という大陸最大宗教の頂点に立つ存在に対する護衛がたった四人というのは予測できない回答であった。
「うん、それで十分。本当はアタシとフリージアちゃんのふたりだけでも良かったんだけどねー」
「私とポインセチアさんが一緒に出かける時は聖女様お一人になってしまうので、交代要員は必要かと……万一のことがありますので……」
だが、当の警護担当者ふたりからすれば、十分に過ぎる体勢だと言う自負が感じられた。
文字通り一騎当千の力を持つと評される“聖女の双璧”がいれば、他の護衛は基本的には不要という姿勢がリズレア教会に存在するのであろう。直接振るわれることを目にせずとも、凡百の将兵を遙かに凌駕する武力の極地をサヤに感じさせる対応であった。
「そーそー。フリージアちゃんひとりにすると迷子になっちゃうし、アタシがいないと外出できないもんね」
「ううっ、ごめんなさい……」
「もー、しょげないでよフリージアちゃーん」
泣き出しそうになるフリージアをポインセチアは慰めるように頭を撫でる。
「おふたりとも、相変わらず仲良いですよね……」
しかしながら、斯様に高名な武人でありながらも自然体かつ自由に振る舞うふたりに、サヤは微笑ましいやら肩書きと似合ってなさ過ぎるやらで、思わず笑ってしまう。
フリージアを宥め終えると、ポインセチアはサヤに尋ねる。
「そうだ、サヤちゃん。何かおすすめのお菓子ってある? お腹空いたから買いに来たんだけど、色々あって迷ってるんだ」
「なら、この鷹鳴城せんべいがおすすめですよー」
サヤが商品棚から鷹鳴城せんべいの箱を取り出すと、ポインセチアは首を傾げた。
「センベイ?」
「極東地方のお菓子、ですね。お米の粉を固めて、塩や極東風のソースで味付けされているものです」
フリージアが補足すると、ポインセチアが顎に右手を置いて悩むような素振りを見せる。
「しょっぱい系ねー。フリージアちゃんは甘いの食べたいって言ってたからパスかなー?」
「いえいえ、このおせんべいは甘いおせんべいなのです。お米ではなく、卵と小麦粉で作られたクッキー的なやつなんですよね。おいしいですよ。わたしの友達にも好評でしたし」
サヤの説明を受けて、フリージアが感心するように言った。
「甘いおせんべいなんてあるのですね……極東遠征の時に私が口にしたものには、甘い物は無かったので知りませんでした」
懐かしむようにフリージアは言った。その際、隣のポインセチアは一瞬だけ表情に翳りが出たが、サヤは気付かずに続ける。
「それと、お米で作ったおせんべいにも甘いのはあるんですよ。砂糖をまぶしたのとか」
「へー。いろんな種類があるのね。じゃあ、フリージアちゃん、こっちの鷹鳴城クッキー買おっか」
「そうですね、ポインセチアさん」
「なぜー!?」
この流れで鷹鳴城せんべいをスルーして別のものを選ぶふたりに、サヤは思わず突っ込みを入れる。彼女の姿を見てポインセチアは片目を瞑りながら満足げに笑った。
「サヤちゃん、反応ナイス過ぎ」
そしてフリージアもつられて微笑む。
「ふふっ、買う物も決まりましたし、それでは私達はこれで。中央総合演習、頑張ってくださいね。サヤさんのこと、応援してます」
「あっ……こ、光栄です!」
フリージアは親愛を示すようにサヤの両手を握る。
やや陰のある普段の表情から華やかさを感じさせる笑顔への変化に、サヤは少しどきりとしてしまう。
「いいなー。アタシもフリージアちゃんに応援されたーい」
「ポ、ポインセチア、さん……! サヤさんが、見て、ます……!」
だが、すぐにポインセチアが抱きついてフリージアは気恥ずかしげに顔を赤く染め上げる。
「サヤちゃんも、フリージアちゃんに応援してもらったんだから頑張らないとねー」
フリージアを独占するように抱きながら、ポインセチアは笑顔のままでサヤに言った。
「フリージアちゃんに応援されたのに負けたら、うーん、戈で一発お見舞いしてあげようかしら、なんてね?」
「あはは……わたし、まだ死にたくないなー……」
彼女のフリージアに対する溺愛っぷりを思い出すと、冗談とも聞こえないポインセチアの言葉にサヤは自然と声を震わせた。
(続)




