水の呪い 3
(およそ人の手とは思えんほどの水の呪い! あれは最早ただの衝撃波などではない! 強すぎる呪いによって物質としての形を成した水の刃そのものだ! あんなものを叩きこまれたら、火山の停止を待たずともこの大地は死んでしまう!)
恐らくは呪いの一端に触れるだけで、その場からは火の加護が失われてしまう。放たれた刃は、それほどまでに怨嗟の込められた何かだった。
(どうあってもあれをこの地の全てに触れさせる訳にはいかん! ならば……!)
身体の前で剣を横に構えた王が、叫ぶ。
「正面から受けるぞ!」
その言葉に、火霊が躍り、王の前面に分厚く巨大な炎の壁を作り出す。同時に彼らは、僅かでも王の元へ届く攻撃の威力を弱めようと、飛来する斬撃に向かって炎を吐き出した。だが、それらをも蹴散らしながら押し進んだ一撃が、とうとう王の構える剣へと到達する。
しかと大地を踏みしめ、衝撃の全てを受け止めた王は、しかし想定以上の威力に僅かに顔を顰めた。
これが青の王であれば、水が抱いた怨嗟をも浄化できただろう。橙の王であれば、水を制する地霊魔法を以て打ち砕いただろう。どちらにしても、これほどまでの苦戦を強いられることはない。
だが、赤の王が得意とする火霊魔法では、どうしても水系統の攻撃に後れを取ってしまう。その上、赤の王は火霊に愛されるが故に、水霊には酷く嫌われるものだ。元より水からの恨みを買いやすい王に、更なる怨嗟が加われば、それは常人にぶつけられるものとは比にならないほどの呪いへと変貌する。
(実によく考えられている。ただの足止めではなく、あわよくば私という戦力を低下させるつもりだな)
実際、火霊の力を存分に借りている現状を以てしても、衝撃を受け止めて膠着状態に持ち込むだけで精一杯だ。この一撃への対処に徹さざるを得ない王に対し、敵の方は自由に動けることを考えると、この隙に直接攻撃を仕掛けてくる可能性が高い。だからこそ、王に悩む暇はなかった。ここで必要なのは、この強力な呪いを打ち砕く一手のみである。
「大地を育む盾よ 水を制する刃よ 今我が呼びかけに応え 空をも貫く槌となれ! ――“裁きの石槌”!」
叫ぶと同時に、王の眼前の大地が揺れ、巨大な柱が突き上がった。大地が変異して生じたその柱が、水の呪いを纏った刃を高々と打ち上げる。
(私が持ち得る最上の地霊魔法だったが、やはり呪いを砕くことはできないか!)
地霊魔法による大地の柱は、呪いの刃を打ち上げることこそできたものの、破壊するまでには至らなかった。つまり、未だ水の呪いが込められたあの一撃は死んでいないのだ。
恐らく、女の方もそれを理解していたのだろう。王を狙って駆け出していた彼女は、ふいに軌道を変えて、高くそびえる柱の方へと向かっていった。彼女の行動を止めようと炎が襲いかかるが、勿論それが効くことはなく、彼女はすぐさま柱の元へと辿り着いてしまう。
「オラァ!」
雄叫びと共に、女が鱗に覆われた拳を大地の柱へと叩き付ける。人外たる彼女の力は、たった一撃で柱の根元を粉砕してしまった。
(いかん! このままでは呪いが降って来る!)
最早一刻の猶予もない。そう判断した王の行動は早かった。
僅かな迷いすらなく、傾きだした大地の柱の頂きに見える水の刃を睨み、叫ぶ。
「――――“森羅万象焼き滅ぼす炎”!」
瞬間、王の足元から噴き上がった莫大な量の炎が、天上高くに舞う水の刃に纏わりつく。見る見るうちに膨れ上がり、巨大な炎の球体となったそれは、僅かに収縮した。そして一呼吸後、太陽と見紛うばかりの輝きを放つ炎の塊は、凄まじい爆音と共に全方位に向かって弾けた。大地を揺るがすほどの衝撃と爆風が広範囲を呑み込み、王が生み出した柱が塵芥と化す。荒れ狂う熱気はそれだけで何もかもを焼き焦がさんばかりに壮絶で、あらゆるものへと襲い掛かり、無慈悲なまでに生命を拒絶していた。
そうして強大な爆風と熱量の放出を終えたそこには、大地の柱は勿論、あの呪いの刃すらも跡形も無くなっていた。
まさに、街ひとつを滅ぼすと言われている大魔法の真の姿である。
(っ、さすがに、ここでこの魔法を使うのは、堪えるものがある……)
剣を握る姿勢は崩れていない。爆風を受けてなお平然と立ち続けていた敵を見据える目から、力が失われることもない。だが、それでも確実に、王は疲弊していた。
僅かに肩で息をしている王に対し、まだまだ余力を残しているらしい女は、心底から楽しそうな表情をした。
「赤の王は軍神と見紛うほどの腕の持ち主、ってぇ聞いてたが、噂に違わぬ力で安心したよ。アタシは魔法が使えないから詳しくは知らないが、中々のことをやってのけたってことくらいは判るぞ。既に火霊と規格外の契約をしたってのに、更に今、自ら魔法を使ったってことは、お前二重契約をしたな? いや、火山へ火を送ってることも考慮すると、三重になるのか? 詳しいことは判らないが、同一精霊との多重契約はそれだけで通常以上の魔力を持ってかれるって聞いたことがある。その上今のデカイのはアレだろ、原初の大魔法ってぇのだ。そんなもん詠唱なしで発動するとくれば、前代未聞だろうな。人間業じゃあない。これほどまでに強い男がいたのかと、アタシは素直に感動してるよ。だが、同時に消費した魔力量も半端じゃない筈だ。……お前の魔力、あとどれだけ残ってるんだろうな?」
にやりと笑った女に、王も笑みを貼り付ける。
「さて、どうだと思う?」
そう返した王だったが、女の指摘は紛れもない事実だ。ただし王の場合、彼女が思っている以上に、適性がそれほど高くはない地霊魔法を発動したことによる魔力消費が激しかった。先ほどの攻撃を連続で受ければ、いかに王と言えども、周囲への被害なしに凌ぐことは不可能だろう。
(だが、私とてまだ余力はある。それに、火霊が手当たり次第に炎を打ち込んでくれたお陰で、随分判ったこともあるしな)
まず、彼女が先ほど放った攻撃だが、あれは恐らくそれなりの時間を掛けて溜めた怨嗟を一度に解放したものだ。故に、そう簡単に連発できるものではない。更に、あれは彼女自身の力ではなく、何かの力を付加したものである。これは、火霊から直接聞いたことだから間違いないだろう。問題は、その何かというのがどういうものであるかだった。
最も可能性として高いのは、何かしらの魔法具を所有しているケースである。そこで一度その可能性に絞り、火霊魔法をひっきりなしにぶつけることで探りを入れたのだが、どうやら王の読みは当たっていたようだ。
(一部だけ、特に火霊魔法の通りが悪い箇所がある。……あの腰の飾り紐の先にある石のようなものが、水の加護と呪いの根源だな)
守護や呪いの強度を引き出しているのは、彼女自身だろう。恐らく、彼女自身が水に愛されやすい性質を持っており、それに呼応して水の守りと呪いの力が付与されているのだ。更に、そこに人外の力が加わることによって、これほどの脅威として立ちはだかっているのである。
(つまり、帝国の誰もがこのような力を持っている可能性は極めて低く、それどころか、彼女こそが対私用の最終兵器である可能性が高い)
確かに強敵ではあるが、あの水の守りさえ剥ぎ取ることができれば、もっと己が得意とする戦い方ができるはずだ。それにもうひとつ、王には気になることがあった。
続きをしようと言わんばかりに構えた相手に対し、王が口を開く。
「随分と強力な水の守護を身に着けているようだが、生来のものではないな? これほどまでの怨嗟を孕んだ汚れた水の守護を得るような人物には見えん」
王の言葉に、女は形の良い眉を顰めた後、盛大な溜息を吐いた。
「ああ、この鬱陶しい水の呪いな。依頼人のクソ野郎に無理矢理つけられたんだよ。グランデル国王と戦うなら必須だろうってな。こんなもんなくたって十分楽しめるし、そもそもどろっどろに穢れ切った水の守護なんて、身に着けてて気持ち悪いってぇのに。だがまあ、備品を貸し出されてる以上、依頼はきっちりこなさないとな」
女の言葉を聞き、王はほんの僅かではあるが、張り詰めていた緊張の糸を緩めた。無論、気が抜けない状況であることには変わりないが、少なくとも彼女が敵ではないということが判っただけでもよしとしよう。
(どこまでが帝国の目論見なのかは判らんが、少なくともこの女に敵対の意思がないのは幸いだな。ここで純然たる敵としてで向かわれてしまっては、こちらもそれ相応の被害を覚悟せねばならないところだった)
王にとってやや不利な戦況が変化した訳ではないが、これで打開策は見つかった。
「おいおい気ぃ緩めて良いのか? まだまだこれからだろうが!」
再び向かってきた敵をいなしながら、王が小声で風霊の名を呼ぶ。
「レクシィに言伝を」
敵に聞かれぬように小さく続いた言葉を、風霊が受け止める。そのまま風が走り去るのを確認してから、王は再び剣を構えた。
これで次の手は打った。あとは、王がそのときまで耐え忍ぶだけだ。
「私もこれほどの相手と戦う機会はあまりない! お互いに楽しもうではないか!」
そう叫んだ王に、女はやはり歓喜に満ちた笑みを深くした。




