蜃気楼の攻防 3
「我が王国の民である貴方に負担を強いるなど、国軍としてあってはならない行為でした。勝利を焦るあまり思慮に欠ける発言をしてしまったこと、深くお詫び申し上げます」
「で、でも、僕の目、使わないと、」
「ご心配には及びません。本体が判らないのならば、本体に辿りつくまで倒し続ければ良いだけなのですから。それに、このまま貴方の目を使ってしまうと、私はギルヴィス王陛下から厳しいお叱りを受けることでしょう。いえ、それ以前に、何よりも民を尊んでおられるあのお優しい陛下に合わせる顔がございません。ここはどうか、私を助けると思って堪えて頂きたい」
そんなことを言われてしまうと、折角振り絞った少年のなけなしの勇気はしおしおと萎れてしまう。判っている。これはカリオスの優しさだ。ただの一般人に過ぎない少年に無理はさせないようにという心遣いなのだ。きっと、少年の右目なしだと本当に厳しい戦況なのだ。だが、判っていても、少年には彼の申し出を撥ねのけてまで眼帯を取る勇気などなかった。
(ああ、本当に、僕は役立たずだ)
少年を抱えたまま剣を振るうカリオスは、宣言通り狙いを貝にのみ定め、確実に一体一体仕留めていく。だが、仕留めるそばから新たな貝が生まれる上に、蜘蛛のような化け物まで後から後から湧いてくる始末で、さすがのカリオスも徐々に息が上がってきているようだった。
いよいよ追い詰められたのではないだろうかという状況に、少年が再びカリオスに向かって口を開く。
「あ、あの、やっぱり、僕が、」
情けなく震えてしまった声に、カリオスはやはり柔く微笑んでみせてくれた。明らかにそんな余裕などない筈なのに、それでも少年の不安を拭おうと振舞ってくれる彼に、少年はどうしようもなくつらいような、悲しいような、得体の知れない罪悪感に襲われる。
(僕のことなんか放っておいてくれて良いのに、僕がエインストラだから見捨てることもできないんだ……)
「……ご、めんな、」
「キョウヤ殿!」
少年が紡いだ謝罪の言葉を遮ったのは、カリオスの強い声だった。思わずびくっと震えてしまった少年をちらりと見てから、カリオスが剣を地面に突き立てる。そして彼は、左腕を空へと突き出した。
「風よ 炎よ いま一筋の雷光を喚び 全てを呑み込む波となれ! ――“雷撃波”!」
刹那、高く挙げられたカリオスの掌で小さな雷がぱちりと弾けたかと思うと、バチバチと激しい音を立てて彼の足元から雷が膨れ上がった。そしてそれは、そのまま彼を中心として凄まじい勢いで波状に広がり、瞬く間に周囲の魔物を呑み込んでいった。
辺りには雷がもたらす轟音と魔物の悲鳴が響き渡り、見る見るうちに魔物たちが靄になって掻き消えていく。木々をも焼き倒す雷の波は辺り一帯を焼き焦がして進み、それが収まる頃には、少年とカリオスの周囲にいた魔物の半数以上が消失していた。
その威力に、少年は息を呑んだ。カリオスは広範囲に渡る魔法が使えないのかと思っていたのだが、その考えは間違っていたようだ。
そんな少年を改めて見下ろして、カリオスが微笑む。
「どうか謝罪などなさらないでください。貴方に謝罪されてしまうと、私は本格的にギルヴィス王陛下からお叱りを受けてしまう。貴方はギルディスティアフォンガルド王国の民で、私は国軍の一員なのですから、私が貴方をお守りするのは当然のことです。……エインストラだのなんだのという話は二の次なのですよ。私の敬愛する陛下がそれを望まれる以上、私はこの命に代えても民を救うことが役目。ならば、貴方が私に守られることで負い目を感じることなどないのです。キョウヤ殿は、紛れもなくギルディスティアフォンガルド王国の国民なのですから」
そう言って笑ったカリオスに、少年は胸の奥が掴まれるような不思議な感覚を覚えた。その感情の正体が何なのかはよく判らなかったが、それでも、カリオスが少年に対してこの上ない配慮をしてくれていることは判る。彼は、エインストラという特殊性故ではなく、この国の民であるから少年を守っているのだと、そう言ってくれているのだ。
きっと、先ほどの魔法だって使う予定なんてなかったものなのだろう。金の国の国民は総じて魔法適性が低いのだとグレイは言っていたが、それは目の前の彼も同じなのではないだろうか。金の国の中では魔法が使える方だとしても、例えば赤の国の騎士団長たちと比較するならば、きっと魔法適性の面では不利だろう。そんな彼にとって、さっきのような大技による魔力消費は決して少なくはないはずだ。それでも彼が魔法を使用したのは、やはり少年の不安を払拭するためなのだろう。一気に大量の敵を倒すことで、追い詰められている訳ではないと証明しようとしてくれたのだ。
それが虚勢であることは、とうに判っている。先ほどカリオスが使用した魔法を以てしても敵の全てを倒すことは叶わず、どこにいるのか判らない本体に攻撃が届くこともなかった。そして、カリオスが削った戦力は早くも補充され始めている。本体を倒せなかったということは、そういうことだ。
一方のカリオスは、少年という足手まといを抱えた上で立ち回るしかなく、先ほどの大規模な雷魔法を使用したせいか随分と疲労が溜まっている。どう考えても、限界である。
それでもカリオスには諦めるという選択肢はないらしく、再び地面を蹴った彼は、追い縋る蜘蛛の化け物たちを散らしながら、貝を仕留めていった。だが、動きが鈍り始めたその脚を、とうとう異形の化け物が捉えてしまう。
「ッ!」
着地した瞬間の脚を鋭い爪に貫かれ、カリオスは息を詰めた。寸でのところで倒れるのは防いだが、深く突き刺さった爪をすぐさま引き抜くことができず、身動きが取れないでいるところに、牙が並ぶ魔物の大きな口が迫って来る。咄嗟に少年が身体の正面に来るようにして抱き締めたカリオスは、脚の肉が千切れるのを覚悟の上で無理矢理に爪から逃れ、回避行動を取った。だが、僅かに遅い。
カリオスがその場から離れるよりも早く、魔物の牙が彼の背を襲う。
「ぐぁッ!」
直撃こそ免れたが、魔物の牙は容赦なくその背を抉り、鮮血が散った。だがそれでも、カリオスが歩みを止めることはない。留まれば追撃が来ると、考えるまでもなく判っていたからだ。
その後の攻撃をなんとか躱した彼は、一度体勢を整えて再び反撃に出ようと剣を構えた。が、そこで不意に、彼の身体がぐらりと傾く。なんとか少年に直接衝撃がいかないように体を捻って地面に倒れたカリオスは、すぐさま身体を起こそうとして、うまくいかないことに気づいた。
(まさか、毒か!?)
全身に走る痺れと自由が利かない身体は、彼が毒に侵されていることをありありと示していた。
恐らく、蜘蛛のような身体の魔物の攻撃を受けたときだ。あの爪か牙に即効性の毒があったのだろう。
(っ、駄目だ、動かない……!)
少年を庇うことを優先し、敵の攻撃を剣で受け止めなかったことが仇となった。なんとか動かせる目を少年に向ければ、彼は可哀相なほどに顔を蒼白にしてこちらを見ていた。
(守るべき相手にこんな顔をさせてしまっては、ギルヴィス様に顔向けできないな……)
自嘲するような苦笑が零れそうになったが、弛緩してしまった筋肉ではそれすらもままならない。それでもなんとか力を振り絞ったカリオスは、少年が下に来るように無理矢理身体を転がした。幸いなことに少年の身体はカリオスよりも小さいので、こうして上から覆い被されば、少しくらいは時間が稼げると考えたのだ。
「ふ、うれい……、か、れい……」
切れ切れに名を呼べば、カリオスの意図を察してくれた精霊が、二人を守るように雷の盾を展開させてくれる。
(これも少しの間しか保たないだろうが、ないよりはマシだろう。さすがに俺ごと貫かれたら、この子も無事では済まない)
身体の下に庇った少年が、泣きそうな声でカリオスの名を呼んでいる。だが、そろそろ舌すらも痺れてきた彼には、それに上手く応えることができなかった。