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世界で一番幸運な男・後編


 少し気落ちしたまま始まったじゃんけん大会でローランドは意外なほどに勝ち残ったが、十回目にして負けてしまった。あと三十人ほどのところまで残っていたため、負けがわかったとき、同僚たちは全員が残念そうな顔をした。


「あーっローランドも負けたか! ま、どうせ俺らにゃ無理だよなぁ」

「でも勝ったときドキドキしたよな?」

「だな! もしかしたら婚約者になれるかも、って思えたなぁ」


 同僚たちの冗談交じりの会話を聞きながら、ローランドも笑った。


「いい夢見せてもらったよな」


「本当本当。今日はいい夢見れそうだわ」


「夢の中では第一王女の婚約者になってたりしてな!」


 平民出身者らしい意味などない話をして、全員でまた笑った。ローランドの夢見は、婚約者が決まったあとの第一王女の表情にかかっている。出来ることならば幸せそうに笑っていてほしい。

 ただ第一王女がどういう顔をしていても、ローランドは明日からも王都の巡回警備を頑張ろうとは思った。それが巡り巡って国の、ひいては第一王女の御為になるだろう。

 そのためにも明日の英気を養うべく、もう二度と呑む機会のないであろうワインに再び手を付けた。呑み溜められるわけではないが、浴びるほど呑みたい気分になったのだ。同僚たちも巻き込んでワインを呑んでいると、大きな歓声が上がった。ついに勝者が決まったのだ。


 慌ててローランドが視線を向けた先で悠々と拳を突き上げていたのは、花形部署である戦略立案本部をまとめ上げるフォイエルバッハ大将だった。無論、それなりの年であるため既婚者である。噂では敵には容赦ないが人格者らしく、ローランドはほっとため息をついた。

 方針を考えると軍部の誰かが選ばれるはずだが、誰にせよフォイエルバッハ大将であればきっとそう悪くない相手を選んでくれるだろう。一兵卒の下っ端でしかないローランドは、フォイエルバッハ大将のことなどよく知りもしないのに、酔いの回った頭でそんな希望的観測を抱いた。


 フォイエルバッハ大将が第一王女に呼ばれ、御前で跪いたのを会場中の誰もが固唾を飲んで見守っている。わずかな音も立ててはならないような緊張する場面であったというのに、ローランドはほろ酔い気分でにこやかに眺めていた。


「それでは、わたくしの婚約者を選んでくださいますか」


「承りました。僭越ながら申し上げます。ローランド・エングフェルト上等兵を婚約者にしていただきたく思います」


「わかりました。謹んでお受けいたします」


 よく通るフォイエルバッハ大将の声がホールに響き渡ったとき、同姓同名の貴族の男がいるのかとローランドは初め、呑気にもそう思った。

 だが困惑するような騒めきがホールに広がり、先ほどまで一緒に馬鹿騒ぎをしていた同僚たちが一斉にローランドを見ると、それに釣られるように会場中から視線が集まった。


 一体誰なのかと探るような視線に襲われ、ローランドの背中にどっと冷たい汗が流れる。酒で単純化されていた脳が覚醒し、一瞬で酔いも吹き飛んでしまった。


 視線を向けられるのは当たり前だ。ローランドは平民出身のしがない一兵卒でしかなく、知られているわけもない。だからこそ、フォイエルバッハ大将がローランドの名前を口にしたのもおかしいのだ。無名も無名、知っていること自体あり得ないはずだ。だからローランドではないはずだ。そのはずだった。

 だというのに突き刺さるような視線が逃げたくてあちらこちらに目を泳がせていると、フォイエルバッハ大将と目が合ってしまう。フォイエルバッハ大将は間違いなくローランドを見ていた。


「ローランド・エングフェルト上等兵、前へ!」


「は、――はッ!」


 同姓同名の勘違いだったら恥をかけばいい、と足を踏み出し前に出ると、他の誰も前へ出て来ないどころか、第一王女の御前に出てなお、誰に止められることもなかった。

 ローランドはここに至りようやく本当に自分を指名されたのだと理解した。震える足で跪き、こうべを垂れながら目眩で倒れそうになる。意味がわからなかった。何故自分が? 自問自答しても答えなど出るわけがなかった。


「面を上げてください」


 ゆっくりと顔を上げると、ローランドは至近距離で見る第一王女のあまりの美しさに息まで止まりそうだった。その美しい第一王女が優しく笑みを作り、ローランドを見ていた。


「エングフェルト上等兵、いえローランド様。どうぞよろしくお願いいたしますね」


「は、はい……」


 ローランドの声は情けなくも震えていた。どうすればいいのか、まったく頭が回らない。第一王女に指示されるまま立ち上がると、隣からの感触に身を硬くした。――腕に、腕が、絡んでいる。柔らかい何かが服越しに押し当てられているのが嫌でもわかってしまう。


「まずは互いのことを知るためにも親睦を深めたいと思います。皆様はこのあともパーティーを楽しんでいってくださいね」


 第一王女がそう会場に告げて、ローランドを引き連れて歩き出した。ローランドは腕に当たる感触に気を取られながら、ぎこちない動きで隣を歩いていくことしかできなかった。



 * * *



 客室のようなところに二人きりで押し込められ、ローランドはまた冷や汗が止まらなくなった。平民出身のローランドと言えど、貴族が未婚の男と女が密室で二人きりになってはいけないことくらいはわかっている。

 何故この部屋を用意した侍女は足早に立ち去ったのか。何故ベッドまで用意されている部屋なのか。親睦を深めるだけならば応接室のような部屋でいいのではないか。

 それらを聞いてしまえば下心と捉えられ不敬になる恐れもあるため、口を閉ざし黙り込んでしまう。棒立ちだったローランドをソファへと座らせ、第一王女は対面の席へと腰を下ろした。


 目の前には第一王女がいる。意識すればするだけ、指先が震えてしまう。ローランドは失礼と理解しながら、挨拶をするよりも先に用意されていたワインを呷らずにはいられなかった。第一王女との面と向かった会話など、アルコールが抜けた状態でできるわけもなかったのである。

 ワインを飲み切ったローランドに、第一王女はくすくすと笑っていた。非礼を詫びるために頭を下げると、顔を上げるように指示された。第一王女は気分を害した様子もなく、ローランドを見ていた。


「改めまして、わたくしはアンジェリカと申します」


「……ありがとうございます。自分は、ローランド・エングフェルト上等兵です」


「はい、こちらこそありがとうございます」


 第一王女の顔は笑うと少し幼く見えた。パーティー会場にいたときの顔は第一王女としての顔で、今はただ一人の個人としての顔を見せてくれているような気がして、ローランドは胸がむず痒くなる。

 他にどんな表情をするのか、第一王女のことが気になって仕方がなかった。この先も一緒に居られたら、一緒に過ごせたら、そんなことを一瞬でも考えてしまう欲深な自分に嫌気が差す。

 深く呼吸をして、第一王女を見据えた。ローランドは自分の口で、伝えなければならない。


「で、殿下……恐れながら申し上げたい儀がございます」


「そのように畏まらなくても構いませんよ。わたくしたちは夫婦となるのですから」


「……その婚約についてです。殿下はご存じないと思いますが、自分は軍人ではありますが元は平民、現在も王都の巡回警備の任に着いております。自分では、あまりにも殿下に相応しくありません」


 フォイエルバッハ大将が推したというだけで受け入れてもらえるほど、ローランド・エングフェルト上等兵という男にはあまりにも価値がなさ過ぎた。第一王女には価値を正確に捉えてもらう必要がある。国にとって、王家にとって、そして何より敬愛する第一王女にとって、ローランド・エングフェルト上等兵は何も与えることができない存在なのだから。


 自身の価値の無さを伝えただけで心苦しくなったことで、ローランドは嫌でも気付かされてしまった。笑い話にもならないが、既に第一王女に思いを寄せていたのだろう。

 それでも言い訳をさせてもらえば、一目惚れに近い衝撃に上乗せするごとく国民たちへの献身的な行為を目の当たりにして、生まれたのは深い敬愛の感情だった。ただ幸せになって欲しいという、純粋な感情だったはずだ。好きになるには遠すぎる人だったのだから。


 なのにフォイエルバッハ大将が名を呼んだことで、第一王女の視界に入り――ローランドの感情は分不相応なものに成り果ててしまった。


 そして好きな人に自分の無能さを曝け出すことの、なんと情けないことか。相手が第一王女なのだから仕方ないと割り切れる可能性がある分、いくらかマシなのかもしれない。

 ローランドはこうべを垂れながら膝の上で拳を握り締め、第一王女の裁定を待つ。だが聞こえてきたのは、予想もしていなかった返答だった。


「……お嫌ですか?」


「え?」


「わたくしとの結婚は、お嫌ですか?」


 慌てて顔を上げると、第一王女は今にも泣きそうな顔をしていた。その表情にぎょっとして、ついローランドは首を横に振っていた。


「嫌なわけではありません!」


「ではわたくしを妻として認めてください」


 ローランドは第一王女の行動に、さらにぎょっとして思わず身体を引いてしまった。第一王女の行動は、王族だの貴族だのという以前の問題だ。()()()()ような真似は、平民だってやらない。

 ――形振り構ってはいられない。第一王女からはそんな気迫を感じた。

 だがローランドもそれどころではなかった。捲れ上がったドレスからは肉付きのいい生足が見えていたのだ。見てはいけないと理性を総動員し必死に目を逸らしている間に、第一王女に詰め寄られ、恐ろしいことに膝の上に乗られてしまう。


「殿下っ! 近いです……!」


「どうか、アンジェとお呼びください」


 とろりとした甘やかな声でそう言われ、ローランドは酷く狼狽えた。もうさっきまで頭にあった真面目な考えなどすべて吹き飛んでいた。

 とにかく第一王女が近い。見るだけでもわかるすべすべの肌。触れてくる柔い腕。あたたかな体温。鼻腔をくすぐる甘い匂い。潤んだ大きな瞳。揺れる長い睫毛。赤い、唇。脳が沸騰しそうだった。


「で、殿下、自分には恐れ多いです……」


「アンジェ、と」


「……ア、アンジェ様」


 ローランドがどうにか声を絞り出すことに成功すると、第一王女――アンジェリカは甘ったるい吐息を吐き出して、蕩けたような瞳でローランドを見ていた。その視線に皮膚が粟立つ。まるで、好きな男を見るような熱に浮かされた視線だった。


「……嬉しい。いつかきっと呼び捨てにしてくださいね」


 うっとりとした顔でアンジェリカがローランドにもたれかかってくる。そのまま上目遣いに見つめられているうちに、引き寄せられるように近付いてしまう。離れなければと思うのに、くらくらとして頭がうまく回らない。重そうな睫毛が縁取る目蓋がゆっくりと閉じられ、ついに歯止めが利かなくなってしまった。

 初対面であったとはいえ、既に婚約者となり、憎からず思い合うような妙齢の男女が至る行為など一つしかなく。……誰にも言えることではないが、その夜のアンジェリカの姿はローランドの記憶に鮮明に焼き付いた。

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