魔術少女たちの休日
エイリス地区の北西部には古物市が構えられている。
そこには古書や古刀、古銭に古美術品など様々なものが売買されており、それら目当てに様々な客が訪れる。
古美術商。骨董趣味の旦那衆。古刀目当ての剣術家。そして、魔術道具を求める魔術師も客層の一つ。市場に流れる古物には魔術師にとって有用な道具となるものが存在している。
そのような魔術の触媒となる道具を求めて、女子高等騎士学校エイリス分舎の魔術科専攻の騎士候補生がふたり、休暇日の昼過ぎに古物市を歩く。
マリナとフィリパ。フィリパは同年代の女子の平均的な身長であるが、マリナは低身長のため並んで歩くと凹凸が発生するふたり。
先ほどまで二手に分かれてそれぞれの目当てのものを探し、合流。後は適当に軽食を摂ったり、魔術道具以外の買い物をしたりと適当なプラン。
「ねえ、マリナは何を買ったの?」
「魔力紙。まとまった枚数が売っていたから一気買いしたわ。それなりの収穫かしら」
フィリパの質問を受けて、マリナは手提げの鞄に詰まった古びた紙を彼女に示す。マリナの取り扱う魔術は、魔力を籠めた紙に古代文字を刻み特定の効力を発揮させる文書魔術。この紙に特定の魔法句を刻むことで、紙から水や火を放つ、鳥の形に折って飛ばすなどと行った芸当が可能となる。
「で、その……フィリパは……?」
話の流れ上、マリナはフィリパに尋ね返す。
彼女はなにやら煤けた薄黄色をした、得体の知れないものが入った袋を右手にぶら下げている。正直なところ、スルーしたかったが、フィリパが自分にも質問してほしいと言う目配せをしてくる。
「私は大陸最南はコウシ国から流れてきた古代魚コウシュウシシのミイラ。レアもの」
フィリパはにやりとしながら、ぶら下げていた袋を開いて中の物体をマリナの目の前に示す。やけに大きな目玉と飛び出た牙が不気味な姿をした魚のミイラ。
マリナは思わず顔をしかめる。
「うわ、何に使うの……?」
「結構な痛み止めにもなるし、催涙剤の強化にも使える。毒にも薬にもってね。あと、惚れ薬の原料になるわよ」
フィリパのスローン家は錬金術の系統の中で霊薬を作成することに長けた錬金薬学という魔術を修めた家系。自己研鑽と研究発展に熱心な一族のようで、近年では“グ”帝国の伝統的な霊薬学の手法も取り入れており、スローン家の娘であるフィリパも、その家風を纏っている。
「惚れ薬って……」
スローン家や彼女の気風を理解していながらも、少なくとも十七歳の少女が持つには不気味に過ぎる魚のミイラと、その触媒の用途にマリナは若干引き気味となってしまう。だが、マリナの反応は予想取りだとフィリパがにんまりして続ける。
「そうだ、惚れ薬、マリナがおサヤに飲ませるように作ってあげようか、にひひ」
「なんでそこでサヤが出てくるのよっ!?」
虚を突かれたマリナは頬を染め上げてフィリパに怒る。しかしフィリパはどこ吹く風。
「いや、だって、マリナはおサヤのこと好きでしょ?」
「それは、友達として……!」
「あっはは、ごめんごめん。ちょっとからかってみただけよ」
頬をますます赤らめるマリナに対し、フィリパはからかうように笑いながら口だけの謝罪をする。
「……もう」
反省の色が皆無なフィリパに対し、マリナはため息をつきながら呆れる。ただし、彼女に対する嫌悪感や不快感は一切ない。フィリパは気が合うことが多く、マリナにとっては貴重な軽口を叩き合える程度には気心の知れた友人であった。
フィリパは眼鏡を掛けた利発かつ真面目そうな顔立ちをしており、初対面でも礼儀正しい印象だったが、付き合っていく内に彼女は結構イイ性格をしていることを知る。
悪戯好きで、軽口好き。見た目優等生だが嫌なことには手を抜いたりサボったり。親しい仲には礼儀なしというタイプで、サヤやダイアナには付き合いが長いだけあって、彼女たちの的外れな言動に対して割と容赦ない突っ込みを度々入れる。
特にダイアナとは家ぐるみの付き合いがあることから非常に仲が良い。彼女が今現在、サヤを“おサヤ”と呼んでいるのもダイアナの影響。マリナと初めて会った日にダイアナが言ってフィリパを爆笑させた“おサヤどん”という呼称が余程気に入って、自分で言っても笑わない程度のアレンジをしているらしい。
やはりイイ性格だと、マリナは呆れ半分に思うが、その親しみやすさと同じ魔術科という共通点から、割と仲良くなれたのだろうとも思う。
「まー、それはそれとして、おサヤは中々の強敵よ。マリナも頑張らないと」
「別に、そんなつもりは……というか、強敵って、どういうこと?」
マリナの反応に、フィリパはまた思惑通りといった笑顔をしながら答える。
「あの子は、ほら、剣術馬鹿だからねー」
「あー……」
「それに超シスコン」
剣術馬鹿と超シスコンという、的を射ていても割と容赦ない寸評にマリナは苦笑する。
「酷い言いようね」
「そりゃ、幼なじみだから言えるのよ」
フィリパはサヤの祖父の経営する私塾イフジ不憂流知命館の門下生であり、幼い頃よりサヤやダイアナと共に机を並べて騎士の娘としての素養を身に付けてきた間柄。だからこそ、サヤとダイアナに容赦がない。
「あの子は剣術とアヤノさんしか興味ないみたいな感じだからねー。ま、それを差し引いても」
「差し引いても?」
「マリナっちには胸が足りな過ぎるなー」
「……それ関係ある?」
マリナの真っ平らな胸部を指さしながら、フィリパはにんまりと笑った。あからさまにからかっている態度に、イラッとした声色でマリナは返す。
魔術科専攻といえども、騎士候補生は一般的には身体の頑健さが求められる。
故に元より背が低く貧弱な自分の体型は騎士候補生としては不利条件でありコンプレックスとなっていたが、その上、仲の良い候補生が平均的な同年代少女より長身ですらっとしたサヤやカティ、ダイアナ、身長は平均的でも体型が大人らしく成長しているイトやフィリパ、更にその両方を兼ね備えるフィーネであるため、彼女たちと比較すると自分の劣った身体能力を改めて感じてしまうことが多々あった。
「あるわよ。おサヤは、大きい胸が好きだから」
「あの、エロ女……」
無意識に吐き捨てるような言葉が口に出る。
サヤのその嗜好について、薄々はそうではないかと思っていたが、やはりその通りであった。たまにフィーネがサヤに胸を押し当てるようにくっつくのも、つまりはそういうことなのだろう。
騎士候補生としても不利な上に、サヤの好みという点でもフィリパから不利認定されてしまうのだから、恨みめいたものが内より湧き出てしまう。
「あっはは。エロ女って、マリナも言うねー。けど、おサヤが大きいの好きな理由、アヤノさんにあると思うのよね。おサヤと違ってアヤノさんが結構大きかったし」
「あー……そこでもお姉さんが出るんだ……」
冷たく、そしてどこか諦念めいたような声をマリナが発する。
つまりは、思慕している姉が大きいから、姉を彷彿させるものが好きという話らしい。結局は、サヤの話題になるとどこまで行っても姉の話題に行き着いてしまう。
サヤの家族とはいえども、それは少し悔しいものがある。
「アヤノさんかぁ……」
ふと、サヤの姉の名を口に出し、彼女のことを思い出す。
アヤノとは直接会ったことがある――といっても、会話をしたわけではない。
父が開催責任者を務めていた八年前の王都の剣術大会の優勝者がアヤノであり、閉会式典で席を共にして写真を撮っただけで。そのため、彼女がどのような人物かはわからなかった。
「ねえ、フィリパ。アヤノさんって、どんな人だったの?」
「んー……一言で言うなら、俗物?」
「俗物」
フィリパの口から出た予想外かつ容赦ない言葉に、マリナは思わず同じ言葉を再生する。
「食い意地が張っていたのよねー。門下生のためにイフジ先生が用意していたお菓子をしょっちゅうつまみ食いしていたし……あー、あとサヤが取っといたお菓子を勝手に食べて泣かせたこともあったわね……まあ、後でちゃんと同じの買ってあげてたけど」
「食い意地」
「あと、女癖が悪い」
「女癖」
フィリパが手に提げている魚のミイラと同じような目をしながら、マリナはフィリパの言葉を幾度も再生する。
「女癖が悪いって、どういうことなの……?」
「アヤノさんが高等騎士学校行った後も、休暇日は家に帰ってきていたんだけど……その、帰ってくる度に違う女の人と一緒にいたのよね……」
「それ、ただの友達ではなくて?」
引きつった顔のマリナの言葉を受けると、フィリパもやはり顔を引きつらせ答える。
「いや、なんかどの女の人も腕を絡めていたり、手を繋いでいたり、身体をくっつけたりで、あの雰囲気はどう見ても……うん、やめとこ。欠席裁判はよくないわ」
フィリパは途中で切り上げるが、その話をするときの表情や語り口からして、どうにも有罪な印象が拭えない。
「……お祖父さんに怒られなかったの? あとサヤも」
「イフジ先生は、顔をしかめていたけど何も言わなかったわ……自分の孫に対しては放任主義だったのかもしれないわね。あと、おサヤは、ほら、おサヤだし……」
「ああ、サヤだもんね……」
サヤだからという理由で済ますフィリパもフィリパだが、それで納得してしまう自分がいた。フィリパのイフジ姉妹に対する寸評は容赦がないものであった。
サヤはものすごくアヤノのことを慕っているが、フィリパの話を聞く限りでは彼女は碌でもない人物としか思えなかった。
「あっ、けど、私たちには優しいお姉さんだったわよ。勉強でわからないことがあれば、教えてくれたし、面白い本とかもよく貸してくれたし。門下生に剣術やっている子がいれば、稽古もつけてあげていたし」
フィリパは懐かしむような表情をしながら続ける。
「それと、アヤノさんはおサヤのことを本当に大切にしていたわ。家にいるときは毎日必ずおサヤに稽古を付けていたみたいだし。おサヤ、アヤノさんに稽古を付けてもらってる時が一番楽しそうな顔していたからねー」
「うん……」
サヤは祖父からは剣術を教えてもらえずに、姉から教わっていた。サヤと出会った頃にその話を聞き、自分とサヤの境遇を重ねたことをマリナは思い出す。
「あとアヤノさんと言えば、剣術。剣の天才って言われた人。十四歳で王都の剣術大会で優勝したし、イフジ先生も家の後継者としてアヤノさんにすごく期待していたみたいなんだけど……はぁ……今はどこにいるのやら」
フィリパが顔を曇らせて、嘆息する。
アヤノは五年前に突如失踪し、以降は音信不通だという。イフジ家から出奔した理由も、今でもレゼにいるのかどうかも、そして生死さえもわからない。
サヤは姉が死ぬわけがないと信じ切っているようで、彼女との再会を夢見ていることをマリナは知っている。
だからこそ、マリナは祈りめいた言葉を自然と口にする。
「……アヤノさん、無事だといいわね」
「うん、本当にそう思うわ。サヤだって、私だってアヤノさんは今でもどこかで生きているって信じているから」
フィリパは寂しそうな笑顔をマリナに向けた。その言葉は重々しく、幼なじみの友人姉妹を心から憂慮するものであった。
*
古物市近くの広場。
マリナとフィリパは焼き菓子を口にしながら、ベンチに並んで座る。
歩き疲れたところ、丁度都合良く焼き菓子屋の屋台があったため、外で食べられそうなものを買って休憩中。
味はまあまあ。安価の割には良いと言ったところ。極東菓子という別系統のため単純比較はできないが、少なくともサヤによく連れて行かれる虎庵の菓子よりは好みに合うとマリナは思った。
「むぐむぐ……うん……」
食べる最中、つと、フィリパが足下に置いた袋から魚のミイラの一部が覗く。こんな不気味な形だが、惚れ薬の原料になるという。
そうだ――マリナの内に少しばかりの悪戯心が芽生えた。
「ねえ、フィリパ、さっきの惚れ薬の件なんだけど」
「なになに、おサヤに飲ませる気になった?」
「ううん、フィリパがダイアナに飲ませたらどうかなって」
マリナは皮肉を込めた笑みをフィリパに向ける。先ほどの意趣返し。
彼女と付き合っていくうちに、同じ幼なじみでもサヤとダイアナでは、僅かばかりに態度が異なることにマリナは気付いていた。
ダイアナに対する時だけ、フィリパは少し照れたような仕草や甘えるような素振りを見せる。本当につらい時に真っ先にフィリパが頼るのもダイアナで、実際に高等騎士学校一年次の山岳訓練の時はダイアナに負ぶって貰っていた。
だからきっと、フィリパはダイアナに特別な思慕があるのだろう――というあたりをつけてのからかい。
だが、フィリパは特に赤面も狼狽もすることもなく、少し思案するような表情で言った。
「うーん、それもありかもしれないわねー」
「えっ!?」
「ふっふっふ、甘いわよ、マリナっち。私はマリナっちと違って素直なのさー」
予想外の反応に面食らうマリナと、予想通りの反応を引き出せたことにくつくつと笑うフィリパ。
だが、その悪戯顔はすぐに消えた。
「ダイアナのこと、好きよ、小さい頃から。これからも、ずっとそばにいたいと思ってる」
先ほどまでとは全然違う表情だった。日常では軽口と悪戯で覆った、彼女の本音。愛おしむような、そして、どこかつらさと寂しさのある微笑を、フィリパはしていた。
「だから、高等騎士学校卒業したら、ふたりで家を飛び出して外国に行こうって、そんな話をしてるの」
「ええっーー!?」
「おっ、いい反応」
二度にわたる予想外の展開にマリナは思わず大きな声を出す。そしてフィリパは悪戯顔に戻り、また、寂しげな微笑となる。
「私、許嫁がいるのよ。両親が決めた人。高等騎士学校を卒業したら任官も進学もなしで、私は結婚準備。それが嫌で、ダイアナに逃げたいって相談したの。それで、卒業したらふたりで外国に……といっても、それだけで、全くノープランなんだけどね。ダイアナがそう言っているだけだし。あはは……」
「…………」
無理をしているような、乾いた笑い声。マリナは彼女に掛けるべき言葉が見つからず、ただ彼女が語るのに任せざるを得なかった。
「私の家は養子を取るわけにもいかないからね。本当に、魔術師の家に生まれるものじゃないと思うわー」
空を見上げながら、諦観を帯びた言葉をフィリパを発する。
レゼ国の騎士階級は、一般的には家名の存続を重視している。そのため、現当主の血を分けた子女を次期当主にすることに対し、親心は別として絶対的な価値を置いておらず、同姓一族のいずれかが家名を継げば良しとする思想があった。
現当主に直系の子女がいない、或いは何らかの事情で後継にできない場合は、同姓一族のいずれかを――時には血縁のある異姓家系の子供を改姓させた上で――現当主の養子にして次期後継者であると示すことが、レゼ国の騎士階級では広く行われている。
実際、騎士の最高位でありレゼ国の軍事最高責任者であるジューコフ騎士団全軍総裁は齢七十を超えた現在でも未婚で直系の子女がいないため、ジューコフ家は親類からの養子を次期後継者に据えている。
だが、養子による家名存続を否とする家柄が二つ存在している。
一つは同姓一族であっても本家・分家と同族間の上下関係を厳格に策定して実質的に別一族扱いし、我が子に家系を継がせることに絶対的な価値観を置く極東騎士の家系。そしてもう一つが、魔術を修めた騎士の家系であった。
魔術師の家系が直子後継を絶対視する理由は、魔術の源泉に起因している。
魔術の源泉“リョーデニウム”。
“グ”帝国における魔術学の泰斗イダラ・リョーデニィ博士が人の血液中から発見した“人間の想念を具現化する因子”。
血中に含まれるリョーデニウムは、人間のあらゆる活動において放出される。
人が声を発する時はその声に、人がものを見る時はその視線にリョーデニウムは帯びている。更に発声や直視といった具体的な身体動作がなく、心の内で何かを強く念じるだけでもリョーデニウムの放出が行われる。また、強い想念を抱きながら物品の作成や使用を行うと、その物品がリョーデニウムを帯びるようになる。
その“放出リョーデニウム”が空気中に含まれる無味無臭常温気体の物質“エーテル”と結びついて発現するのが“魔術”と呼ばれる現象であり、俗に“魔力”と呼ばれるものが“放出リョーデニウム”と対応している。つまり、「魔術を発生させるには多量の魔力が必要である」という言葉は、「“リョーデニウム発現現象”を発生させるには、多量の“放出リョーデニウム”が必要である」と同義となる。
放出リョーデニウム量は血液中の含有リョーデニウム量に比例しており、そして、血中リョーデニウム含有量が常人よりも遙かに多く、“リョーデニウム発現現象”を引き起こすほどのリョーデニウム放出を行うことが可能な者が、世人より魔術師と呼ばれる存在である。
魔術師の発する言葉は、放出リョーデニウムにより魔法句となりてその言葉通りの現象を発生させ、多量の放出リョーデニウムを帯びた魔術師の視線は邪視となりてその効果が発現する。
それが現在、“グ”帝国の研究により示されている基本的な魔術発現理論。
更に一口にリョーデニウムといえども、個人個人でその性質が異なるという特質が存在する。例えば、呪文による魔術行使を得意とする魔術師には声に対して親和性の高いリョーデニウム放出が、邪視を得意とする魔術師は視線に対して高いリョーデニウム放出が確認されている。
つまり、リョーデニウムには魔術を行使するのに必要な「量」と、どのような魔術に適合を示しているかの「質」の二つの要素を持つ因子。
そして、リョーデニウムの「量」及び「質」は親子間で極めて高い類似性を示すことも確認されている。
親子間のリョーデニウム類似性については、両親共に魔術師、かつ、別系統の魔術を修めた家系の場合は、子のリョーデニウムの「質」は父母いずれかの魔術系統に適合を示す、或いは両方に適合を示すパターンしか確認されていない。また、両親が同じであっても兄弟姉妹間のリョーデニウムの「質」が異なるケースも存在している――例えば、マリナが父の呪法は不適で母の文書魔術のみに適性を示す一方、マリナの姉が父の呪法を問題なく継承しているように。
親子間でリョーデニウムの類似性が発現する要因や「量」及び「質」の決定については研究途上であり、未解明の部分が極めて多いものの、いずれにしろ「親から子にリョーデニウムの量と質が継承されること」については高度な蓋然性が存在すると結論づけられており、リョーデニウム発見より遙か前から魔術師の一族が親子による家法継承を大陸全土で重要視していた歴史的事実がその裏付けとなっている。
故に、魔術師の家において、家法の魔術を代々継承するためには親と同じリョーデニウムの「質」を持つ直子の存在が不可欠となっている。
もし仮に、直子以外の同じ血の繋がった者を養子としても、それは家法の魔術と養子のリョーデニウムの「質」が適合せず、家法の魔術が扱えない別の魔術師一族とならざらるを得ない。
そのような背景から、他の騎士階級とは異なり、魔術を修めた騎士の家系は血を分けた子供による後継が絶対視されている。
スローン家は家法の発展に積極的な開明的魔術師の家系ではあるが、それでもやはり、魔術の源泉に由来する血の宿業からは逃れられない。
「私は一人娘だし、お父様たちには悪いと思っているけど……私は私の好きな人と生きたいなって、そう思う」
「フィリパ……私――」
彼女とは事情が異なるけれども、自分も魔術師の家に生まれて、家法魔術の継承が理由で懊悩を抱えている身としては、フィリパは他人のようには思えなかった。
だから。
「応援するわ! その、具体的に何ができるかわかないけど……もしダイアナと駆け落ちするなら、私にできることなら何だってする」
マリナの言葉に、フィリパの顔は空から彼女の顔へと向けられる。
いい加減だ。具体策など何もない。無責任極まりないかもしれない。子供の自分にそんな力があるのかどうかもわからない。
「私は絶対、フィリパの味方になるから」
それでも、自分はフィリパの味方だと、他の誰が否定しようとも自分は彼女の味方だと言いたかった。それが少しでも、彼女の心の支えになってほしかった。
「あっはは、ありがとう、マリナっち。心強いわ」
フィリパは笑いながら、右手を伸ばしてマリナの頬を人差し指でぷにぷにと突っつく。
咎めはしない。表情は明るいが、憂いの色がはっきりとフィリパにはあった。
「まー、そうはいっても、ダイアナが私と同じ気持ちかどうかわからないけどねー。幼なじみの親友が望まない結婚をさせられそうだから助けるってだけかもしれないし、私は本気にしてるけど、ダイアナがどこまで本気かもわからない。だから、惚れ薬飲ますのもありかなって。そしたら絶対、ダイアナは私と駆け落ちしてくれるだろうし」
フィリパが惚れ薬の原料となる魚のミイラを買った理由が、察せられた。そして、彼女の表情から絶対にそれを実行しないことも察せられた。
自己嫌悪と自嘲が、言外にあった。
「さってと、暗い話は終わりにして……結構このお菓子、おいしかったし、もう一個食べようかしら?」
「そうね。屋台まだ出てるし、買いに行きましょう」
「あ、マリナっちは座ってて」
マリナが同意してベンチから立とうとすると、フィリパが引き留める。
「奢るわよ。話を聞いてくれたことのお礼。本当に嬉しかったのよ、味方になってくれるって言われたの」
「……じゃあ、素直に受け取っておくわ、フィリパ」
少しだけ憂いがなくなったフィリパの笑顔に、マリナは彼女の厚意を受け取ることにした。
*
フィリパが焼き菓子を買いに行っている間、マリナはひとり広場のベンチに座り待つ。
座り待ちながら、フィリパの言葉を思い出す。
――高等騎士学校卒業したら、ふたりで家を飛び出して外国に行こうって、そんな話をしてるの。
展望ではなく、希望と呼べるほど縋れるかどうかもわからない、願い。
それでも、フィリパは未来に目を向けていた――自分と、違って。
「卒業……か……」
口に出して改めて思う。
女子高等騎士学校エイリス分舎卒業まで、もう既に一年を切っている――それなのに、自分にはその先が全く見えなかった。
ブライス家を追放されるように来たエイリス地区。父からは、何一つ便りがない。
父は自分をどうしたいのか。わからない。
王都へ戻るのか。エイリスにとどまるのか。わからない。
そもそも、私はどうしたいのか――わからない。
今の生活は、楽しい。
サヤがいる。フィリパもいる。イトやカティ、ダイアナもいる。フィーネも、一緒にいて楽しい友人だ。
そんな生活が、楽しくて、ずっと続いてほしいと思ってしまう。
だからこそ、今を享受して未来から目を逸らしてしまう。何の展望も予兆もない、もう一年もない近すぎる未来を。
(お母様……私は……)
フィリパと同じように、嘆息しながら空を見る。
空だけは青く開けていて、自分にはない可能性が存在するように思えてしまった。
(続)
 




