表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
86/259

ロステアール・クレウ・グランダ 4

「そして、王家が父上を殺したのだという確信が持てたその日の夜。父上の謀殺に関わった王家や貴族の住居が突如噴き上がった巨大な火柱に呑まれ、関係者の全てが焼け死ぬという事件が起こった。国の広範囲に渡って局所的に、かつ同時に上がったその火柱には魔力の痕跡などはなく、明らかに不自然だというのに自然に生じたものであると結論づけるほかなかった。そしてその後、私がロンター家と共に提出した調査書により、父上の謀殺が白日の下に晒されることとなり、国中で、あの夜の不可思議な火柱は天にいる炎神が下した制裁なのだと噂されたものだ。だが勿論、事実はそうではない」

 きっぱりとそう言い切った王は、ひとつ息を吐き出してから、やはり表情のない顔のまま虚空を見つめた。

「あれは、私がやったのだ。どうやったのかなど覚えていない。だが、確かに私がやった。父親を殺されたことに対するものなのか、優れた王を民から奪ったことに対するものなのか。それは私にも判らない。だが、あのとき私は、きっと怒りを感じていたのだろう。その感情は、私が認識できるほど表層まで上がって来ることはなかったが、私はきっと怒りに満たされていたのだ。そして怒りのままに、父上を殺した人間を全て殺した。……私のことを母の息子としてしか認識してくれなかった父ではあるが、それでも、向けられた愛情に何がしか思うことがあったのかもしれないな。勿論、私にはよく判らないのだが」

 やはり淡々とそう述べた王は、そこでようやく少年に視線を戻し、緩く微笑んでみせた。

「とにかく、この一件により王家の血を引いた人間は私とロンター家を残して皆滅んでしまい、その事実は、父上である前王の崩御よりも国を揺るがすこととなってしまった。結局のところ、私は事態をより悪化させてしまったのだ。だからこそ、私はその責任を取り、この国をより良く導けるような王を迎えようと思った。……だが、どんなに考えようとも、私が王になる以上に良い案が浮かばなかった。無論、王家の血を引くレクシィは優秀で、王の器として十二分であっただろう。だが、国王の崩御に加え、それを招いたのが王家そのものであるという事実は重すぎた。最早国内の混乱は一人の王の手に担いきれるものではなく、その重荷をレクシィに任せるのはあまりにも酷だ。……だから、私が王として立った。感情を持ち合わせない私ならば、一切の私情を抱かず民の意向のみを汲み取り、民の望むままに国を導くことができるからな。そして、私のこの考えは正しかった。民の望む通り、求める通りの治世に努めた結果、国はより安定し、民には笑顔が戻ったのだ」

 王の話が事実ならば、彼はこれ以上ないほどに優れた統治をしてみせたのだろう。それは誇るべきことだろうに、当の王はまるで他人事のような調子だった。

「……やっぱり、貴方はとてもすごくて、とても良い王様なんですね」

 王の様子に戸惑いながらも、少年はおずおずとそう言った。それは嘘偽りのない言葉だったのだが、しかし王はゆっくりと首を横に振った。

「いいや、私は決して良王などではない。無論、そうあろうと努めてはいるが、私は所詮民の理想の体現、すなわち、ただの傀儡にすぎん。それを証拠に、グランデルという一国のみにとっての最良に近い王になることが、私が出来得る精一杯だ。もし今の私がグランデル国民以外からも良王として見えるのなら、それは私の手柄ではなくグランデル国民の手柄なのだ。私は民の思うままに存在する王に過ぎない。故に、民が平和と平穏を望むのならばそのように努めるし、国土の拡大と戦争を求めるのならばその通りにする。だからな、この国が平和なのは、国民たちが自身の手で成し遂げた成果そのものなのだ。私はただ、その術を教え、導くだけの装置にしかすぎない。判るだろう? こんなものは良王とは呼べん。真に優れたる王ならば、すべての国、すべての大陸、ひいてはすべての世界をも、良き方向へと導いてしまうのだろうから」

 無機質な表情のまま吐き出された、どこか自分を戒めるようにすら聞こえるその言葉を、少年は理解できない。王の思考が判らないのだ。この煌炎の王が掲げるそれは、きっと絶対に存在することのない理想の極致だろう。そしてその理想は最早国王と呼べるものではなく、いっそ誇張を孕んだ妄言にすら思えてしまうかもしれない。だが少年には、王がそれが存在すると信じ、その極致に至れぬ己を無価値であると断じているように思えた。

 そんなことはない。貴方は素敵な王だし、それだけが貴方の価値ではないのだと。そう言えたら良かったのだろうか。だが、臆病な少年はそれを口にすることができず、結局彼が何かを言う前に、王はふっと表情を緩めて優しく微笑んだ。

「ああ、いや、つまらない話を聞かせてしまったな。どうか許して欲しい」

 そう言った王の掌が、少年の髪をゆるりと滑る。

「このような退屈な話を訊いてくれたこと、心から感謝する。……特に王家殺しの件については、誰にも言ったことがなくてな。レクシィなどは何か思うところがあるようだが、あれにすら話したことはない。だからだろうか。ほんの少しだけ、胸のつかえが取れたような気がするな。といっても、これもそうあれと用意された感情なのだが」

 そう言ってやはり笑った王が、少年の頭を撫でる。

「だが、お前に知って貰えて嬉しいというのは、本当の感情だ。……お前には私のすべてを知っていて欲しいと思うのは、きっとお前を愛しているからなのだろうな」

 そう囁く声が、先程の無機質なものとは似ても似つかないほどに暖かな響きをしているから。だから少年はまた、嬉しいような悲しいような、不思議な気持ちになってしまうのだ。

「重苦しい話ばかり聞かされて、精神が疲弊しただろう。私も少々話し疲れたし、お前も随分と眠そうだ。今日はもう、眠ると良い。なに、湯浴みならば明日の朝にでもできるさ。ゆっくり休んで、明日はもっと楽しい話をしよう」

「…………あなた、は……」

 小さな声に、王が少年を見つめる。王の言う通り、少年は疲れたのか眠そうな顔をしていた。

「……あなたは、さみしく……なかったの……?」

 薄く開いた唇から零れた問いは、まるで無意味なものだった。王には感情がないのだから、こんな質問に意味がある筈がない。それでも、少年は訊かずにはいられなかった。

「寂しいと思ったことはないな。寂しいという感情を知らないから」

 あたたかな掌が眠りを誘うように頭を撫でる。段々と眠気に身を委ね始めた少年の耳に届いた言葉は、予想通りのものだった。

(ああ、それは、とてもさみしいことだな……)

 漠然と抱いたその気持ちは、哀れみだったのだろうか。愛しさだったのだろうか。

 微睡始めた少年を愛おし気に見つめ、王がその頬にそっと唇を落とす。

「そうだ、昨日といい今日といい落ち着ける時間がなかったから、まだきちんと祝えていなかったな」

 一体何を祝うのだろうと、ぼんやりそう思った少年の鼓膜を、温もりに満ちた声が震わせた。

「お前が生まれてきてくれたことに深く感謝し、心から祝福しよう。……お誕生日おめでとう、キョウヤ」

 穏やかに静かに、しかしはっきりと向けられた言葉は、水面を揺らす雫のように、少年の胸の奥に落ちた。そうして広がった波紋が、じわりじわりと全身に広がっていく。それが何であるのかは判らない。凍えるような暖かいような、痛いような優しいような、苦しいのか楽しいのか悲しいのか嬉しいのか。そのどれとも、どちらとも判別できない、名付けようもない何かだった。

 けれど、それが全身に隙間なく行き渡ったそのとき、まなじりに集った熱が決壊して、たった一粒が少年の頬を滑り落ちる。何故泣いているのかなんて判らなかったし、眠気に侵された頭では、そもそも泣いていることも、その雫を王の指がすくい取ったことすら、判っていなかった。

 それでも、ただひとつ。

(……それが、)

 誰からも望まれず、ただ在るだけを呪われ、否定され続けていた少年は、

(…………ぼくは、ただそれが、ほしかったんだ)

 何かを求めて空を掻いた指先を、王がすくい上げるようにして握り返す。混じり合う熱が溶かしたさみしさは、果たしてどちらのものだったのだろうか。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ