【闘技場の蛇】
闘技場内にスケルトンが突如発生した。
むしろ全力疾走で入口から堂々とやってきた。
次の試合の予定まではまだ時間があり、登録してある魔物ではない事が直に分かった。
程なく緊急事態であるとの宣言が下され、それに関するモノなのだろうと察した関係者は荒れている観客達に避難誘導を試みようとするが。
「次の試合かー?」
「早く始めろー、オラァー!」
「今度は何だ、骨野郎かー!?」
「少しは骨のあるトコ見せやがれよ!」
「骨しかないじゃねえか!」
「なんだ、アイツ等でやりあうんか!?」
「いや、見てみろよ。アレだアレ!」
「さっきの蛇じゃねーか」
「おー、おー、魔物同士って奴だな!」
ヒートアップする観客達。
職員の声すらもかき消される喧騒が辺りを支配する。
こんな状態では避難誘導等出来る筈もなく、職員は途方に暮れた。
しかしそんな悩みも直に解消される。
実にあっさりと緊急事態宣言は解除されたのだ。
報告によれば、スケルトンが発生した。
直後は原因不明であり、他にも発生する恐れがあったが故に緊急事態の宣言がされたらしいのだが、
その後、実にあっさりと直に原因は判明したらしい。
その内容に耳を疑う職員だったが、アレ等スケルトンの姿を見れば何となく面影がある。
アレ等が全て、先程行われていた対戦の被害者達であるというのだから。
本当か否か等の判断など付かない、判断など付かないが、観客達に伝える必要もないだろう。
それにしても、原因の一つになった、あの蛇の魔物。
試合中に進化とは、初めて見た訳では無いが、進化する前と比べて倍以上の大きさとなるアレには驚かされた。
本当に同一のモノだったのかと疑うレベルでの変貌であったし、
何よりほんの少しだが、その美しさに目を奪われたりしてしまった。
そして少しだけ、自ら近づいて抱きしめたい思いが湧き上がってしまった。
さらに何故だろうか、あの大きなお口の中に入ってみたい思いにまで支配されてしまった。
そんな思いも一瞬だけだと信じたい。
眼前で行われた光景に、夢心地であった気分が払拭される。
巨大な花のような蛇は動かぬ冒険者達を纏めて口に咥えると、
その重さに何の苦もせず天高くに持ち上げて、全てをゆっくりと呑み込み始めたのだから。
膨れ上がった喉元を見せつけるかのように蠢かせ。
くちゅりくちゅりと、いやらしい音を立てて観客達の注目を集めていた。
ほんの少しでも羨ましいと思ってしまい、それを否定する感情がせめぎ合うこの感覚。
異常な空間が出来上がってしまっていた。
遠目に見れば花と見間違う蛇の姿を見ているうちに意識が混濁としてくるのは何となく理解した。
残る意識を総動員し目を逸らす、多少はマシになったものの、今度は匂いが感覚を刺激し意識を持っていきそうになる。
そうして目を再び向ける事により、深く魔物に惹き付けられる羽目になってしまったのだ。
今になって思えば、あの感覚が魔物の持つ特性の一つなのだろう。
誰か詳しく知る者がいてくれれば助かるのだが、と職員が思えば都合良く現れる、ペストマスクをした彼にとっての上司様。
まるで見計らったかのようなタイミングで横に並ぶ長身の姿は、その場に立つだけで威圧感がある。
そんなペストマスクを付けて、香料の匂いをほのかに漂わせるこの人は実を言うと女性である。
普段はマスクと香料のせいで、かすれた声を出している彼女は軽やかな口調で解説を開始した。
「あれこそ、フラワーサーペント。ランクC相当の魔物だ」
「あ、サイレンさん。お疲れ様です。今日は普通に喋ってますね」
「必要な時以外は香料を外してる」
「はい、それでそのフラワーサーペントとは?」
「今ではもう姿を見る事は殆どないが、価値のある魔物だな」
「へえ、お値段お幾らで?」
「今の相場ならば、白金貨100枚は下らないだろう」
「それ本当ですか? 一生食っていけますね」
「そのぐらい今ではレア物という事だ」
「でも一体なんでそこまで高いんです?」
「まず個体が少ない事。そして素材が高価である事。
さらにアレを狩れるレベルとなると中々に難しく、
お前にも分かり易く言うならこの闘技場レベルの人材で狩るのは無理だ」
「となると、アレが暴れたとしたら?」
「間違いなく闘技場は潰れるだろう」
「不味いじゃないですか。観客達は、そのー」
「大丈夫だ、アレなら問題無い。
怒らせなければ、少なくてもこれ以上問題を起こすような事はな」
「えーと、緊急事態宣言もやっぱり」
「私が解除した。下手に騒いでアレを刺激する方が不味いからな」
「あの、サイレン様が勝手にやられた訳で?」
「そうだ、責任は私が持つ。お前達は口を閉じて何も知りませんで良い」
「はい、察しました。それと、あのまま戦わせても問題無いと」
「うむ、その方が観客受けが良い。それにあのスケルトンはやはり、プライムだな」
「あの、私にも分かり易く」
「単純に説明したいが、プライムにも種類があってな。
とりあえずアレは植物の特性が組み込まれたスケルトンだ。
筋肉の代わりに植物の茎が体に張り巡らされて、相当にパワフルな力を持った個体だな」
「へえ、でもあいつ等、死んだ筈のさっきの奴等なんでしょ?」
「そうらしいな。優しい蛇が彼等を助けてやるべく丸呑みにして、観客から離れた場所で吐き出したが既に…」
「ああー、言わなくて良いです。なんとなく察してましたから」
「まあ原因ははっきりしているからな。
進化時に発生した膨大な魔力が闘技場内の結界に閉じ込められ、
その真っ只中で影響を受け続けたアレ等は無理矢理に蘇らされた。
故にアレ以上の発生は無い。蛇側も物足りなかったみたいだし丁度良いだろう」
「はあ、自分は初めて見ましたよ、アンデッドの発生なんて。
アイツに食べられたら、ああなるって訳じゃないんですね?」
「そんな能力なんて無いから安心しろ。それともなんだ、オマエ食べられたいのか?」
「そんな事ある訳、で思いましたけどあの魔物、何か催眠効果あるんですか?」
「気付いていたか。勿論ある。それも相当強い幻惑のスキルがな」
「そりゃあ気付きますよ。これでも魔物相手の仕事してるんですから」
「それでは改めて説明しよう。フラワーサーペントは魔眼や匂いで、
獲物の気力を無くすどころか魅了して、対象自らが捕食されに向かって行くとまで言われている。
それに抵抗する為には相応の精神力、もしくは装備だな」
「装備と言ってもどうせお高いんでしょう」
「そうだな、少なく見積もっても白金貨が数枚飛ぶだろう」
「白金貨白金貨って、私の価値観壊れちゃいますよ」
「お前も1枚ぐらいは持ってないのか?」
「どうせ一枚だけですよ。勿体なくて使えません」
「そんなんだからお前は、使うべき場所で使わねば増える物も増やせんぞ」
「失敗したら、その時の私は今頃あの蛇のお腹の中ですよ」
「なるほどな、返せぬ借金した場合には考えておこう」
「楽しそうに話すのは止めてください」
「そんな事より、そろそろ始まるみたいだぞ」
「はい、本当に心配はいらないんですね?」
「心配するのは蛇よりも、スケルトン側が逃げんようにする方向で警戒せよ」
「はい、それでは私は元の持ち場に」
移動する中で職員は復唱する。
特に何も問題は起こらなかった。
蛇の魔物、ヨルンには普段通りの対応で良い。
スケルトンに関してのみ注意せよ。
納得できる範囲の命令ではあるが、何かが起きた場合はどうすれば良いのか。
命に関わるような事故が起きなければ良いのだけれど。
不安に思う職員は上司の、責任は全て私が持つの一言を思い出す。
あの言葉が出るって事は本当に心配はいらないという事だ。
言われた通りに仕事をこなし、念の為同僚にも確認を取りつついつも通りにしていれば良い。
そう考える職員の耳に、闘技施設内に、今まで誰もが聞いた事もない程の轟音が木霊する。
自分一人ではどうにもならない危険な存在が近くに居る。
それが分かっていながら仕事を続ける職員の命の価値はどの程度なのか。
比べる為に天秤にかける事など出来る重さではないと信じたい。
しかし、命のやり取りが平然と行われる施設では。
奴隷として売買される者達の価値は、それ相応のモノとして扱われるのが現状である。
金銭としてやりとりされる事も、公然と行われている世の中だからそういうものだ。
魔物を扱う施設として、機密もある以上、逃げる事も適わない。
自らを守る為には程良く気合を入れて、常に本気で取り掛かりつつ、
程良い頃合いになったら、相応の対応をする。
普段となんら変わりない仕事に、今日は一つアクセントがプラスされただけの話。
かくして悪い予感というモノは良く当たるもの。
彼等にとって予想だにしていなかった事態が起こる。
スケルトン側が逃げぬように警戒せよと言われていた。
アレが逃げぬようにだって? 冗談じゃない。
正直に言って、職員全員を総動員しても無理だ。
そもそもに対アンデッドのマニュアルなんて無い。
そもそもにアンデッド系の魔物なんて闘技場では扱わない事になっている。
そもそもに自分達が真面に相手が出来る魔物なんて、Eランク程度が限界だ。
枷も何も付いていない魔物をどうやって止められよう?
職員達に残された対応は、蛇の魔物であるヨルンの完全なる勝利を祈るばかりだった。
先の読めない不安な時間とは、かくも長く続くもの。
魔物達の常識外れた激しい戦闘を前に、職員達は動けず、その場に貼り付けられている。
彼等が目の当たりにしている戦闘は死闘と言うに相応しく、手に汗握る戦いであった。
決して長くもない闘技施設への勤務でも、記憶には全く無い怪獣同士のぶつかり合い。
あんなものを相手に、冒険者という者達は張り合うというのか。
戦闘音は唐突に終わる。終わってから暫く続く静寂の後にやってくる大歓声。
勝鬨の咆哮を上げて、堂々とした態度で普段通りにやってくる蛇の姿は見える以上に巨大に見えた。
いつものように対応しようにも、恐怖の感情が先行してしまうのは仕方ないだろう。
それでいて、正気を奪う匂いを放つのも職員の感情を掻き乱していたが故に、混乱はさらに増す。
触りたい、密着したい、抱き付きたい。
あの大きなお口の中で、舌で、ぐちゅぐちゅにされたい。
惹かれるように足を向かわせようとする職員の耳に響く同僚の声。
「やめとけやめとけ、見て見ろ、今日の蛇ちゃんボコボコにされてるだろ?
暫く一匹にさせてやったほう良い。進化もしたばっかりだから何が起こるか分からんしな」
引き留められた職員は我に返り、なんで同僚は幻惑にも掛からず無事なのか。
魔物に惹かれ、向かっていく職員達を抑えるべく、施設内には同僚のやめとけ声が響き続けたのだった。
* * *
登録されてる魔物にはビリビリ痺れる装置が付けられているとかなんとか。




