表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
101/259

水の呪い 7

 防戦気味に敵の猛攻に対処していた王の耳元を、その場には不釣り合いな涼やかな風が撫でた。レクシリアの言伝が届いたのだ。

(思っていたよりも早い。これは僥倖だな)

 きっかりと矢の倍の速度で駆けて来たのだという風の乙女の言葉は、恐らく事実だ。王には絶対に不可能な技だが、レクシリアならばそれくらいの調整はやってのける。それさえ判れば、後は王宮からここまでの距離を考慮し、矢が到達するおおよその時間を予想して動くだけである。

「さっきから押される一方じゃあないか! まさかもうバテたなんてつまらねぇこと言うんじゃあないだろうな!」

 そう叫びながら女が繰り出した重い一撃をなんとか剣でいなした王は、そのまま横に跳び退って彼女から距離を取った。

「あまり馬鹿にして貰っては困るな。この程度で参るような鍛錬はしていない。……それに、勝負はここからだとも」

「ほお? まだ何か見せてくれるって?」

 王の言葉に、女が嬉しそうな表情を見せる。そんな敵の様子に、王も余裕を窺わせる笑みを返してみせた。

 とは言え、息ひとつ上がっていない女に対し、王の方は確実に疲労が蓄積していた。エトランジェたる女の種族までは判らないが、人間よりも上位に座す種であることは間違いないだろう。種族の差というのは、努力でどうなるものではない。その上、彼女の持つ水の呪いは、王にとっては天敵のようなものである。極限魔法クラスの魔法を使えば戦況も変わるのだろうが、高威力の火霊魔法は広範囲に影響を及ぼすものばかりだ。それこそ、先程の水の呪いを打ち破ったときのように遥か上空に向けて放つでもない限り、あたり一面の地形を大きく変えてしまうだろう。特に王が操る火霊魔法は、とにかく調整が利かない。故に王は、可能な限り自国の領土でこの手段は取りたくないと考えていた。

 こういった制限のある中、上位種を相手に王がここまでの善戦を見せているのは、奇跡のようなものである。

 しかし、さすがの王もこのような戦い方を続けるのには限界があった。表情こそ余裕のある様子を保っているものの、息は上がり、汗がとめどなく溢れてくる。女の連撃を捌き続けたせいか、剣を握る手にも痺れが出始めてきた。

(これでは矢が届くまで保たんか。……潮時だな)

 呼吸を落ち着けるように大きく息を吐き出した王が、剣を右脇に構える。そして彼は、朗々たる声を紡ぎ始めた。

「命育む大地よ 命燃やす炎よ 我が声を聞け 我が願いに応えよ 灼熱と堅牢の息吹を以て 我にひとときの力を与えん! ――“炎砂の剣鎧(ケルパ・ウェイク)”!」

 詠唱し、王が大地を蹴る。それは、相手の猛攻を捌くことに徹していた王が攻撃に転じた瞬間だった。

 これまでよりも遥かに機敏な動きで、王が女の喉元へ刃を突き立てようと剣を繰り出す。それを己の爪で防ごうとした女は、しかし王の剣に触れた瞬間に僅かに眉を顰めた。だがそれも一瞬のことで、やはり力づくで刃を弾いた彼女が、もう片方の爪を王の腹に埋めんと腕を振る。

 女の爪は、これまでの王であれば確かに対処しきれない速度で王を襲ったが、彼はそれを躱すでもなく受け流すでもなく、すぐさま翻した剣で受け止めてみせた。

「……へぇ」

 にやりと笑った女が、剣に止められた腕に力を込める。空いている方の腕で追撃をしないということは、力比べをするつもりなのだろう。

(っ、これでも、足りんか……!)

 両腕で剣を握っているにも関わらず、女の腕ひとつに押され始めた王は僅かに顔を顰めた。そして、両腕に更に力を込めて叫ぶ。

「三倍だ!」

 途端、王の膂力が増し、彼は見事に敵の爪を弾き返した。そして、そのまま返す刃で女の腹を狙う。鱗に覆われた箇所に刃が通らないことは判っていたので、鱗がない可能性がある場所を選んだのだ。服の内側がどうなっているかは判らないが、仮に鱗がなければ致命傷になったであろう。しかし渾身の一撃は、女が咄嗟に後ろに跳び退ったため、その腹を浅く切り裂くに終わってしまった。だが、僅かに散った血液を見るに、やはり彼女の鱗が覆える場所には限りがあるようだ。

「……身体強化魔法か。そんなものまで使えるとはな。アンタは魔法に関しちゃ相当不器用だって聞いてたが、存外器用な真似をするじゃあないか」

「それはまた、不名誉な噂が流れているようだな」

 そう言って笑ってみせた王だったが、ヒトならざる彼女の言っていることは正しい。身体強化魔法は、熟練者ならば必要な瞬間に必要な箇所のみを強化することも可能な魔法であるが、王はその切り替えを瞬時に行うことができないため、結果的に継続的な全身強化をせざるを得ない。その上、地霊魔法の適性が高くはない王にとっては、地霊魔法と火霊魔法を複合して扱うこの魔法による魔力消費は著しく大きいのだ。

「三倍ってこたぁ、通常時の三倍の力を発揮できるってところか? いや、力だけじゃあなくて速度も増してるな。だけどお前、三倍で動けるってぇ判ったなら、こっちもそれに合わせて調整するだけだぞ?」

「構わんよ。三倍ならば、お前の動きに対処し切ることもできよう」

 事実、王の目は彼女の出す攻撃の全てを見切ることはできていた。だがそれに、人間の身体の反応速度が追いつかない。ならば、一時的に人間としての限界を取り払ってやれば良い話である。そしてそれを実現させるのが、身体強化魔法であった。

「言うじゃあないか!」

 そう咆えた女が、再び王へと肉薄する。その後は、ひたすら剣と爪、そして炎と水のぶつかり合いだった。常人の目では追えないほどの速度で繰り出される攻撃を互いに捌き、そして反撃に転じる。相手によって逸らされた一撃は大地を抉り、戦場となった地にいくつもの爪痕を残していった。

 激しい戦闘は、一見すると互いの力が拮抗しているように見えたが、その実徐々に押され始めているのは身体強化を施している王の方であった。通常時の三倍に至る強化を行っても尚、異形たる女の純粋な身体能力に届いていないのだ。

(なんの異形かは知らんが、相当な上位種と見える)

 だがそれでも、かつて偶然出会ったあのドラゴンに感じた畏怖のようなものはない。それはすなわち、王にも勝機があるということだ。そして、王にはその勝機を手繰り寄せる自信があった。

 再び吹いた風が、柔く頬を撫でる。風の乙女による合図だ。そしてそれは、王が想定していたタイミングで訪れた。

 王が視線を向けた先。異形の女の向こう側。夕陽を背に受けて飛来する一矢が、炎と水の衣を脱ぎ捨てその姿を露わにする。

 王の目がそれを捉えた瞬間、地霊と火霊が色濃く王の全身を駆け巡った。王は何も指示していないし、しようともしていない。だが、彼にはそれが可能だった。

 それは、ヒトの身では決して至ることのできぬ境地。精霊そのものを統べることでしか到達できない極み。だからこそ、女はその可能性を一切考慮しておらず、そしてそれこそが決定打になった。

 首都にてレクシリアが放った矢が姿を見せたその瞬間、これまでよりも遥かに速く重い一撃が、女を襲った。ほとんど考える暇など存在しない中、その一撃に対して迷いなく回避行動が取れたのは、彼女の戦士としての本能のなせる業なのだろう。

 彼女は著しく優れた戦士であるが故に、王の一撃を受け切れないことを瞬間的に悟ったのだ。恐らく、今の刃が彼女に到達していたならば、勝負は決まっていた。それほどまでに、磨き抜かれた必殺の技であった。

 だが、当たらなければそれまでだ。確かに優れた攻撃ではあったが、女の虚を突く形だったからこそ通用した技でもある。更に速く強く動けるというのならば、女の方もそう心得て対処すれば良いだけなのだ。だからこそ、驚きはしたものの、彼女が焦ることはなく慄くこともない。


 そして、そんなことは王も十二分に承知していた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ