「ねえ、書き手を失った物語は、どうなってしまうと思う。」
「そりゃあ、なんとも…私の核心に迫った質問で」小説家の先生は僕を見て笑った。「君は私にひどい質問をするからねえ」
そんなに失礼な質問だっただろうか。いや、先生は小説家だから、つまりは書き手で、それを失うということは、先生がいなくなるもしくは小説を書かなくなるということ。
「すみません。先生がいなくなるという、仮定ではなくて…」
「いいえ、私もそうは思っていません」
「では?」
「書き手を失った物語などそこら中にあふれていて、ほら、これも」
芥川龍之介の短篇集を指さして、先生は私を見つめた。
「芥川龍之介は亡くなっている」
そういえばそうである。文豪と呼ばれる人々の殆どはもう亡くなっている。
夏目漱石も、太宰治も、森鴎外も、志賀直哉も、江戸川乱歩も。
中島敦も、田山花袋も、柳田國男も、国木田独歩も、坂口安吾も。
三島由紀夫も、与謝野晶子も、泉鏡花も、福沢諭吉も、島崎藤村も。
だから。
『坊つちやん』も、『斜陽』も、『舞姫』も、『城の崎にて』も、『怪人二十面相』も。
『山月記』、『蒲団』も、『遠野物語』も、『武蔵野』も、『風博士』も。
『金閣寺』も、『みだれ髪』も、『高野聖』も、『学問のすゝめ』も、『夜明け前』も。
書き手を失った物語。
「先生は、書き手が亡くなったときを、物語が書き手を失ったときだとお考えですか」
「ふむ。さっきよりはマシな質問ですかねえ」
先生は短篇集を開いて、そのまま読み始めてしまった。
「私はそう言っているわけではない。それはただの一般論のようなものです」
先生は全くこちらを見ない。
「書き手は、書き手の名前や生い立ちは今までにずっと消えないでいるではありませんか。そうですね」
「芥川龍之介や夏目漱石はそうですね」
「それならば、これらの本は書き手を失ってなどいません」
「え?」
「この『羅生門』を書いたのは芥川龍之介だと、遺っている。その限りこの本は書き手を失わない」
――それはつまり。
「では、『羅生門』を書いたのが誰かわからなくなった時――それが”書き手を失った時”だと?」
「そうです」
「それは…」
そこから続く言葉は浮かばなかった。
「誰が書いたのか分からない作品でも、有名になったものはありますね。しかし、『羅生門』が作者不詳となったら、今のように有名だったかな」
分からない。素晴らしい作品だから評価されているのか、作家が素晴らしいから評価されているのか、ああ、分からない。
「そうして『羅生門』は埋没する。消えてゆく」
分かりますね――と、先生はやっと顔を上げた。
「作者が亡くなっても、覚えられている限りは『羅生門』は存在する」
忘れられたら、消えてゆく、と。
「此れが私の考えです」
先生はぱたんと短篇集を閉じて、卓袱台の上に置いた。
「では貴方にお願いしましょうか?」
先生は立ち上がって、本棚から、先生の作品を取り出した。
「私の作品から、書き手を失わせないで」
先生は儚げに微笑んだ。