愛とアイディール
私の好きな人は、確かにあの子、もう一人の「愛野夢香」だけ。
だけど私には、「高井咲斗」と言う名の配偶者、いわゆる付き合ってる人って奴がいたりする。
◇
「夢〜!」
学校の駐輪場の前で、イヤホンでヘビメタを聞きながら部活終わりの咲斗を待つ。金曜日はいつもそうだった。
咲斗は剣道部で毎日遅くまで部活をやって帰るが、金曜日はミーティングのみなので、部活をやっていない私はは金曜日だけは咲斗の帰りを待ってあげることができる。
咲斗は、私のことを「夢」と呼ぶ。咲斗だけの呼び名だ。
「夢、ごめんね、ちょっと遅くなった。」
「大丈夫だよ咲斗。」
私たちが二人で話している脇をちらっと見ながら素通りしていく文化部の女子生徒達。高校生などというものは、男女関係の話にしか花が咲かないものだ。くだらない、と思う。
咲斗は自転車をひきながら、私の歩みに合わせてゆっくりと横を歩いてくれる。
徒歩10分で着くこのマックで、2時間ほど時間をつぶすのが私達のお約束だ。
夜ご飯の時間にはまだ早い。Mサイズの飲み物だけ買って、私達はひと息ついた。
さて、そろそろ始めようか。
「咲斗、まだ愛とかくだらないこと、考えてる?」
「もちろん。夢こそ、まだあの合言葉にとらわれてるわけ?」
毎週行われる2時間の論争の結末は、未だに見えない。
◇
まだ二人が付き合う前のこと。
とにかくわかっていたのは、お互いに、かなり変わった性格だということだ。ただし、それは性質が正反対である。
「夢のことが好きだ!付き合いたい!」
学校帰りにふらっと寄ったマック。咲斗は高らかに、そう告げた。
「いや、待て。とりあえず落ち着け。声でけーよ?気付いてますか?」
「夢のことが好きだ!付き合いたい!」
「うん、わかった。大事だから2回言ったんだね、わかった。とりあえず落ち着こうよ、ね?」
相手に言っているようで自分に言い聞かせていた気がする。だって、愛は、愛は禁忌です。禁忌なのです!
相手の目は潤んでいる。これはマジな方だ。
いてもたってもいられなくなって私はとりあえず真っ赤になった咲斗を置いてトイレに行く。
「夢香!夢香!もう一人の夢香ー!」
トイレの個室の中、私は心の中で彼女を呼ぶ。すると、綺麗で美しいもう一人の「私」が、トイレの棚に脚を組んで座った姿が現れた。...偉そうな態度だ。
「ふむ、どうやらあんたにも花が咲いたみたいじゃない。」
私を見下したように言うのだ。ふざけている。
「ふざけないで。これは重大!シリアス!あの日の恋愛は最悪だった。それがまた起ころうとしている。」
「相手が違うじゃない。何をそんなに焦ってるのよ。」
彼女は馬鹿にするように笑っている。本当に腹立たしい。
「あんたがあの頃していた目を、あの咲斗くんがしているみたいに思えたけど。恋は男の数だけ種類があるってこと教え忘れてたわ。咲斗くんはまぁ、あんたを酷い目に合わせた[アイツ]とは違うと思うけど?」
「でも、別に私は咲斗のこと、好きってわけじゃ...。」
「馬っ鹿じゃないのー!?お互いに好き合ってる恋愛なんてこの世に本気であると思ってんの?本当に学習能力ないのね!どちらかがいつも泣くことになんのよ。今回は咲斗くんってことでいいじゃない。夢香、あんたは咲斗くんを愛せなくてもいい。全ては経験よ、経験!」
鼻高々に言うもう一人の私は、完全に付き合うことを推奨しているようだ...。
「わ、わかった。まあ私はあんただけは信用してるから、とりあえず付き合ってみるわ。でも、でもさ...」
「何よ?」
「アイディールのこと話させてくれる...?」
もう一人の私は少しだけ驚愕した。
「へぇ、あんたにもまだ[愛]みたいなもんが残ってるってことね。」
「意味わかんない、なんでそうなるの。ただ、配偶者になるものには言っておきたいの。だってそれが私の人生だもん。」
「ふーん、わかった。」
もう一人の私はゆっくりとトイレのタイルに着地した。そして私の顔に自身の顔をゆっくりと近付ける。
「待って、こんなところで?」
「場所は関係ないでしょう。」
相変わらず、頭がクラっとするくらいの異常な石鹸の匂い。吸い込まれるように綺麗な瞳。...私の大好きな、もう一人の夢香だ。
誰も、知らない、そうこれは、一つの儀式。
◇
「咲斗、私はね、愛を信じていない。愛なんてものは、すぐに消える儚いもの。触って確かめていないと、もうわからなくなる。だから私は愛を捨てたよ。「アイディール」にそって生きることに決めたの。」
「アイディール?...確か、理想って意味だっけ?」
「そう、理想。愛を捨てた者が行き着く末路。私のような人間を、理想主義者...とも言うのかな。とにかく、自分の思い描いたものを思い描いたように生きるの。すべての「モノ」に依存を生じながら。「モノ」だから、人間はNGってわけなんだけど...。でもまぁ、付き合うって行為をするのは別にいいかなって...ごめんなんか意味わかんないよね...。」
「...なるほど、つまりは俺と正反対ってことか。」
「え?」
「俺は愛しか信じてない。」
◇
「だからぁ!!!好きなアニメの予約忘れたらもうそれは「アイディール」がぶち壊されてるの!!この世の終わりにも近い絶望に襲われるの!!それが描いた確実な未来を壊すっていう悲しみなの!それをなるべくなくしていく生き方が「アイディール」なんだってば!」
「意味がわからねぇ!そんな悲しみ、誰かから「好き」って言われたらもう忘れられるじゃねぇか!そういう小さい悩みも吹き飛ばしてくれるのが、愛なんだよ!!」
今日も似た者同士は論争する。例え周りから見てくだらない論議だとしても。彼と彼女はその論争を、毎週毎週繰り返す。