天ヶ谷鏡哉 2
「なに呑気なこと言ってるんですか! これのどこが喧嘩に見えます!? テメェもテメェでこの人のことろくに知りもしねェで手ェ出してんじゃねェよ! 死にてェのか!」
レクシリアに向かって怒鳴ったあと『彼』に向かっても怒りを吐き散らしたグレイを見て、レクシリアも何か察するところがあったのだろう。すぐさま『彼』に視線を移してから口を開いた。
「風霊、キョウヤを捕らえろ」
レクシリアの言葉に『彼』がはっとしたときにはもう遅い。『彼』が回避行動を取ろうとしたときには既に、命を受けて吹いた風が『彼』の身体にしゅるりと巻き付いてその四肢を拘束していた。
「なにぶんたった今来たところなので事情が判りませんが、これで良いのですよね?」
「ええ、助かりました。どうにもこうにも、めちゃくちゃに暴れられて会話もできない状態だったので」
礼を述べたグレイだったが、なんだか面白くなさそうな顔をしている。その理由は単純で、自分が苦戦していた件をレクシリアが魔法で簡単に片づけてしまったことが気に食わないのだ。レクシリアはそれを察しつつも、いつものことなので取りあえず放っておくことにする。それよりも、今はあの少年に一体何があったのかを知る方が先だ。
「さて、何があったのか、話して頂けますね?」
それはグレイに向かって言った言葉だったが、グレイが何かを言う前に拘束されている『彼』が口を開いた。
「か弱い少年に二人がかりとは、少々卑怯が過ぎやぁしませんかね? 武術に秀でたグランデル王国が聞いて呆れる。ああいえ、レクシリア・グラ・ロンター宰相閣下におかれましては武術とは縁遠い生活を送られていらっしゃるでしょうから、そもそもが秀でてなどいないのかもしれませんけれど」
馬鹿にした様子を隠そうともせずに言ってくる『彼』にグレイは眉根を寄せて口を開きかけたが、レクシリアがそれを手で制した。
「今は私のことよりも貴方のことです。私が知っているキョウヤ様とは随分と様子が違うようにお見受け致しますが、一体どういうことでしょうか」
「これはこれは、オレの質問には答えないくせにそちらの質問には答えろと仰る。いやはや、権力者というものは良いですねェ」
『彼』の言葉に、レクシリアがグレイを見る。
「何の話ですか?」
「さあ、オレにも詳しいことは判りませんが、オレがちようの名前を出した途端に豹変したんですよ。それで、なんでお前がちようを知っているんだって襲ってきて」
「その問いには答えて差し上げなかったのですか?」
「相手が何を考えているのか判らないってのに、そうやすやすと答えられるわけないでしょう」
グレイの返答に、それもそうだな、と思ったレクシリアが、再び『彼』に向き直る。
「それでは、貴方にとってちようという方がどういう人物なのかを教えて頂けましたら、こちらもお答え致しましょう」
「ハッ、か弱い子供を力づくで抑え込んでいる輩が約束を守ってくれるとは、到底思えませんねェ」
やはり、『彼』の方から答える気はないようだ。さてどうしたものかとレクシリアが思案したところで、不意に背後から声がかかった。
「ちようというのは、グレイの兄だ。この世界にはいないがな」
相変わらずの温和な表情を浮かべて現れたのは、赤の王であった。
のんびりとした王の発言に一瞬呆気に取られていたグレイが、見る見る内にその顔を怒りに染め上げる。一方のレクシリアは、額を押さえて深いため息を吐き出していた。
「ッ、おい! なに勝手にバラしてくれてんだポンコツ!」
「バラすも何も、別に秘密でもなんでもないだろうに。ちようというのはお前の兄の名だろう?」
「あいつが何考えてるか判んねェのにほいほい喋んなっつってんだよバカ王!」
尚も怒鳴るグレイの肩を、レクシリアが叩く。
「グレイ、落ち着きなさい。陛下がお話しなさったということは、話しても問題がないということです」
レクシリアに諫められ、グレイが押し黙る。レクシリアの言うことは正しいが、しかし気持ち的に納得はいかなかったようで、彼は王を睨み上げた。
「そう怒るな。……アレにとってちようというのが重要な何かであることは事実だろうが、恐らく道具や手段に対する執着ではない。どちらかというと、……そうだな、肉親に対するそれに似た感情、なのではないだろうか。とにかく、ちようがお前の兄であるという事実を隠す必要はないから安心しろ」
『彼』を見てそう言った王に、『彼』は盛大に顔を顰めた。
「国王陛下におかれましては、相変わらず心の底から気持ち悪い人間でいらっしゃる。……つーか、アンタ本当に人間か? 人間とは思えない気持ち悪さで反吐が出そうなんですが」
「はっはっはっ、気持ちが悪いというのはグレイにもよく言われる」
そう笑った王が、『彼』に向かって微笑んでみせた。
「自己紹介が遅れたな。こうして面と向かって会うのは初めてだろうか。知っているとは思うが、私はロステアール・クレウ・グランダ。グランデル王国の国王だ。して、お前は誰だ?」
にこりと笑みを浮かべたままの王に、『彼』が盛大な舌打ちを漏らす。
「チッ、そういやそいつ、“天ヶ谷グレイ”だったな。……そういうことかよ」
そう呟いてから、『彼』は酷く気怠そうに溜息を吐き出した。
「……面倒臭ェ。あと任せた」
『彼』がそう言って目を閉じた瞬間、また少年の纏う空気が変化する。先ほどまでのものが鋭く冷たい刃のようなものだとするならば、今度はよく磨かれた紅玉のような、硬質だが冷たさを感じさせないそれだ。
「……面倒になったからと言って、私に押し付けるのか」
そう呟いて小さく息を吐いた少年が、ゆるりと瞼を押し上げてその場にいる王たちを見る。そんな少年の様子に、王が小さく首を傾げた。
「おや、お前は初めて見るな」
王の言葉に、レクシリアとグレイが何のことだというような顔をしたが、少年だけは奇妙なものを見る目で王を見た。
「ひと目見ただけでそう判るあたり、やはり貴方は特殊な人間だな」
そう言って顔を顰めた少年が、拘束されている四肢を軽く動かそうとするような素振りを見せてから、レクシリアの方を見た。
「取りあえず、この拘束を解いて貰えないか? 私に暴れる意思はない」
言われたレクシリアが問うような視線を王に向ければ、王はひとつ頷きを返した。それを確認したレクシリアが、風霊に命じて風の戒めを外してやる。
「有難う。それから、図々しいお願いをして申し訳ないんだが、この手を治せはしないか? 鏡哉にとって手は大切な部位だから、このままでは可哀相だ」
そう言った少年が差し出した手を見れば、深くはないがいたるところが切れて血が出ていた。きっと、硝子の破片を握ったときに切ってしまったのだろう。
少年の言う通り、彼にとって手は大切な商売道具のはずだ。レクシリアがすぐさま回復魔法で治してやると、少年は少しだけ微笑んで礼の言葉を述べた。普段の少年とは違う自然な微笑みに、改めて彼が天ヶ谷鏡哉ではない何かなのだと実感させられる。
「さて、落ち着いたところで、そろそろお前が、……いや、お前たちが何者なのかを教えて貰おうか」
王の声に少しだけ視線を落とした少年は、数度瞬きをしてから王を見上げた。
「その前に、貴方は私たちについて、どこまで察しがついているんだ? もしかして、全て知っているんじゃないのか?」
少年の言葉に、しかし王は首を傾げた。
「さてな。お前がどう思っているかは知らぬが、私は万能でもなんでもない。何度かキョウヤの身体を使ったキョウヤではない何かを見かけているから、お前もその一種かと考えてはいるが、それが真実かどうかなど判りはせんよ」
「……いや、それだけのことが考えられるなら十分だろう。つくづく厄介な男だな、貴方は」
そう言ってから一度息を吐きだした少年が、観念したように口を開く。
「私の名前は天ヶ谷アレクサンドラ。先ほど貴方たちと接していた天ヶ谷グレイや貴方たちの見知っている天ヶ谷鏡哉と同じ、天ヶ谷ちようが生み出した人格のひとつだ」