廃都密林~The another world of Concrete&Jungle~
帰宅部、という言葉がある。学校活動において何の部活動にも所属していない者が所属しているとされる、或いはそう自称する「存在しない部活動」だ。他の者達が部活動に勤しむ中帰宅するので、その帰宅こそが彼らの部活動なのだ、と揶揄するための一種の造語である。
であれば、私たちは帰宅部員である。他の一切の部活動に参加せず、放課後になれば帰宅を行う。例え、月一の頻度で異世界やそれに類する何処かへと迷い込んだとしても、その都度断固として帰宅を敢行してきた私たちこそ……紛う事なき、帰宅部であると言えるだろう。
「二重、二重」
心地よいまどろみの中、私を起こそうとする声が聞こえる。正直このまま無視して狸寝入りを決め込みたいところではあるが、流石に肩を揺さぶられ続けては起きる他あるまい。
寝起きの光に弱い瞳をしぶしぶ開けると、赤髪を揺らす我が友人、春暮杳香が真っ先に視界へ飛び込んでくる。
「やっと起きたのね、二重」
不満げな口調ではあるが、その表情は裏腹だった。例えるならば、好奇心を抑えきれていない猫のような表情、と表現するべきだろうか。
いまいち状況を把握できていない私ではあるが、彼女のこの表情が全てを物語っている。彼女がこのような表情をする時など、決まって一つしかない。
「……ああ。もしかして、また?」
「ええ、そうよ。ほら、窓の外を見てみて」
言われて、私はバスの車窓から外の景色を見る。そこは確かに都心部なのだが、まずもって無人。私たち以外誰もいない。そして、地面に入った亀裂からは腰ほどの高さの青い雑草が生い茂り、立ち並ぶ建造物の壁には蔦が這い回り、窓は過半数が無残に割れている。そして特筆すべきは、天を衝く摩天楼と肩を並べる数々の巨木。それは正しく、異様としか呼べぬ光景であった。
やはり、と私は思った。どうやら私たち二人は、帰路のバス内で船を漕いでいるうちに、“また”異世界へと迷い込んでしまったらしい。
「とりあえず、ここに居ても埒があかないわ。まるで地獄のように暑いし、早いとこ帰りましょ」
「それもそうだけど……ちょっとぐらい、探検していかない?」
私は大きくため息を吐いた。杳香は、異世界に来るたび、やれ探検だの、やれ冒険だの言い始める。私としては、いち早くクーラーを効かせた部屋で冷たいコーヒーでも頂きたいところなのだが。
とりあえず、このバスから脱出するという点では私たちの意見は合致していた。扉を開けてくれる運転手などいないので、手動でこじ開けて外へと脱出した。
「まさしく、コンクリートジャングルって感じね」
「その言葉を考えた人も、こんな景色が実在するだなんて思わなかったでしょうね」
したり顔で言う杳香の発言を適当に流す。私はこの環境に蒸し殺されそうだというのに、杳香は至って平気な様子だ。こいつ、実は機械人間なのではないか、という疑念が首をもたげる。
「ところで杳香。ちゃんと元の世界への帰り道は見えてるのよね?」
「大丈夫よ。ちゃんと元の世界への道は見えているわ。私の目が、帰路を捉えなかったことなんて無かったでしょう?」
「確かにそうだけど、一応確認のためにね」
「心配性ねえ」
ずんずんと前を歩いていく杳香には、この世界と元の世界を繋ぐ道が見えているのだという。……伝聞形なのは、杳香がそう自称しているから、である。曰く、幼少の頃より目的へとたどり着くための道が“視える”とのことだ。正確には視覚情報として道が見えるという訳ではなく、目的地へ到達するという行為において極めて強烈な勘が働く感じとのこと。言うなれば、世界の壁すら貫通する帰巣本能といったところか。そんな能力は、異世界に対して好奇心を存分に発揮する杳香ではなく、私にこそ備わっているべきだと思うのだが。
「杳香、杳香」
「なに?二重」
「ちょっと、休憩しない?」
歩き始めてから、おおよそ2時間。未だ出口にたどり着かないことに嫌気がさした私は、近くの半ば崩壊した喫茶店を指差して休憩を提案する。汗をかきながらもあまり疲れた様子を見せない杳香だが、流石に私の惨状に気が引けたのかそれを了承してくれた。
崩れ落ちた壁から中へ入り、なるべく日差しの当たらず、それでいて風通しの良い席へと座り込む。全身汗だくで、近いうちに熱中症で倒れかねない。持ってきていた水筒の中身は、とっくのとうに空っぽだ。
襟を掴んでぱたぱたさせることにより換気を行い、効率的に汗を気化させることによって体温の低下を図る。そうしている内、不意に目の前の机に謎の液体が入った水筒が置かれる。
「……何これ?」
「“その辺になってた果実の生果汁”よ。水分、足りてないんでしょ?」
「いや、確かにそうだけど」
「おかわりもあるわよ」
もう一度それに目を移す。杳香の水筒に入っている薄緑色をした謎の果汁は、不気味なほど匂いがなかった。
冷静になって考えれば、こんな怪しい代物など飲むべきではないだろう。だがしかし、今私の体に水分が足りていないのもまた事実。それならば湧水なり探せばよさそうなものだが、ここまでの道のりでそれらしきものは一つとして見つけられていないので絶望的だと言えるだろう。それに、これは果実の果汁なのだ。果実とは、植物が自ら食べられることによって種をばら蒔くためのもの。つまり、大抵は毒などが入っていることは無い、と、思う。
ぐるぐると逡巡する思考のさなか、ゆっくりと水筒へと手が伸びていく。それでもまだ迷いが残る心を置き去りにして、水筒を掴んだ手は、そのまま果汁を口へと運び――
――結論から言えば、謎の果汁は美味しかった。さっぱりとした甘味がクセになりそうだ。
「……そういえば」
水分補給を済ませて、暫く。杳香が突然声を上げる。
「人間だけじゃなくて、鳥獣や虫の類まで居ないのね」
確かに、こちらへと来てから私たち以外の動物を一切目撃していない。獣の啼き声も、鳥の囀りも聞こえないし、虫が飛んでいるところも見たことがない。
「いいじゃない。虫がいないなら、噛まれる心配もないし」
「それはまあ、そうなんだけど」
謎の世界で謎の虫に噛まれようものなら、どんな感染症に羅患してしまうかわからない。どうせ見た目も気持ちわるいのだろうし、いないに越したことはないだろう。
「それじゃあ、そろそろ出発するわよ。疲れも充分取れたでしょ?」
正直、足がまだ棒のようになっている気がするのだが贅沢は言ってられない。日は少し傾いてきているが、それでも気温も湿度も高い。まともな光源も無い今、夜が来るまでにはここから脱出して元の世界へ帰らなければならないのだ。私は一層気合を入れて立ち上がり、既に歩き始めている杳香を小走りで追いかけた。
「見て、二重」
頓に木登りを始めた杳香が、降り立って開口一番持って降りてきた物を見せてくる。それは枯葉や枝、何らかの獣の毛や繊維質を編み合わせて作られたお椀型の物体だった。
「これは……鳥の巣?」
「そう、鳥の巣よ。少し風化しているけど、間違いなく鳥類、或いはそれに類する生物が居たという証拠」
「それじゃあ何で、この世界はこんなに静かなのかしら」
「……気にならない?」
にやけ顔で私の顔を覗き込んでくる杳香を見て、しまったと思った。杳香は、間違いなくこの森から動物が消えた原因に興味を抱いている。ここで肯定でもしようものなら、今すぐにでも調査に乗り出しそうな勢いだ。
「そんなことより、今晩ちゃんとごはんが食べられるかどうかの方が気になるわ」
「なんだ、つまらないわね」
「つまらなくて結構。こんなとこ、さっさとお暇しちゃいましょ」
すげない私の対応にふくれた様子の杳香だが、すぐにいつもの調子に戻る。その切り替えの速さは見習っていきたいものだ。
とはいえ、私には元の世界へと帰る道筋は分からない。杳香の案内頼りである。そういうわけで、杳香は私に構わず調査を行うこともできるといえばできる。ただ、それをやろうとしないのが、我が友人の長所といったところか。……人として持ち合わせているべき常識、と言えばそれまでなのだろうが。
それからしばらく歩く間、杳香はきょろきょろと辺りを見回しては“生物が居たらしき痕跡”を発見していく。それでも尚一向にして私たち以外の動物が発見されないので、いよいよもって私は不気味に感じ始めていた。
「ねえ杳香、もうそろそろいいんじゃない?」
「大丈夫よ。一応、出口まであと少しだし」
ならばさっさとそこまで案内して欲しい。そう思った矢先、後ろからがさりと音がする。すわ何事かと振り向けば、近くの茂みから……“植物”が、顔を出していた。ハエトリグサをより一層大きく、凶暴にしたような見た目。人一人ならば簡単に飲み込んでしまいそうな大きさのそれが、ゆらり、とこちらを向く。眼球も何も無く、他の感覚器官も何一つとして持ち合わせていなさそうな見た目をしているが……今、確実に、私たちを見た。本能がそれを告げている。
「――ッ、二重!走るわよ!」
「ちょ、ちょっと……杳香!」
杳香が私の手を取って走り出す。それとほぼ同時か、周りの茂みから無数の何かが大挙して押し寄せてくる音が聞こえてくる。その正体を確認することはできないが、碌な代物ではあるまい。捕まった後の惨状を想像してし総毛立ちながらも、杳香に引っ張られるように走る。
なぜ動物が居なかったのか、なぜ植物が動いているのか……そんな考えが頭を使おうとするが、今は脳みそよりも体を動かす時だ。元々アウトドア気質の杳香はともかく、バリバリのインドア気質の私に全力疾走は正直言ってかなり堪える。それでも、息も絶え絶え走り続ける。
しばらくして、周囲のそれらより一回りも二回りも大きな木の洞の中に、黒々と輝く亀裂が見えた。あれが、元の世界へと戻るための出口だ。
「二重!」
「ええ、わかってるわ……っ!」
地面から隆起している根をよじ登り、なんとか木の洞までたどり着く。振り向いている暇などない。杳香と手を握り、空間の亀裂に、手を、伸ばして――
「いやあ、昨日は大変だったわね」
「大変だったわね、じゃないでしょ。全く」
翌日。とある喫茶店の一席で、私と杳香は向かい合って座っていた。
「それにしても。あの食虫……食肉?植物はなんだったのかしら」
「さあて、ね。異常進化か、はたまた突然変異か。どの道、動物はアレがあらかた食い尽くしてたみたいだし、その内ただの植物だらけの世界になるんじゃない?」
そんな益体もない話をしていると、杳香が突然、「ああ、そうそう」等と言いながら鞄の中から何か取り出す。それは。枝のついたままの果実。輝くほどの黄色をしたそれは、しかし私が一度も見たことのない果実だった。杳香は何故か、自慢げにそれを見せつけてくる。
「……何それ、って聞いて欲しそうな顔してるわね」
「二重、覚えてない?あの謎の果実の生果汁」
「ああ……って、まさか」
「ええ、そのまさかよ。せっかくだから、一つ手折ってもって帰ってきちゃった。庭の柿の木にでも接木しようかしら。種を植えてみてもいいわね」
「それはいいけど、それってあの熱帯の植物でしょ?ちゃんと育つの?」
「まあ、なんとかなるんじゃない?」
相棒のなんとも呑気な返答に、私は大きなため息を吐いた。
大幅に遅れてしまったが、今更ながら自己紹介させていただこう。
私の名は、八沙間二重。都内のとある学校に通う女学生である。部活動には所属しておらず、こうして友人の春暮杳香と共に帰宅しては、時折異世界に迷い込んでいる。
そして私も、杳香と同じく常人にない超能力を体得している。それは、“どんな狭い隙間にでも潜り込む能力”。都市伝説に語られる、隙間女の能力そのものである。
異世界とこの世界を繋ぐ穴が人間を飲み込めるほど肥大化するのは本当に一瞬でしかなく、一度閉じてしまって亀裂のようになった世界の穴は、常人に通り抜ける術はない。それ以前に、幅ゼロの隙間まで見える私くらいでいないと、そもそも認識することすら出来ない。杳香があの穴の場所がわかるのは、帰り道として見えているだけであり、実際に視認できている訳ではないのだ。
そういうわけで、私たちは二人一緒でないと異世界から帰ってくることができない。杳香一人だと世界の穴を通れず、私一人だと世界の穴の場所が分からない。まさに持ちつ持たれつ、というわけだ。
「あ、そうだ。ねえ二重、いいこと思いついたんだけど」
「今度は何?」
「私たちが異世界に迷い込んだのって、もう結構な回数よね。その筋のベテランってことで、そろそろコンビ名でも決めちゃわない?」
……何を言い出すんだコイツは。呆れ気味に相槌を打つが、杳香は構わずに続ける。
「例えば、そう。“異世界探訪倶楽部”、とか!」
「安直すぎ。それに、それだとこっちから出向いて行ってるみたいじゃない。……そうね、“帰宅倶楽部”ぐらいのほうがちょうどいいんじゃない?」
「帰宅倶楽部って、それ殆ど帰宅部まんまじゃない」
「私たちが帰宅部なのは事実でしょう?それに、少なくとも私はあっちから帰ってくるのが主目的なんだから」
「う、うーん……」
頭を捻り出す杳香。その後、特にマシな代替案が出てくるわけでもなく(ちらほらと出てきた案は私が却下した)、そのままなし崩し的に私たちは“帰宅倶楽部”となった。
なった、といっても特に何かが変わるわけでもない。公言して自称するわけでもなく、ただいつも通りに帰宅を行い、時折異世界へと迷い込む。そんないびつな日常は、まだまだ続きそうである。