彷徨える剣聖
女子高等騎士学校には、月に四回の定期休暇日がある。
その日は教練も座学もなく、候補生は一日を自由に使うことができる。
休暇日の騎士候補生は自主教練に励む者もあれば、町へ出て買い物や娯楽に興じる者もいる。
自室に籠もって読書や趣味に没頭する者もいれば、自宅に戻り僅かばかりの時間を家族と過ごす者もいる。
そんな休暇日の彼女たちは――丸一日掃除をしていた。
「今日はありがとー、フィーネ、ダイアナ」
休暇日の夕刻。
女子高等騎士学校エイリス分舎へと続く道で、サヤは連れ立って歩くふたりに声をかける。
フィーネとダイアナ。
三人とも騎士制服姿で、サヤの実家であるイフジ不憂流知命館道場からの帰りの途上。
イフジ不憂流知命館道場はサヤの祖父が経営していた剣術道場兼私塾であったが、その祖父が死没し姉が出奔した現在では無人となっている。
そのためサヤは月四回の定期休暇日のうち一日は実家に戻り掃除をすることにしていたが、今日はフィーネとダイアナがその手伝いをしてくれた。
「せっかくの休暇日なのに、わたしの実家の掃除に一日使わせちゃって」
「いいっていいって。イフジせんせーにはお世話になったんだし」
快活な笑顔で、ダイアナが答える。
彼女は高等騎士学校入学以前は知命館の生徒。彼女は祖父を強く慕っており、祖父もダイアナには目をかけていた。
サヤの実家掃除の手伝いも今回が初めてではなく、幾度も行っている。曰く「道場を綺麗にするのはイフジせんせーの恩返しになりそうだから」とのこと。
「それに、サヤの家の掃除しに行くって話したら、フィリパも残念がっていたしね」
「あはは、ふたりとも、お祖父ちゃんには目をかけられていたもんねー」
へにゃりとした笑顔をサヤは見せる。
今日はこの場にはいないフィリパもまた知命館の元生徒。サヤはダイアナやフィリパら塾生と共に机を並べて祖父から騎士としての素養を教えられてきた。
「マリナと一緒に買い物しに行く約束していたんだっけ。だったら、マリナもフィリパから聞いて残念がってるかもね」
にこにこと笑いながらフィーネが言い添えると、サヤとダイアナが不思議そうな顔をする。
「何故にマリナが?」
「なんでだろうね?」
サヤの質問に、フィーネはくすくす笑ってはぐらかす。
「というか、どうしてフィーネも来たの?」
「うーん、暇だったし?」
ダイアナの質問に、やはりフィーネはくすくす笑って受け流す。
「暇だったからかー」
いつもと変わらぬ飄々としたフォーネの態度に、サヤは呆れたように笑う。
そして、本人曰く暇だったからと言う理由で行った掃除の様子をサヤは思い出す。
「というか、フィーネ、雑巾がけめっちゃ速いよね?」
「そう? 私は普通にやっていただけだけど?」
単に掃除をするだけでは飽きるので、よくダイアナと雑巾がけの速さを競争していたが、今回は初参加のフィーネが断トツで速かった。
常に笑顔で飄々としていながらも、彼女は騎士候補生としての実力はかなりのものであり、時折、その片鱗を見せる。
術式科も剣術と魔術の二重専攻であり、どちらも成績上位に入るという。
「さっすがはリスト卿のお孫さんってところかな?」
ダイアナが茶化すように言う。
フィーネの祖父エーリッヒ・フォン・リスト卿はエイリス地区騎士団総裁を務めている。大陸統一戦役に従軍した“英雄”であり、ムルガルとの三年戦争では事実上の最高指揮官として采配を振るっていた老将。
リスト家はエイリス地区屈指の名家であり、その出自に相応しい気品と高い能力がフィーネに備わっているようにサヤは思っていた。
「雑巾がけにそれは関係ないんじゃないかな?」
「ちょっと否定するの速すぎない!?」
にこにこと笑いながら、フィーネはダイアナの言葉を容赦なく否定する。
「どちらかというと、リスト卿のお孫さんに雑巾がけなんてさせて、わたし後で酷い目に遭わないかな……」
小声でサヤが言うと、フィーネはくすりと笑った。
「うーん……………………うん、そんなことはないから大丈夫だよ」
「そこは速攻で否定しようよ!?」
サヤが引きつった顔で突っ込み、フィーネは変わらず笑顔のまま。
その一方でダイアナはつと立ち止まり、右手を横に広げてサヤとフィーネを制す。
「ねえ、サヤキチ、フィーネ、ちょっとストップ」
「どしたの? あと、サヤキチ言うなし」
「なんか、前に変な奴がいる……」
訝しむような表情で、ダイアナが前方を見るように促す。
「変な奴って……なにあの人?」
「うん、変な人がいるね」
ダイアナの指し示す先を見て、サヤは目を丸くし、フィーネは変わらずにこにことしながら前方の存在を認める。
道の先には、往来の真ん中でぐるぐると同じ所を歩き回る奇妙な女がいた。
*
「えーと、えーと……」
女は手に持つ紙片に目を落として小さな声を出しながら、往来の真ん中をぐるぐると歩き回る。
黒色の法衣に五光架のオーナメントがついた首飾りは、リズレア教会の聖職者の身なりに近しい。だが、法衣のデザインが聖職者のそれとは異なるし、女は腰に剣を帯びている。鞘の形状からして、細身の曲刀。レゼでは余り見ない作りの剣。
女の視界には自分の歩く先が入っていないようだが、通行人達は奇妙なものを見るような目で女を避けて歩いているため、未だに衝突事故には至っていない。
「ここが、これだから……」
法衣の女は立ち止まり、目の前にある建造物と紙片を数度見比べる。
「こっちかな……」
そして、また紙片に目を落としてふらふらと歩き始める。
通行人達はやはり彼女とぶつからないように避けて歩く。だが。
「きゃ!」
法衣の女は街路樹にぶつかり、尻餅をついた。手に持っていた紙片は地面に落ち、手書きの地図が広がる。
女のみっともない様子を見ていられず、サヤは彼女の元に駆け寄り声をかける。
「あの、大丈夫ですか?」
サヤは手を差し延べると、女はサヤの手をつかんで立ち上がり一礼する。
「は、はい、大丈夫です……すみません、ご心配をおかけしまして……」
ウォーターフォールに編み込まれた髪は肩を越えるあたりまで伸ばされ、整いながらも不安げで気弱な顔立ち。年の頃は二十代前半から半ばと思しい。
「これ、落としましたよ」
「あ……すみません」
サヤの後から続いたフィーネが地図を渡すと、女はまた一礼する。
「……その制服」
顔を上げた女は、サヤ達三人に格好を眺めながら、おずおずと尋ねた。
「女子高等騎士学校の方、ですよね……?」
「はい、そうですけれども?」
サヤが首肯すると、女は頬を赤らめて俯きながら、口をもごもごさせて言った。
「あの……わ、私、そこへ行きたいので、その……」
口籠もる彼女の様子から、助けてもらった上に、道案内をしてもらいたいと言うのは厚かましいという恥じらいが見て取れた。
だから、サヤから切り出す。
「わたし達もそこへ帰る途中なので、一緒に行きます?」
「本当ですか……!? すみません、お願いします」
女はぱっと顔を輝かせ、また、頭を下げる。
そもそも普通に真っ直ぐ歩けば行けるのになーと思いながらも、サヤは口にせずへにゃりと笑った。
*
女子高等騎士学校エイリス分舎へ続く街路。
ダイアナとフィーネが案内するように女と並んで歩き、サヤは女の右後ろに続く。
「おねーさん、聖職者の人ですか?」
「そうですね……似たようなものでしょうか……? 私も女神様と聖女様にお仕えする身ですし……」
ダイアナの言葉に、女は曖昧な返事をする。一応はリズレア教会の関係者らしい。
女からは普通の聖職者とは全く違う雰囲気をサヤは感じ、会話には入らず彼女を観察する。
「でも、レゼの教会の人たちとは違う服ですね」
「ええ、違ってて当然と思います。私は別の役割なので……」
フィーネの言葉を、女は首肯する。
サヤは更に女の様子を見て思う。通常の聖職者と異なっている外見上の特徴は服だけではない。剣を帯びていることだ。
少なくともサヤは、帯剣している聖職者を見たことがない。
その剣も柄や鞘は美しい装飾が設えられているが、修理痕が幾つも認められる。儀礼用の飾り剣ではなく、明らかに使い込まれた上で、丹念な手入れが施された剣。
そして何よりも剣からは僅かに――ほんの僅かばかりに、血の臭いが漂っていた。
外見上は手入れの行き届いた美麗な剣であるにも関わらず血の臭いを放つというのは、つまりは、この剣で相当の数の人間を――
「あの……」
女は顔をサヤの方に向けて、小声で言った。
「刀は抜かないでくださいね」
「え……?」
サヤは女の言葉にはっとする。
女はサヤが反応したことを認めると、前を向き直して続けた。
「私、怪我をさせたくありませんから……」
いつの間にか、サヤの刀の柄頭に女は右手を添えて抜刀を封じていた。
女は器用にサヤの歩調に合わせながら、右手を軽くサヤの刀の柄頭に添え続ける。
その手は軽く置かれているだけなのに、全く刀を動かすことができない。的確に、力点を押さえられている。
(この人、いったい……!?)
剣を抜くつもりはなかったのに、自分が彼女を胡乱に思っていたことを察して抜刀を封じる技量と洞察力。
女に対し、様々な感情がサヤの内に湧き上がる。
興味。恐ろしさ。警戒心。そして、最も大きいものが、剣を交えてみたいという希求心。
この短い遣り取りでもはっきりわかる。彼女は、かなりの手練れだ。
少なくとも自分は元より、ユキノヲ教官やお祖父ちゃんよりも格上の剣士。もしかしたら、お姉ちゃんより――いや、流石にお姉ちゃんよりは強くはないとは思う。多分。
いずれにしろ、自分が手合わせをしたところで敵うはずがないという直感は強くある。それでも、強者と剣を交えてみたい。
それと同時に、この剣士の正体を知りたいという強い欲求が生まれる――が、その望みはすぐに叶った。
「そろそろ着きますよ、おねーさん――あれ、門の前に誰かいる……?」
ダイアナの言葉を掻き消すかのように、エイリス分舎の正門前に立つ人物が手を振りながら幾ばくかの甘ったるさを感じさせる声を届かせた。
「あー、フリージアちゃん! やっと帰ってきたぁ~!」
(フリージア……!?)
その声を聞いて、サヤの心臓はどくんと反応した。
教会。剣士。フリージアという名前。
それらのピースの組み合わせに、サヤは目前の剣士の正体を確信した。
*
大陸最強の剣士とは誰か。
その論題に対し、殆どの人間が“軍神”ゲオルク・ベッカリーア無領公の名を挙げるだろう。
牙軍の首領であり、“グ”帝国の重鎮。彼のみが扱えるという大剣“城館”を擁し、大陸統一戦役で多大な戦果を挙げた英雄の中の英雄。
そのベッカリーア無領公に勝るとも劣らないと目される四人の剣士が存在し、無領公と合わせて世人から“五剣聖”と称され、畏怖されている。
ベッカリーア無領公以外の四人の剣聖。
それは無領公と同じく“グ”帝国の重鎮たる大陸統一戦役の英雄“鉄騎士”レフ・ジェルジンスキー無私公。
それは牙軍の花形として知られる女剣士“青の勇者”シルヴィア・ボアソナード。
それは数多の戦場に忽然と現れては屍の山を築くという流浪の傭兵剣士“三月カボチャ”アルブレヒト・マッケロー。
そして、それはリズレア教会聖騎士団の二大戦力“聖女の双璧”と謳われる騎士――
「“雷鳴剣”フリージア……!」
サヤは息を呑む。
自分のすぐ前にいる彼女が、大陸最高の剣士“五剣聖”の一角である“雷鳴剣”フリージア。
普通の聖職者と異なる見慣れない法衣は聖騎士団の制服で、帯剣をしているのは聖騎士団の剣士だからで。
剣から血の臭いが漂っているのは――戦場で数多の敵兵を切り伏せてきたから。
彼女がリズレア教会の騎士であるフリージアとすれば、何もかもが合点がいく。
「もー、フリージアちゃん、心配したんだよー」
エイリス分舎の正門に立っていた女性が、フリージアの元に駆け寄る。
フリージアと同じ聖騎士団法衣と五光架の首飾りをした、髪をシュシュで右横に束ねた女性。
「ごめんなさい、ポインセチアさん。道に迷ってしまって……」
(ポインセチアって、あの……!?)
フリージアの出した名に、サヤの心臓が再び大きく反応する。
「ねえ、サヤ、フリージアとポインセチアって、もしかして……!」
彼女らの名を聞いたダイアナが、少しばかり興奮したようにサヤに声をかける。
当然である。フリージアとポインセチア。その名前が揃えば、平民の子でもわかる。
「うん、“雷鳴剣”フリージア……“聖女の双璧”のひとりで……」
次いで、フィーネが付け加える。
「今来た人が“轟風戈”ポインセチアさん、かな?」
“轟風戈”ポインセチア。
“雷鳴剣”フリージアと並ぶ、リズレア教会聖騎士団二大戦力“聖女の双璧”。
異端宗派討伐や反リズレア教領邦、教会西方分派との抗争において、リズレア教会聖騎士団の主力騎士として大陸全土に名を轟かせているふたり。
リズレア教会聖騎士団が出陣した戦場においては、彼女たちは牙兵をも幾人か討ち取っている。
「外出る時はちゃんとアタシに言ってよー! フリージアちゃんは方向音痴なんだから! 大丈夫? 怪我はない? 木にぶつかったりしてない? 変な人から飴とか貰ったりしていない?」
まるで幼子を相手にするかのようなポインセチアの言葉に、フリージアは顔を真っ赤にして手で覆い、蚊の鳴くような声を出した。
「あ、あの、ポインセチアさん、他の方が、見てま……す……」
「あらら?」
フリージアの言葉を受けてポインセチアはサヤ達の存在に初めて気付いたようで。
「フリージアちゃんを連れてきてくれてありがとー。服装的に、ここの生徒さんよね?」
明るい笑顔でポインセチアはサヤ達に声をかける。気弱そうなフリージアとは対照的な印象を与える女性。
「そうですけども……あの、もしかして、“聖女の双璧”の……?」
「そうだよー。アタシが“轟風戈”ポインセチアで、この子が“雷鳴剣”フリージアちゃん」
「ら、“雷鳴剣”だなんて、そんな立派な呼び方は……は、恥ずかしい……」
フリージアはまた顔を真っ赤にして俯く。そのフリージアの頭を、ポインセチアは愛でるように撫でる。
「あはは、フリージアちゃんは照れ屋さんだなー、もー。そこがかわいいんだけど」
「かわいいだなんて……あ、そうだ……その、案内してくれた皆さんに、何かお礼を……」
ポインセチアに頭を撫でられて気恥ずかしげな顔をしながらも、フリージアは尋ねる。
「いえいえ、お礼なんて、とんでもないです!」
フリージアの申し出に、ダイアナは若干の焦りを見せながら手を振って固持する。不作法に定評のあるダイアナも、流石に有名人を前にして緊張気味のようだった。
「お礼は大丈夫だよね、サヤ?」
フィーネはいつもと変わらない涼やかな笑みをサヤに向けて伺う。
だが、サヤの胸中はふたりとは異なっていた。
「あの――でしたら、フリージアさんに手合わせをお願いしたいです!」
「サヤ、マジか!?」
「……本気?」
意を決して放ったサヤの言葉に、ダイアナが素っ頓狂な声を出し、フィーネの笑顔も少しばかり硬くなる。
一方でフリージアは、少しきょとんとした後に小さな声で言った。
「あ、手合わせですか……?」
「はい! わたしは剣術をしているので、あの“五剣聖”に数えられるフリージアさんの剣を是非とも間近で見てみたいです! よろしくお願いします!」
サヤが頭を幾度も下げて懇願する様子を見て、フリージアは赤面しながら柔らかく微笑んだ。
「ご、“五剣聖”だなんて、そんな大袈裟な……でも、そのくらいであれば――」
「ダメダメダメ!」
フリージアが頷こうとしたところを、ポインセチアが急いで割って入る。
「手合わせだなんて、フリージアちゃん、危ないよー!」
言いながら、ポインセチアは横からフリージアを守るように抱きしめた。
案の定、フリージアの顔は耳まで真っ赤に染め上げる。
「ポ、ポインセチアさん……!? 私だって、手合わせくらいであれば……」
ふたりの姿を見て、ポインセチアはフリージアに過保護だなーとサヤは苦笑しそうになる。
しかし、サヤの認識は誤りであった。
「だって、フリージアちゃん、加減効かないでしょ? 手合わせなんてしたら――この子、絶対に死んじゃうよ?」
*
エイリス分舎極東武術科道場。
フリージアは木刀を右手に持って、試合場に佇む。
剣を間近で見たいというサヤの要望に添う意思をフリージアが強く示したため、道場にて彼女は一試合行うこととなった。
ただし、相手はサヤではなくポインセチア。得物は木製の訓練用薙刀。彼女の本来の得物である戈に類するものがエイリス分舎になかったため、同じ長柄武器ということで選んだもの。
彼女が「フリージアちゃんは超絶不器用だから、手加減なんかできずに生徒ちゃんが死にかねないよー! そんなにフリージアちゃんの剣が見たいなら、アタシがフリージアちゃんの相手になるから見学で我慢して! アタシもフリージアちゃんの相手するの怖すぎて嫌だけど、生徒ちゃん見殺しにするよりずっとマシだから!」と必死になって止めたが故の措置。
なお、その言葉を聞いたフリージアは泣きそうになっていたので、彼女の様子に気付いたポインセチアは謝りながらハグ及び頭撫で撫でをして宥めた。
「アタシは手加減するから、フリージアちゃんもお願いね? マジで」
「は、はい! が、頑張ります!」
緊張しているのか、フリージアの声は若干上ずっていた。
フリージアは構えらしい構えを取らずに両手を脱力したように提げており、一方でポインセチアは訓練用薙刀の切っ先が左下に位置する独特の構えをしていた。
「じゃー、生徒ちゃん、合図よろしくー!」
ポインセチアがウィンクしながらサヤに声を向ける。
試合場から少し離れた位置で、サヤとフィーネとダイアナは“聖女の双璧”の手合わせを見守る。
「では……初め!」
サヤの掛け声が道場に響く。それと同時に動いたのは、ポインセチア。
「はぁーーーー!!」
大声と共にポインセチアの薙刀が振るわれる。
「はい! はい!! せいやぁ!! はあぁぁ!!」
右に、下に、左に、上に――薙刀が縦横無尽に振るわれる。
刃部だけでなく柄をも同位の凶器と見做して振るわれるその攻威は、正面だけなく左右や後方からの敵も近づくこと能わず。乱戦を想定した操戈術。
それはただ乱雑に振るわれるのではなく、ポインセチアは道場の床に触れないよう巧みかつ繊細に薙刀を四方八方に高速回転させていた。
もし、この速度で切っ先や石突きが地面に触れれば、その場所を抉り取り、飛礫となって相手に仇為すであろう。事実戦場ではそのような攻め方をポインセチアは行っている。
それは、あくまでも手合わせ故の手加減と、余所の道場の床板を傷つけないよう配慮した、本来の彼女からしたら児戯の如き攻め立て。
だが、斯様に緩やかな攻撃であっても――
「あたっ! な、何これ……!?」
「ん……なんかビリビリする」
急な肌の痛みに、ダイアナは狼狽する。
フィーネは笑顔のままだが、痛みを感じるのか少しばかり瞬きが多い。
「すごい……これが、“聖女の双璧”……!」
露出している手や顔の肌に痛みを感じながら、サヤが唸るように言った。
薙刀が振るわれる時に生じる風圧だけで、相手に痛みを与えるほどの速さと力。
本来の得物ではない訓練用薙刀で、しかも手加減や配慮をしてもなお、離れた位置にいるサヤ達にも痛みを感じさせる轟風。
もし彼女の本来の武器である戈を本気で振るったのであれば、雑兵相手なら風圧のみで屠ることもできるであろう。
刃に触れるまでもなく敵を薙ぎ倒す旋風を放つ轟力の戈。故に“轟風戈”。
速さと範囲を備えた、しかも本来の武器の射程外にも届く攻防一体のポインセチアの戦闘術。
(けど――)
フリージアは、それを全て躱しきる。
間近でポインセチアの放つ轟風を受けても、全くものともしない。風を読み、それに身体を委ねるような自然な躱し方をフリージアはしていた。
そして。
「やああぁ!」
フリージアの喝声。
破裂音。その数瞬後に、カランと高い音が二回鳴る。
轟風が止み、道場は一瞬の静寂に包まれる。
試合場の真ん中には木刀を持つ右手を真っ直ぐに突き出すフリージアと、膝をつくポインセチア。床に落ちる真っ二つとなった訓練用薙刀。
「くぁ……ぅ……!」
小さく呻きながら、ポインセチアは力なくどさりと床に伏した。
「ポ、ポインセチアさん!」
フリージアは木刀を放りだして、倒れていたポインセチアの半身を起こし慟哭する。
「ごめんなさい! ごめんなさい……! まさか殺してしまうなんて……!」
「あいたたた……死んでない。死んでないから、落ち着いて、フリージアちゃん」
「ポインセチアさん……! よかったぁ……!」
フリージアは安堵の声を出しながら、ポインセチアを抱きしめた。
「よかった……本当に、よかった……!」
「もー、アタシのフリージアちゃんを残して死ぬわけないじゃないのー。いたた……」
痛みに耐える引きつり笑みをしながら、ポインセチアは安心させるようにフリージアを抱き返した。
「なにあれ」
「仲良いよね、あのふたり」
ふたりを指し示しながら顔を引きつらせるダイアナの言葉を、涼やかにフィーネが流す。
「というか、気づいたらポインセチアさんが膝をついて倒れ出したんだけど、何があったの!?」
ダイアナの問いに、フィーネは首を傾げながら答えた。
「うーん、フリージアさんが回転するような動きで、ポインセチアさんに背を向けた所までは見えたかな? サヤは?」
「フィーネの見たところから右手一本で横薙ぎで一閃、だね……」
サヤが補足し、続ける。
「ポインセチアさんは薙刀の柄でそれを受けようとしたけど、へし折られて肩に一撃入って倒れた……薙刀で勢い削がれたけど、あの速さと鋭さで無事なんて、ポインセチアさんたちの法衣、多分相当な防御魔術仕込まれてるんじゃないかな……?」
おそらくは、リズレア教会の高度な術式によって作り込まれた、自分たちの騎士制服とは比べものにならないほどの防御力を持つ魔術繊維製法衣。
もし、自分がフリージアと手合わせをしていたらと思うと、想像するだけで肝が冷える。
間違いなく、フリージアの剣閃を受けたり躱したりすることなどできずに直撃。その威力の前では騎士制服の防御魔術繊維など破れ紙に等しく。
手合わせなんてしたら――この子、絶対に死んじゃうよ?
ポインセチアの手合わせを止める言葉は大袈裟なものではなく、全く以て妥当なものであると、サヤは思い知る。
(流石に、手合わせで死にたくないなぁ……というか、今のわたしには無理でしょ、あんなの……)
フリージアの動きを一挙一動を見逃さないように全力で注視していたからこそ、気付いた。
ポインセチアがフリージアの剣を防いだ時、先に木刀が薙刀の柄を砕き、後から衝撃音が鳴ったのだ。
まるで、先に光が見えて後から音が鳴り響く雷の如き神速の剣。故に“雷鳴剣”。
「あれが……“五剣聖”……!」
驚異と賛辞の入り交じる声をサヤは漏らす。
“五剣聖”の一角。“聖女の双璧”と称される聖騎士団の二大戦力。“雷鳴剣”と讃えられた絶技。
遠い。余りにも遠くに位置する剣の頂きの一形態。
だからこそ――憧れ、そして、いつかは自分も同じ位置に。
しかし、憧憬の熱が籠もるサヤの視線にフリージアは気付かないようで。
「うっ、えぐっ、ポインセチア、さん、よかったぁ……!」
「もー、泣かないでよ、フリージアちゃーん」
「ご、ごめんなさい、ポインセチアさん! だって、ポインセチアさんがいなくなったら、私、どうすれば……!」
「よしよし。フリージアちゃんは甘えん坊さんだなー。そこがかわいいんだけど」
泣きじゃくるフリージアの頭を、ポインセチアが慰めるように撫で愛でる。
「あれが……“五剣聖”……?」
サヤと同じ言葉を、ドン引きしたようにダイアナが独りごちた。
「すみませーん、大丈夫ですかー?」
そんな彼女たちに対しフィーネが声をかけると、ふたりははっとした顔をして、同時に苦笑した。
「あー、そういえばギャラリーがいたんだった……フリージアちゃん、ちょっと手、貸して?」
「は、はい!」
フリージアが先に立ち上がり、ポインセチアの手を掴んで引っ張り上げる。ふたりはサヤ達の元へと赴き、ポインセチアは笑顔で尋ねた。
「で、生徒ちゃんは満足した?」
その表情は明るかったものの、少し億劫そうな色を出しており、言外にもうこれ以上フリージアと手合わせするのは勘弁して欲しいと言っているようだった。
「は、はい! 大変勉強になりました! ありがとうございます!」
一礼するサヤの言葉を受けて、フリージアはほっと胸を撫で下ろし笑んだ。
「ご恩返しができてよかったです」
「いえ、そんな、とんでもないです!」
気弱そうな顔立ちだが、笑うとかわいらしい表情になるとサヤは思った。
「よし、じゃあフリージアちゃんと生徒ちゃんが満足したところで解散解散。今日のホテルはどこかなー?」
「あ……さっき外に出た時に観光案内をもらってきたので見ますか……? ここだそうです」
「桜並木の見えるお宿だってー! 花見酒♪ 花見酒♪」
「楽しみですね」
ふたりの弾む声。
もはやサヤ達のことは眼中に入っていないがごとく、ポインセチアとフリージアは腕を組んで早々に道場から立ち去った。
そして、残ったのはサヤとフィーネとダイアナの三人。
少しの無言の間の後、ダイアナが口火を切る。
「サヤノスケ」
「なに」
“轟風戈”と“雷鳴剣”の武力の片鱗を見て昂ぶったサヤは、もはやダイアナの変な呼称に突っ込む気にもなれなかった。
「なんか凄まじい人たちだったね……」
「うん、凄まじかった……」
サヤとダイアナの間には言わんとすることの隔たりが大きかったが、両者とも気にも留めていない。
轟風の戈。雷鳴の剣。
まさに、“聖女の双璧”の名を負うに相応しい実力者。
「それにしても、なんで“聖女の双璧”なんて呼ばれるすごい人たちがエイリス分舎にいるのかな?」
「あー、そういえば……なんでだろうね?」
フィーネの疑問に、サヤも同調する。
聖騎士団の最大戦力と謳われるふたりが、何故レゼ国の北方辺境のエイリスに位置する女子高等騎士学校にいたのだろうか。
わからない。見当もつかない。
だが――何かがこれから起こるのではないか。
これから、何か大きなことがエイリス分舎に起こる――そんな予兆めいたものが、サヤにはあった。
更に。
「あと、訓練用の薙刀、壊しちゃったよね。学舎の備品だし、私たち、後でユキノヲ教官に叱られるんじゃないかな?」
「あーーーー!?」
「やばーーーー!!」
にこにこと笑いながら放たれたフィーネの言葉にサヤとダイアナが絶叫する。
これから、備品管理の責任者でもある主任教官に思いっきり叱られる――そんな予兆めいたものが、否、確信があった。
(続)




