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異変 8

 これ以上ないほどに頭を回転させていた少年は、ふぅ、と小さく長く息を吐いた。それから、一歩、二歩と、騎獣の方へ足を進める。そして少年は、三歩目を踏み出したその脚から唐突に力を抜いた。重力に従い崩れた身体が、湿った下草に倒れ込む。そのまま彼は、胸を片手で掻き毟るように押さえて、苦し気に喘いだ。

「キョウヤさん! どうされました!?」

 焦ったような声と共に、ギルヴィスの姿をした何かが駆け寄る音が聞こえた。それを確認しつつ、少年は途切れ途切れに声を吐き出す。

「ッ、ぅ、……む、ねが……!」

「どうされたのですか!? もしや、何かご病気が!?」

 そんなものある訳がない。少年は至って健康体だ。自分でもなんて陳腐な発想なのだろうと思うが、これよりも良い案が浮かばなかったのだ。だがどうやら、思った以上に効果的なようである。

「っ、……す、こし……っ、むねの……、」

「とにかく、早く落ち着ける場へ移動致しましょう。ダリ! 早くキョウヤさんを騎獣に乗せるのです!」

「ぃ、いえ……」

 ギルヴィスの提案に、必死で首を横に振る。ここで騎獣に乗せられてしまうと、何のためにこんな演技をしているのか判らない。

「発作、は……動かず、おとな、し……っ、は、ぐ、……していろ、と……ぉ、医者、さま、が……っ」

 言っていることは口から出まかせだが、苦しそうな演技でごまかせば、ある程度の信ぴょう性が出るはずだ。特に内傷ならば、ぱっと見で嘘かどうかの判断はできないだろう。帝国にとって少年は重要な存在であるようだから、一度少年の嘘を信じさえすれば、下手に動かすのは危険だと判断されるはずだ。

 あとはもう、この嘘がどれだけ保つかである。

 本当に帝国が赤の国で何かをしているなら、いずれ本物のギルヴィスが動いてくれるだろうし、そうでなくても、金の王が帝国から狙われている少年に対し何の対策も行っていないとは考え難い。その対策が具体的にどんなものかまでは判らないが、今はそれに賭けるしかないだろう。

 地面に転がって出来得る限り苦し気な声を漏らせば、頭上でギルヴィスが狼狽えているのが判った。

 頼むからどうか、そのまま騙されていて欲しい。

 そうして暫く悶えていると、やはりいけません、とギルヴィスの不安そうな声が聞こえた。

「お医者様が動かすのは良くないと診断されたとはいえ、こうも発作が収まらないのを、いつ帝国の襲撃が来るか判らないここで待っているわけには参りません。お辛いでしょうが、やはり一度場を移しましょう」

「っ、でも、」

 少年は慌てて否定の意を示す。まだ助けの手は来ない。移動してしまえばそこでおしまいなのだ。

「しかし、キョウヤさんのためにも、落ち着ける場が必要ではないでしょうか? 安全な場所で、お医者様に診て頂きましょう。できるだけ丁寧に運ばせますから」

「……っ、ぃ、いえ……ぼくは……」

「キョウヤさん」

 それは、少年を心配しているというより、何処かこちらを威圧するような声音だった。僅かに背筋が粟立つ。少年は自身に向けられる悪意に敏感なので、ギルヴィスの声に含まれる僅かな苛立ちを感じ取ってしまったのだ。

「キョウヤさん。この場が危険であると、貴方もご承知されていらっしゃるのでしょう?」

 それとも、と続ける声が、やけに少年の耳に響いて残る。

「――何か、この場に留まらなくてはならない理由がお有りで?」

 息を呑んだ少年が、思わず声の方を見上げた。逆光に陰るギルヴィスの端麗な顔は優しそうに微笑んでいるが、目に宿る光が全く笑っていない。

「っ、い、いえ、」

 何か返さねばと無理矢理出した声が、不自然に震えた。そこに滲み出た焦りと恐怖に、ギルヴィスの姿をしたそれはすっと目を細めた。

「なんだ、私が金の王じゃないってこと、バレちゃってるみたい」

 ギルヴィスの姿と声でそう言ったそれは、はぁとわざとらしいため息をついてから、ひらりと右手を振った。すると、見る見るうちにギルヴィスの姿が揺らぎ、不明瞭なものへと変化していく。

「っ!?」

 少年が息を呑む中、揺らぎが徐々に収まっていき、不明瞭な像が再び線を結んだそこに現れたのは、ギルヴィスよりも幼い、可憐な少女だった。

「折角金の王っぽく振舞ってみたのに、バレちゃってたなんてショックだわ。ちょっと、アンタが連れてくるときにドジったんじゃないでしょうね」

 ツンとした声で言った少女にじろりと睨まれ、ダリと名乗った男は慌てて首を振った。

「滅相もございません。きちんと王軍の紋章も見せましたし、ご指示通りのことしかしておりません」

「じゃあどうして私の完璧な変装がバレたって言うの? ああそう。ふーん。私の指示が悪かったって言いたいのね?」

「い、いいえ、そのようなことは! アンネローゼ様、どうかお許しを……!」

「だーめ」

 可愛らしい笑顔を浮かべてそう言った少女が、男に人差し指を向ける。

「私、使えない駒は嫌いなの。さよなら」

 言葉と同時に、少女の指先から一筋の靄のようなものが放たれ、男の顔に纏わりついた。

 その後の男に何が起こったのか、少年には判らない。だが、突然ぐるんと白目を剥いた男は、凄まじい力で自らの喉を掻き毟り始めた。自らの指先が喉を抉り、露出した肉と口からごぼごぼと血が零れ落ちる。およそ想像すらつかない苦痛だろうに、男がそれをやめることはなく、とうとうその爪が自らの気管に当たったところで、男は地面に倒れ込んだ。だが、それでもなお、喉に埋めた指は肉を掘ることをやめはしない。

 血の泡を吹いて地に伏している男に、少年は引き攣るような声にならない悲鳴を漏らして後ずさった。早く立ち上がって逃げねばならないと思うのに、恐怖に震える脚は言うこときいてくれないのだ。

 それでも、地面を這ってでも良いから逃げようとした身体を、周囲にいた者たちに捕らえられてしまう。

「もう、そんなに怖がらないで欲しいわ。貴方に危害を加えるつもりはないんだから。大切な貴方の血を零しちゃったら、皇帝陛下に怒られちゃうもの」

 そう言って歩み寄ってきた少女に、ひっと引き攣った悲鳴を零してしまう。だが、そんな少年の様子を気に留めることなく、可憐な彼女は愛らしく微笑んだ。

「私の名前はアンネローゼ・ヴェアリッヒ。貴方を私たちの帝国にご招待しに来たの。よろしくね、エインストラ様」

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