天姿国色~前編~
私の一日は、自分を偽ることから始まる。
入浴を済ませ、丁寧に化粧をし、伸ばしっぱなしの髪をとかしてから綺麗に巻き髪にする。
露出の高いシルクのドレスをまとった私は、もう『私』じゃない。
「ジュリエッタ様!おはようございんす」
「おはようございんす。早くからご苦労でありんすぇ」
仕事部屋まで向かう廊下で、たくさんの下働きの子とすれ違う。
ここは、イルヴェンヌ娼館。伝説の風俗街、アミュラスを代表する娼館だ。
イルヴェンヌには上から下まで数々の娼婦が在籍している。
上は有名なポルノ女優から、下は身寄りの無い子供から。
親に売られてやって来るような子も、少なくはない。
私はここのナンバーツー娼婦、ジュリエッタだ。
「あら、バレロン様。 どこで浮気をおしだぇ」
「う、浮気だなんて……俺は君のことしか考えていなかったよ」
「まことにそうでありんすか? わっち、嫉妬してしまいんすよ? 」
今日の口開け(一人目)はバレロンと名乗る男。ジュリエッタのところに来るのは三回目だ。
とても真面目な性格で、どこかおどおどしている。責められるのが好きらしい。
「ほら、早くこっちに来てくんなまし」
「あ、ああ……。 本当に会いたかったんだよ。 こ、これプレゼント」
バレロンが取り出したのはスケスケのセクシー下着。はいはいそういうことね。
「わあ!びっくりしんした……! わっちにくれるんでありんすか? 」
「勿論だよ。 着てみてよ」
「えらい嬉しいでありんすぇ。 分かりんした。 着てみんす」
人前で服を脱ぐことへの抵抗などとっくに無くなっているので、私はほぼ下着のようなドレスをぽーんと脱ぎ、付けていた下着も取って丸裸になる。貰った下着をつけると、バレロンは私を抱きしめた。
「とっても似合っているよ。 ジュリエッタ……素敵だ」
「……ありがとうございんす……バレロン様」
「き、今日も最高だったよ。 ジュリエッタ」
「………ありがとうございんす。 ぜし、また会いに来てくんなまし」
「勿論さ!! 埋まっちゃう前に俺、頑張って予約取るからさ!! 」
「………次はもつとも激しいのがしたいでありんすぇ」
「ジュリエッタ………君はなんていやらしいんだ」
そう演技しているんだからいやらしいに決まってるじゃない。男はみんな馬鹿で単純。
扉が閉まるまでは笑顔で手を振る。閉まったら速攻で化粧直し。髪型直し。
そして次の男を受け入れる。これが私、いや、ジュリエッタだ。
「お疲れ。 ジュリエッタ。 また指名で埋めたそうじゃん。 凄い人気だな」
「マリアンヌ様。 お疲れ様です。 勿体ないお言葉でありんすぇ」
「なあなあ。 いい加減ポルノ女優に転向する気はないのかい? あんたくらいの美人だったら相当な額、稼げるぞ? 」
マリアンヌさんはイルヴェンヌのナンバーワン娼婦であり、本業はポルノ女優をしている。
そして私のルームメイトだ。いつもポルノ女優にならないかと進めてくる。
「申し訳ないでありんすが、貯金が貯まったらここを辞めるつもりなんで、ポルノ女優になる気はありんせん」
「ふーん。 起業? するんだっけ? ……あんたはその堅い性格さえどうにかなればいいんだけどねえ」
私は高校を出てすぐここイルヴェンヌ娼館に入った。
理由は二つある。一つは奨学金の返済と、もう一つは夢の為だ。私には夢がある。
芸能事務所を建てることだ。芸能事務所を建て、自分が専属のモデルになる。それが私の夢。
その為に今はこの娼館に住み込みで働いている。
もともと性に関しては奔放だった。
周りには隠していたけれど、知らない人でも声を掛けられれば簡単に許してしまっていた。
それが仕事に出来るなら、それで稼げるなら万々歳じゃないか。
私は娼館を厳選し、後に履歴が残らないようなきちんとした娼館を選んだ。それがここイルヴェンヌだ。
イルヴェンヌとはここアミュラスに伝説の娼婦として名を馳せた女性の名前だそうだ。
そしてこの娼館の創設者でもある。
女性で起業をした人なんて、まさしく私の憧れだ。毎日写真を見ては自信を貰っている。
「また今日、新しい子が入ったみたいだよ。 親に売られた子だってさ。 なあ。 見に行くかい? 」
親に売られた子……またか。酷い親もいるもんだなあ。
それにしたって、それを見に行って何が楽しいのだろうか。
「わっちは遠慮しておきんす」
「んもう。 ツレねえなあ。まあ、ジュリエッタが行かないならあたしも行かねぇよ」
かわいそうな子たちは今まで何度も見てきた。というか見飽きた。これ以上見たくない。
見ても心が痛くなるだけ。自分には関係ない。
そう、思っていた。
「ねえ聞いたかい!? ジュリエッタ!! 」
「はい。 マリアンヌ様。 昨日入ったばかりの新入りの話なら三度ほど聞きんした」
早番が終わり、昼休憩で私とマリアンヌ様は部屋で休んでいた。
「んもう! ツレねえなあ。 あの子、源氏名をミューラといったかな。 親に売られた貧乏な娘にも関わらず、あの美貌。 十三歳にしてあの色気。 言葉遣いもきっちりしてる」
昨日入ったばかりのわずか十三歳の新入りは、ここイルヴェンヌに大旋風を巻き起こしていた。
「そんな子がどうして、こーんなところなんかに、ねえ」
「………ではわっちはそろそろ行ってきんす」
「行ってらっしゃい。遅番は何本だったっけ? 」
「今日の遅番は十本です」
「頑張りな。 売れっ子ジュリエッタちゃん」
マリアンヌ様はにやりと笑ってみせた。
「はあッ………気持ちいい………おかしくなってしまいんすッ………」
この人は初回客。責めるのが好きらしい。それにしてもしんどい。
「ジュリエッタと会えて本当に良かったよ。 何せ予約でいっぱいで一か月も待ったんだからな。 最高だったよ。 ジュリエッタ」
「……ありがとうございんす。ぜしまた、会いに来てくんなまし」
早番で五本、遅番で十本ともなるとこの仕事はなかなか辛いものがある。
体力的にも限界を迎えていた。お客が扉を閉めてやっと、気を抜くことができる。
「やっと終わった……」
コンコン、とノックの音。清掃譲だ。
「失礼致しんす。 清掃にあがりんした」
あれ、と顔を見る。真っ白な肌に、きらきらした瞳。ピンクがかった赤毛の巻き髪。
名札には『ミューラ』とあった。
「あら、あなたが噂の……」
「ふぇ!? う、噂でありんすか!? 」
ミューラはびっくりしてひっくり返る。
「あらあら、ごめんなさいね。 怖がらせて。 皆があなたのことを美人だって噂していたのよ」
「そ、そんな……めっそうもないです……美人だなんて……」
「謙虚なのね。 嫌いじゃないわ。 あなたみたいな子」
「あっ……ありがとうございんす!! 」
「清掃の仕事が終わったら二○三号室まで来て。 是非食事ご一緒しましょう」
「えっ!? い、いいんでありんすか!? 」
「いいよ。じゃあ、またね」
自分でも驚いていた。
二年間ここで働いてきて、後輩に気をまわすなんてしたことがなかったからだ。
「マリアンヌ様は……まだ仕事中かな」
部屋に戻ると誰もいなかった。さすが売れっ子ポルノ女優である。
コンコン、とノックの音。開けるとそこには先ほどの女の子が立っていた。
「さあ、食堂に行きましょうか」
「はい! お願いしんす! 」
この寮での食事はバイキング形式である。
だが、上の方の娼婦なんかは下の者に命令して部屋まで食事を運ばせたりもする。
新入りの頃はよく運ばされたものだ。
私は下の者に命令をするのが好きではないためそんなことをしたことは無いが、自分で部屋まで運んで大体いつも一人で食べていた。
「どう? ミューラ。 ここの雰囲気にはもう慣れた? 」
「いやいや! まだまだ来んしたばっかりですし、慣れたなんて、そんな風には思いんせん」
「そうよね。 まあ、逆にもう慣れたなんて言われたらびっくりだけど。 もう客は取ったの? 」
「そんな! まだまだ下働きです……。 入ったばかりですので」
「でも支配人が貴女のことをとても気に入ってるみたいよ。 他の娘より先に客を取ることになるかもしれないわね」
「恐れ多いでありんす……」
「怖い? 客取るの」
「え……」
「いいわよ。 正直に言ってみて」
ミューラの顔が歪む。俯いたミューラは、声を押し殺すように零した。
「……怖い、でありんすぇ……」
「そうよね、ありがとう。まだ十三だっけ? 経験は無いわよね? 」
あどけない処女が初めての客を取った後に自殺する例はとても多い。
ミューラには死んで欲しくない、と思った。
「わっちでもまだ実感が湧かないでありんす。 娼館で働いているなんて。 モデルになれるからなんて親に言われて来てみれば、なんだこういうことでありんしたのかと」
「えっ? あなた、モデルになりたいの!? 」
「えっ! あっ! いや、こな顔で……こな体型で何言ってんだって話でありんすぇ。 無理だって分かっていんす。 分かってるんでありんすが、憧れでありんしたんですぇ」
ミューラは顔を赤らめたまま話し続ける。
「わっち、その……親が最悪でありんして、家に落ち着ける場所とか無かったんでありんすが、一枚だけモデルさんのポスターが貼ってあって……すごく綺麗で可愛かったんでありんすぇ。 何て名前のモデルさんかも知らなかったんでありんすが、そのポスターを見て、いつなるときも勇気を貰えて……殴られて落ち込んだときとかも、元気を貰えて……! 」
「だからモデルになりたいと思ったって訳ね? 」
それから私とミューラは、食堂でよく一緒にご飯を食べるようになった。
それこそお互いの、いろんな話をしながら。
「……おかえりジュリエッタ。 遅かったじゃん。 またミューラと? 」
部屋へ戻るとマリアンヌさんが退屈そうに煙草をふかしていた。
「はい。 食堂でミューラと一緒でありんした」
「本当にお気に入りなんだねえ。 まあ確かにミューラも美人だけどさ。 アタシは下の方の子に目を向けたことなんて無かったなあ」
「なかなか楽しいでありんすぇ。 妹が出来んしたようで。 あん子は、わっちの退屈な毎日に、楽しみを与えてくれんす」
「……ふーん。 楽しみ、かあ。 ……いいね。 そういうの。 ……ちょっと憧れる」
「マリアンヌ様がそなことをおっしゃるなんて、珍しいでありんす」
「何だよお。 別にいいじゃん? ……ジュリエッタ。 あんたのことは、本当にいつも羨ましく思ってるよ。
こんなに綺麗で美しくて……」
マリアンヌさんは綺麗にネイルアートされた爪で私の髪に触れる。表情はうっとりとしていた。
「……め、滅相もないです! マリアンヌ様の方が、綺麗でありんす」
冷や汗が出る。どうして、どうしたって、この人は、返答に困るようなことを言うのだ。
「ふふ。 ……絶対、あんたには負けねえよ」
「勝てるはずもありんせんよ! わっちなんか……」
「それじゃあつまらないね。 アタシを負かす気で来いよ。 ねえ?ジュリー」
ジュリー、とはマリアンヌさんだけが呼ぶ、マリアンヌさんが付けた私のあだ名だ。
今日は毎月一回のランキング発表の日であった。娼婦たちは皆、広い公堂に集められる。
支配人が現れると、皆膝をつく。そういった決まりだ。
「ええ、今月の人気ランキングだが、一位、すなわちナンバーワンから発表する」
ナンバーワンは毎月マリアンヌさんだ。私がここへ入って以来、変わったことがない。
「今月のナンバーワン、…………ジュリエッタ!」
え?場が静まり返る。嘘でしょう?私は唖然とした。……私が、ナンバーワン?
今隣に居る、ポルノ女優のマリアンヌさんを抜いて?
「祝い金だ。受け取りなさい」
「……有難き幸せでございんす」
周りが見れなかった。マリアンヌさんの顔が見れなかった。怖かった。とにかく怖かった。
「えー、続いてナンバーツー、マリアンヌ!」
マリアンヌさんの手が私の肩に触れる。
「……よかったじゃん。おめでとう。ジュリー。ようやくアタシを負かしてくれたんだね」
怖かった。とてもマリアンヌ様の顔を見ることが出来なかった。だけれど私は後悔することになる。
この時、ちゃんとマリアンヌ様の顔を見ていればよかったと。
その日もイルヴェンヌは変わりなく営業が開始された。
ただひとつ違うのは、ナンバーワンの看板がマリアンヌさんのものから私のものへと変わっていたこと……。
「ジュリエッタ!ナンバーワンになったんだってねえ!これ、オジサンからの些細なお祝いだよ。メリーズ工房の高級クッキー」
「いっそ嬉しいでありんす。甘いものは大好物でありんすぇ。確かに受け取りんした。また来ておくんなんし?愛しいぬし様……」
「ジュリエッタはいい子だなあ本当に。よしよし」
私は無事に仕事を終え、ミューラと食事をし、部屋へと戻る。
昨日は怖くて顔を見れなかったけれど、今日でちゃんと話して仲直りしよう。
「マリアンヌ様?ただいま戻りんした。今日、お客さまからクッキーを頂いたので是非一緒に……」
──首を吊っていた。
そこには美しい女性の醜い死体があった。
──マリアンヌさんは、首を吊っていた。
そこからの記憶はほぼ無い。
私は絶叫して倒れて、医務室へ運ばれたみたいだった。目を覚ますとミューラが傍にいた。
「ジュリエッタさま!」
「ミューラあなた仕事は……!?」
「……就寝時刻でありんす」
慌てて時計を見る。午前六時を過ぎたところであった。
「あ……ま、マリアンヌ様!マリアンヌ様を助けないと……!」
「落ち着いてくんなましジュリエッタ様!……マリアンヌ様は……もう……」
そう言ってミューラは俯いた。
「嘘……でしょう?私が、私がナンバーワンになったから……私が、あの人の居場所を奪ってしまったから…………」
「ジュリエッタ様のせいではないでありんす!!」
「じゃあ誰のせいなのよ!?」
「……どなたのせいでもないでありんす」
「う、うわあああああああ」
私は泣いた。九歳も歳の離れた女の子の前で、見るも無残に泣いた。大泣きだった。
「あの人は何もかもを私に教えてくれた。まさかナンバーワンと相部屋だと聞いて焦ったけれど、あの人は右も左も分からなかった私に何もかもを教えてくれた」
けっして優しくはなかったけれどね、と継ぎ足す。
「どうして一番近くに居ながら気づけなかったんだろう。あの人が上で、私が下。その位置が、距離感が、私たちには一番合っていたのに。崩れてしまったから」
ミューラは何も言わずに話を聞いてくれた。
「ミューラ、あなたモデルになりたかったと言っていたわよね?」
はい、と頷くミューラ。
「借金はどれくらい残っている?」
そう、人身売買で来た子には元から借金があり、最低でもそれを返すまでは働き続けなければならない。
「……あと九年と十ヶ月二十五日でありんす。どうしてそんなこと……」
「私が払う。私が払うわ。だからミューラ、あなたには私と一緒に来てほしい。言っていなかったけれど、私の夢は自分で芸能事務所を建てて専属のモデルになることなの」
ミューラはとても驚いた表情をする。当たり前だ。
「ミューラにも専属のモデルになってほしい。……駄目かな?私じゃ信用ならないかな?」
弱弱しくて、情けなかった。九歳も年下の子を相手に、私はただの子供でしかなかった。
「そんなことが、できるでありんすか?」
九歳も年下の少女は、真っ直ぐに私を見据えて言う。
「できる、と思う。理屈的にはね」
「わっちは、どこまでも着いて行きんすよ。ジュリエッタ様。ぬしに」
支配人から聞いた話によると、マリアンヌ様の本名はナノ。
母親は娼婦で娼館生まれの娼館育ちだそうだ。
そして、伝説の娼婦、イルヴェンヌの孫にあたる存在だったという。
イルヴェンヌの孫と聞いて驚いたが、なるほど、あのカリスマ性はイルヴェンヌから引き継いだものだったのか……。
この仕事なら誰にも負けないと、マリアンヌさんは幼い頃から誇り高きプライドを持って仕事をしていたそうだ。
しかしそれは崩れた。『ジュリエッタ』という一人の新人により。──そう、私だ。
『ジュリエッタ』の美しさに、『マリアンヌ』は一瞬にして生きる意味を見失ってしまった。
『ジュリエッタ』に順位を越されたら死ぬと、そう彼女は、『マリアンヌ』は決めていたらしい。
≪アタシを負かす気で来てよ≫ ≪ようやくアタシを負かしてくれたのね≫
マリアンヌさんの言葉が頭の中をぐるぐると巡る。あの人は、死にたかったんだろうか──?
ミューラを買い取る手続きは、やはりと言ってもよいのかとても難航した。
期待の新人ということもあって、そう簡単にはいかなかった。
そしてナンバーワンの私が辞めることに対しても、そう簡単に話は進まなかった。
あんなに怖い支配人を見たのは初めてだったかもしれない。
お金を積んで積んで、ようやく話は一件落着。これからしばらくは貧乏生活を強いられるようだ。
しがらみの無い娼館を探してここ(イルヴェンヌ)にしたというのに、全くしがらみの無い娼館というのは無いのかもしれない。
その日、私もミューラも最後の仕事を終えそのまま荷物をまとめ、一緒にイルヴェンヌを後にした。
「ミューラ。あなた本名は何ていうの?」
「……アミーです。最低な親でしたが、この名前だけは気に入ってます」
「アミー。すごくいい名前ね。私はね、……ボーヴォワール・セアラっていいます」
「セアラ……さん。とっても素敵な名前ですね!」
「ありがとう。アミー。あなたのおかげで忘れかけていた本名を思い出すことができたわ。これから先、大変かもしれないけれど二人で頑張って行きましょう?普通の一般人として」
「はい!セアラさん!私……本当に感謝しています。私を泥沼から引っ張り出してくれてありがとう……ございます……」
日は昇ってきている。新しい一日の始まりだ。
これからどんな未来が待っているんだろう。辛くて苦しいときだってあるかもしれない。でも大丈夫だ。きっと大丈夫。二人で乗り越えていこう。
二人なら、きっと乗り越えられる。
つづく