4・ゾンビと住居
ゾンビにとって問題となるのは住居である。
ゾンビとなったことでアパートやマンションを追い出されることが多い。
私は今のアパートでは大家さんにお願いして、次の更新までは住むことができるが。
この賃貸の事情についてはゾンビにとって問題である。
管理会社からすれば近隣住民とのトラブルを避けたいので、ゾンビに部屋を貸してくれるところは少ない。
住むところを追われたゾンビが公園にテントを張り、そこに住むようになった。
この通称『ゾンビ村』が今、問題になっている。
職場に通えるところに住みたいというのは、ゾンビも人も共通の思いだろう。
しかし住居が見つからなければ、路上や公園で寝泊まりすることも仕方が無い。
病気にもならず、暑さにも寒さにも強いゾンビは、開き直れば住むところに拘らない。
かつての人の暮らしを忘れられず、なんとか以前の生活を続けようと、それにしがみつくゾンビもいるが。
家賃を払わなくてもいい、とテントに住んだり路上で生活するゾンビも増えた。
そんなゾンビ村ができたところでは、近くに住む住民達とゾンビ達の間でいさかいが増えている。
ゾンビ狩りと称して善良で無害なゾンビを襲う無法者も現れた。
過去のオヤジ狩り、オタク狩りと同じではあるが、このゾンビ狩りで負傷するゾンビがいる。また、ゾンビの反撃を受けてゾンビの仲間入りをする人もいる。
人とゾンビの溝は深い。
この前も大きなゾンビ排斥運動のデモがあった。
これには低賃金で働くゾンビのせいで職を失ったという人たちの怒りもある。
しかし、今の政府与党は人手不足の解消、低賃金の労働力確保のために今のゾンビ法を変えるつもりは無いようだ。
野党は都内のゾンビを追い出すべきという論調だが、どこに追い出すのかについては、具体的に言ってはいない。
ゾンビの数が昔より増えたこともあり、ゾンビ専用アパートも少ないながら出てくるようになった。
地方では空き家をゾンビに売りに出すところも出てきた。
住むところを追われたゾンビを客として、ゾンビ専用インターネットカフェもオープンした。無駄使いをしないゾンビは以外と金を持ってる常連客になると割りきり、ゾンビが利用できるカラオケボックスなど、少しずつ増えている。
現代は迷いながら、模索しながら、人とゾンビが共存できる姿を探している。
その最中には対立もいさかいもあるだろう。
異なる存在が互いを理解して受け入れるようになるには、まだまだ時間が必要なのだろう。
昨今、樹海や山奥へと引きこもるゾンビもいる。
これには人とのトラブルに疲れたというゾンビも多いが。
食事を必要とせずどこでも生きられるなら、住所不明で住民税を払わない、というのもやってやれないことは無い。
そんなゾンビのひとつの生き方でもある。
現代に甦った逃散と言えるだろう。
そう、ゾンビはむやみやたらと人を襲ったりはしない。争うよりも逃げること選ぶゾンビもいるのだ。
自分がゾンビに襲われてゾンビになったからと言って、八つ当たりに誰彼構わず襲ってゾンビにしようと考えるのは少ないのだ。
心優しい理性あるゾンビとしては、これは当然のことである。
日本では海外に比べて狂暴化するゾンビが少ない。これが日本人という民族の性質に起因するものなのかと、海外からは話題に上がり日本のゾンビが研究されている。
日本人は地震が起きても、原発が爆発しても、ゾンビが増えても大人しい。
小さなイザコザはあっても海外のように暴動に発展することは無い。
これが和を尊ぶ日本の姿というものだろう。
かつて私を襲った青年が、私に謝罪しに訪ねてきた。
「誠に、申し訳ありません……」
声を震わせ深く頭を下げる彼を私のアパートに招き話を聞いてみることにした。
青年が持ってきた品、高級そうなハムを薄切りにしてテーブルの上に置く。
青年に勧めてみたが、頭を下げるばかりで手をつけようとはしない。
1枚摘まんで口に入れる。
自分では買いそうに無い紐で縛られた高級ハムはとろけそうになるほど旨い。
話を聞いてみれば、彼はゾンビになったことで会社をクビになり、また2年と付き合った彼女に酷い捨てられ方をして、それでヤケになっていたという。
彼がしたことは許されることでは無い。
私もゾンビになった直後は彼のことを恨んだものだ。
しかし、自分がゾンビとなり同僚に嫌われ職を失い、友人を失い家族からも距離を置くようになったことで、今の社会を生きるゾンビの悲哀を身を持って体験した。
虚しさ、悲しさ、絶望、やるせなさ。
私のように歳をとってからゾンビになったものとは違い、彼のように20代前半という若さでゾンビとなっては、その絶望は計り知れない。
ある日突然に未来を閉ざされた若者の苦悩を思えば、私が彼に感じる感情は恨みよりも同情の方が大きい。
私は彼に、謝罪は受け入れて、もう恨んではいないと告げた。
酷く罵倒されると覚悟をしてきたのか、彼はキョトンとした顔で私を見る。
私自身、ゾンビになった後は苦労もしたが、今のゾンビライフをそれなりに楽しんでいる。
何より仕事と生活に追われるだけの毎日から解放されて、自分のことを見つめ直すきっかけになったことには感謝の念もある。
お互いに今の社会でゾンビとして生きることはいろいろあるが、1度死んで生まれ変わった気分で、タフにしぶとくやっていこうじゃないか。
私はそう言って彼の肩を少し強めに叩いて、だからもう謝る必要は無いと言うと、彼はボロボロと泣き出してしまった。
その後、彼、市川君とは連絡先を交換し、今では友人として仕事の愚痴などを言い合ったりする仲である。
その市川君がLINEで私に合コンをするので来て欲しいと誘ってきた。
若い人たちの中に私のようなおじさんが入るのはどうか、と聞いてみると。
「ゾンビになったら歳なんて関係無いじゃないですか。それに――」
話を聞いてみると合コンをセッティングしたのには理由があるらしい。
若い女の子がひとりゾンビになったばかりで日も浅く、今の状況に戸惑い不安を感じているという。
その彼女のためにゾンビになってからの体験談を話せる者を集めて、彼女の不安とこれからのゾンビライフを相談するのが目的の合コンだという。
今の社会ではゾンビは少数派であり、人には嫌われることも多い。
そのためゾンビ同士では数少ない同類と助け合っていこうという同胞意識が強くなる。
こういった地域におけるゾンビ互助会はインターネットやSNSの普及する現代において、独自のコミュニティを作り上げていく。
合コンへ参加すると市川君に返事をする。市川君はありがとうございますと言うが、私は久しぶりに若い女の子との合コン、ゾンビになってから初めての合コンに心が浮き立つ。
さて、何を着ていこうか。久しぶりに身だしなみに気をつけることとしよう。