魔法魔術講座 5
王宮に帰った少年は、ようやく本来の目的であるグレイの講義に戻ることができた。
自分の意思でないとは言え、形としては勝手に脱走したも同然のことをしたのだ。きつい雷が落ちるのを覚悟し怯えていた少年だったが、実際のグレイは特に態度を変えることもなく、王の乱入に遭うまでと同じ調子で講義を再開してくれた。
「あのポンコツ王のせいで色々と予定が狂ったが、取り敢えず、あー……、魔術については大体話したんだったよな? じゃあ次は、お待ちかねの魔導についてだ。これはまあ、帝国の歴史も交えながら話した方が判りやすいか……。取り敢えず、今日中に魔導の基礎的な部分までは把握して貰うぞ。そんで、明日からは実技も交えてより詳しく教えていく」
「え、実技って、僕が実技をするんですか……?」
「オマエ以外に誰がいるんだよ。使い物になるかどうかは置いておくとしても、何ごとも体験することは大事だ。やって初めて判るってこともあるだろうしな」
「は、はぁ」
「……心配しなくても、オマエに魔術を使いこなせなんて言わねェよ。取り敢えず触れてみろってだけだから、まあ気楽にやれ。そんなことよりまずは魔導だ。どうせ魔導のことは魔法や魔術以上に知らねェんだろ?」
言われ、少年が頷く。
「はい。一応、空間魔導? とかいうのは、間近で見たんですが……」
「らしいな。そのとき、黒い竜みてェなのがいただろ? あれがあの帝国の奴、……デイガーっつったか? アイツの契約者だ。ま、使い魔みてェなもんだと思えば良い。その契約者の力を借りて現象を引き起こすのが、魔導だ。そういう意味では少しだけ魔法に似てる、っつーとこの大陸の連中に怒られそうだが、実際、魔導と魔法は似ていると俺は思う」
言いながら、グレイが黒板に図を描いていく。
「魔法は、精霊にお願いをして一時的な簡易契約を結び、望んだ現象を引き起こす力だ。勿論この契約は一時的なものだから、現象が生じ終わった時点で解除される。一方の魔導は、ヒトならざる生き物を無理矢理使役して、半永久的な従属契約を結び、その力を自分のものにする技だ。こう聞くと、思想や過程が大分違うからまるっきり別物のように思えるかもしれねェが、どちらもヒトではないものと契約する、という点では似ていると言って良い。だから、魔法と魔術と魔導の三つを並べた時、最も劣っていて最も異質なのは、実は魔術なんだ。魔術は人間のみで完結するものだからな」
「……あの、ヒトならざるものと契約をするって、そんなに簡単なことではないように思えるのですが……」
大した力を持たない生き物ならばそう難しいことではないのかもしれないが、デイガーの契約者のような強い魔物を使役するとなると困難を極めるのではないだろうか、と素人ながらに少年は思ったのだ。そしてその指摘に、グレイが頷く。
「ああ、その通りだ。魔法の場合は、精霊側が術者に好意的に接してくれるからこそ、ほぼノーリスクで発動できるが、魔導はそうはいかない。元々人間に従う気のない生き物を無理矢理従える訳だから、それ相応のリスクがある」
「リスク……」
「魔導で何かと契約を結ぶときはな、自分の精神力で相手の精神を屈服させなきゃなんねェんだ。俺も実際にやったことがないから判らないが、相手を喰うか自分が喰われるか、みてェな精神的な駆け引きの末、勝ったら契約が成立し、負けたら精神が破壊されて廃人になる。……帝国で魔導が流行り出した頃は、ものすごい数の廃人が生まれたって話だ。当時はまだ効果的な魔導契約の結び方やら、ヒトならざる生き物の拘束手段だとかが発達してなかったからな。奴らが今確立した方法だって、多くの奴隷や国民たちを犠牲に実験を繰り返した結果の産物だ」
グレイはそれ以上そのことについて語る気がないようだったが、それはきっと、少年が想像できる範囲を越えて悲惨な実験だったのだろう。
「方法がある程度確立したらしたで、今度はより一層強い力を手に入れようと躍起になったそうだ。契約者の力が強ければ強いほど、術者の能力も上がるってのが魔導だからな。当然、帝国としては強大な力を持つ生き物を使役したい訳だが、相手が強いほど、魔導によって使役するのも難しくなる。そんなこんなで、帝国の闇の時代はその後も長く続くこととなり、今に至っている」
「……そんなに強い力を手に入れて、何がしたいんでしょうか……」
「……さあな。まあ、取り敢えずはリアンジュナイルの魔法を越えたいんだろ。だけど、魔法と同等の力が手にできるような契約相手となると、ほいほいと契約できるような生き物じゃない筈だ。だが、どうやらデイガーってやつはそれをやってのけたらしいな。空間魔法は魔法の中でもかなり難易度の高い部類のものだが、それを魔導でやってのけたんだ。あいつが使役していた竜もどきは、多分相当力を持った生き物だぞ」
やはり、デイガーの魔導はかなり優れたものだったのだ。それに、グレイの口ぶりは、魔導が魔法を越える可能性を完全には否定していないようだった。ということは、デイガーよりも強大な力を持つ魔導師がいて、その魔導師がこの大陸の魔法師よりも強い可能性があるということだ。
「魔法に並ぶ魔導を使える魔導師は、強い生き物と契約している、ということだと思うんですけど、そもそも、強大な力を持つ生き物って、そんなにたくさんいるものなんですか……?」
「良い質問だな。現状、王獣クラスの生き物は王獣以外には存在しない。リアンジュナイルを越えたい帝国としては、それは由々しき事態だ。各国の王は王獣の力を借りられる訳だから、帝国だって最低でも王獣に並ぶ程度の何かとは契約したいだろ? そこで奴らが目をつけたのが、別の次元にいる生き物だ。この次元には王獣に並ぶ生き物は存在しないが、次元を越えるなら話が変わる。様々な次元に干渉して、より強大な生き物を召喚し、それを使役できたなら、帝国が円卓の連合国を越えることも夢ではない、と、奴らはそう考えた。それが確か、十年ほど前の話だ。そこから今に至るまで、帝国では通常の魔導実験に加え、次元に干渉する魔導実験が盛んに行われるようになった。といっても、そもそも帝国の魔導自体が随分と未熟なものだったからな。次元魔導の実験のほとんどは失敗に終わり、たまに成功したところで、喚び出されるのは何の力もない異次元の人間や生き物ばかり。そんなことを繰り返していたから、円卓の連合国としてもそこまで留意はしていなかったんだろうが、……今回の件で、いきなり話が変わった」
白墨を置いたグレイが、少年に向き直る。
「デイガーが使役している竜もどき。あれは明らかに別の次元の魔物だ。ということは、十年前から燻っていた次元魔導の実験が、急に大成功したことになる。空間を弄れる魔物となると、かなり強い部類だろうからな」
「……急に成功したのには、何か理由があるんでしょうか?」
「……さあな。その辺を調べるのはオレの役目じゃねェし、そもそも今話したような内容だって、普通はオレみたいなただの公爵秘書官には知らされないもんだしな」
「え、じゃあ、なんでグレイさんは知ってるんですか?」
尋ねた少年に、グレイは肩を竦めてみせた。
「少なからず、オレが帝国の魔導の関係者だから、かね。関係者っつーか被害者か。まあそれに、この国はボケボケしてっから割と情報の風通しが良いんだよ。よっぽどの機密事項じゃない限り、王様が簡単に話しちまうしな」
それは王としてどうなんだ、と何度目になるか判らないことを思った少年だったが、それでこの国が回っているのだから問題ないのだろう。多分。
(でも、被害者って、どういうことなんだろう……)
少しだけ気になりはしたが、少年とグレイはそこまで親しい訳ではないし、わざわざ突っ込んで訊くほど興味がある訳でもなかったので、結局その後も少年がグレイの発言について尋ねることはなかった。