お茶会 3
蘇芳の豪快な飲みっぷりにやや気圧されていたギルヴィスが、しかし、と言って赤の王を見た。
「キョウヤさんの方は判りましたが、ロステアール王の方は、何故スオウさんを賓客としてお迎えになったのです? キョウヤさんとの関係はご存じなかったようですし、別件で何かあったのですよね?」
その当然の疑問に、赤の王はにこりと笑って返した。
「スオウ殿は、グランデルの国境近辺一帯を破壊せんと送られてきた帝国の刺客でな。ちょうど三日前に私と死闘を繰り広げたところだ」
なんでもないことのようにさらっと言ってのけた赤の王に、少年は真っ青になって目を剥き、金の王は飲んでいた紅茶を喉に詰まらせて咳き込んだ。
「あ、貴方、お師匠様と戦ったんですか!?」
思わずといった風に叫んだ少年に、赤の王が不満そうな顔をする。
「敬語はやめてくれと言ったはずだぞ、キョウヤ」
「え、あ、ああ、ごめんなさい。って、そうじゃなくて、お師匠様はとても強かったでしょう!? 貴方、怪我とかは大丈夫なの!?」
顔面蒼白でそう言った少年に、一瞬きょとんとした顔をした赤の王が、次いでやたらと甘ったるく蕩けたような笑みを浮かべる。
「そうか、心配してくれるか」
そう言って少年の方に両手を伸ばした王は、そのまま子猫にするような気軽さで、ひょいっと少年を抱き上げた。ひえっと小さな悲鳴が少年の喉から漏れたが、そんなことはお構いなしに横抱きにした彼を膝の上に乗せた王は、愛おしげに少年の頭を撫でる。
「キョウヤは優しい子だな」
やはり甘ったるい声でそう言った王が、少年の髪やら頬やらにキスを落とした。人目というものをまったく気にしないその行動に、少年は最終的に泣きそうになっていたのだが、やはり王が気にした様子はない。
焼き菓子を口に詰めながらそんな様を眺めていた蘇芳は、どこか感心したような表情を浮かべた。
「へぇ。お前、本当に王様と付き合ってんだな」
「ち、ちが、」
違うんです。そんな事実はないんです。
そう言いたかったのだが、赤の王の唇に自分のそれを塞がれてしまって、後の言葉は声にならなかった。
そんな中、ようやく呼吸を落ち着けたらしい金の王が、蘇芳を見る。
「あの、貴女が帝国の刺客というのは本当ですか……?」
ここで赤の王に話を振らなかったのは、空気を読んだ結果なのだろう。ギルヴィスは幼くとも聡明な王なのである。
「ああ。そこのとぼけた王様と戦り合ったしな」
「……ロステアール王と、ですか」
短い言葉の裏にある疑念に答えたのは、相変わらず少年を膝の上で愛でている赤の王だった。
「スオウ殿はかなりの強者だぞ。なにせ人ではなく、異なる次元からやってきた上位種だ。お陰でうちの騎士団長の一人が深手を負う羽目になった。今回はなんとか休戦に持ち込むことができたが、あのまま戦いが続けば私も危うかったやもしれんな」
その言葉に、ギルヴィスが目を丸くする。
赤の王は円卓の連合国の中でも随一の戦闘力を誇る王である。その彼がここまで高く評価するということは、蘇芳という女性は紛れもなく脅威であり、そんな彼女を従えている帝国は自分たちが想定しているよりも遥かに恐れるべき存在なのではないだろうか。
しかし、そんな赤の王の言葉に蘇芳はふんと鼻を鳴らした。
「本気を出しもせずによく言う」
「それはお互い様というものだ」
にこりと微笑んだ王に、蘇芳が肩を竦める。
「食えない王様だ」
そういって次の酒に手を伸ばした蘇芳を見てから、ギルヴィスは赤の王へと視線を戻した。
「休戦、というのは?」
「詳しいことは後日、円卓会議にて話す予定だが、帝国の雇われ兵士だったスオウ殿を私が雇い直した、といったところだろうか。故に、取り敢えずは彼女が敵に回ることはないと見て良いだろう」
「つまり、逆に我らの側についたと?」
それならば僥倖だ、と思ったギルヴィスだったが、赤の王は首を横に振った。
「いや、残念ながら帝国とのいざこざに関しては加担できないと断られてしまった。だから、円卓の連合国全体を雇用主と定めて雇い直すことで、不可侵の契約だけ結んで貰ったのだ」
「……なるほど。スオウさんが雇い主たる我々を害することはないけれど、帝国との戦争において味方になってくれる訳でもない、ということですか」
「そういうことになる」
頷く赤の王に、しかしギルヴィスは内心で首を傾げ、蘇芳へと目を向けた。
「何故我々を助けてはくださらないのですか?」
その問いに、蘇芳は口につけていた酒瓶をどんとテーブルに置いて幼王を見た。
「簡単な話さ、小さな王様。アタシは勝ち目の薄い戦には加担したくないんだよ。まだ死ぬつもりはないからな」
当然のことのようにそう言った彼女に、金の王は険しい表情を浮かべた。
「……円卓の連合国が、帝国に負けると?」
睨むようにして見てきた幼王に、しかし蘇芳は怯まない。
「まあそういうことだな。何か文句でもあるのかい?」
「文句はありません。しかし、我々が帝国に後れを取るという考えの根拠が判らない」
そう言ったギルヴィスを、蘇芳がまじまじと見つめる。
「随分とお綺麗だから飾りみたいな王様かと思っていたが、なかなかどうして芯が強そうな坊ちゃんじゃないか」
感心したように言った蘇芳を、赤の王が咎めるような目で見る。
「スオウ殿。その発言は些か無礼が過ぎる」
暗に謝罪を要求するその声に、蘇芳は素直に応じた。
「確かにそうか。悪かったな」
「いいえ。それよりも、根拠があるのならばお聞かせ願えないでしょうか」
蘇芳の謝罪を静かに受け止めたギルヴィスがそう言えば、蘇芳は頬杖をついて息を吐いた。
「まあ、相手が帝国だけなら、アンタらが負ける可能性はほとんどゼロだろう」
「ならばどうして?」
詰め寄ったギルヴィスに、蘇芳は指先で酒瓶を軽く弾いた。
「あっちには化け物がいるのさ。私やそこの赤い王様も絶対に太刀打ちできないくらい、規格外のやつがね」
「……ロステアール王すら敵わない、化け物……!?」
驚愕したような声でギルヴィスが小さく呟く。一方で、未だに赤の王の膝の上から逃れられないままでいる少年も、驚いて赤の王を見上げた。
赤の王の実力を知っているギルヴィスは勿論のこと、その力の片鱗を見たことがある少年にも、赤の王が太刀打ちできないような状況など考えられなかったのだ。
「……まさか、ドラゴン……?」
思わず少年が呟く。ドラゴンという存在のことはグレイから学んだので、それなりに知っている。そして、赤の王を脅かす存在となると、少年が想像できる範囲ではドラゴンしかいなかった。
しかし、少年のその言葉は赤の王によって否定される。
「それはない。ドラゴンは誇り高い種族だからな。身の程知らずに呼びつけた人間に怒ることはあれ、手助けすることなど有り得ん。仮にドラゴンの召喚がなされていたのだとしたら、その怒りに触れたこの世界は既に滅んでいるさ」
きっぱりと言い切った王に、蘇芳はへぇと呟いた。
「アタシはドラゴンに会ったことがないから知らないが、王様の言葉を信じるんなら、やっぱりあれはドラゴンじゃないんだろうな。アタシが見たあれは、誇りだのを気にするような生き物には見えなかった。どっちかって言うと……」
そこで言葉を切った蘇芳が、何かを思い出すように空を見て目を細めた。
「……気に入った玩具で遊んでいるときの餓鬼に似てる」
呟くように吐き出された言葉に、少年の背筋をぞわりとした何かが這い上がった。
恐らく蘇芳のことをこの場の誰よりも理解しているのは少年だったが、そんな少年ですら、彼女のこんな声は聞いたことがない。そこに含まれていたのは、強者が抱いた恐怖のような何かだ。それは、あの圧倒的な強さを誇る蘇芳ですら畏怖するほどの存在がいるということを示しているに他ならない。