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水の呪い 1

 ロンター宰相の騎獣であるライデンを駆り、国境まで辿り着いた王は、目の前に広がった光景に僅かに息を呑んだ。

 グランデル王国は火の精霊の加護が色濃い大地だ。故に、国内にある山々の多くは活火山である。王国の全土はそれらの地熱によって包まれ、この地の全ての生命は、炎の祝福によって育まれているのだ。それは、国境となっているこの山脈地帯も例外ではなかった。しかし、

(火山が、死に始めている……)

 本来ならば、この辺りの山の火口からは恒常的に噴煙が吐かれているはずだ。それが今、ぱったりと止んでしまっている。

(グランデルの火山が自発的に活動を停止することなど有り得ん。ならば、これも敵の手によるものか)

 火山が死ねば、この火山地帯でしか生きられない希少種たちは住処を失ってしまう。それどころか、ここら一帯の炎の加護が薄くなり、大地が痩せ衰えてしまう可能性すらある。

 他のどんな地よりも火霊が活性化するグランデル王国内で、炎の勢力をこれほどまでに弱めるなど、それこそ水霊魔法の極致に至る青の王でもない限り不可能だ。これはつまり、青の王に匹敵しうる水の加護を受けた者が敵であるということを示している。

(炎の気配が最も弱いのは……あの山か)

 王が視線をやったその山は、巨大な爪で抉られたかのように大きく切り崩されていた。どうやら、あの山が土砂災害の原因のようである。

(切り崩した際に、なんらかの水の呪いを流したな。あの山を起点に、この地の熱を奪い尽くす気か)

 それを証拠に、王が感じられる炎の気配は、あの山を中心に徐々に弱まってきている。そこまで認めた王の判断は早かった。

「火霊!」

 強く叫べば、王の周囲から炎が噴き上がった。

「まだ間に合う! 火山が息を吹き返すまで、核に熱を注ぎ続けろ! 決してこの地の山を死なせるな!」

 王の命に、炎が奔る。周囲の火霊をも巻き込んで膨れ上がったそれは、巨大な熱量となって火山へと激突した。

 火山の方は、ひとまずこの処置で大丈夫だろう。死にかけの火山の活動を再開させるほどの火力を連続的に注ぐとなると、さしもの王もそれなりの魔力を消費するが、致し方ない。

 じわじわと己の魔力が食われていくのを意識の端に捉えながら、次いで王は視線を下に投げた。そしてその先に見つけた人影に、表情を険しくする。

 王の視線の先にいたのは、デディ騎士団の団長たるアルゲイドと、彼と相対している見知らぬ人影だった。

 この距離では相手の様子までは判らないが、アルゲイドの方はかなりの深手を負っているようで、最早立ち上がることすらままならない様子であることが窺える。

 満身創痍と表して過言ではない部下の様子に、王はライデンに向かって叫んだ。

「降りる!」

 言うや否や、王がライデンの背から飛び降りる。風霊の助けを借りて地上へと向かう王の視線の先で、敵がアルゲイドに向かって手を伸ばした。それが止めを刺すための一挙であることを察した王は、宙に身を躍らせたままの状態で火霊の名を叫んだ。

 瞬間、噴き上がった炎がアルゲイドを守るようにして包み込む。突如奔った炎に驚いたのか、敵は伸ばしていた手を止め、ついと顔を上げて空を仰ぎ見た。

 その目が赤の王を捉えた瞬間、つまらなそうな表情を浮かべていた敵の顔に、歓喜が宿るのを王は見た。

 直後、アルゲイドと敵との間に割り込むようにして降り立った王は、着地もそこそこに地面を蹴り、敵に向かって剣を一閃する。恐らくは常人ならば避けることの敵わぬ一撃は、しかし寸でのところで躱されてしまった。だが、王とてそれを予期していなかった訳ではない。いや、寧ろこの敵ならば避けてみせるだろうと踏んでいた。故に、王が狙っていたのは必殺の一撃ではなく、敵を僅かでも後退させることである。

 敵が大きく後ろに跳んで剛剣を避けたのを目にし、王は一歩前へ足を踏み出し、剣を構えた。

「アルゲイド団長。戦況は?」

 振り返ることなくそう問えば、アルゲイドが途切れ途切れに言葉を紡ぐ。

「敵は、一人。水の加護が、強く、数でどうなる、相手では、なかったため、私以外の、団員は、国境での、避難活動へ」

 王がその目で確認をすることはなかったが、剣を支えにかろうじて上半身を起こしているアルゲイドは、利き腕を肩から深く抉られ、意識を保つだけで精一杯の様子であった。

 アルゲイドの言葉に、王が小さく頷く。それを見て、アルゲイドは顔を歪めた。

「……申し訳、ありま、せん」

 俯き、思わずといったように零れ落ちた言葉は、騎士団長としてのものとアルゲイド個人としてのものがない交ぜになった、複雑な感情から来るものだったのだろう。それを受けて、王が迷いを見せたのは一瞬だった。

 構えていた剣を下ろし、王が身体ごとアルゲイドを振り返る。

「何を謝罪する必要があるだろうか。貴公が苦戦したという事実そのものが、敵の力量をこれ以上ないほどに物語っている。ならば、私が貴公にかける言葉はたったひとつだ」

 頭上から落ちてきた声に、アルゲイドが顔を上げる。そうして仰ぎ見た先にあった表情は、まさしく己が騎士を讃える君主のものであった。

「よくぞ耐えてくれた。貴公の繋いだこの時間、決して無駄にはせん。後のことは、全て私に任せておけ」

 そう宣言した王が、剣を手に敵へと向き直る。

「ライガ! 風霊! アルゲイドをデディ騎士団本部へ運べ!」

 叫んだ王に咆哮で応えたライデンが、風霊と共にアルゲイドをその背へと掬い上げ、駆けて行く。アルゲイドの傷は深いが、しかるべき治療さえすれば再び剣を握ることができるだろう。

「さて、待たせたな。ここからは私が相手になろう」

 そう言った王が、敵を見据える。

 艶やかな黒髪を短く切りそろえた、女だ。王ほどではないが、それなりに上背があり、しかし決して分厚い身体をしている訳ではない。ただ、先ほど王の一撃を避けた際に見せた動きから察するに、リアンジュナイル大陸では見たことがないような衣装を身に纏ったその身体は、しなやかな筋肉で覆われているのだろう。

「ようやっと骨の有りそうな奴が来たか。しかし来るのが遅い。あんなひよっこの相手をするために呼ばれたのかと、辟易していたところだ」

「我が騎士団の団長たるアルゲイドを、ひよっこと称するか」

 王の言葉に、女は笑う。

「まだまだ殻も取れ切ってないひよっこの小僧だろうが。あれで武力に名高いグランデル王国の騎士団長だってぇんだから、呆れ果てるな」

 本当につまらなさそうに言う彼女に、王が剣を握る手に力を込めた。

 彼女の言葉に誇張や嘲りは含まれていない。本当に、思ったままを口にしているのだけなのだろう。

「……だがまあ、お前は違うんだろう? ロステアール・クレウ・グランダ」

 女が王の名を紡いだ瞬間、彼女の纏う雰囲気が一変する。たとえるならばそれは、獲物を見つけたときの獣に近いだろうか。グランデル国王を前に、彼女は心からの歓喜を露わにしていた。

「このアタシを前にして、よもや背を向ける愚か者がいるとはな。だが、武人として名を馳せるお前が考えなしにそんな行動に出るはずがない。アタシがその背に爪を立てないとも限らないんだからな」

 試すような、しかし返ってくる言葉を予想している彼女の問いに、王は僅かに目を細めて笑って見せた。

「さてな。私はただ、民のために最良の判断をしただけだ」

「ハッ。若造が一丁前な口を利く」

 なんでもないことのように言ってのけた王だったが、実際はあの瞬間、王は僅かだが逡巡した。敵の強さが予想以上であることが判明したあの場で、その敵に背を向けるなど、愚の骨頂である。だが、あそこで背に庇った家臣を振り返らなければ、騎士としての彼を救うことはできないことも事実だった。正面からの己の姿を見せ、伝えなければ、アルゲイドは必要以上の自責の念に苛まれていたことだろう。だからこそ、王はあの場で敵に背を向けることを選択したのだ。

 そしてそれは、強敵の手による、無防備な背を狙った渾身の一撃であろうと、確実にいなすことができるという確信の表れでもある。

(しかし、若造ときたか)

 目の前の女はどう多く見積もっても三十代そこそこにしか見えないが、口振りや態度から感じる圧はその年齢の女に出せるものではない。それに加え、さきほど王の一撃を避けた際に見せた獣じみた動きとなると。

「……ヒトではない、か」

 ぽつりと呟いた王に、女がにやりと笑う。

「ヒトだとかヒトじゃあないとか、そんなこたぁどうでもいい。早く()ろうぜ? こっちはようやくお目当ての男がお相手だって、興奮してるんだ!」

 叫んだ女の瞳孔が縦長に細まり、両の肘から下がぶわりと鱗に覆われる。同時に両の手の爪が鋭い刃物のごとく伸び、彼女の両腕は見る見るうちに凶器へと変貌していった。

(やはり異形か!)

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