蜃気楼の攻防 2
「……あの方のご指示がなければ、今からでも私の師団を招集させたいところですね」
やや冗談交じりにそう言ってみたカリオスだったが、発言自体は彼が心の底から思っていることだった。
そんな彼を、化け物たちが一斉に見る。いつの間にか、二人の周りは無数の化け物で埋め尽くされていた。
(俺一人ならばまだなんとかなったかもしれないが、この子を守りながらこいつらが森の外にまで出ないようにするのはほぼ不可能だ。……ならば、)
「風霊、第二師団に指令だ。ある程度離れた位置からこの森を包囲し、森から出てきた魔物がいたら一匹残らず排除しろと伝えてくれ。それから、キョウヤ殿を持ち上げる手助けを」
そう風霊に指示を出したカリオスは、次いで少年へと声を掛ける。
「私の遠距離魔法では敵を倒すには威力不足のようなので、これより直接攻撃に移行します。私や風霊も支えはしますが、できる限り自力で私にしがみついていてください。良いですね?」
そう言うや否や、少年の了承を待たずにカリオスは跳躍した。勿論、少年を右腕に抱いたままである。
突然の浮遊感に思わずカリオスにぎゅうとしがみついた少年をそのままに、カリオスは手近にいた魔物へと剣を振り下ろした。その瞬間、剣に纏った雷が一際強く弾け、化け物の身体が焼き焦げながら一刀両断される。すぐさま剣先を翻したカリオスは、次いでその隣にいた化け物に向かって跳びかかり、横薙ぎに剣を振るった。正確に首を狙った一撃により、化け物の胴と頭が切り離され、その巨体が地面に崩れ落ちる。そうして倒れた魔物たちは、ふわりと滲んで靄になり、空気に溶けていった。
(この人、強い……)
赤の王のように広域に及ぶ強力な魔法こそ使わないものの、正確に急所を狙う太刀筋は鮮やかで、カリオスは最小限の動きで次々と魔物たちを屠っていった。彼は雷魔法と剣による直接的な攻撃を併せることで、雷魔法単独では弾かれてしまった殻すらも見事に打ち砕いてみせたのだ。師団長の肩書は伊達ではないようである。
だが、魔物の方もそれを大人しく見ているだけではない。自身が生み出した幻たちが次から次へと倒されていく様子に思うところがあったのか、残った貝たちは再び一斉に殻を開け、またもや幻を投影し始めた。
(くっ、幻影の貝すらも幻を生み出せるのが非常に厄介だ。俺が倒す量よりも、向こうが幻を投入する量の方が圧倒的に多い)
この状況を打破する方法があるとしたら、本体を仕留める以外にはないだろう。しかし、幻たちはどれも精巧で、カリオスには本体かどうかの区別などつけられない。
そこでふと、カリオスはエインストラのことを思い出した。
天ヶ谷鏡哉がエインストラの血を引いている可能性は非常に高い、という話は、赤の王から円卓の連合国の王たちに対して報告されている。そして、金の国の王であるギルヴィスの信頼が厚いカリオスもまた、王からそのことを知らされていた。
(エインストラの血縁ということは、この子ならば本体を見破れるということか……?)
エインストラの瞳は万物の真実を見抜くと言う。ならば、幻に紛れた本体を見抜くなど造作もないことだろう。そうなれば、この状況を一気に打破できるかもしれない。
そう考えたカリオスは、腕に抱えている少年に視線を落とした。
「キョウヤ殿。正直に申し上げて、今の状況は非常に厳しい。本体を叩かないことには、こちらがジリ貧になるでしょう。そこで、無理を承知で申し上げます。どうかその右目で、エインストラの目で、この中から本体を探し出しては頂けないでしょうか」
カリオスが言ったそれは、間違いなく現状における唯一にして最善の策だ。そして彼には、この方法であれば確実にこの場を切り抜けられるという自信があった。だが、
「……え、あ、あの、ぁ、」
右目、と言われた瞬間に、少年の表情が目に見えて変化した。顔面が蒼白になり、何かに怯えるようにその身体がカタカタと震え出す。
無理もない話だ。少年にとって右目を晒すことは、死と同義と言っても過言ではないくらい恐怖すべきものなのである。いや、もしかすると、ある種死よりも忌避すべき事態とも言えるのかもしれなかった。だが、それでも彼は死ぬわけにはいかない。
少年には自覚などないが、その理由は本当の主人格たるちように起因するものだった。ちようによって生み出された人格は全て、ちようのために存在するのである。それは『鏡哉』も例外ではなく、だからこそ彼は死を選ぶことができない。誰よりも何よりも守るべきちようを殺すという選択肢など、存在しないのだ。
右目を晒すことは絶対に避けたいが、死を選択できない以上生存を模索する必要があり、そのために右目を晒すことが必須だというのならば、少年にはそこから逃避することなどできない。他人には理解できないのかもしれないが、少年が置かれた状況は最悪だった。本当に崖っぷちまで追い詰められた精神が悲鳴を上げ、今にもこの場から逃げ出してしまいたくなる。
本来であれば、とうに『グレイ』か『アレクサンドラ』が主導権を奪い取っているところだ。無論、彼らもそれを何度も試みた。だが、やはり人格の入れ替えが上手くいかないのだ。もしかすると、先ほど長時間『グレイ』が表出していた影響なのかもしれない。
とうとう過呼吸のような症状まで出始めた少年は、しかしその間にもカリオスが必死に戦っているのを目にして、ようやく覚悟を決めたのか、弱々しくこくりと頷いた。そしてその震える手が眼帯へと伸ばされ、上の縁に指が掛かる。そのまま彼は、勢いに任せて眼帯を剥ぎ取ろうとした。だが、
「……申し訳ありません、キョウヤ殿」
眼帯を外そうとした少年の手を止めたのは、カリオスの左手だった。咄嗟に少年を支えている腕をずらして右手に剣を持ち換えた彼は、空いた方の手で眼帯に掛かった少年の手を掴んだのだ。そして、そのまま震えている手をそっと眼帯から外させる。そんなカリオスの行動に驚きを隠せないでいる少年に向かって少しだけ優しく微笑んでみせた彼は、再び利き手に剣を持ち直して構えた。