5・ゾンビと社会
現代は少しずつゾンビが増えている。
生活に疲れた人の中には自殺願望に近い動機で自分からゾンビになりたい、という人も現れた。
政府広報では『ゾンビになる前に、まずは身近な人に相談を』とテレビCMを流すようになった。
少子高齢化、人口の減少、景気の低迷、今の日本はどこか閉塞感に包まれている。
ゾンビは人に嫌われているが、生きていく上でコストが人よりも安くつくのは大きな魅力に見えることもある。
実際、生きていくだけならゾンビは人よりも楽なのだ。
最近はインターネットでこのゾンビになりたい人とゾンビが連絡を取り、人をゾンビにするための出会いサイトがある。
これには狂信的なゾンビのカルト集団が係わるものがある。
『限りある地球の資源を守るために、人はゾンビとなるべきである。ゾンビとは人と自然が共存するために進化した、新たなる人類の姿なのだ』
このように主張するゾンビのカルト集団がある。彼らは人をゾンビにするべく日夜活動を続けている。
彼らの行いがゾンビに対する偏見を強め、普通に善良に暮らすゾンビにとってはいい迷惑なのだが。
人の中にも狂信的なカルトはある。
そのカルトが何か事件を起こしても、人はそのカルトが悪いのであって、人全体が悪では無い、と言う。
しかし、ゾンビのカルト集団が起こす出来事ではゾンビ全体が悪とされてしまう。
かつてオタクが事件を起こしたとき、オタク全体が犯罪者予備軍のように見られたときと似ている。
一部のゾンビが犯罪を犯したからといって、ゾンビの全てが邪悪な怪物のように思われてはたまらない。
ゾンビであっても人としての知恵も倫理も常識も持っているのだ。そして当然のことながらそんなゾンビが多数派なのだ。
それに現代日本では既にゾンビを安い労働力として社会に組み込んでいる。
いきなり全てのゾンビを否定しては、社会が、経済が破綻してしまう。
このゾンビに依存する社会を変えようとする人達もいるが、実質、半額の人件費で使えるゾンビを手放せなくなっているのが現状だ。
以前、夜中に散歩していたとき入ったコンビニでのことだが。
「いらっしゃいませー」
そのコンビニのレジに立つ店員はゾンビだった。
接客業にはゾンビは少ない。職種によって人が嫌悪感を覚えるゾンビを雇うところはまだ多くは無い。
私は最初に店員に違和感を感じて、失礼にならないように視界の端で店員の様子を探った。
その店員はゾンビスーツを着込んでその上にコンビニ店の制服を着ていた。
ゾンビスーツ。
スキューバダイビングのような首から下の全身を覆うスーツである。
活性炭などを仕込み消臭効果が高い。
首から上の皮膚と顔は肌色のドーランを厚塗りしているようだ。
私はカルパスひとつと炭酸飲料を1本持ってレジに向かう。
店員はオレンジの色の入った眼鏡をかけている。これで死んだような目の色を隠しているのだろう。
これならばよほど店員に注目しなければゾンビとバレることは無い。
お金を渡すときに店員の手を見れば薄手の透明な手袋をピッチリと着けている。
これは人の店員よりもよほど衛生に気を付けている。
カルパスと炭酸飲料とお釣りを受け取ってコンビニを出る。
「ありがとうございましたー」
ゾンビは少しずつ社会に浸透している。コンビニやガソリンスタンドの深夜業務にゾンビを雇うところが増えはじめた。
睡眠を必要としないゾンビは居眠りをすることも無い。
ゾンビスーツはいまだに高価ではあるが、量産するようになれば今より安くなることだろう。
ゾンビを介護で使おうとゾンビ化で取り上げた看護師資格、ヘルパー資格を再テストで合格すれば再び資格を取り戻せるようにもなった。
またゾンビ向けにヘルパーの資格を取得するための政策が進んでいる。
人材不足の介護の現場でゾンビが活躍する日も近いだろう。
世界的には民間軍事会社でゾンビを雇っているところもあると聞く。それなりに利益も出ているようだ。
世界中でゾンビは新たな労働力になることを期待されている。
スピードや効率性よりも地道にコツコツと確実に行う作業はゾンビの得意とするところである。
これからは農業の分野でもゾンビが活躍する時代になるだろう。