水の呪い 5
そんな会話をしていると、大きな地図を抱えたグレイが部屋に戻ってきた。
「どうぞ。持ってきて差し上げましたよ」
「偉そうにどうもありがとう。しかし、随分戻るのが早いですね。もっと時間がかかると思っていましたが」
「オレを誰だと思ってるんです? 禁書も含め、王宮の書庫のことなら司書長よりも詳しいですよ」
グレイは知識欲と探究欲が強いためか、本を読み漁るのが趣味なのだ。それにしても、肩書としてはロンター公爵家の秘書官にしか過ぎないグレイに禁書の閲覧許可まで下りているのはどうなんだ、という話なのだが、ここには突っ込んでくれる他国の人間はいない。
グレイから受け取った地図に目をやったレクシリアは、卓上の地図と照らし合わせて正確な位置を確認したあと、ガルドゥニクスに視線を投げた。
「それでは、暫し留守にします。何かあったらすぐに連絡してください。無論、私の介入なしに問題なく解決できる案件でしたら、自由に動いて頂いて構いません。ただし、報告だけは忘れずに」
「心得ておりますとも」
しかと頷いたガルドゥニクスに微笑んでから、レクシリアは軍議室を後にした。そして、さも当然のような顔をして、その背をグレイが追う。
「貴方まで来る必要はないと思うのですが」
「何を言ってるんですか。久方ぶりのアナタの雄姿を拝まない訳にはいかないでしょう? 第一、オレはアナタの秘書官なんです。アナタの傍にいるのは当然のことじゃあないですか」
「まあ、好きにして良いですけどね。ただ、今回は貴方の助けはいりませんよ」
「知っていますよ」
グレイを連れたまま宰相に充てられた執務室に戻ったレクシリアは、部屋の奥に設置されている鉄製の大きな棚の扉を開いた。そしてその中から、白銀の弓と矢を取り出す。
「それで、どこへ行くんです?」
「東の監視塔だ」
レクシリアの口調が急に砕けたのは、この部屋にグレイしかいないからだろう。赤の国の宰相の性格が実は粗野なことは割と皆知っていることなのだが、それでも本人は公の場で敬語を外すことはしない。どうやら、宰相たるもの常に聡明そうな話し方をするべきである、という謎の信念によるもののようだ。それで実際にその通りにしようと努めているのだから、律儀と言えば律儀な男である。
「それなら歩いて行くより、騎獣に乗った方が早いですよ」
そう言い、グレイが執務室の大窓を開け放つ。すると、大きな黒い獣が窓の外から顔を覗かせた。まるで、ずっとそこに控えていました、とでも言うようにどこか誇らしげな顔をしている獣に、レクシリアが少しだけ驚いた顔をする。
「ルーナか。随分準備が良いな、グレイ」
ルーナと呼ばれたその獣は、グレイの騎獣だ。グレイが与えた正式な名前はルーナジェーン。ミオンという種類の、猫のような愛らしい姿をした翼持つ騎獣である。
「どうせ移動することになるだろうとは思っていたので、近くにいるよう指示を出しておいたんですよ。ほら、ルーナの首輪に新しい魔術具をつけましてね。オレの持っている魔術具を作動させると反応するようになっているんです」
首輪が出した合図に従って自分の元まで来たのだ、と言ったグレイに、レクシリアは素直に感心した。
「魔術も便利なもんだなぁ」
「魔法が使えないオレに対する厭味ですかそれ。殴りますよ」
じろりとレクシリアを睨んでから、グレイが窓からルーナの背に飛び乗る。
「リーアさんも加わると重いだろうが、東の監視塔までなら飛べるな?」
グレイの問いかけに、ミオンが任せろといった風に鳴く。
「悪いな。頼むぞ、ルーナ。それから、火霊、水霊、“虚影の膜”だ。至近距離では視認できる程度に、俺たちの姿を隠してくれ」
「幻惑魔法ですか?」
「ああ。敵方に遠見ができる奴がいたら面倒だから、まあ、念のためな」
レクシリアの考えは判るが、それにしても相変わらず細やかな魔法を使う人だ、とグレイは思った。これが赤の王であったなら、誰も認識できないほどに強固に己の姿を隠してしまうのは勿論のこと、想定していた効果範囲を遥かに越える範囲のあらゆるものの姿を隠した挙句、膨大な魔力を消費して魔力切れを起こしていたところだろう。
(まあ、そもそもアイツは水霊魔法の適性がないから幻惑魔法は使えねェんだけど)
こうしてミオンに乗り込んだ二人は、東の監視塔へ向かった。歩けばそれなりに時間がかかる距離だが、空を翔ける騎獣の脚ならばすぐである。